第12話 次代の御料理番頭
紫乃は、出汁と卵液を丁寧に
紫乃が作っているのは、
卵豆腐は作るのが難しい。火加減を間違えると表面がぼこぼことして見た目がよくない物が出来上がってしまうし、かといって弱火すぎても中心まで火が通らない。
蒸し器の温度を常に調整しつつ、適度な温度を保つのが重要だ。
(……そろそろか)
額の汗を拭いつつ、水で濡らした手拭いで蓋を持ち上げる。そっと竹串を刺し、出来具合を確認した。
(よし、完璧)
頷いた紫乃は手早く卵豆腐を切り分け、
冷やしても美味しい卵豆腐であるが、
紫乃の母直伝の卵豆腐は口当たりふわふわ、つるんとした喉越しが自慢の一品である。花見はこの卵豆腐を、卵十個分はおかわりをする。
ずらりと並んだ膳は十二個。圧巻の光景だ。
あとは花見が漬物瓶を持ってくるのを待つだけなのだが。
「紫乃ー!」
タイミングよく花見の声がし、厨の中に漬物瓶を持った花見が飛び込んできた。
「お待たせ、紫乃。見つけたにゃあ」
「おかえり、ありがとう」
瓶がごとりと床に置かれ、早速紫乃は蓋を開ける。
周囲が「あの子供、誰だ?」「耳と尻尾が生えているぞ」「妖怪か?」などとざわめいたが、紫乃は構わなかった。料理中の紫乃にとって料理以外の話など全てどうでもいい話題である。
「
「かしこまりました」
大鈴がいてくれて助かったと紫乃は思う。料理は自分一人でどうとでもなるのだが、食器の用意までするとなると手間だ。紫乃はこの厨の勝手がわからないので、探しているだけで無駄に時間がかかってしまう。
手早く糠を落とすと、トントンと切っていく。
厨の包丁はいつも使っているものと異なるが、それでも使い勝手が良いので問題なく使いこなせた。
香の物を小皿に盛り、膳に盛り付ければ完成である。
「さ、出来たぞ」
紫乃は膳の一つを伴代にずいと差し出す。
「どうぞ、
母譲りの、自慢の料理たち。
今日は特に腕によりをかけて作った。これをまずいとは言わせない。
黙々と食べ進める伴代は、最初に紫乃が
綺麗に全てを平らげた
「どうだ?」
「……美味かった……」
「そーか」
紫乃は、ふっと笑った。美味かった、その一言はいつだって紫乃の心を暖かくさせる。
「そーか、美味かったか」
腕を組んだ紫乃は、笑みを浮かべた。
それを見た伴代はなぜだか意表を突かれた顔をする。それからその場で深々と頭を下げた。
「参った。……まさかここまでのものを作り上げるとは予想もしていなかった……何よりこの料理、調理手順も見た目も味も、全てが
紅玉様の生写し。
その言葉が胸にストンと落ちて来て、紫乃の心を満たしていく。
後ろで花見が「とーぜん!」と腕を組んで勝ち誇った顔をしていた。
顔を上げた
「認めよう。アンタが次の
+++
『そーか、美味かったか』
この一言と共に紫乃が浮かべた笑顔は、初めて
紅玉はさっぱりとした性格を持ち、繊細な料理をする人だった。
伴代が
当時の伴代はまだ二十歳の若造で、まさか自分が御料理番頭になるなどとは露ほども思っていなかった。
その時の御料理番頭は紅玉という女性で、皇帝に長らく重用されていた人物だ。
伴代も紅玉の作る料理に心酔していて、彼女の作る料理に少しでも近づこうと努力を重ねていた。
繊細にして優美。複雑な手順で作り出される料理はどれも美味いだけでなく、美しい見た目を兼ね備えていた。一流の食材が彼女の手によって一流の料理となっていく。まさに、この
あんな事件が起こらなければ、まだ彼女はこの
兵に囲まれた紅玉は、立ちすくむ御料理番たちを見回し、そして伴代に目を止める。
「次の御料理番頭は
「……俺が!?」
驚く伴代に紅玉は静かに頷いてみせた。
「伴代が一番、その役にふさわしい。腕を磨いて、誰にも手の届かない高みに登れ。そして私の料理を絶やさないように」
その言葉を最後に、伴代が
伴代は強くあろうと決めた。
誰よりも美味い料理を作る事こそが紅玉の意志を継ぐ事になる。
だから伴代は努力を重ね、紅玉の料理を追い求め続けた。皇帝が代変わりしようと夕餉の御料理番頭の役を続け、そして現皇帝の口から「美味い」という言葉を引き出そうと努力した。
しかし今、伴代は直感した。
この紫乃という娘は天性のものを持っている。
伴代が何年努力しようと決して再現できなかった紅玉の味をいとも簡単に作り上げ、そして出してみせた。これはもう、認めざるを得ない。
ーー次代の御料理番頭は、この娘以外にあり得なかった。
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