第9話 この私の料理を馬鹿にするものは何人たりとも許さない
「はっ……陛下の分と俺の分を作るたぁ、随分大きくでたな」
「二人前を作るくらいどうってことない」
この紫乃の言葉に、
「これだから、何も知らねえ田舎者は! いいか、陛下に出すものと言ったら、毒味がつきもの。二人前できくわけがねぇだろ。十人前だよ! 陛下一人の
言われて紫乃は虚をつかれた。
まさか
しかし、ここで首を横に振る事は出来ない。やると言った手前、紫乃はやらなければならないのだ。
結構負けず嫌いな紫乃は、ふんと鼻から息を吐く。
「余裕だ。食糧蔵はどこだ?」
「あ……こちらにございます」
我に帰った大鈴が
「よろしいんですか、伴代様?」
「好きにさせろ。どうせクソまずいもんしか作れねえんだ。床にぶちまけて笑ってやろうじゃねえか」
(今にみていろ)
奥歯を噛み締め、胸の中で毒づく。もはや逃げる算段をつけるのすら忘れ、今の紫乃は絶対に伴代をぎゃふんと言わせてやるという思いのみが支配していた。
蔵は、廊下に面した扉の一つがそれだった。
中に入ると天井まで積み上がった食物の数々。蔵自体も紫乃の足で十歩分の四方はあり、圧巻の大きさであったが、保存されている品々も見事だった。
米に始まり魚、肉、野菜、果物に至るまできちんと分類分けして棚に入っている。氷室から取り出してきたのであろう氷によって、食物が傷まないよう注意を払って保存されていた。
今は春先であるが、冬野菜の
調味料も、鰹節に昆布、塩や砂糖と豊富に取り揃えられていた。
(お、抹茶塩)
桐の箱を手にとってぱかりと開けてみると、目に鮮やかな緑の粒子が入っている。
「それは
「あ、そうなのか」
言われて紫乃は蓋を閉める。
(文に書いて頼めば
そうだ、黒羽。
黒羽は紫乃の家に麓の村では手に入らない調味料や食材を届けてくれる人物で、直接姿を見たことはないが、紫乃が生まれた時から世話になっている人物だ。いつも家の裏の木に木の杭とともに竹籠をくくりつけてくれており、必要なものを文にしてその木にくくりつけておけば次回に持って来てくれる。不思議なのは、その木の杭を必ず燃やせという指示が来る事だったが、紫乃も母も言われた通りにしていた。
母が病に臥せった時も色々な薬を持って来てくれ、亡くなった後も今までと変わらず差し入れをしてくれていた。
手紙でも書き残してくればよかったなぁと思いながら、蔵の端に目をとめた。
「瓶がある」
「それぞれの御料理番頭様が漬け込んだ、漬物にございます」
「なるほど……」
漬物は食事に必須だ。これが膳にのぼらないと始まらない。しかし、これは紫乃の漬けたものではないから、蔵にある瓶のものを使うわけにもいかないだろう。
足元で花見がニャアと鳴く。
「瓶、探して持ってこようか?」
花見の提案に紫乃はこくりと頷いた。
「任せとけ」
二本足で立ち上がり、前足でポンとふさふさの胸元を叩いた花見は二股に分かれた尻尾をふりふりしつつ蔵から出ていく。
漬物は花見に任せるとして、紫乃は何を作るか考えよう。
「ん、鶏卵がある」
「はい。今朝は良い卵が手に入ったと、調達番が喜んでおりました。
言って大鈴は自分で自分の唇を抑える。
「伴代様のお話は、ようございましたね。失礼いたしました」
「いや、そうでもないよ」
卵を握った紫乃は、口の端を持ち上げた。
「私も、卵料理は得意なんだ」
普段は朝餉に一汁三菜、夕餉は一汁一菜と決めている紫乃であったが、今日ばかりは腕に寄りをかけさせてもらおう。
何よりこんなに豊富な食材を見せつけられては、紫乃の腕も疼くというものだ。
いつもは花見も入れて三人前だった。
しかし、侮るなかれ。
この三人前も……普通の三人前では断じてなかった。
(作ってやるよ、十一人前)
母に教わった料理の腕前、とくと見せつけてやろう。
+++
「大鈴、
「はい、勿論でございます」
「ありがとう」
献立を頭の中で組み立てた紫乃は、大鈴に必要なものを指示していく。一人で持っていくとなると何往復もしないといけないので、大鈴がいてくれてありがたい。普段であれば花見にお願いするところだが、今は漬物瓶を発見するという重要な役目を任せているので頼る訳にはいかない。
本日作るのは、
飯、汁、
香の物は漬物、なますは
紫乃は目を瞑り、母の言葉を思い出す。
(基本は全て一汁三菜。けれど相手の好みや旬のもの、その日に採れた食材に応じて品数を増やすのは問題ない。とは言っても奇数は憚られる……一汁五菜にしよう)
一汁三菜にさらに
(まずは
野菜を刻み、魚の臭みを取らなければ。
厨の後ろには
「さて、どのくらいで根を上げるか」
「敬語も使えない田舎娘の料理だ、食えたもんじゃねえさ」
「野菜っくずに米を入れた雑炊が出て来たって驚かねえぞ」
わざと聞こえる声量で悪口を言われても、紫乃の耳にはもはや届いていなかった。
料理に向き合う紫乃の集中力は、凄まじいものである。
素材の一つ一つを見極め、どのような料理がふさわしいかを瞬時に判断していく。
三つの時には包丁を握り、八つの時には母の料理の全てを覚えていた。その経験が、知識が、紫乃が次に何をすればいいのかを教えてくれる。
周囲の雑音が聞こえなくなり、包丁の音のみが耳に聞こえる。
紫乃の真剣な表情を間近で見守る
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