第70話 とりあえず報告だ②

 寝殿の中庭にて凱嵐は一人剣を振っていた。

 そうでもしていないと気分が落ち着かなかったからだ。

 灯りはないが今夜は月が出ているので、手元はよく見える。

 先に聞いた紫乃の素性に関しては、凱嵐の平静さを奪うほどに衝撃的だった。

 闇夜を切り裂くように剣の音がびゅうと鳴る。すると乱れていた心が落ち着いていき、思考に冷静さが戻っていく。 

 物心つく前から剣を振って妖怪討伐をしていた凱嵐だ。本来、まつりごとより武の道の方が向いていると自分でもわかっていた。

 それにしても、と凱嵐は思う。

 流墨りゅうぼくの伝えた話には天栄宮の闇が見え隠れしていた。 

 紫乃の母である先先代の御料理番頭、紅玉こうぎょくにかけられた毒殺の罪。

 皇帝の信も厚く、病弱な皇太子の食事の面倒まで見ていた人物の唐突すぎる逮捕劇は当時、天栄宮に衝撃を与えたという。

 紅玉に罪がない事は誰の目にも明らかであったというが、捕縛が強行された。

 それほどまでに権力を持つ者が紅玉の逮捕を命じたのだ。

 では誰が、となるが、黒幕に関しても流墨が突き止めもたらしてくれた。

 先代皇帝陛下の妃、白元妃はくげんぴ

 皇太子の実の母親が、紅玉を逮捕し処刑するよう命令した。

 凱嵐は剣を振る手を止めて切っ先を地面へ下ろす。

 表沙汰処刑されたことになっている紅玉が生きて逃され、密かに山の中に隠れ住んでいた。

 そして娘である紫乃は今、天栄宮で御料理番頭として働いている。


(紫乃の存在を、白元妃に気づかれてはならない。気づけばきっとあの女は紫乃を殺そうとするだろう)


 紫乃には花見がついているが、それでも宮中で権力を持ち妖術にも長けた白元妃をかわしきる事はきっと難しい。


(紫乃を天栄宮に連れてきたのは俺だ。守るべき義務がある)

 何より紫乃が作る料理のあたたかさと、美味いと言った時に見せるあの得意げに笑う表情に、凱嵐は虜になっていた。


(今更、手放せるか)


 賢孝すら認めた紫乃の腕前と度胸は本物である。人も妖怪も惹きつける強力な魅力を持つ紫乃に、凱嵐はとっくに執着していたのだ。

 だから、守る。何があっても守る。そう決めた。

 思考に耽っていた凱嵐に控えめな声がかけられた。


「……陛下」

流墨りゅうぼく。何用だ」

「陛下に会いたいと、来ている者がおりまして」

「こんな時間に、ここまで来ているのか?」


 剣を鞘に収めた凱嵐は訝しんだ。

 正殿には賢孝が置くと言って聞かなかった護衛が昼夜問わず多く詰めているので、彼らの許可を得てこの正殿群の中枢、寝殿まで入って来た者といえは自ずと数は絞られる。


「賢孝か?」

「いえ」

「では誰だ」


 十中八九賢孝だろうと考えていた凱嵐は流墨の思わぬ返事に、本当に誰が会いに来たのかわからなくなった。

 流墨が答える前に、第三者の声が割って入ってきた。


「ワテだ」

「花見か」

「紫乃も連れてきた」

「お!?」


 やって来たのは、花見と紫乃だった。花見はともかく、紫乃まで現れたという事実に凱嵐は驚き、思わず二人を二度見した。

 今しがた考えていた当の本人のご登場に戸惑いを隠せない。

 紫乃の手をぐいぐいと引っ張りながら庭に侵入してきた花見は、相変わらず平伏もせずにずかずかと凱嵐に近づき、その辺の岩に腰掛けた。一方の紫乃は、岩の横で律儀に地面に座り込んで平伏をしている。

 混沌とした光景に凱嵐が呆然としていると、流墨の焦った声がした。


「ちょ、勝手に入らないで下さいと申したでしょう」

「待ちくたびれた」

「それほど待たせていないと思うんですが!?」

「ワテは気が短いんだにゃあ」


 なおも何かを言い募ろうと口を開いた流墨を、凱嵐は片手で制す。


「良い、流墨。妖に人間の常識を当てはめるだけ無駄だ。紫乃も面をあげよ。で、こんな夜分に二人揃って何をしに来た。何かあったのか?」

「おぅ、勘がいいにゃ」

「ちょっと厄介事がおきまして」


 顔を上げた紫乃は、地面にきっちり正座をしたまま先の出来事を語って聞かせた。


「成程、先の刺客が紫乃の部屋で盗み聞きをしていたと。……お前が、処刑されたはずの先先代の御料理番頭の娘であることがバレたということか」

「はい」

「それは確かに厄介だ」


 凱嵐は嘆息し、頭をかいた。

 刺客に聞かれたという話の内容は、まさに凱嵐が紫乃に話そうと考えていたものと寸分違わない。

 紫乃は紫色の目を細め、疑うような声音で凱嵐に問いかけた。


「母が皇太子毒殺の罪で処刑されようとしていたこと、知っていましたか」

「いや。俺もつい先ほど流墨により聞いたところだ。会えば話そうと思っていた」

「そう。他に何か情報はありましたか」

「ある。その毒殺の罪を着せたのが、先代皇帝の妃、白元妃であるという話だった」

「白元妃?」

「そうだ。先般俺を襲った刺客も白元妃の差金。あれは俺のことが邪魔で、死を望んでいる。……そして紫乃、お前の存在が気づかれたということは、これから先はお前も狙われるだろう」

「じゃ、殺される前にこっちからいくにゃあ。その白元妃って奴を殺りにいくぞ」


 花見は拳を握り合わせ関節をバキバキ言わせながらそう言った。

 今にも殴り込みに行きそうな花見を止めたのは凱嵐だ。


「そう言うわけにはいかない。白元妃はこの天栄宮での影響力が大きすぎて、仮に踏み込んでぶっ飛ばせば必ずこちらが非難される」

「面倒だにゃあ。じゃ、どうすんだにゃ」


 花見がふぅとため息をついた。

 凱嵐は紫乃に一つの提案をする。


「紫乃。お前しばらくの間、御膳所を離れて俺の元で暮らさないか。寝殿ならば白元妃の目も届きにくいし、何かあっても守りやすい」


 この提案に、紫乃は伏せていた目を上げた。紫色の瞳に力強い色が宿り、真っ直ぐに凱嵐を射抜く。

「お断りします」

「何故だ」

「……私は、御膳所の御料理番頭だ。くりやを離れては他の皆が困る」

「ひと時の間ならば、伴代ばんだいが代わりを務められるさ」

「陛下は私の料理を食べたいんじゃなかったんですか?」

「お前を失うくらいなら、しばらく料理を食べられなくても我慢しよう」


 紫乃は凱嵐の返答をどう思ったのか、柿色の着物をきゅっと掴むと、やや唇を尖らせてからこう言った。


「以前、聞いたことがある。御膳所は出火の原因となるから、わざと正殿群から離れた場所に造られたと……ここには厨がないのだろう」

「そうだな。寝殿に厨は存在しない」

「ならば、私はここにいたくない。料理をしていないと、落ち着かない」

 妙に子供っぽい駄々を捏ね始めたなと思ったが、紫乃の顔は真剣そのものであった。

「料理は……私が母から教わった全てだ。取り上げられたら私が私でなくなってしまいそうで。それに私は、御膳所で働くのが楽しい。いつ来るかもわからない白元妃の襲撃に怯えて何もせずに寝殿に引きこもっているというのは、今の私には出来ない」


 紫乃の本心に触れた凱嵐は、馬鹿馬鹿しいと一蹴する気が起きなかった。

 紫乃の考えは凱嵐自身の性格と似ている。

 凱嵐とて危険を承知で自ら事件の中に飛び込むような性格だし、それを良しとして動いている面が大いにあった。

 紫乃の意見を却下する事など、出来るはずも無い。


「……迂闊に何か仕掛けられないように御膳所の護衛を増やそう。先の事件もあったことだし、見張りの強化だと言えば皆も納得するだろう」

「ありがとうございます。助かります」


 凱嵐の意図を汲んだ紫乃が、ホッとした顔で礼を言う。


「まあ、そんなんなくてもワテが紫乃を守るけど」

「こら、花見」


 紫乃が花見をぎろりと睨んで叱りつける。花見は納得いかないとばかりに唇を尖らせた。


「雑魚が何人いようと、雑魚は雑魚だにゃあ。そんなもん張りつけとくより、ワテが側にいた方が絶対にいい」

「確かに一理あるな」


 花見の横暴な理論に凱嵐は苦笑しつつも頷いた。


「強い者が守ればいいと言うのは単純だが真実だ。本当は俺がずっとついてやれればいいんだが、生憎それは難しい」

「そこまでしてもらわなくてもいい」

「まあ、気休めかもしれんが護衛とていないよりはよほどいいだろう」

「はい。ありがとうございます」

「用が済んだならもう戻って休め。壊れたという天井は大鈴あたりに依頼すれば修繕するよう手配してくれる。……ところで、どうやってここまで来たんだ?」


 そう凱嵐が尋ねると、紫乃の目から光が消えた。


「木を伝い、天井を這い。それはそれは大変な道中でした」

「わりと楽勝だったと思うけど? もうちょっと警備考えた方がいい。そうじゃないとあっという間に侵入されるにゃあ」

「…………」


 相対的な二人を、凱嵐は憐れむような眼差しで見つめた後、そっと「流墨」と名を呼んだ。


「この二人を安全な経路で正殿の外まで送ってやれ」

「御意に」


 これから先も行き来する機会があるかもしれないし、変な場所を通って来られるよりマシだと、凱嵐は影衆が使う秘密の抜け道に案内するよう流墨に命じた。

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