第26話 ほかほかご飯とあつあつの汁物

 翌日、くりやにやって来た凱嵐がいらんに紫乃は昨日同様の平伏へいふくで出迎えた。

 今回は他の料理人も心構えができていたので、凱嵐の入室と同時に全員がその場に跪き、頭を垂れる。


「お待ちしておりました」


 と言ったのは紫乃だ。


「本日の夕餉ゆうげは、陛下に温かな麦飯と汁物を召し上がって頂きます」

「ほう。それは楽しみだ。というか紫乃、随分と言葉遣いが丁寧になったな」

「それはどうも」

「……と思ったら、また元のお前に戻ったな……」

「気にするな。上がりにどうぞ」


 チグハグな言葉遣いの紫乃に凱嵐がいらんが不審に思いつつも、特に咎めずに促された通りに小上がりの座敷へと足を向ける。

 おかしな口調には当然、訳があった。

 突然敬語が完璧になる訳がないから、あらかじめ話す台詞を決めておき、それを大鈴だいりんが敬語に直してくれたのだ。

 よって、紫乃は決まりきった内容以外は敬語で話せない。

 小上がりに上がった凱嵐の前に膳が差し出される。それを見た凱嵐は首を傾げた。


「なんだ? 茶碗と汁腕が空ではないか」

「左様でございます。私はどうすれば陛下に出来立て熱々の料理をお召しになって頂けるか考えました」

「ふむ」

「そして、ある結論に辿り着いたのです」


 言って紫乃は自分の前に置かれた毒味用の茶碗を取り上げ、すっくと立ち上がる。

 それからかまどまで歩いて行き、羽釜の蓋を開けると、まだ熱気を放つ麦飯をしゃもじですくって自分のお椀に盛り付ける。それから凱嵐を振り返った。


「食べる直前に、盛り付ければいいのだと」

「…………!」


 凱嵐の目が、昨日のあじのたたき同様か、それ以上に驚きに見開かれた。


「成程、その手があったか……! 紫乃、お前は天才か!?」


 凱嵐がいらんはよほど嬉しいのか、紫乃が温かな麦飯を食んでいる間ずっとそわそわしていた。

 毒味を終えた紫乃は、自分の体に異変がないのを確認した後、凱嵐の前に麦飯と味噌汁を盛り付けて出す。汁には一口大に切った猪肉ししにくと野菜、それに豆腐が入れてある。

 待ってましたとばかりに凱嵐が飛びついた。


「おぉ、美味い。あたたかな飯と汁物は、山小屋で食べた以来だ。やはり飯はあたたかいに限るな!」


 当然の事実だ。汁物はあたたかいものに限る。熱々の汁物をフゥフゥと息を吹きかけ、そっと腕に唇を寄せて啜る時の幸せ。そしてそれが口から胃へと流れていく時の、身を内側から焦がすほどの熱さ。一瞬で喉元を通り過ぎてしまうと、熱いのがわかっていつつもまた次の一口を求めて腕に口をつけてしまう。

 出来立ての食事には不思議な魅力があると紫乃は常々思っていた。

 朝起きて一仕事する前に作る、丁寧な朝餉あさげ

 腹が満たされると「さあ、やるぞ」という気持ちにさせてくれる。

 そして一日の終わりに食べる食事は疲れた体を優しく癒してくれる。


「おかわりだ」

「はい」


 夢中で食べ進める凱嵐は、紫乃を縛り上げて「御膳所ごぜんしょに来い」と脅迫した時の威圧感とか、天栄宮てんえいきゅうに戻って来た時に皆に出迎えられた一国の皇帝としての威厳とか、そうした一切のものと無縁の状態だった。

 山小屋で紫乃の出した麦粥を食べていた時と同じく無邪気で無防備だ。ただひたすらに食事を楽しんでいる。

 最上の食材が使い放題、どんな美食も思いのままに堪能できるはずの皇帝は、あたたかい麦飯と味噌汁というごくありふれた料理を心から喜んでいる。

 それを見つめる御膳所の面々の気持ちはこうだった。


(陛下、可愛い……)


 剣の腕で名を馳せ、頑強な体を持つ美丈夫な皇帝がこの時ばかりは可愛く見える。

 いち料理人としてくりやで働く御料理番たちは、作ったものをとても美味しそうに食べる凱嵐の姿に心底喜びを感じていた。




「紫乃姐さんが御膳所に来てくれて本当に良かったです」

「ん?」


 凱嵐がいらんが去った後、夕餉ゆうげの卓を囲みながらポツリと伴代ばんだいがそう口にした。


「いやぁ、凱嵐様、年々召し上がる食事の量が減っていっていたので。俺らだって冷めても美味いものをと工夫してお出ししていたんですけどね。やっぱり限界があるというか。手付かずで下げられてくる膳を見てはやるせない気持ちになっていたんですよ」


 そうだそうだ、と言う声が他の御料理番からも上がった。


「傑作だと思った煮物がそのまま戻ってきた時にはがっかりしたもんでさぁ」

「まあ、弁当に詰め替えてお役人様に売りつけると好評なんだけどな」

「毎食毎食冷や飯ばかり食わされたら、いくらなんでも飽きる気持ちもわかる」

「十年だもんな」

「お可哀想な陛下」


 過去を思い出した御料理番たちはしきりに凱嵐に同情し始めた。

 確かに、いくら美味くても冷めた料理ばかり食べさせられてはうんざりもするだろう。紫乃も一日一食は出来立てのものが食べたい。


「だから、紫乃姐さんが御料理番頭になってくれて良かったって、俺は思うわけですよ」

「最初は猛反対していただろ」

「そりゃあ、まあ。いきなり現れた俺よりずっと年下の娘が『今日から頭だ』と言われれば、誰でも驚くでしょう」


 罰の悪そうな顔で反論する伴代に、まあ確かにそうだろうなと紫乃は思う。

 紫乃ほどの年齢で働く人間をこの天栄宮てんえいきゅうで見かけた事はほとんどない。いたとしてもそれはごくごく下っ端のような存在で、荷運びや掃除などの雑事に従事している。御膳所でも蔵でも、使用人宿舎でも、それなりの役職についている人間は年上ばかりだ。

 そんな場所で小娘である紫乃が御膳所で最高位の地位についたとあれば、怒り狂うのもわかる。

 まして伴代ばんだいは料理人としての矜持を持っており、御料理番頭としての自分を誇りに思っていたのだから。


「伴代の料理人としての考え方、私は好きだ。これからもよろしくお願いしたい」

「……! はい、当然、お支えしますよ!」


 伴代の言葉に他の料理人たちも「おぉ!」「任せてください!」と元気な返事をくれた。

 横で見ていた花見が「紫乃、味方いっぱい」と握り飯を頬張りながら言う。


「本当だね」


 山で暮らしていた時とは大違いの状況。紫乃の作る料理を「美味い」と言って食べてくれる人間がこんなにもいる。

 それが紫乃の料理人としての自尊心を満たしてくれた。

 数年前、花見に料理を振る舞ってから、気づいていた。

 誰かに美味しく料理を食べてもらう事に喜びを感じるということを。


(……母さん。母さんもこんな風に、御膳所で暮らしていたのかな)


 握り飯を食べながら亡き母に思いを馳せる。

 母が御膳所を追放された真相はまだわからない。

 必ず突き止めてみせると思いながら、今はこの心地よい空間に身を委ねていたかった。

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