第3話 お前にだけは言われたくない
夏休み明け。
私は友達に散々冷やかされていた。今までの人生で、これほど友達との会話がきつかったことがあっただろうか。
――――私だって、思ってもみなかった展開なのに!
特に親友の彩音は、こういう話に関しては誰よりもゲス野郎と化す。根掘り葉掘り答えるのが恥ずかしいことを聞かれた挙句、徹底的にいじり倒された。
でもせめて、あんまり言いふらさないで、ってお願いしておいた。同じバレー部の中には、彩音みたいに単に下世話なだけじゃなくて、意地悪な人もいるから。
でも幸いと言うか、結人先輩のことが好きな人はいない。多分。
……というかそれよりも、「あいつ」にだけは絶対に知られたくなかった。
あいつだったら、絶対――――
「おめでとう」とか言って。
心の底から嬉しそうに、するだろうから。
でも、今の自分の幸せを考えると、すぐにそんなことはどうでもよくなってしまった。
だって、絶対に届かないと思っていた片思いの相手から、とつぜん告白されたんだから。なんて少女漫画?って感じだ。
こんなこと、許されるのかな、なんて思ってしまう。
シンデレラストーリーでもない。別に私は今、そんな不幸な目には合っていないし。……いや、もし中学生の時の「あの経験」を不幸に数えるなら、確かに逆転劇かも知れない。
あるいは、もしこれがフィクションの恋愛だったとしたら、このあとにまた試練が訪れたりするんだろうか。
まず思いつくのは親が反対することだ。わたしの父親は、高校生の間は交際はするな、って言っている。
理由は二つあった。
まず、勉強に集中できなくなって大学に行けなくなるかもしれないから、って。……何だそれ、って感じだ。別に私は勉強は得意じゃないけど、恋愛にうつつを抜かして浪人するほどおバカじゃない。適当な所でも行ければいい、って言うなら、全然問題ない。
私の母親は以前(小学生の時)は「絶対有名大学に行かせる」って言ってたけど、「見込みがない」ことがわかってからはあきらめてくれた――賢明な判断だった。
それでもまだなんだか、中途半端に無意味な厳しさが残っている。
あと、もうひとつの理由。花苦侘市は経済はすごく潤ってるけど、県内でも特に治安が悪いから、高校生でも犯罪に巻き込まれやすい。
特に、うちの高校は偏差値が低いし風紀が乱れてるから危ない、って思ってるらしい――まごうことなき偏見だ。みんな普通に遊んでるだけだし、犯罪の話なんて聞いたことない。
……とにかく。
あの人たちの言うことなんて聞く価値はない。
このまま隠れて続けてしまえばいいだけだ。もしバレたとしたら……その時は、全力で戦ってやる。
私が決意を固めると、次第に妄想が暴走し始めた。
――もし、プロポーズされたら……。
まだそこまで続くかどうかもわかってないのに。
そんなことは承知の上で、私は割と真剣だった。
そうなったら、なし崩し的に結婚してしまうのもいいんじゃないか、と。事後承諾か……あるいはどうしても反対されるなら、親と縁を切っちゃってもいい。高校もやめて駆け落ちしてしまおう。
さすがにそこまでしなくてもいいかもしれないけれど、別にそれでも全然いい。そう思えるくらいには、私は親に対して情と言うものがない。
きっと子供のころずっと、親以外の誰かに依存しすぎていたせいだ。
一応、私は基本的に慎み深く生きる主義だ。
上昇志向もまったくないし、周りの子と比べると、自己顕示欲はめちゃくちゃ低い。謙虚です、って自慢しているわけではない。ただ、好きなことは人それぞれってだけだ。
でも一方で、一度手に入った幸せを逃すのは、絶対に嫌だって思う。
――今度こそ、徹底的に守り抜く。
まして、それが親なんかに奪われるなんて絶対に許せない。
どうやら私は若干陰湿な感情を抱いているようだった。
これも大人の女になっていく過程のひとつなのかも知れない。そう思うと悪い気はしない。
でも私は、ただ浮かれている訳ではなかった――――本当に覚悟は、ある。確かに、きっかけは自力じゃなくて先輩がくれたものだ。でも、この恋そのものは自分のものであって、他人に押し付けられたものじゃない。私の内側から自然に出てきたもの。私だけのものだ。
――だから私自身の力で、守り抜くんだ。……そう、決心する。
しかし、浮足立っていたのも事実。地に足がつかないで、妄想に突っ走っていきそうだった。
自重しよう。冷静にならなくちゃ。
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その日の朝、学校の廊下で先輩に会ってしまった。
とりあえず遊園地で楽しかったことについて話そうとしたのに、恥ずかしくてろくに口が回らなかった。しかも、色々回ったのに、観覧車以外何も思い出せなかった。最後のインパクトが強すぎて記憶が飛んだのかもしれない。
一方、先輩もいつもより口数が少なかった。さすがに気まずいのかな、って思ったけど、それよりも私の様子をうかがってる感じだった。
もっとぐいぐい来る気がしてたけど、むしろ、私に気を遣って、そうしないようにしてるのかもしれない。
「――じゃ、また話そうね。」
先輩は名残惜しそうに、私とすれ違っていった。
私は「また話そう」って思っていると気負いすぎるというか、次に会った時に何を話すか決めておかなきゃいけない気がしてしまう。
――もしかしたら今日は一日中、そのことで悩んでるかも、なんて思って。
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教室の隅で、二人の男子が会話している。
「――楽しかったよ。遊園地なんて小学生以来じゃない?」
「あー、俺も、家族で行ったのは中二以来。あの頃は楽しかったんだけどな、」
「――やっぱり、家族で行った方が楽しい?」
「いや、そう言うことじゃないけど……ああ、ガキの頃はそうかもな。でも今はさすがに恥ずいし…………あ、ごめん。」
「何が?」
「いやその、司は、あー……その、家族で行く、とか経験したことないのに、その、俺が無神経に……。」
「あはは、気にしなくていいよ。僕も、そんなこと気にしたことないし。」
その子――天愛司は屈託なく笑いながら言う。
「――――それに、家族ならいるよ。」
「……ああ、おじさんか。」
「うん、そう。遊園地にも一緒に行ったよ。一度だけだけどね。」
「そっか。」
「――血はつながってなくても、大事な家族だよ。」
彼は他の人が言ったら歯が浮くような美しいことを、断言する。悪い、って訳じゃないんだけど、いいことを言っているんだけど……私は聞いていると、何だかイライラする。
いや、聞き耳立ててる私が悪いのか。どうして、聞いちゃうんだろう。
「あぁ~~っ、やっぱお前良い奴だな!こっちが恥ずかしくなってくるわほんと。俺今反抗期だけどさぁ、親との接し方、考えなおそっかなぁ~!」
そして、その歯が浮く台詞にこんな返しができるのは、こいつだけだ――
この人も根はかなり優しい。だから、司と波長が合うんだろう。いつも司のそばにいる。
中学生の時は一時期変なノリで、「二人合わせて天地無用」とか名乗っていた。――それって「荷物ひっくり返してもオッケー」、って意味じゃん、全然かっこよくないじゃん、とかツッコまれても無視してた……あれ、本当にそう言う意味だったっけ?
司にはそんなギャグっぽいノリは全然似合わないし、実際本人も「?」って感じでスルーしていた。
あの頃の晴翔は、別に嫌われてはいなかったし、まあまあおバカキャラとしてウケてた。でもよくある道化キャラと違って、司の隣にいるせいでものすごい違和感があった。
まっすぐすぎて冗談の通じない司に対して、いつもノリツッコミして笑いをとる。そういう立ち位置。
背が低くて童顔(司みたいに綺麗な顔じゃない。フツーだ。)なので、女子先輩方からはひそかに愛玩動物扱いされている……でも異性としては見られていない。
私と司と、同じ幼稚園に通っていた。司と仲良くなったきっかけは、司に片思い相手の由美ちゃんへの告白を手伝ってもらったことだったらしい。
司はキューピットとしてこの上ないほど優秀だった。二人が一緒に遊ぶ機会を作ったり、晴翔の魅力に目が向くように話をしたり。それを全部わざとらしくなくやったのは素直にすごいと思う。実際、由美ちゃんはけっこう晴翔に興味持ち始めてたらしい。……でも、最終的には失敗した。
由美ちゃんはそのキューピット作戦の過程で、必然的に話す機会が増えたもう一人の男子、つまり司のことを、晴翔よりも好きになってしまった。
司には何が悪かったかよくわからないらしくて、とにかく申し訳なさそうにしていた。
……そう。
小さい頃の司は、ときどき「人がいい」では済まないくらい、周りと感覚がずれてることがあった。
由美ちゃんが自分を好きになってしまい、それを知った晴翔が落ち込んで口をきいてくれなくなった時も。
あの時、司は私に相談してきた。
「由美ちゃんは僕のことが好きだから、晴翔君とは恋人になれないんだって……どうして?晴翔君は素敵な子なのに。」
私はこう答えた。
「晴翔より、司の方が好きなんでしょ。」
「え?どういうこと?僕を好きなのと、晴翔君を好きなのは、関係ないと思うけど……。」
私は最初、その言葉の意味が分からなかった。
でも要するに、司の中では好きな人の順番付けなんて考え方は無かったのだ。あの子よりこの子の方が好き、だからこの子の方を大事にする、とか。
司の中ではそう言うのは不公平なことで、許されないことだった。
普通は誰だって多かれ少なかれ、そういうことは思うはず――でも、天愛司は違う。
もしかすると、司にとってそれは、「間違った」考え方なのかもしれない。
司は間違ったことはしないし、考えない。絶対に――徹頭徹尾、「いい子」なのだから。
その性格は大人には褒められてたし、ある意味長所なんだろうけど、でも……。
――せめて、司にもそういう、普通の考え方が少しでもあったら、あの時も違ってたのかな、なんて。
「……そういえばお前さ、途中から銀髪の人と一緒にいたじゃん。あの人だれ?」
「――――え、途ヶ吉先生だよ?」
「……は?誰?」
「……図書室の司書さんだよ。会ったことない?」
「いや、初めて聞いたし。え?何、なんで?先生、じゃねえか……職員?が生徒と遊んでていいの?ていうか銀髪!?」
「髪色くらい自由じゃない?」
「……だったっけ?いやでも、銀髪ってさすがに……。」
「あれは仕方ないよ。だって地毛だもん。」
「嘘つけ!」
「嘘じゃないんだけど……まあ、信じないか。」
何となくいつも、司の声を拾い続ける私の耳。聞かなくていいのに。なんで。
「園安先輩と仲いいんだって。……ていうか、僕たちを誘ってくれたのも途ヶ吉先生だったじゃん。……やっぱりすぐ忘れちゃうんだね。」
「あ、そっか。それでお前が俺のこと誘ったんだよな。じゃあちょっとは恩があるわけだ……。」
「……やっぱりすぐ忘れちゃうんだね。」
「まあ、結局俺たち、ただのついでっていうか利用されただけだったんだけどな……あぁクソッ、観覧車がトラウマに!」
「なんで?楽しくなかったの?」
「知らない男と乗って何が楽しいんだよクソッ!」
「ええ、嫌だったの……?」
話題の方向がちょっとまずいことになってきた。
私はさりげなく司の表情をうかがったけど、晴翔をいさめてるだけだった。そこはむしろ、怒らない方がおかしいんだけど。
「――――あ、そうだ。そうだったそうだったそういえば!」
晴翔は突然ニヤリとして私の方を見る。
「叶多はさあ、結人先輩と乗ってたよな~。」
――やっぱり来やがった。
何にせよ返事をする以上、顔を向けないわけにはいかなかった。でも。私の気持ちは表情に出にくいけれど、でも……司の顔を、見たくなかった。
私は平静を装って言う。
「そうだけど?」
「どうだったんすかぁ~!」
「どうって……特に何とも。」
やっぱり。司は普通の顔をしてた。先生の連絡を聞く時とかと全く同じ。いつも通りのほほえみをたたえて。
興味が無い訳じゃない。司は、友達のことだったらなんでも興味を持つ。
でも、自分の問題だとは思ってない。
彼が興味を持つのは自分の問題じゃなく、常に他人の問題としてだけだ。あるいは、自分がその人に何をして欲しいってお願いされるのか、とか。命令を待ってるようなものだ――そう言う風にしか、考えられない。
晴翔はまだしつこく、私と結人先輩がどうなったか聞き出そうと頑張ってたけど、私の鉄面皮の前にとうとう降参した。なのに……。
「成功したんだってよ。」
「え?」
思わぬところから答えが漏れた。
「告白成功したんだって。叶多も先輩のこと好きだったんだもんね。」
――なんで、司が知ってるの。
ていうか、なんで私のことまで――――彩音以外、誰にも言ってないのに。
次に聞こえてくる言葉は、ほとんど予想できていた。
「おめでとう、叶多。」
司は満面の笑みで言う。
友人への誠意を込めた、祝福の言葉。
卒業式の送辞みたいに、儀礼的に。朗らかに。……でも本気で嬉しそうに。
その笑顔を見た瞬間、私は無意識に歯を嚙みしめた。
――お前にだけは、言われたくなかったのに。
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