第71話 過去の清算

 陽が高く登った翌朝。

 天栄宮てんえいきゅう、奥御殿の庭には季節ごとに花をつける植物が種々植えられている。御殿から美しく見えるよう計算され尽くした庭で、今、つぼみをつけているのは桜の花だ。

 間もなくこの蕾は一斉に花開き、この世のものとは思えない優美な景色で奥御殿を彩ってくれる。


「……間もなく春来しゅんらいの祝宴よのう」


 白元妃はくげんぴは庭先でほんのり薄桃色になっている蕾を見つめながら、そう言った。側仕えの女官たちが白元妃の機嫌を取ろうと次々に口を開く。


「今年のお召し物は、何になさいましょうか」

「白元妃様の白い肌を引き立たせる、こちらのぎょくのついた髪飾りはいかがでしょう」

「帯には金と銀の刺繍入りのものを」

「打ち掛けは……先代陛下より贈られた、あの濃蒼のものが宜しいかと」


 それらの話に耳を傾けつつ、白元妃は紅をさした唇をニィと持ち上げた。


「老齢の妾がどのような装いをしていようと、気にかける者はおらぬ」

「そのような事はございません」

「白元妃様は、この天栄宮で最も尊い身の上のお方」

「おいくつになっても変わらぬ美しさを前にすれば、祝宴の桜さえも恥いって花を散らすことでしょう」


 誉めそやす女官たちが可笑しくて、白元妃は手にしていた扇で口元を隠した。


「ほっほ……そうかえ」


 天栄宮の奥の奥に住まう白元妃は表向き、何の力も持たない元皇后。

 しかし一度姿を表せば、誰もが恐れ敬う人物となる。その事実を今一度、知らしめなければならないーー春来の祝宴にて。

 化粧を施し、華美に飾り立て、堂々と祝宴に入って行けば皇帝さえも白元妃の威光を前に頭を下げざるを得ない。


「今一度、白元妃様の素晴らしさを皆に知らしめなければなりませぬ。凱嵐がいらんなど所詮、力で玉座を奪い取ったに過ぎない無法者。真雨皇国しんうこうこくの頂に立つのは、やはり白元妃様のお選びになったお方でなりませんと」


 女官の言葉に白元妃は扇の裏でますますニンマリと笑みを深めた。

 先代皇帝の崩御は十三年前。

 今代皇帝が天栄宮に土足で踏み入り、無理やり皇位に就いたのが十年前。

 空白の三年間を埋めていたのが、他ならぬ白元妃である。

 自分がいなければ、宮中は大いに荒れていたであろう。高官共をまとめ上げ、滞りのない政治を行えていたのはひとえに自分のお陰であると白元妃は考えていた。

 息子がいない以上、皇族の中から思い通りに動く幼い男子を皇帝に据えて影から操ろうと考えていた矢先の、凱嵐の出現。

 剛岩などという田舎出身の末端皇族である凱嵐は、軍を率いて我が物顔で宮中に入って来たかと思えば、あっという間に宮中を掌握してしまった。凱嵐の並々ならぬ威圧感もさることながら、連れ立っていた賢孝とやらも食わせ者だった。

 口先であれやこれやと高官共を丸め込み、気がつけば白元妃はこの奥御殿の奥の奥へと押しやられ、権力のほとんどを奪われてしまっていた。


(口惜しい……)


 朱色に染めた爪先で、痛いほどに扇を握る。

ーー本来ならば、その地位に就くのは白元妃の息子、秋霖しゅうりんであったはずなのだ。

 なのに息子が帝位に就くことは叶わずに息を引き取り、代わりに何処の馬の骨ともわからぬ野蛮な男に皇帝の地位が掻っ攫われた。

 あの事件さえなければ……。

 息子が死に至った原因を思い起こし、白元妃はぎりりと唇を噛み締めた。

 許せない、許せるはずもない。


(祝宴にて思い知らせねばならぬ。天栄宮で最も力のある者が誰なのかを)


 祝宴の席に思いを馳せる白元妃に、一人の女官が進み出てきた。


「白元妃様、恐れながらお耳に入れたい事が二点、ございます」


 瑞円ずいえんである。白元妃は桜の木から目を逸らすと、女官たちに合図を送る。静かに立ち去る女官たちを確認すると、白元妃は瑞円を見据えた。


「何事か」


「まずは一点目。皇太子秋霖しゅうりん様の乳母、尾花おばなが天栄宮にいるようでございます。妖怪と結託して天栄宮に呪いの飴をばら撒こうとしたところを見つかり、捕らえられたとか」


「ふむ」


 白元妃は話を聞くと、考える。


「せっかく妾の温情により追放で済ませたというのに、馬鹿な女じゃ。殺して参れ。で、二点目は」

「はい。あの紫乃という娘にございますが、調べたところ、どうやら母が以前この天栄宮の御膳所で御料理番頭を勤めていた、紅玉こうぎょくという者であるようにございます」

「何……!?」


 にわかには信じられない報告に、白元妃は思わず扇を取り落とす。カツン、と乾いた音がして床に落ちる扇に構わず、白元妃は瑞円を問い詰めた。


「それは、まことの話しかえ? お前の聞き間違えではなく」

「はい。娘の部屋の天井裏に隠れて聞いた話ですので、偽りはございませんかと。さらに娘はこう言っていました。『母である紅玉を逃したのは、先代皇帝の可能性がある』と」

「…………!」

「白元妃様」


 よろりと体がかしぎ、瑞円が声を上げる。白元妃はとっさに柱につかまり、そのまま身をもたげた。


「……考えないでもなかったが、やはりそうであったか。道理でいくら探そうと、死体が出てこないはず。く、ふ。ふふ、ふふふふふ」

「……白元妃様……」


 狂ったように笑う白元妃に、瑞円が心配そうに声をかけた。白元妃は血走った瞳でぎろりと瑞円を見ると、壮絶な笑みを浮かべる。


「殺せ、凱嵐もろとも。あれは生きていてはいけない娘だ」


 断ればお前の首を切り落とす。言外にそう凄みを滲ませる白元妃に、瑞円が逆らえるはずもない。


「とはいえ、凱嵐一人でもお前の手に負えない事は証明済み。そこで『封印の壺』を授けよう」


『封印の壺』は強力すぎて討伐できない妖怪を封じている壺。中には何百年にも渡り封印が解けないよう、世代を超えて管理され続けているものもあり、存在を知る者すらほんの一握りという代物だ。

 妖怪使役で名高い雅舜がしゅん王国の出身である白元妃もまた、妖術の扱いに長けている。危険すぎる『封印の壺』の護符の張り替えを長年任され続けており、どの壺にどんな妖怪が封じられているのは、仔細に把握していた。


「さて、どの壺にするか……あぁ」


 壺に封じられている妖怪を思い浮かべながら、白元妃はこれが一つの壺に思い至る。

 凱嵐にぴったりの妖怪が一匹、いるではないか。


「あれならば凱嵐もきっと気にいるであろ」


 その弓形になった瞳の奥底に浮かぶ殺意に、瑞円が身じろぎをした。


「瑞円。お前は凱嵐と小娘を一度に始末できる刻を探れ。機会を伺い、一度に片を付ける。あぁ、尾花も使うといい。殺すのは止めじゃ。捕らえて奥御殿へと連れて参れ」

「御意に」


 瑞円は白元妃の凄味の効いたただならぬ気配を前に、平れ伏して肯定の意を示す。

 返事に満足した白元妃は柱から身を離すと、目線を再び庭へと向けた。


「……邪魔者には、消えてもらわねばのう」


 そのためなら多少手荒な手段に出ても構わない。

 庭先で芽吹く春の気配を前に、白元妃は全てを一掃しようと胸に誓った。

 

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