第14話 遠い

「遠い」


 紫乃は天栄宮の廊下を歩きながら、イライラする気持ちを抑えられずにいた。

 小半刻三十分とは言わないまでも、結構長い間廊下を練り歩いている。

 一体、どこに凱嵐がいらんはいるんだ? 何でこんなに広いんだ?

 紫乃の気持ちが伝わったのか、先を歩く大鈴だいりんがそっと説明をしてくれた。


「天栄宮はいくつかの御殿に分かれており、出火の可能性が高いくりやは皇帝陛下のおわす御殿からは遠い場所にございます。長い廊下を渡り、さらに三つ角を曲がった先、一際大きな建造物群に陛下は日夜詰めておりまして、食事もそこで頂くのでございます。もうすぐ着きますよ」

「こんなに時間がかかるとは……」


 紫乃は廊下を歩きながらブツブツ独り言を言う。まさか、天栄宮がこれほど広いとは思いもよらなかった。巨大な建物だとは思っていたが、てっきりくりやの横に凱嵐がいらんが待機していてそこに運び込めばいいだけだと考えていたのだ。

 なんでこんな離れたところまで持っていかにゃならんのだ。


「……紫乃様、お顔が怖うございます。この先に凱嵐様が待っておいでですよ。さ、笑顔をお作りあそばせ」

「…………無理」

「…………」


 大鈴の要求を紫乃はあっさり却下する。少し眉根を寄せた|大鈴《だいりん》は、それ以上追求せず、運んで来た膳を置いて襖の前で正座をし、声を張り上げて言う。


「今代陛下、凱嵐様にお伝えいたします。夕餉の支度が整いましてございます」

「入れ」


 奥から声が聞こえ、護衛の者たちにより襖が開かれる。大鈴を筆頭とした給仕番が一斉にお辞儀をする中、紫乃だけは真っ直ぐ頭を上げたままに襖が開かれるのを見つめ続けた。

 畳敷のだだっ広い広間の奥、紺碧の屏風を背景にくつろぐ凱嵐がいらんと視線がかち合う。

 酒盃を舐めていた凱嵐は意外そうに目を見開いた後、唇を弓形ゆみなりにして笑う。


「……来たか、紫乃」

「来てやったぞ」


 あまりに不敬な物言いに、周囲の人間が凍りつく。


「無礼であるぞ!」

真雨皇国しんうこうこくの皇帝陛下、凱嵐様に向かってその物の言い方、死に値する!」

「紫乃様、その言い方はあまりに……!」


 凱嵐の護衛からの怒号が飛び、大鈴からも小声で非難が飛んでくる。

 しかし紫乃はどこ吹く風である。 

 今にも紫乃に斬りかからんとする護衛衆を止めたのは凱嵐であった。


「良い。山育ちの娘故、いささか常識に欠けているだけだ。それで紫乃、なぜお前がここに現れた? 御料理番頭の仕事はくりやで終わるはずだろう」

「毒味番が毒味を嫌がったから、代わりに毒味を務めに来た」

「ほう」

「さっさと食って、安心安全な事を証明してやる」


 紫乃は膳の一つを引き寄せると、さっさと箸をつけて食べ始める。

 絶句する周囲をよそに紫乃は膳を一つ、黙々と平らげる。食べながら思う事は毒の有無なんかではない。


(あぁ、せっかく腕に寄りをかけて作った料理が冷めてしまってる……米は表面がカピカピだし、なますはぬるくなってるし、味噌汁も常温でとてもじゃないが飲めた物じゃない)


 紫乃のポリシーは、熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちに食べる、である。

 この冷め切った料理を提供するのは、料理と食べる人にとっての冒涜だ。

 とても許せるものではない。

 だからと言って、食事を残すのはもっと紫乃のポリシーに反する行いだ。

 よって気合と根性で一膳を食べ切った紫乃は、こちらを見つめる凱嵐に一言、言ってやった。


「明日からは、厨近くの部屋で待機してて欲しい」

「何故だ?」

「少しでも出来立ての料理を食べて欲しいからに決まってるだろう」

「そうか……」


 紫乃の言葉を聞いた凱嵐は、クツクツと喉を鳴らして頷いた。


「ならば、そのようにしよう」

「陛下、恐れながら申し上げます。そのように大切な事、賢孝けんこう様のお耳に入れずに勝手に決めたとあっては、あの方のお怒りを買うかと……」


 控えめながら大鈴が進言すると、凱嵐はちらりと大鈴を見た。

 途端、大鈴が「はうっ」と言って胸を押さえる。紫乃は、大鈴の呟きをはっきりと聞いた。


「……今日の凱嵐様も格好良い……滴る色気が、止まるところを知らないわ……! あぁ、なんて素敵なの!」


 大鈴は、凱嵐の熱烈な信望者だった。

 そんな大鈴の呟きが聞こえなかった凱嵐は、先の進言に対する答えを返す。


「良い。俺が決めたのだ、賢孝には何も言わせまいよ。それにあいつのやり方は少し度を過ぎている。俺もこの食事方法には思うところがあったからな」

「け、賢孝様は凱嵐様のお命を守るため、このような手段を踏んでいると……」

「大鈴」

 少し強めに名前を呼ばれ、大鈴は言葉を切った。

「賢孝とお前は、剛岩で俺が一将軍だった頃からの付き合いだ。あいつが何を考えているのかはわかっているし、それを踏みにじるつもりはない。が、止めなければますます激化していくのもあいつの性格。そろそろ歯止めをかけてもいい頃合いだ」

「……おっしゃる通りでございます」

「それに、お前が御膳所に詰めているんだ。そうそう騒ぎなど起こらないだろう。信頼しているぞ、大鈴だいりん

「…………!」


 どうやら古くからの知り合いだったらしい大鈴は、期待を寄せられた言葉をかけられ感極まった。大きく瞳を開き、震えながらも叩頭して「かしこまりましてございます」と言い、それからジーンと先程の言葉を噛み締める。

 紫乃はそれらのやり取りを聞き流した後、凱嵐に言った。


「四半刻、経ったぞ。私の体に異変はない。さっさと食事をしろ」

「おぉ」


 凱嵐は祈りの言葉を口にした後、嬉々として箸を手に食事をする。

 まるで子供のように「美味い」という凱嵐がいらんの屈託のない顔を見ていると、紫乃の心はまたも温かいもので満たされる。同時に、明日はもっと温かい食事を出せるよう工夫を凝らそうと胸に誓った。

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