第13話 毒見番の美梅

「さて、じゃあ夕餉ゆうげを持って行こう」


 伴代ばんだいをねじ伏せたところで、紫乃はすぐさま次の行動に移した。

 せっかく作った料理、食べてもらわねば勿体ない。膳を運ぼうと手をかけたところで、「お待ちください」と大鈴だいりんが声をかけた。


「まず、毒味を済まさないと……」

「今伴代ばんだいさんが食べたから、もういいんじゃない?」

「いえ、規則がありまして。……まずは一膳、毒味番が食べた後、体に異変がないか四半刻三十分その場で待つ。それから陛下のいらっしゃる正殿まで運び、控えの間にて二人の毒味番が二膳、食べてやはり四半刻待つ。それから陛下の前に膳を置き、最後の毒味番が一膳食べ、やはり四半刻待ち、異変がなければやっと陛下のお口に入るのです。移動時間も含めますと料理が出来上がってから陛下のお食事まで一刻にじかんはかかります」

「何だ、それは!?」 


 あまりにも厳重すぎる毒味に紫乃は驚いた。


「そんなに毒味してたら、料理が冷めきる!」

「ですが毒が盛られる危険性を徹底的に排除したいと、賢孝けんこう様が……」

「賢孝? 誰だそれは」

凱嵐がいらん様の右腕となる、執務補佐官でございます」

「…………その賢孝けんこうとやらは、ちっとも料理の事をわかっていないな」


 地を這うような低い声で紫乃は言葉を絞り出した。


「料理は出来立て、作りたてが一番美味い。一刻も待っては台無しだ。私は今すぐ、料理を持っていく。毒味は後一人、正殿ででもすれば十分だろう。大体私は毒など盛らない」

「ですが、紫乃様」

「同行する毒味番を呼び、給仕役を集めて膳を運んでくれ……あぁ、一膳、やたらに量が多いのがあるだろう? それはここに置いて行ってくれて構わないから」

「こちらの膳にございますか?」

「そう、それ」


 紫乃は一膳、敢えて多く作っておいた。それは他の膳に比べて明らかに盛りがよく、膳の上に料理がこんもりと乗っている。


「それは花見の分だから」

「にゃあ」


 ご機嫌な声で花見が鳴く。人間形態である事を忘れているようだ。

 大鈴だいりんは戸惑いの視線を花見に投げかけながらも、既に膳の前に座り食事にありつく花見を止めようとはしなかった。


「……給仕番を呼んで参ります」


 大鈴が言って厨をそっと離れると、入れ替わるように一人の女が入って来た。

 黒髪をひっつめにした目つきの鋭い二十代半ばほどの女は、入ってくるなり紫乃に目を止め立ち止まる。そして言った。


「アンタが、新しい御料理番頭?」

「そうだけど」

「フン……」


 どう見ても友好的ではないオーラを醸し出している女は、指を突きつけて紫乃に宣言する。


「アタシ達、アンタの料理なんて毒味しないからね」

「おい、美梅みうめ

「何よ、伴代ばんだい様。腑抜けた面して、まさかこんな田舎娘の下につくのを良しとしたのですか? 大鈴だいりんに聞かされた時はあんなに怒り狂っていた癖に」


 美梅と呼ばれた女は伴代をきっと睨んで言った。


「美梅、この紫乃様は本物の腕前を持っている。一膳食べて、俺は負けを認めた」

「フン」


 美梅は伴代の言葉を聞くと再び鼻で笑った。赤い唇が意地悪く弧を描く。

 紫乃としてはこんなやりとりなどどうでもよかった。一刻も早く料理を持っていかなければ、冷めてしまう。せっかく作った出来立ての卵豆腐もあっという間に冷えてしまうではないか。


「いい? アタシ逹毒味番はね、命がかかってんのよ。これが最後の食事かもしれないと思って、毎食毎食心して食事の検分をしてるの。それが、何処の馬の骨ともわからない小娘が作った料理を毒味しろって? 金を握らせればすぐに毒を盛りそうなアンタの料理を、アタシ逹が食べたいと思うわけないでしょう。毒味番と御料理番は信頼関係で成り立ってんのよ。ぽっと出のアンタなんかのために、絶対に毒味なんてしないからね」


 一息にそう言い切った美梅は勝ち誇った顔をしている。


「毒味番がいなけりゃ、夕餉ゆうげが陛下に運ばれる事は絶対にない。伴代ばんだい様がなんて言おうとも、アンタなんて今日一日で文字通りに首が飛ぶわ」

「言いたい事はそれだけか」

「……何よ」


 紫乃は、内心で怒り狂っていた。こんな些事に時間をかけているのが勿体無い。


「早くしないと、料理が冷める。毒味役が嫌ならやらなけりゃいい。私がやる」

「アンタが……!?」

「紫乃様、給仕番揃いましてございます」


 大鈴だいりんを筆頭に、くりやに給仕役の女逹が入って来た。ホッとする。


「ありがとう。流石にこの量を一人で運ぶのは無理だから、給仕番の人がいてくれて助かった」


 大鈴がまとめ役をしている給仕係はこの突然の御料理番頭交代にも動じず、皆で膳を持って厨から出ていく。

 紫乃がそれに続こうとすると、「お待ちなさいよ」と美梅に呼び止められた。


「まだ何か用?」

「アンタ、わかってるの? 毒味番を兼務するって事は、いつ何が起こってもおかしくないのよ。失明した子もいれば、半身が動かなくなった子もいる。じわじわと体の自由が奪われて、最後には寝たきりになった子だっているわ。そんな危険を冒してまで、御料理番頭になりたいっていうの?」

「愚問」


 紫乃は美梅の疑問を切って捨てた。


「毒が怖くて、料理が作れるかっての」

 自分が作ったものに絶対の自信がなければ、誰かに提供するなんてできるはずが無い。

 立ち尽くす美梅を置き去りにして、紫乃は最後尾について膳が凱嵐がいらんの元へ運ばれるのに追従した。





「諦めな、美梅みうめ。あの子は本物の料理人だ」

「何よ、伴代ばんだい。あんなに御料理番頭の地位にこだわっていた癖に、あっさり捨て去って」


 いつもは騒がしい伴代は今日、妙に大人しい。一体どうしてしまったんだろうか。


「いやぁ、俺が一生かかっても紫乃様の料理には追いつけない。才能の差を見せつけられちまったんだよ」

「……フン」


 伴代がなんと言おうと、美梅に紫乃を認める気は無い。御料理番頭を務めながら毒味役を毎日続けるなど無謀だ。すぐに根を上げるに決まっている。

 そうした緊迫した空気を壊すかのように、飯を食べる音が厨に響き渡る。


「美味いにゃあ」


 ガツガツと大盛りの麦飯を食べているのは、耳と尻尾を生やした猫又妖怪であった。


「こんな妖怪、天栄宮にいたかしら?」

「陛下が調伏なさったんだろう。さしずめ見張りといったところに違いない」

「…………」


 美梅は首をかしげる。今代陛下はあまり妖怪を調伏したり使役したりしないと聞いていたが、噂は噂だったという事か。

 妖怪を見張りにつけるあたり、よほどあの小娘を気にかけているに違いない。


「にゃあ、言っておくけど、紫乃に何かしたら……ワテが許さないから」

「!」


 ほんわかした雰囲気で飯を食べているかと思えば、伴代と美梅を睨みつける目つきは矢のように鋭い。美梅は背筋がゾッとするのを感じた。

 やはり妖怪、見た目の幼さに惑わされてはいけない。


 「絶品!」と言いながら食事を進める妖怪を遠巻きに見つめながら、これから御膳所ごぜんしょが大いに変わっていく気配を美梅は感じていた。

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