第72話【閑話】紫乃と花見と野狐

「姐さん、妖怪が一匹増えている気がするんですが、一体こいつぁ何なんでしょうか」


 稲荷寿司を全て売り終えた後、くりやでは後片付けがなされていた。

 天栄宮の御膳所が作る稲荷寿司は雨綾うりょうに住む町人たちに大人気となり瞬く間に売り切れ、御料理番たちは懐が大いに潤った。

 ほくほく顔で片付けをしていたところに、先ほどの伴代ばんだいからの質問である。

 紫乃がそおっと見つめる先には、小上がりにてくつろぐ狐の耳と尻尾を生やした十歳ほどの娘の姿が花見と並んで座っている。

 周囲の視線など気に求めず、二人は和気藹々とおしゃべりに興じていた。


「じゃあ花見さんは五百年も妖怪やってるんですか」

「そうだ、すげえだろ。敬え」

「はい、すごいですのう! 大先輩です!」

「そうだ、ワテは大先輩だ」

「ワタシなんてせいぜいが七十七年……位も低級の野弧やこですし、花見先輩の足元にも及びませんわぁ」

「にゃはは。まあ、紫乃の料理の素晴らしさに気づいたってのは目の付け所が良かったと思うにゃあ」


 警戒心の強いはずの花見は、何故か野弧と意気投合している。

 なぜなんだろうか。


「にしても紫乃さんの作る稲荷寿司はとっても美味しいですねぇ。他の皆様が作られたものも美味しかったんですけど、紫乃様のものは格別。妖怪好みの味付けになっています」

「だろ? だろ?」


 妖怪好みの味付けって何だろうと紫乃は話を聞きながら考えた。

 紫乃はごく普通に作っているだけであり、妖怪の舌に合うようなものを作ろうなどと考えたことは一度もない。


「食べるとふわぁ〜っと優しい気持ちに包まれるんですよねぇ。腹の底に燻っていたドス黒感情が、食事によって浄化されるような感覚があるんですわぁ」

「お前、わかってるにゃあ! 紫乃の料理の醍醐味はそこなんだよ」


 花見は着物の裾からにょきりと剥き出しになっている膝小僧をペしんと叩くと大袈裟に頷いた。


「紫乃の料理を食べていると、ニンゲンなんて不味くて食えたもんじゃねえって気持ちになるんだにゃあ。味がにゃ、全然違う」

「はいな。ワタシはまだニンゲン、そこまで食べたことないんですけど、確かにこれはそんじょそこらの油揚げとは一線を画する美味しさでした」


 人間を食べるだの食べないだの、微妙に物騒な会話にくりやで働く人々はにわかに緊張を走らせたのだが、この二匹の妖怪は気がつくはずもなかった。

 紫乃はこれ以上二人が変なことを言い出すのを防ぐためにも、野弧へと話しかける。


「野弧さん。これからどうするつもりなの」

「できればお世話になりたいなぁと思っているけども」


 野弧の少女はふさふさの狐色の尻尾を左右に振りながらじっと紫乃を見つめた。つぶらな赤い瞳の奥は純粋であり、なんなら煌めいているようにすら見えた。

 可愛らしい風貌であるが、絆されてたまるものか。


「私の部屋にはこれ以上、住めないよ」

「大丈夫ですわぁ、勝手にその辺に寝泊まりしますから。あっ、たまーにでいいんで、稲荷寿司、作ってもらえませんかねえ」

「…………陛下に相談してみる」


 見張りが一人増えたと思えば凱嵐がいらん天栄宮てんえいきゅうに妖怪を置くのを許容してくれるだろうか。

 腕を組んで真剣に悩みながら紫乃はそんな返事を野弧にした。


 尚、人払いがなされた場所でこっそりと「調伏した妖怪が一匹増えた」と凱嵐に相談したところ、「ほう、これが噂の野弧か!」と凱嵐は野弧を観察し、「まあ良いんじゃないか。お前を守る手は多いほうがいい」とあっさり天栄宮に住むのを許可してくれた。

 懐の深い皇帝陛下に野弧ともども感謝しつつ、紫乃は野弧のために三日に一度くらい稲荷寿司を作る生活を送ることになった。

 なお、その稲荷寿司は賢孝の好物ともなり、紫乃は賢孝の昼用の弁当としてやはり稲荷寿司をせっせとこさえることになった。

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