第4話:私の居場所
「ふわぁ~。全然眠れなかったなー……」
昨晩、婚約者の浮気現場を目撃した私は、眠い目を擦りながら冒険者ギルドへ向かっていた。
晴れ間の広がる爽やかな朝とは対照的に、頭の中はゴチャゴチャ。人生を大きく左右する出来事が重なり、うまく整理できていなかった。
冒険者ギルドの受付嬢だった私が、宮廷錬金術師の助手に誘われるなんて。冗談だと言われた方がまだ納得できるけど、クレイン様がそんなことを言う意味はないので、余計に頭を悩ませてしまう。
今日が最後の出社となるのに、まったく身が引き締まらない。
「しばらくは成り行きに身を任せようかな。とりあえず、何とか今日を乗り切ろう」
いろいろと顔に出さないように気を付けようと心に決め、平静を装って進んでいくと、冒険者ギルドに到着する。
婚約者が浮気した職場という呪われたような場所に足を踏み入れると……、いったい何が起こっているのやら。ものすごい勢いで同僚たちが走ってきて、囲まれてしまった。
「話でも聞こうか?」
優しい言葉をかけてくれたのは、冒険者ギルドで一番仲の良い受付仲間、アリスである。
貴族の私が初めて打ち解けた平民の友達であり、気兼ねなく話せる数少ない女の子。仲間思いで裏表がないその性格は、上下関係の厳しい貴族社会で暮らす私にとって、とても心地がいい存在だった。
しかし、今は違う。アリスを中心にして、同僚たちが妙なオーラを放っているため、うまく声がかけられない。
「話したいこと、あるよね?」
「心配しなくても、ごはんくらいは奢るよ」
「じゃあ、私がデザートをご馳走しようかな」
何があったんだろうか。浮気されたことは知らないはずなのに、みんながすべてを悟ったかのような雰囲気で接してくる。
「き、急にどうしたの?」
「「「いいって、いいって。無理しないで」」」
どうしよう、絶対にバレてる……。いつもみんな眠そうに挨拶してくるだけじゃん。そんなに気遣ってくれるのは、絶対に不自然だよ。
「ちょっと待って。知ってる方がおかしくない? まだ昨日の今日だよ?」
浮気した当人たちが話すはずはないし、クレイン様も言いふらすような人ではない。もちろん、私も話していない。
でも、知られてしまっているのは、事実であって……。
「もう街全体に広がってるよ」
「ミーアは評判がいいから、なおさらだよね」
「悪いのは、ボンボンの息子とブリッコ女でしょう?」
突然のことで混乱していると、さらに予測できない事態が生まれてしまう。
同じ受付の仲間だけでなく、部署が違う冒険者ギルドの職員さんたちまで、朝の準備を放ったらかして駆け寄ってきたのだ。
口数の少ない頑固な解体士さんや、いつも怒り顔で経費に厳しい会計士さん、田舎の母親みたいな管理栄養士のおばちゃんまで……。
「口だけの男なんざ、その辺に捨てておけ」
「慰謝料の取り方、教えましょうか」
「出勤できて偉いねえ。顔が見れて本当によかったよ」
婚約者のことについては、別に何とも思っていない。婚約破棄できそうでよかった、とまで思っている。
でも、他にも大勢の仕事仲間が近づいてきて、優しい言葉を投げかけてくれる姿を見ると、なんか……ダメだ。こんなに心配してくれる人がいると思うと、別の意味で泣けてくる。
「全然大丈夫ですので。本当に、あの……大丈夫です」
昨日から涙もろくなっている私にとって、みんなの優しさは我慢できるものではなかった。
「女を泣かせるとは、許せねえ野郎だな」
「相手が貴族であろうと、容赦しませんよ」
「泣くほど色々なことがあったんだねぇ。今まで気づいてやれなくて悪かったね」
違うから、泣かせたのはみんなぁ~! もう……本当にありがとう。
感情のコントロールを失った私を気遣ってくれたのか、アリスがギュッと抱き寄せて顔を隠してくれた。
その人肌が一段と温かくて、心の傷が癒えていくのを感じる。
自分でも知らないうちに、大きな心の傷になっていたんだと自覚した。
「仕事はどうするの?」
「復帰する気持ちがあるなら、うちらもギルマスに頼みに行くよ」
「やっぱりミーアがいないと、貴族依頼は不安だもんね」
今は考えたくない……と言いたいところだが、現実は厳しい。私は今日、寿退社で仕事を辞める予定だったのだから。
ギルドマスターに頼み込めば、退職処理を取り消して、仕事を継続させてもらえるかもしれない。でも、クレイン様が本気で誘ってくれているのなら、宮廷錬金術師の助手として働きたい気持ちが大きい。
もちろん、冒険者ギルドの仕事が嫌いなわけではないし、良い仲間たちに恵まれているので、仕事復帰もいいとは思う。
ただ、ジール様が錬金術師の仕事で納品に来たり、浮気相手の後輩カタリナがいたり、密会現場があったりと、とにかく縁起が悪い。みんなにも必要以上に気を使わせてしまうだろう。
可能な限りジール様とカタリナには関わりたくないし……と思っていると、抱き締めてくれていたアリスの手にグッと力が入った。
「この話はまた後にしよっか。先に朝の準備をしないとね」
きっと冒険者ギルドにカタリナが出勤してきたのだろう。顔を合わせなくて済むようにと、配慮してくれたのだ。
「……ありがとう。みんな」
身分など関係なく、持つべきものは友だなと思い、アリスの指示に従うことにした。
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