第63話 捕獲

 狐は番重ばんじゅうに収まっている稲荷寿司を両手で鷲掴みにすると、むしゃむしゃと一心不乱に食べていた。瞳が赤い以外、見た目は普通の狐である。しかし普通の狐はこのように前脚を使って稲荷寿司など食べない。口を番重に突っ込んで食い散らかすだろう。加えてこの狐が目に見えているのは自分だけだろうから、十中八九妖怪だ。

 そんな妖怪。まさか紫乃が見えているとは思っていないのか堂々と稲荷寿司を食べている。


「紫乃さん、どうしたんだい?」

「あぁ、ごめん美梅みうめ。はいこれ新しい番重。……ちょっと私、ここ抜ける」


 痺れを切らした美梅が顔を覗かせてきたので、紫乃は慌てて狐が手をつけていない番重を差し出すと、一言断りを入れた。そしてしゃがみ込み、そっと話しかける。


「そこの妖狐ようこ。見えているぞ」

「…………!?」


 話しかけられた妖狐はびくりとして両手に持っていた稲荷寿司を地面にぼとりと落とした。


「あぁっ、落としてしもうた」


 動揺した妖狐は落ちた寿司を拾い上げると、口に放り込んで咀嚼する。ごっくんと飲み込んだところで、紫乃を見た。


「この食べ物は美味いのう。なんと言う名前なのじゃ」

「稲荷寿司」

「稲荷寿司か、いいのう。普通の油揚げより、良い。噛むとじゅわあ〜って甘みが広がるが、中の米はピリリと辛い。美味いのう、美味いのう」


 妖狐は言いながらまたも番重から稲荷寿司を掴み、食べる。このまま放置していたら、番重に詰まっている全ての稲荷寿司を食べてしまいそうだ。妖怪って皆大食いなのだろうかと紫乃は思いつつ、本題を切り出した。


「あのさ、そこにいる女に変な飴を渡しただろ」

「…………? いいや」

「嘘つくな」

「嘘などついておらん」


 妖狐は稲荷寿司を食べながら言い切った。全く信用ならない言葉である。妖怪は基本的に人をたぶらかす術に長けているので、平気で嘘をつくし騙してくる。

 ここで紫乃がいくら問いただしても、きっと真実を言わないだろう。

 紫乃は稲荷寿司を食べ続ける妖狐から目を離さず、短く信頼できる者の名前を呼んだ。


「花見」


 次の瞬間、上から影が降ってくる。

 妖狐がその気配に気がついた時にはすでに遅く、見慣れた少年姿の花見が妖狐の頭を引っ掴んで地面に叩きつけていた。


「捕まえたにゃあ」

「おぐっ」


 情けない声をあげ、妖狐の顔面は地面にめり込んだ。


+++


 花見によってあっという間に捕縛された妖狐は、天栄宮てんえいきゅうの妖怪が見える兵によって妖怪封じの縄でぐるぐる巻きにされたのちに、天栄宮内部にある使用人宿舎近くの庭に引き摺り込まれていった。

 捕縛の知らせを受けた賢孝けんこうがやって来て、地面に転がる妖狐を見下ろした。縄で封じられた妖怪は、どうやら賢孝の目にも映るらしい。


「これが此度の騒ぎを引き起こした妖狐か」


 妖狐は全身をぶるぶると震わせながら縮こまっている。


「あぁ……居心地が悪いのう。この場所にいたくないと、本能がつげている。恐ろしい。居心地が悪いのう」

「本来、宮中は皇族に調伏された妖怪及び封印済みの妖怪以外は立ち入れない。お前は縄で力を封じて無理やり連れて入ったのだから、居心地が悪いのは当然だ」


 賢孝は吐き捨てるようにそう言うと、意味ありげに花見を見た。花見は視線の意図を読み取っているのか、あるいは知らないふりをしているのか、妖狐を見つめる紫乃の隣で寛いでいる。

 賢孝は居並ぶ兵に短く命じた。


「殺せ」

「はっ」


 兵が剣を抜くと、妖狐はひええと情けない声をあげた。


「ちょっと寿司を食べていただけではないか! 無害な妖狐を殺すなど、恐ろしいのう!」

「無害? 妙な飴を渡し、天栄宮中にばら撒くように仕向けたのはお前だろう」

「そんな事は断じてしていないっ!!」


 妖狐は縛り上げられたままに声を張り上げた。そして縋るような目つきで賢孝を見て、必死に訴える。


「のう。アタシはそんなに力のない、ただの野狐やこだ。殺したっていい事なんかひとつもないよ」

「妖怪など生かしておいてもいい事などひとつもない」

「ニンゲンからすれば、そうかもしれないけど!!」


 賢孝の冷静な切り返しに、妖狐が絶叫を上げる。


「じゃあ、飴を配った犯人を探し当てたら殺すのを無しにしてくれないかい!?」

「飴を配ったのはお前だろう」

「違う! 違うんだって!! アタシは油揚げと引き換えに頼まれて、ちょちょっと力を貸してやっただけだって!! 捕まえて来てやるからさぁ!」


 妖狐の必死な様はとてもではないが嘘をついているとは思えなかった。

 賢孝は縛られたままじたばたする妖狐を見て、考える。

 妖怪の言う事を真に受けるのは愚かだが、仮に真犯人が他にいるとすればここで妖狐を殺すのは悪手だ。真実が有耶無耶になってしまう。

ーーならば、ここは言う通りにして泳がせたほうが良いかもしれない。


「良かろう。ならば真犯人を連れて来い。但し、こちらから同行者をつける」


 言って賢孝は、妖怪討伐を専門としている兵士に同行を命じようとしたが、その前に遮る者がいた。


「同行者、私と花見、それから美梅にしてもらえませんか」


 賢孝が視線をうつすと、至極真面目な顔をした紫乃が手を上げている。

「食べ物で人の心を弄ぶ人間がいるのなら……私はそれを許さない」


 紫乃の言葉を聞き、賢孝が薄い唇を持ち上げた。

 怖いもの知らず。そんな言葉がぴったりの小娘である。


「良かろう、小娘。お前に同行を命じる。必ずや犯人を見つけ出し、この天栄宮へと連れて来い」

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