第58話 その飴、受け取るの待った!
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
一体どこぞの美姫を形容している言葉だと思われようが、
姫や女官たちの視線の先にいるのは、
緩く結えた亜麻色の髪を肩から横に垂らし、伏せったまつ毛はそこらの女性よりも長く。目鼻立ちは繊細に整い、一見中性的な風貌であるにも関わらず、確かに男性的な強さも兼ね備えている。
「
「陛下から直々に賜った
「あぁ、陛下の隣に並ぶあの方の頼もしさといったら!」
天栄宮は基本的に貴人の姫の立ち入りを許可していない。
ここは皇帝のおわす神聖な場所。
それでもこのような者たちが後を絶たないのには、理由がある。
「官吏である父に届け物がありまして」
「兄の
「官吏見習いとして働く弟が心配で……」
そんな言い訳を携えて、今日も今日とて姫たちが
一介の門番では姫たちの話の真偽を確かめる術もなく、結局門を通してしまうのだ。上辺だけの用事を済ませた姫たちは護衛や女官を引き連れて我が物顔で天栄宮を闊歩し、目当ての殿方に話しかける機会を伺う。全てが姫たちの思う壺である。
そしてとりわけ姫たちからの人気が高いのが、皇帝の右腕と称され、絶世の美貌を有する
女性たちの眼差しを一身に身に受けながらも、当の賢孝は気にしている様子はない。
賢孝の姿は優美にして精悍。誰も彼もが話しかけたいと思いつつ、なかなか行動に移せないでいる中、一人の姫が密かに決意を固めていた。
(今日こそは……賢孝様をわたくしのものにしてみせますわ)
薄桃色の着物、ふわふわとした薄茶の髪には可愛らしい桃の花を象った
姫は両手をぎゅっと握り締めると、その手の中にあるものを見つめる。
(大丈夫よ。だってわたくしには、おまじないがあるんですもの)
そして姫は一歩を踏み出し賢孝に話しかける。
「賢孝様、ご機嫌麗しく。本日は陛下はご一緒ではありませんのね」
「御機嫌よう
「まぁ、では……本日はわたくしの屋敷にて夕餉を共にされませんか?」
桃華姫は、精一杯の勇気を振り絞ってそう誘う。
これにどう答えるのだろうかと震える手を一層強く己の掌で握りしめながら待っていると、彼はにこりとそれはそれは美しい微笑みを湛えてから、一言。
「年頃の姫が、みだりに男を屋敷に招くような発言をしてはなりませんよ。誤解されかねません。では、失礼します」
非常に当たり障りのない断り文句に、桃華姫は落胆する気持ちを抑えきれなかった。
とはいえ、ここで諦めたらその他大勢の姫たちと同じになってしまう。頑張るのよ、と自分に言い聞かせた。賢孝様のお心を射止めるために、ここは勝負の時だ。
「お待ちくださいませ。では、せめてこちらを」
桃華姫は立ち去ろうとする賢孝を呼び止めると、紙に包まれた何かを取り出す。そっと両手を差し出し、上目遣いに賢孝を見、可憐な唇を開く。
「賢孝様は甘いものがお好きだと伺っております。是非……お受け取りいただけないでしょうか?」
「飴、ですか?」
「えぇ。種々の成分が含まれておりますので、きっと賢孝様の疲れを癒してくれますわ」
賢孝は飴を見つめながら、何かを迷っているようだった。
飴の一つや二つすら受け取らなければ、狭量な男だと思われる。とはいえ、ここで手にとってしまえば今後似たような贈り物が多くなるに違いない。
そんな逡巡すら感じられる数秒。
桃華姫は駄目押しとばかりに、言葉を重ねる。
「わたくし、賢孝様を困らせるつもりはございませんの。不要でしたら捨ててくださっても構いません。ですが、私に恥をかかせないためと思って、受け取るだけでもお願いできないでしょうか」
そして心の中でほくそ笑んだ。
(有力貴族の姫である自分にここまで言われたら、さしもの賢孝様とて断れないでしょう?)
賢孝の眉根がかすかに寄り、飴を取ろうと右腕が持ち上げられる。
(そうそう、それでいいのですわ。まずはこれが、はじめの一歩。あとは上手いこと言って、この飴を食べてもらうだけ。賢孝様がこの飴を口にしたならば、もうわたくしの虜となるのですから)
くすりと笑う桃華姫の心の内をしってか知らずなのか。
「その飴、受け取るの待ったー!!!!」
無情にも桃華姫の計画をぶち壊したのは、雅な天栄宮に似合わぬ無粋な大声と
+++
発端となった昼餉の旦那も合流し、紫乃と花見、
花見は少年姿に化け、自信満々な足取りで先頭を闊歩していた。
「花見、場所分かりそう?」
「うん。あんま遠くになると気配が薄れるから微妙だけど、天栄宮の中くらいなら大丈夫」
頼もしい言葉の花見についてゆく。
「気配は何個かあるんだけど、まずは一番近いところから行くにゃあ」
「しかし、正殿群の政務殿に向かっているんだが……許可なく立ち入るのは無理だぞ。つまみ出される」
旦那が落ち着かなさげに周囲を見回した。
確かに花見が向かっている先は、いつも紫乃たちが働く御膳所から大きく離れ、この天栄宮の中でも一際豪華な建造物が集う正殿群に近づいていた。
「その場合、私でしたら入れるので、花見様と私で参ります」
「大鈴って政務殿にも入れるんだ」
「ええ。少々特別な木札を
にこりと微笑む大鈴の顔は穏やかそのものなのに、非常に頼もしく見える。
いざとなったら花見と大鈴の二人に行ってもらおうと思っていた矢先、花見の尻尾がピクリと揺れた。
「あ、あそこ」
立ち止まり指差したのは、ちょうど正殿群と貴人殿群の間の庭にあたる場所であった。
柳が揺れる木の下で、二人の男女が向かい合っている。
一人は薄桃色の着物を着て、もう一人は常盤色の着物を着ていた。
その人物を見て留めた大鈴が声を上げる。
「あれは、賢孝様では?」
賢孝と思しき人物は薄桃色の着物を着た姫から何かを受け取ろうとしていた。
花見は尻尾を揺らしながら言葉を重ねる。
「あれ、あれが妖気の出どころ」
「不味い、止めに入ろう」
旦那の焦った声で、一同は動き出す。
瞬発力のある花見を筆頭に、四人は全力で走った。そして叫んだ。
「その飴、受け取るの待ったー!!!!」
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