第116話 後日談 亡き皇太子への供物

 天栄宮てんえいきゅうでは数千にも及ぶ人々が働いている。巨大な宮中においては仕事は細分化され、皆それぞれに役割が与えられていた。

 うちの一人、調達番と呼ばれる毎日の食材調達を担う男は、一つの墓の前で首を傾げていた。


「おっかしいなぁ……無くなっていない」


 墓は、一般のものと比べて明らかに豪華な作りをしている。

 雨綾うりょうの町にほど近い場所に、瑞祥ずいしょう殿と呼ばれる霊廟れいびょうがある。

 ここは真雨皇国しんうこうこくの代々の皇帝と家族が眠っている神聖な場所であり、雨綾の人々の信仰を集めている場所でもある。

 その場所に調達番の男がなぜ訪れているかというと、一つの理由があった。


ーー先代皇帝の一人息子、皇太子秋霖しゅうりん様が無くなった際に一つのお触れが出た。


 曰く、「秋霖の墓に日々絶えず供物を捧げること」

 供物を捧げること自体はよくある話だが、内容が少々変わっている。

 日々、調達番が雨綾の問屋より仕入れてくる新鮮な食材、または異国より献上された貴重な調味料など。

 団子や饅頭といった作り上げられた料理ではなく、素材のまま供物として捧げろという命令であった。

 不思議に思いながらも皇帝陛下直々の命令に逆らうわけもなく、頷いた調達番たちは先代皇帝亡き後も命令を守り続け、せっせと秋霖様の墓に供物を備え続けていたわけなのだが。


「ちょっと前までは、捧げた供物が次の日には無くなっていたんだがなぁ」


 当番の調達番が天栄宮に戻ってそう首を傾げながら他の調達番に話をしているのを、明け六つの食材調達に来ていた紫乃は耳にしていた。


「今までは、秋霖しゅうりん様の霊が供物を天界にお持ちになってくださっていたというのに。まさか秋霖様、具合が悪いのか?」

「そうかもしれないな。天界で寝込んでいて、地上に降りて来られないのかもしれない」


 調達番の一人の言葉に、他の調達番は真剣な顔で相槌を打っていた。

 既に体から魂は解放されており、苦しみのない世界へと旅立っているというのに、体調を崩して天界で寝込んでいるというのはどういう発想なのか。

 問いただしたい気分になったがぐっと堪える。

 それよりも何よりも気になっている点が紫乃にはあったからだ。


「なあ、それ、盗人が入っていたんじゃないのか」

「それはない」

「ないない」


 紫乃の疑問に調達番の二人は示し合わせたかのように手をブンブンと横に振り否定した。


「御霊廟には厳重な見張りがついているし、供物を捧げた後は扉が閉められる。盗人どころか蟻一匹入る隙間は無いよ」

「そうそう。だから、秋霖様の霊が降りてきて、供物を天界に持って行っているとしか思えない」

「…………なるほど」


 紫乃は頷き、確信した。

 夕餉の食材調達を終えて御膳所まで歩く道すがら使用人宿舎を隠すように茂っている雑木林に入ると、小さく「黒羽こくう」と名前を呼ぶ。

 木の上から降ってきたのは、どこにでもいるようなありふれた顔立ちの男、元影衆の頭である黒羽。


「お呼びでしょうか!? 紫乃様!」

「声が大きい」


 黒羽は隠密にあるまじき声のでかさで紫乃を呼んだ。

 しまった、とばかりに目を見開いて片手でばちんと己の口元を覆う。

 それから極めて意識しながら音量を調節しつつ、改めて話しかけてきた。


「いかがしましたか。何か問題でも?」

「いや、ちょっと気になる話を聞いたもんだから。皇太子様の墓に捧げられている供物が最近なくならないって、調達番たちが不思議がっていて」

「あぁ、なるほど」


 黒羽は話を聞いて納得し、そしてあっさり言った。


「紫乃様が天栄宮に来てしまったので、供物を頂戴する必要がなくなりましたからな」

「やっぱり黒羽が持って行ってたのか」

「ええ。先代陛下のご命令でして。あの霊廟には抜け道があるんですが、そこを伝って日々供物を頂戴し、それを屹然の山まで運んでいたんですよ。いやいや、急に供物が残されたままとなれば、確かに調達番たちも訝しむでしょうなあ」


 黒羽は額をペしんと叩いて言う。


「陛下に伝えて、供物を止めるよう命じてもらおう」

「それがいいでしょう」


 黒羽は紫乃の意見に同意した。

 それから真っ直ぐと紫乃を見つめ、眩しいものを見るように目を細める。


「いや、いや。それにしてもご立派になられましたなぁ! 亡き皇太子様にそっくりのご尊顔……もがっ」

「だから、声が大きいって。誰かに聞かれたらどうする」


 紫乃は黒羽の口を塞いで慌てて周囲を見渡した。

 雑木林に人はいないが、この声の大きさでは誰に聞かれてもおかしくない。

 黒羽はもがもがとしていたが、紫乃の手のひらの間からくぐもった声を出した。


「申し訳ない、声の大きさは生まれつきで……」

「なんで隠密なんてやってるんだ……」

「いやいや、某の隠密術はなかなかのものですぞ。今度ご覧に入れましょうか」


 至極真剣な顔で言う黒羽相手に少し考え込んでから、紫乃は「遠慮する」と答えた。

 黒羽は少し残念そうな顔をしつつも「そうですか。では、考えが変わったらいつでも言ってください」と言葉を加える。


「というかもう、隠密なんてやらずに普通に暮らせばいいんじゃないか? 私に義理立てする必要はないよ」

「何をおっしゃいますか。紫乃様は唯一無二の尊いお方! 何かあれば一大事、この黒羽がきっちりと守ります」

「花見たちもいるし、過剰すぎじゃないか」

「いえいえ。妖怪と人間では視点も違うでしょうし、某の存在はきっと必要になるでしょう」


 胸を叩いて言う黒羽は大変頼もしいが、できれば影衆が活躍するような物騒な事件は起こらないでほしいな、と紫乃は思った。

 紫乃の思考を読み取ったのか、黒羽は真剣な顔で紫乃を見つめると、意識的に抑えた声で訴えかけてくる。


「紫乃様、甘い考えはお捨てになった方が良いです。特に陛下が紫乃様に執着になさっている状況で、何事もなく平和に終わるなど考えてはいけません」

「知ってたのか」

「知っていますとも。あの時、御膳所の屋根裏には、某と流墨が詰めておりましてな。陛下が紫乃様に無体を働こうものなら、その首筋を掻き切ってやろうと狙う某と、某を食い止めようとする流墨との無言の戦いが繰り広げられていたのです」

「…………」


 夕餉を終えた凱嵐が御膳所にやって来て、「覚悟しておけ」と宣言したあの日を思い出し、紫乃は顔を赤くした。

 まさかあれを見られていたとは思ってもいなかった。


「ともあれ、某は紫乃様のお味方! 何かあれば馳せ参じられるよう、いつでも待機しております故ご心配なく!」

「……うん、ありがとう」


 黒羽の心の底からの善意と、染み付いた影衆としての生き方に礼を言った紫乃は、ひとまず心臓に悪すぎるので凱嵐との距離を置こうと心に誓った。

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