第64話 真犯人
半分壊れかけた家の中で、老婆が小刻みに体を揺らしながら一人ブツブツと呟いている。
「あぁ……憎い。
憎い、憎い、憎い。
この自分を追い出した、天栄宮が憎い。
老婆の思考は無実の罪で追放されたあの時から、ずっと憎しみに支配されたままだ。
憎い、憎い、憎い。
皇太子の育ての親たる自分がこのような仕打ちを受けていいはずがない。
この自分を蔑ろにした場所など滅茶苦茶になればいい。
そして老婆は思い立ったのだ……恨みつらみをぶつけるため、妖怪を味方につければ良いのだと。
簡単な話だった。老婆は妖怪が見える特殊体質で、森へ行けばすぐに目当ての妖怪が見つかった。
少し魔が抜けている妖狐と油揚げ一つで取引し、天栄宮にまじないの飴と称して劇物を広げる。
あの飴は両想いになれる飴などでは断じてない。
林檎、
一度舐めれば心の奥底に潜んでいる抗い難い欲望が顔を覗かせ、たちどころにその者を支配する。
欲望を吐き出そうと普段では考えられぬほどに暴力的になり、尽きることのないその情動は本人の思考はおかしくなるだろう。
「……皆、狂ってしまえばいいのじゃ」
どす黒く塗りつぶされた思考に支配された老婆は、気がつかなかった。
小屋の外に己が取引を持ちかけた妖狐と、飴を宮中に配るよう術にかけた女が、一人の娘と猫又妖怪と共に来ているなどと。
「邪魔をするよ」
扉さえも壊れた小屋の外から凛とした声が響く。我に返った老婆が小屋の入り口をふり仰ぐと、何者かが立っている。
すでに日の暮れたこの時間帯、小屋の中も外も薄暗く、誰がいるのかがわからない。
しかし老婆は、確かに二匹の妖怪の気配を感じ取った。
「何者だ。何をしに来たんじゃ」
「とぼけるな。お前が天栄宮に妙な飴を配った事はもうわかっている」
声の主は若い女のようであったが、あまりに鋭く投げつけられた言葉に威圧され老婆の喉がひゅっと鳴った。
老婆は小屋の中で思わず後ずさる。
「花見、悪いけど明かりお願いできる?」
「にゃあ」
猫の声と共にぼぅ、と小屋の中に明かりが灯る。ゆらゆらと揺れる青い炎を右手にまとわせているのはーー猫耳と二股の尻尾を持った少年。これは、人に化けた猫又妖怪だ。
老婆は明かりを頼りにぎょろぎょろと目玉を動かす。
猫又妖怪の少年の側に立っているのは、紫色の瞳を持つ小娘だった。凛とした意志の強そうな顔立ちの娘は、全身から怒りを滲ませている。老婆は小娘を見て、心臓が握りつぶされるかのような感覚に襲われる。小娘が空恐ろしくなり、たまらず視線を娘の胸元へと動かした。娘が何かを持っていたからだ。
何を持っているのだろう、と思う暇もなくその正体に気がつく。
「お前は……妖狐!」
「この狐が見えるのか。その様子だと知り合いみたいだな」
老婆は自分の口を右手で勢いよく塞いだ。反射的な行動に己でもしまったと思ったが、もう手遅れである。
泡を喰った老婆に構わず、小娘はにぃと笑うと後ろにいる人物に話しかける。黒髪が揺れ、一層顔立ちがよく見える。
「なぁ、
すると暗がりから一歩進み出てきたのは、黒髪をひっつめにし、柿色の着物を着た女だった。女は一重の鋭い目つきを老婆に向けるとはっきりと言う。
「えぇ、この婆あで間違いないわ。このあたしに、持ちきれないほどの飴をくれたのはね」
「ひっ、ひっ、ひいいい!!」
身の危険を感じた老婆は、小屋の窓から脱出しようと身を翻す。逃げなければ。ここで捕まっては、今度こそ殺されてしまう。何よりも目の前に立つ小娘から逃げたくて逃げたくて仕方がない。
あのお方によく似ている、眼前の娘が恐ろしい。
「花見、確保よろしく」
「あいよ」
老婆の逃走は呆気なく阻止された。右手に炎を纏った猫又妖怪が背後に迫ったかと思えば、空いている左手で頭を鷲掴みにされる。抗えない強さで地面に叩きつけられ、老婆は小屋の中に打ち沈んだ。
+++
「連れて来ました」
「ご苦労。早かったな」
「妖狐が老婆の気配を覚えていたので」
再び戻った天栄宮。
紫乃の前には先ほどと同じような光景が広がっていた。
地面を踏み固めた広い庭。罪人が逃げないよう取り囲む兵士。
一段先の御殿の渡り廊下には賢孝が立っている。
ただし庭に縛られ転がされているのは妖狐ではなく老婆だ。妖狐は未だ紫乃の腕の中にいた。
「さて、お前が天栄宮におかしな飴が広がるよう画策したとの嫌疑がかけられている。申し開きがあるならばしてみよ」
賢孝は美しい顔立ちに一切の情けを見せず、冷え冷えとした声音で老婆へと問いかけるも、老婆の様子が明らかにおかしかった。
縛られた縄の中で胸が波打つほどに洗い呼吸を繰り返しており、その皺々の額からは絶え間なく汗が噴き出している。
「あ、ああ……終わりじゃ。天栄宮に戻って来てしもうた。もう、お終いじゃあ……!」
「………………? どうした。この場所に居たことがあるのか」
老婆のただならぬ様子に、賢孝が問いただしても、老婆はそれには答えない。うわ言のように一人でぶつぶつと謝罪を繰り返している。
「白皇后様、信じてくださいまし。この私めは決してあの女の味方などしておりませぬ。私が忠誠を誓ったのは、白皇后様のみにございます。あぁ、あぁ……!」
「白皇后? 白元妃のことか。お前、何を知っている? 名は?」
「あぁあああ……わ、私の名前は
老婆の想像だにしていなかった発言に面食らった一行は、半狂乱で泣き叫ぶ老婆を見つめながら、絶句し固まった。
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