第114話 故郷の味

 前代未聞の事態となった春来の祝宴以降、天栄宮てんえいきゅうの中は慌ただしい。

 燃え落ちた豊楽ほうらく殿の瓦礫撤去、新たな御殿の建設会議、そして奥御殿の整理。

 出入りする人間の数はいつになく多く、天栄宮を守る護衛の数は通常の倍になっている。 凱嵐がいらん賢孝けんこうは昼夜を問わずずっと政務殿にこもって朝議をしており、のんびり食事をする暇がなくなった。

 紫乃たち御膳所の面々は、そんな凱嵐のために食事を政務殿まで運び込んでいる。


「にしても、白元妃はくげんぴ様が奥御殿を去るなんて、少し前までは考えられませんでした」


 こう口にしたのは伴代ばんだいである。

 燃え落ちた豊楽殿から奥御殿を目指し、紫乃が白元妃と相対したあの日、白元妃は己の敗北を認めて奥御殿を退去すると言った。

 危険極まりない妖怪を封じた壺を盗み出させ、封印を解いて皇帝を殺害しようとした罪は重く、本来であれば即座に極刑に処されるところだ。

 しかし今回、人的被害がなかったことと、曲がりなりにも皇帝不在の三年の間にまつりごとを率いていた功績、何よりも先代皇帝の妃であり隣国との重要な繋がりでもある白元妃を処刑するわけにもいかず、国の外れの離宮に追放することで処罰は落ち着いた。

 女官たちも全員、離宮に追従。

 奥御殿は現在、荷造りの作業に追われてばたばたとしている。


「ところで姐さん、何を作っているんですか? 見慣れないもんこさえてますね」

「これは飯麺はんめん雅舜がしゅん王国の行事食」


 細かくすり潰した米を水と一緒にこねて麺状にし、茹でる。雅舜王国で秋の実りに感謝して作る行事食であり、紫乃が山暮らしの時に母と一緒に作っていた料理だ。

 具材には秋の食材である栗や椎茸などが乗るが、今は春なので栗は手に入らない。

 しかし幸いにして、椎茸ならば手に入る。春に採れる椎茸は「春子」と呼ばれ、秋のものよりも身が締まっていて旨味が強い。

 紫乃は春子と共にわらびも添え、料理を作り上げた。


「よし、完成」

「それ、どこ持って行くんですか?」


 陽の高いうちから料理を完成させた紫乃に伴代が首を傾げる。

 たすきを解いて膳を手にした紫乃は、笑いながら言った。


「西にいるお方にだよ」

「西って……もしかして」


 目星をつけて目を白黒させる伴代に一つ頷いてみせると、紫乃は御膳所を颯爽と出た。



 奥御殿というのは、天栄宮の中でも特殊な場所だ。

 壁に阻まれた奥御殿に行くためには、皇帝のおわす正殿群の一つ、最も警備が厳重な寝殿から伸びる鈴鳴すずなり廊下を通っていく必要がある。

 これは奥御殿が皇帝の妃が住まう場所であり、みだりに男が立ち入るのを防ぐために取られた措置である。

 雄大な奥御殿は壁に阻まれており、まるで雅な牢獄のようだな、と紫乃は思った。

 膳の中身がこぼれないよう、しかし冷め切らないうちにとギリギリの早足で奥御殿への道を急いだ。

 紫乃は現在、天栄宮の中のどこでも立ち入って良いと凱嵐直々に許可を得ており、携行している木札は特殊なものである。

 鈴鳴廊下を抜けて奥御殿へ入ると、女官たちが庭に停めてある荷台にせっせと荷物を運び入れているところであった。

 それらを尻目に、紫乃は目的地へと足を運ぶ。

 目指す場所はつい先日訪れたばかりなので、よく知っていた。

 閉じられた襖の前で足を止めると、膳を置いて正座をし、襖の向こうにいる人物に向かって声をかける。


「お祖母様、失礼いたします。紫乃です」

「入れ」


 嗄れた声がし、紫乃は遠慮なく前に進んで襖を開けた。

 座っているのは、すっかり毒気の抜けきった白元妃その人である。以前とは異なり、纏っている着物は上質であるものの華美ではない。装飾品の類も最低限であり、化粧も薄くなっていた。


「何をしに参った」

「料理を持参しました」


 紫乃は膳を己と白元妃の間に置くと、準備を始めた。

 麺が伸びないよう、汁と別で運んできている。

 鉄製の瓶に入っている出汁を器に注ぎ入れると、芳醇な出汁の香りが広がった。

 盛り付けを崩さないようにそおっと注意しながら注いでいく紫乃を見つめながら、白元妃の柳眉がピクリと動く。


「妾が、食べると思うか?」

「毒を疑っておいでで?」

「当然じゃ。そなたにとって、妾は親の仇も同然であろう」

「…………」


 予想していた言葉に、紫乃は鉄瓶をとん、と置いてから二膳用意してあった箸を手に取った。

 小皿に麺を盛り付けると、白元妃の見ている前で躊躇いなく啜る。

 優しい出汁の旨味に包まれた、米の麺の味わいが口の中に広がる。

 醤油を使わずに鰹と昆布の出汁、それに塩のみで整えられた味付けは控えめながらも上品な代物で、どこかほっとする。

 我ながら良い出来である。

 箸と皿を置いた紫乃は、白元妃に笑ってみせた。


「どうです? これで毒など入っていないと、証明できたでしょう」


 白元妃は緑色の瞳をこれでもかと見開いて驚いていた。


「何故……」

「母は、あなたを恨んではいなかったと思います」


 戸惑う白元妃に紫乃は告げた。

 在りし日の元気であった母に思いを馳せ、語る。


「母は私に飯麺を作る時、言っていたことがあるんです。『本当はこの料理を食べさせたい人が他にもいるんだ』って。私はずっと、父のことを指しているのだと思っていました。でも、違うと気がついた」


 母は続けて言っていた。


『故郷の味を食べられないってねえ、結構きついと思うんだよね。だから一度でも懐かしい味を口にしたら、きっと考えも変わるもんだと思うんだ』


 そうして母にしては珍しい、寂しそうな笑顔を浮かべながら飯麺を啜っていた。


「……身分違いの恋の末、過ちを犯したことを母はきっと悔いていた。だから命を助けてもらっただけ有難いと考えていたのだと思います。私と二人、静かに暮らせればそれで満足だと」


 山で暮らしていた母は、常に明るく元気だった。

 誰かを恨んだり、妬んだりしているような素振りなど一切見せなかった。

 白元妃は目を伏せ、眉根を寄せると絞り出すように言葉を口にする。


「……馬鹿な女じゃ。身分に固執し、命さえ奪おうとした妾など、恨んでくれて良かったものを」


 そうして箸を取り、器に手をかける。

 細い麺をしっかり掴むと、紅が薄くなった唇に運んだ。

 ゆっくりと味わうように噛み締め、一口、また一口と口にする。

 食べ終えるまでにそう時間はかからなかった。

 空になった器を置いた白元妃は、今までと異なる穏やかな笑顔を浮かべていた。


「美味い。皆が虜になるのも納得じゃ」

 できればこの人には、母が作る料理も食べてもらいたかったなと紫乃は密かに思った。


+++


 桜の花びらも散り、若葉が枝から萌え出る頃合い。

 奥御殿の屋根の上に、四匹もの妖怪が集っていた。

 立膝をついて急斜面の瓦屋根の上に器用に座る花見は、残る三匹に話しかけた。


「ワテが五百歳。野菊が七十七歳。白夜びゃくやは?」


 白夜、と呼ばれた窮奇きゅうきは背中合わせに花見と座っていたが、わずかに首をもたげて空をふり仰ぎ、しばし考えてから言った。


「封印されていた年月を合わせると、おおよそ千年といったところだ」

「長生きですのう。大先輩ですのう」


 野菊は稲荷寿司を齧りながらきらきらした瞳で白夜を見上げた。

 花見は隣で柿大福を食べているタンタンコロリンに目を向けた。


禅寺丸ぜんじまる、おみゃあは?」

「さあ、数えたことねえや。俺を最初に植えたのが、膏霖こうりんって名前の人だってこと以外さっぱりだ」


 するとこれに反応したのは白夜だった。

 赤黒い瞳を細め、疑うように繰り返す。


膏霖こうりんだと?」

「おう。確かにそう名乗ってた。あ、柿食うか?」


 タンタンコロリンだとあまりにも呼びにくいからという理由で禅寺丸と名付けられた妖怪は、懐から取り出した柿を白夜に薦める。白夜は受け取り、齧りながら言った。


「その名は確か、真雨皇国しんうこうこくの初代皇帝の名前だ。事実であるなら千五百年も昔から生きていることになるぞ」

「もうそんなになるんだなぁ」


 まさかの禅寺丸が最長齢という事実に、一同は黙した。

 当の本人は全く気にせず、「紫乃さんの作る柿大福は美味いなあ」と呑気に言っていた。

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