第10話 漬物瓶を探そう
「
一方その頃、花見はててててーっと軽快な足取りで
「しっかし、広いにゃあ」
天永宮は広大な敷地を誇っている。階段はあまり存在していなかったが、とにかく廊下が長く部屋数が多い。
御殿自体も一つではなく数多存在しているようで、油断していると迷い猫になってしまいそうだった。
「ま、ワテにとっちゃあ大したことにゃいけど」
何せ花見は五百年生きる妖怪である。
ふんふふふーんと鼻歌を歌いながら進みたい気分であったが、花見には重要な使命があるので気を引き締めなくては。
「紫乃の大事な漬物瓶……!」
紫乃の漬ける漬物は、美味い。漬物以外の全ての料理も美味いのだが、漬物がなくては米は食えないと断言できるほどに、漬物の役割は重要である。
紫乃に拾われる前の花見の食事といえば、もっぱら生肉だったのだが、一度紫乃の料理を食べてしまうともうあの味気ない生活に戻れる気はしない。
美味い美味いとたらふく食べる花見を、紫乃と紫乃の母はニコニコしながら見つめていた。
孤高の一匹猫又妖怪を貫いていた花見であったが、毎日紫乃の食事を食べているうちに気づいたら
しかし己の気持ちに正直な妖怪・花見としては紫乃の作る料理を食べて暮らしたいので、別段不満はない。
というわけで、漬物瓶だ。
既に一刻は探し回っているのに、全く見つかる気配がない。まあ探しているのは漬物なので、時間ギリギリに持っていっても問題ないはずであるが、見つからなければ洒落にならない。
ここは、無闇に探すのをやめよう。
花見は立ち止まり、廊下の端にチョンと座り込んだ。
背筋をスッと伸ばして耳をすませる。ちなみに三毛猫の花見は右耳が茶、左耳は黒い毛が生えていた。二股に分かれている尻尾も同じく茶色と黒色だ。耳から右目にかけて茶色、左目にかけて黒色で、残りは白色。それが体全体も同じく
そうして神経を研ぎ澄ませているとーー花見の耳に様々な音が聞こえてきた。
すると、聞こえてくる。
「ーー全く、
「にしてもこの鉄鍋、異様にでかくないか」
「一体何人前作れるんだ……
「こっちには貴重な調味料の数々が入ってる」
「おい。こっちは漬物瓶だ」
見つけた、と花見は思った。口の端を持ち上げると、鋭い牙が剥き出しになる。ガラス玉のような目を爛々と輝かせ、場所の目星をつけた。
「ここから……そう遠くないにゃ。廊下を三つ超えて、角を四つ曲がった先の御殿。にゃるほど」
ぺろりと口の周りを舐めると、ググッと体を縮こまらせる。そうして後ろ足で思い切り跳躍して、目的の場所を目指した。
猫の身体能力を活かして宮中を疾駆していく花見に目を留める者は誰もいない。人間形態の花見は視認できるが、妖形態の花見が見えるのはごく一部の人間のみだ。
「しっかしこの宮、護符がめちゃめちゃに貼られているにゃ」
走りながらも花見は独り言をこぼす。煌びやかな装飾が施された天栄宮は、よく見ると天井や柱、扉の至る所に札が貼られていた。妖避けの護符である。
こんなにベタベタと貼ってあっては、並の妖ではこの宮中に立ち入る事すら出来ないだろう。おそらく天栄宮全体を覆うように結界が貼られているに違いない。
「ま、ワテには全然通じにゃいけどにゃー」
伊達に五百年も妖怪やっていない。花見は誰も見ていないのに得意げになりながら、目当ての御殿に向かって走って行った。
なお、妖形態で猫の身体能力を持つ花見は猫並みの瞬発力を持ち、猫並みの持久力しか持っていなかった。廊下一つを全力疾走した後に疲れ果て、廊下の端でへばって休憩したのちに、今度はゆっくりと歩いて紫乃の持ち物が検分されている御殿へと向かったのだった。
「あったあった、ここだにゃ」
前足で器用に扉を開けると、そっと内部へと侵入する。
板張りのその部屋はあまり広くなく、中には紫乃の持ち物が広げられ男三人が検分している。
(おぉ……あった、漬物瓶)
目当ての漬物瓶は端に寄せられている。男たちは何やら、紫乃愛用の包丁を囲って雑談をしていた。
「見ろ、この包丁。刃元に彫りがされているぞ……名匠・
「しかもこの数。たかが包丁なのに十本以上もある」
「……
「どれもこれもよく手入れされていて、状態がいいな」
ずらりと机の上に並べられた包丁の数は十一本。どれもこれも微妙に異なる形状で、紫乃が食材に合わせて使い分けているのを花見は知っていた。
男たちは包丁を手に取りつつ、俺の刀より切れ味が良さそうだとかこっそり一本もらってしまおうかとか話し合っている。
(にゃろう、汚い手で紫乃の宝に触りやがって。後で絶対に取り返してやる。……でもまずは、漬物瓶だ)
漬物瓶は、大きいし重い。大人の膝丈ほどもある陶器の瓶にぎっしりと糠が詰まっており、そこに漬け込まれた大根が何本も入っている。猫形態で運ぶのは無理があった。
(よし、変身だにゃあ。人間の姿なら、怪しまれにゃいだろ)
花見は基本的に妖怪思考なので、人間とは若干ずれている。いきなり見知らぬ人間が姿を表せば絶対に怪しまれるのだが、そういう考えを残念ながら持ち合わせていなかった。
検分の手伝いに来ました、とでも言えば大丈夫だろう。仮にあれこれ問い詰められたら殴って気絶させてしまえば良い。
そんなわけで、くるりとその場で一回転。
すると緑と白の縦縞模様の着物に、桜色の帯を締めた、十歳ほどの茶色の髪の少年に変化する。
「……何だ、お前は!? どこから入ってきた!?」
ギョッとしたのは男たちだ。漬物瓶のそばに突如姿を表し、ゆらりと立ち上がった花見を見て案の定驚き問いかける。花見は男たちにのんびりとした口調で返事をしながら漬物瓶をひょいと持ち上げた。人間形態になった花見は、見かけとは裏腹に怪力の持ち主だった。
「検分の手伝いに来たにゃあ」
「にゃあ!? ……あ! 頭から耳が生えている!」
「え!? しまった!」
反射的に片手を頭の上にやると、ピョコりと猫耳の触り心地が。
「尻尾も生えているぞ!!」
「うお! しまったにゃあ!!」
花見は五百年妖怪をやっているが、実は人間に化けるのが苦手だった。
耳と尻尾が生えるのは日常的だったし、人間らしい喋り方にするのも難しい。
速攻で身バレした花見は、仕方なくファイティングポーズを取った。人間三人、気絶させるくらい訳はない。基本的に人間は妖を見たら逃げるか大騒ぎをするか倒そうとするかの三択なので、大ごとになる前に口を封じなければ。
しかし花見の予想とは裏腹に、男たちは怯えつつも友好的に花見に問いかけてきた。
「……
「にゃ?」
「とぼけなくても、わかってるぜ。何か持って来いって言われたのか」
「漬物瓶を……」
「なんだ、そうかい。さっさと持って行きな」
なんだかわからないが、どうやら持って行っていいらしい。花見は「じゃ、遠慮なく」と言ってごとりと漬物瓶を持ち上げると、ついでとばかりに言葉を付け加える。
「そうそう、後の荷物も検分が終わったら紫乃の部屋に持って行ってくれだにゃあ。くれぐれも、盗もうなんて思わないように」
最後の言葉は、若干声を低めて威圧感を出した。脅しではない。紫乃のものを盗むとしたら花見は相手が誰であろうと容赦しない。
ごくりと唾を飲み込んだ男たちが短く頷くのを見た後、満足した花見は漬物瓶を持って部屋を後にした。
「さて、紫乃のいる場所まで……あぁ、結構遠いにゃあ。間に合うといいんだけど」
マイペースな花見はそうは言いつつも全く急がず、のんびりと
なお、耳と尻尾は面倒臭いのでそのままにしておいた。
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