第115話 終話 今はまだ

 奥御殿に存在する唯一の外界との出入り口、西門から白元妃はくげんぴの一行が静かに出発する。

 天栄宮てんえいきゅうにて、かつて確かに頂点へと昇り詰めた皇后は、今は誰にも見送られずに真雨皇国しんうこうこくの外れにある離宮に移り住むべくひっそりと住み慣れた御殿を後にした。

 凱嵐がいらんががらんとした奥御殿を寝殿の最上階から眺めていると、不意に賢孝けんこうが隣へとやって来た。


「奥御殿の主人が不在となった今、陛下の妃選びが本格化いたしますね」

「もうか? 早すぎるだろう」

「陛下のお立場を考えますと、むしろ遅すぎるくらいだと思いますが」


 賢孝の小言に、凱嵐は短くなった自身の黒髪を乱暴にかきむしる。


「どちらの豪族の姫に声をかけましょうか。光建こうけんのご一族、清鶴せいかくのご一門、蕗按ろあんの方々という手もあります。奥御殿は広いので、いっそ年頃の姫を全員を呼び集めましょうか」


 賢孝は指折り数えて妃候補を嬉々として挙げつらねていった。

 凱嵐は賢孝の提案にくらりと頭痛を感じ、思わずこめかみを手で押さえながら言う。


「そんな仰々しい上に確執を呼ぶような手段は取らん。それよりもまず、やっておかねばならないことがある」

「何でございましょうか」

「奥御殿を隔てる壁を壊せ」

「……はい?」


 突飛すぎる凱嵐の提案に、賢孝は国中の年頃の姫を呼び集める算段をやめて思わず首を傾げた。


「あんな壁があると息が詰まって仕方がない。ちょうど豊楽ほうらく殿の再建のために普請の者が来ているのだ。ついでに壊してしまおう」

「何をおっしゃっているのか、ちょっとわからないのですが……」

「俺は壁の向こうに自分の妃を匿うような趣味は無い」

「いえ、あの壁はお妃様をお守りするという意味もありますし、壊すというのは少々乱暴すぎるかと」

「いいんだ。壊してしまおう」

「…………」


 こうなるともう止められないということを経験から知っている賢孝は、脱力して肩を落とした。


「ならばせめて、お妃様候補には厳重な護衛をつけさせていただきますよ」

「それも必要ないと思うがなぁ。自分の身は自分で守れると思うが」

「どんなにお強い方を妃に迎えるおつもりなのですか!?」


 凱嵐の度重なる奇天烈すぎる言動にたまらず賢孝が叫んだ。凱嵐は窓から見える奥御殿から目を逸らし、混乱する賢孝に笑いかける。


「相当強いぞ。何せ四凶の一角を従えている」


 この一言に虚をつかれたのか、一瞬呆けた顔つきになった後、今度は渋面を作った。朝議では冷静沈着だ、常に笑みを浮かべていて感情の読めない男だと称されているのに、今は一人で百面相状態である。


「は…………彼女は難しいのではないですか」

「何故そう思う?」

「恐れながら言わせていただきますと、あの者が陛下に恋心を抱いている様子を見たことはありませんので」


 歯に衣着せぬもの言いで、賢孝はズバッと言い切った。

 凱嵐は怒るわけでもなくあっさり認めた。


「俺もそう思う」


 何せ紫乃は、「凱嵐の力になりたい」わけではなく「窮奇きゅうきを助けたい」一心で燃える豊楽殿へと飛び込んできたのだ。

 好かれていると思う方がどうかしているし、そこまで自惚れていない。


「だが、勝算がないわけでもないと思う」

「自信がおありですね……そうまで執着なされるなら、いっそ妃になれと命じればよろしいのでは?」

「そんなことをすれば、出ていってしまうかもしれないだろう。それは困る」

「自信があるのかないのか、わかりませんね」

「あくまで紫乃の気持ちを尊重して、待つという話だ。さて」


 凱嵐は踵を返して部屋の出口へと向かう。


「どこへ行くのですか」

「決まっている。噂の人物に会いに行く」

「先ほど夕餉時に顔を見たばかりでしょう?」

「それでも会いたいと思うのが、好いた者の考えだとは思わないか?」

 今度は呆れを通り越して憐れむような表情で見られてしまった。

「あまり気持ちを入れ込み過ぎないようにしてください」

「さてなぁ」

 

是とも否とも言わずにはぐらかした。

 そんな忠告をされたところで、もうとっくに虜になっているのだとは告げずに部屋を出た。

 

+++


 夕餉ゆうげが終わった御膳所のくりや内で、紫乃は一人、作業をしていた。

 既に伴代ばんだいをはじめとする御料理番達は帰っている。

 紫乃は火の始末がきちんとできているか確認するため、屈んで竈門の内部を確かめていた。


「よし……と」


 一人でいる厨というのは静かだ。

 いつもする話し声も、包丁が食材を刻む音も、鍋がいい匂いを発しながらくつくつと煮える音も、何もかもがしない。

 しんとした厨は冷たく、山にいた時を思い起こさせる。

 さっさと鍵をかけて部屋に帰ろうと思ったその時、厨の入口から「邪魔をするぞ」と声がした。


「陛下」


 暖簾をくぐって入って来た人物を見て、紫乃は床に膝をつき平伏しようとするも、凱嵐はそれを手で制する。


「良い。一人か? 他の御料理番や花見達はどうした」

「御料理番は帰りました。花見達は、料理を持って屋根の上」


 紫乃は人差し指で御膳所の天井を示す。

 最近、花見は野菊、禅寺丸ぜんじまる、白夜と共に屋根の上で食事を摂ることが多い。

 散々「ワテは群れない一匹狼の妖怪」だと言っていた花見だが、案外楽しくなったということだろうか。何にせよ紫乃にばかり固執していた時に比べると良い傾向だと思う。

 凱嵐は「そうか」と言うと厨の中にずかずかと入り、小上がりには上がらず紫乃のそばにきた。


「どうしました? 夕餉が足りませんでしたか」

「いや、夕餉は満足している」


 ならば一体何なのだろうと紫乃は思った。

 間近に迫った凱嵐は、上背があるせいで圧迫感がある。

 紫乃の身長では普通にしていると凱嵐の胸元までしか見えないので、見上げる必要があるのだが、こうも近いと首が痛くなる。


「陛下、もう少し離れてくれませんか。首が痛いんですけど」


 苦言を呈すると、何を思ったのか凱嵐は竈門に両手をついて紫乃の逃げ道を塞いだ挙句に、屈んでますます紫乃に近づいた。

 近くで見ると迫力のある美貌のせいで、ますます圧が強い。

 先般の窮奇との戦いのせいで全身に傷を負っており、頬にもまだ一筋の切り傷が残っていたが、それすらも凱嵐の顔立ちの良さを損ねていなかった。

 短くなった毛先が紫乃の頬に触れ、くすぐったいのだが、凱嵐は全く離れる気がなさそうだった。


「一体何なんですか」

「奥御殿の壁を壊すことにした」


 紫乃の質問には答えず、唐突に奥御殿の話をし出す凱嵐。なんといえば良いかわからず、「はあ」と間抜けな相槌を打った。


「妃を閉じ込めておくのはあまり好きな方法ではない」

「そうですか。ならば守りは厳重にしないといけませんね」

「自分の身を自分で守るような女子おなごが俺は好みだ。それと、危機の折に臆さず逃げ出さず、問題を解決する気概を持つような女子も」

 

 誰のことだろう、と紫乃は考える。 

 大鈴だいりんだろうか。彼女はたおやかな物腰だが芯が通っているし、危急の時にも決して取り乱さない。大変頼もしい女性なので、凱嵐の隣に立つにはピッタリだろう。

 紫乃の考えを読んだのか、凱嵐の眉根がぎゅっと寄った。


「全く見当違いのことを考えているな」

「いえ、そんな。当たらずも遠からずだと思いますよ」

「では誰のことだと思った」

「大鈴」


 すると凱嵐の眉間の皺がますます寄り、顔つきが般若のように険しくなる。

 あれ、違ったのかと紫乃が思っているのも束の間、凱嵐の頭ががくりと下がり、こめかみに指を当てて揉みしだいた。


「大鈴とはそういう関係ではない」

「旧知の仲のようでしたので、てっきり」

「違う。大鈴は妹のような存在だ。……お前、わざとか? わざと俺をからかって遊んでいるのか」

「滅相もない」


 紫乃が心からの否定をすると、凱嵐は眉間を揉むのをやめて瞳を紫乃に向けた。

 力強い紫色の瞳の中には、紫乃が映り込んでいた。

 凱嵐は右手を上げると人差し指で紫乃の顎をすくい上げる。

 そうして唇が触れ合ってしまうのではないかと思うほど近づくと、囁くように言った。


「今に手に入れてみせるからな。覚悟しておけ」

「は…………」


 混乱する紫乃をよそに、突然体を離した凱嵐は、話は終わりだとばかりに厨の出口に向かって歩き出した。そして実に皇帝らしい不敵な笑みを浮かべながら、思い出したかのように付け加える。


「命じはしない。お前が心から納得してくれないと意味がないからな。だから今はまだ、御料理番でいてくれて構わない」


 邪魔した、と告げて暖簾をくぐって凱嵐は去って行った。

 嵐のような男である。

 紫乃は一人残された厨にて凱嵐が言った言葉の意味を考え、そうして一つの結論に思い至ると、耳まで赤くして思わず両頬を押さえて立ちすくんだ。


+++

これにて本編完結です。ありがとうございました。

本日後日談を1話投稿し、おしまいです。

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