第34話 朝議

 凱嵐は夕餉ゆうげのみを楽しみにして日がな一日をダラダラと過ごしているわけではない。

 十の諸国を従える真雨皇国しんうこうこくの皇帝として、日々政務に勤しんでいる。

 中でも重要となるのは、朝議と呼ばれる政の場だ。

 皇帝と国で最高位の官吏五人が日々送られてくる訴状についての検討をする朝議。

 それは、国を運営する上で非常に重要な場所だった。

 正殿群と呼ばれる皇帝とごく一部の者のみが出入りできる場所の一角に、政務所となる太平殿が存在し、そこの広間に官吏たちが集まっている。


「面を上げよ」


 上座に座った皇帝である凱嵐がいらんの言葉一つで、居並ぶ面々が顔を上げた。


「本日の朝議を始めさせて頂きます」


 開始の合図をしたのは対面する凱嵐と官吏たちの間、どちらも見えるような位置に座っている賢孝けんこうであった。

 賢孝の前には文机が置かれており、その上には山のような陳述書が積まれている。

 そのうちの一つを手に取った賢孝は話を切り出す。


「本日の最重要議題は、この雨綾うりょうで流行っている病の事にございます」


 パッと文を開いた賢孝は内容を読み上げていく。


「報告が上がっている限りでは子供から老人まで様々な年齢の者が病に罹っておりますが、圧倒的に多いのが出稼ぎにやって来た二、三十代の男。多くの者は同じ症状で、足元がおぼつかなくなり、それから食欲不振、倦怠感を訴え、最後には寝たきりになってしまうとのことです。……ですが故郷に帰ると、不思議と病が癒えてしまうという話」

「ふむ……」


 賢孝けんこうの話を聞いた官吏の一人は顎に手を当て思案した。


「病が癒えた者が再び雨綾うりょうにやって来ると、しばらくしてまた同じ病にかかる場合もあるそうで。都に住む者の間では、故郷を懐かしむ気持ちからくる『雨綾病うりょうびょう』との病名がつけられているそうです」

「阿呆らしい病名でございますなぁ」


 賢孝の陳述をそう切り捨てたのは、官吏の一人である太覧たいらん。なまず髭を弄る男は意地の悪い目を賢孝に送ると、ねっとりとした声を出した。


「何が、『雨綾病』……原因など、とうの昔にわかっていますでしょう。この病が流行り出したのは、ここ数年の話。つまり、陛下が帝位についてからの事にございます。となると原因は、一つ」

「何が言いたいのです、太覧たいらん殿」


 賢孝が冷静に聞き返すと、太覧は眉を吊り上げて大袈裟に肩をすくめた。


「おや、おや。賢き賢孝殿ならお分かりでしょう。即ち、天罰ですよ」

「天罰、ですと」

「左様。凱嵐がいらん様が帝位に就いているのを良しとしない雨神様による天罰にございます。そもそも凱嵐様は皇族とはいえ血筋は遠く、とてもではありませんが正当な皇位継承者とは呼べません。やはりここは、先代皇帝と血を分けあった兄弟の御子に帝位を譲りませんと。さすればこの病も治まりましょう」

「これはこれは、面白い推理で」


 太覧の言い分に、賢孝はにこりと優美な笑顔を返す。


「天罰? 陛下が治めるようなってからというもの、諸国との戦も起きず、大規模な妖怪被害もなく実に平和な世となっていると思いますが。おかげで作物の収穫も安定し、民は飢え死にを免れている」

「とはいえ、肝心の皇帝のおわすここ雨綾うりょうで病が流行っては元も子もありますまい。噂では使用人宿舎でもこの病に罹った者がいるとか。貴人たちにもいつ何時、病の魔の手が伸びるとも限りません。天栄宮てんえいきゅうに病が蔓延しては遅いのですよ」


 賢孝が意見すればすかさず太覧が言い返す。

 この二人の仲の悪さは周知の程であった。

 残りの三人はまたはじまった、とばかりに二人の言い合いを眺めているだけで何も言わない。

 平行線と辿る話し合いに口を挟んだのは、皇帝である凱嵐がいらんその人であった。


賢孝けんこう、もう良い。その辺にしておけ」

「ですが、陛下」

太覧たいらん。俺はこの帝位を正当な手段で得た。天罰など言われる筋合いはない」

「……失礼いたしました」


 誠意のこもっていない声で謝意を述べた太覧はその後の朝議においても散々に口を挟み、賢孝と一触即発状態が続いたのだが、それもいつもの話であった。

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