第59話 賢孝、話を聞く

「え、何、何ですの……?」


 賢孝けんこうと向かい合う桃華とうか姫は突然響いた大声に戸惑っていた。賢孝とて同様である。

 見れば、凄まじい勢いでこちらに向かってくる一団が。一体何事だろうか。

 驚き固まる賢孝と桃華姫。構わず突撃してきた一行は、先頭の少年が軽やかに地を蹴り、そして桃華姫の手のひらに乗っていた紙包を奪い去ると、鮮やかな着地を決める。


「あっ、わたくしの飴が!」


 賢孝に贈ろうとしていた飴を奪われた桃華姫は短い悲鳴をあげたのち、可愛らしい顔に似合わぬ鋭い視線を少年へと送る。

 少年は何も気にせず包みをビリビリと破るように開けると、中身を確認していた。

 一体なんだというのだ。

 突然の乱入者に賢孝の頭が働かないでいると、よく知った声が聞こえてきて我に返った。


「賢孝様、桃華姫様。突然のご無礼をお許しくださいませ」

大鈴だいりん。一体どういう事だ?」


 そこにいるのは大鈴だった。それだけではない。陛下のお気に入りの夕餉ゆうげの御料理番頭の小娘、それから昼餉ひるげの御料理番頭もいる。


「申し訳ありません。非常事態でして……」

「一ーわたくしの飴、返してくださらないかしら!? それは賢孝様に差し上げようと思っていたのですよ!」


 大鈴の言葉を遮るように桃華姫が声を荒げる。顔を歪め、怒りに満ちた瞳で少年を見つめていた。しかし少年の方は全く気にしておらず、飴を眺めながら小娘へと話しかけている。


「これだな、間違いない。口にする前で良かったにゃあ」

「花見、回収ありがとう」

「大鈴、説明を」


 混乱する現場で賢孝は唯一この場所で信頼出来る大鈴に説明を求める。大鈴ははい、と頷くと話を切り出した。


「実は今しがた桃華姫様が賢孝様に贈ろうとした飴。そちらは媚薬効果のある飴で、その上妖気が練り込まれているらしいのです」


 大鈴の放った爆弾発言に、喚いていた桃華姫の声がぴたりと止み、少年に向かって振り下ろされようとしていた拳が行き場を失い空中で硬直した。


+++


 不穏な話になると感じ取った賢孝は、すぐさま場所を変えようと提案した。

 ここ政務殿に近い場所だと、人の出入りが多すぎる。門番の目もあるし、誰に話を聞かれるかわかったものではない。

 賢孝は政務殿の一角にある己の執務室に全員を招き入れると、話を切り出した。


「それで……桃華姫が私にくれようとした飴が、妖気入りの媚薬だと?」

「はい。同じものを昼餉の御料理番頭様が貰い、口にしたところ体に異変が。すぐに吐き出したので大事には至らなかったのですけど、舐めてみて成分を確認したので確かかと。それに、こちらの花見様が飴から妖気を感じるとおっしゃっていました」


 大鈴に言われて賢孝はあぐらをかいて座っている猫又妖怪に視線を移した。

 護符まみれの天栄宮てんえいきゅうを自由に闊歩する、異質な存在の妖怪は今、ただの少年の姿に化けており、いつも飛び出している耳も尻尾も消えている。

 これの言い分をそのまま聞くべきか否か迷った賢孝は、ひとまず元凶の飴を持ち込んだ姫の話を聞こうと考えた。


「桃華姫……飴についてお伺いをしても?」


 話を振られた桃華姫は、焦ったように口をひらく。


「わ、わたくしはただっ、人にもらっただけですわっ」

「『どこで』『誰に』もらったのか覚えていますか」


 やんわりとした口調ながらも「誰に」を強調する賢孝に、桃華姫は血の気の失った顔をしてペラペラと喋った。


「て、天栄宮で今朝方……御膳所の毒味番を名乗る女子おなごに、頂いたのです。今、天栄宮の女官の間で流行中のおまじないの飴だって言われて……これを想い人に渡せば必ず両思いになれると」


 現実味のなさすぎる話に賢孝は眉根を寄せたが、周りの面々はそうではないらしい。

 桃華姫ににじりよった大鈴が質問をする。


「その女子というのはどういう風貌の者でしたか?」

「黒髪をひっつめにした、柿色の着物を着た者でした。御膳所で働く人間は柿色の着物を着ていると伺っていたので、わたくしてっきり女子の言葉を信じてしまって……賢孝様にいかがわしいものを盛ろうなど、思っていなかったのです。信じてくださいませ」


 桃華姫は畳に手をつき、賢孝を見て必死になって言い募った。

 どうだろうかな、と賢孝は思う。それが媚薬と知って尚、賢孝に渡そうとする人間というのは一定数存在した。見た目は可憐な姫だとしても、腹の中で何を考えているのかまではわからない。

 まあ、ただの媚薬であればともかく、妖気までもが絡んでいるとなると放置できない案件である。

 大鈴は姫の様子はさておき、昼餉の御料理番頭と相談をしていた。


美梅みうめに違いなさそうですね。もしやあの子、夜通し飴を配り歩いているのではないでしょうか?」

「だが、一体何のためにそんなことをしているんだ」


 これに答えたのは、紫乃であった。


「美梅自身も操られているんじゃないか? 妖気が篭っていたってことは、渡してきたやつは妖怪の可能性もある。花見、何の妖怪かわかる?」

「これは狐だにゃあ」




 賢孝は話を聞きながら不快なものを見る目つきで飴を眺めていたが、ふと、ある事に気がついた。


「……この飴が宮中に横行しているとすれば、陛下に渡す不届き者が現れるのでは?」


 賢孝は自身が敬愛してやまない今代皇帝、凱嵐がいらんを思い浮かべる。

 皇帝である凱嵐は現在、妻を一人も娶っていない。当然内外からの圧力はものすごく、今すぐにでも婚姻を結べとの声は日に日に強まっている。

 そんな時、飴を渡すような輩が現れたら? そしてそれをうっかり陛下が食べてしまったら? 

 賢孝の考えを読んだ大鈴が宥めるように口を開いた。


「……流石に貰ったものを気軽に口にするようなお方ではないと思いますけれど……」

「わからんぞ。何せ陛下は、よくわからない小娘を御料理番頭に据えた上、御膳所のくりや夕餉ゆうげを召し上がるようなお方だ」


 賢孝とて陛下を信じたいのはやまやまだが、最近では食に関してはいまいち信用しきれない部分がある。

 「空木うつぎの罠にかかってくる」と静止を振り切って屹然きつぜんの山間に行ったかと思えば行方知らずになり。無事に戻ってきたかと思えば、賢孝がいない隙に山から連れて帰った娘が御膳所の御料理番頭になっていた。

 しかもあろう事か、娘に言われるがままに厨で夕餉を取るようになってしまったのだ。

 その後も雨綾うりょうの街中で牛鍋を食べようとしていたらしいし、今の陛下は何をしでかすかわからない。

 貰った飴をついうっかり口にしたとしても、おかしくないだろう。

 そこまで考えた賢孝は、ある恐ろしい一つの結論に至った。


「もしやこれは、陛下を毒殺するための巧妙な罠では……!?」


 賢孝は至極真剣な顔で呟いた。

 突飛な発想だが、絶対にあり得ないと言い切れないのが恐ろしいところである。

 そもそも宮中で変な飴が配り歩かれているのは事実だし、目的は定かではない。


「その飴、残りのものがどこにあるのかわかるのか?」


 この問いかけに小娘が頷いた。


「少なくとも天栄宮の中なら、花見が気配を感じ取れる」


 答えを聞いた賢孝は間髪入れずに決意を固めた。


「よろしい。ならば飴の回収、私も手伝おう」


 予想外すぎる賢孝の言葉に、一同は絶句して驚いていたが、賢孝はお構いなしだった。

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