第2話:人生が終わった、と思っていると?

 冒険者ギルドの応接室に入り、何とか落ち着きを取り戻した私は、クレイン様の依頼について確認していた。


「採取依頼中だったイシリス草ですが、一週間前にギルドに納品されていることが確認できました」

「やはり終わっていたか」

「連絡ができておらず、大変申し訳ありません」

「いや、構わない。傷みにくい素材ではあるからな」


 貴族依頼を担当していた私の仕事は、後輩のカタリナに引き継いだばかりなのだが……、明らかにちゃんとできていなかった。


 クレイン様に連絡していないのに『連絡済』にチェックを入れている時点で、適当に仕事をしているとよくわかる。書類を細かく確認すると、誤字脱字も多く、クレイン様の名前まで間違えているのだから、フォローのしようがない。


 冒険者ギルドの信用に関わる失礼極まりない行為だった。


「時間が許すのであれば、冒険者ギルドが依頼料を負担して再発注しますが、いかがなさいますか?」

「ミーア嬢が退職するなら、やめておくよ。どうにも新しい担当者とは、そりが合わない。仕事よりも色恋沙汰に夢中で、深く関わると変なトラブルに巻き込まれそうな気がする」


 クレイン様には何が見えているんだろうか。彼女と深く関わった私が現在進行形で色恋沙汰のトラブルに巻き込まれているため、とても説得力がある。


 今は感心している場合ではなく、冒険者ギルドの職員として、しっかりと謝罪しなければならないが。


「重ね重ねお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした」

「責めるつもりはない。ただ、ミーア嬢が担当してくれていたときは、こういったトラブルが一度もなかった。それだけに、今後の付き合いには不安が残るな」


 代わったばかりの担当者にミスされたら、不安になるのも当然のこと。


 貴族と冒険者を繋ぐ私たちの仕事は、トラブルが生まれやすい繊細な仕事なのだから、浮気なんてしている暇があったら、真面目に仕事してほしい。


 はぁ~、甘やかしすぎたかな……と頭を悩ませていると、クレイン様に苦笑いを浮かべられる。


「そんなに落ち込むことだったのか?」

「えっ?」

「気づいていないと思うが、すでに五回もため息を吐いている。ミーア嬢には珍しく、仕事に集中できていない印象だ」


 婚約者の浮気現場を目撃したばかりで、思考がうまくまとまるはずもない。今後の自分のことを考えるだけでも、自然とため息が漏れ出てしまう。


 普段なら顧客の前だと切り替えるところだが……。泣き顔を見られている以上、強がることもできなかった。


「少し泣いてスッキリしましたので、今はまだ大丈夫な方かと。すいません、私もご迷惑をおかけしてしまって」

「今まで何度も世話になったんだ、気にするな。詮索するつもりはないが、話を聞くくらいの時間はあるぞ」

「……私、まだ顔に出ていますか?」

「このまま帰るにしては、いつもと雰囲気が違い過ぎる。すぐに気づかれるだろうな」


 そう言ったクレイン様に、慰めるような温かい笑みを浮かべられると、必死に押し殺した感情が湧き上がってくる。


 大人の男性が持つ包容力のある姿に、まだまだ子供の私は抗うことができなかった。


「先ほどの話にありました、色恋沙汰に巻き込まれたような形ですね」

「ん? もうそろそろ結婚するんじゃなかったのか?」

「予定ではそうでしたが、未定になりました。というより、今から未定にする感じ……いわゆる婚約破棄ですね」


 完全に予期せぬ話だったみたいで、クレイン様の顔が引きつっている。彼のこんな表情を見るのは、何度も顔を合わせてきたのに、初めてのことだ。


「正直なところを申しまして、愛の欠片もない政略結婚でしたから、未練はありません。手を出されなかったという意味では、結婚前に浮気現場を見れてよかったとすら思っています」

「そ、そうか。浮気現場を直接見た後だったんだな。どうりで……」


 あっ、言ってしまった。まあ、クレイン様なら言いふらさないだろうし、別にいっか。


「どちらかと言えば、今まで積み重ねてきた努力を否定されたみたいで、ショックを隠し切れませんでした。両家のことを思い、貴族として懸命に生きてきた私が馬鹿みたいだったので」

「それはそうだろう。随分と献身的な印象だったから、てっきり円満な婚約だと誤解していたぞ」

「そう見えるように頑張っていましたからね。でも、実際には違います。表向きには、一歩後ろに引いて、ジール様を立てていただけです。裏では完全に雑用係でしたよ」

「たまにいるな。自分が王様にでもなったような気分になり、婚約者を専属メイドのように扱うヤツが」

「給料が出るだけ専属メイドの方がマシです」

「なるほど。ミーア嬢の気持ちはよくわかった。本当に未練はなさそうだ」


 やっぱり私はジール様を許せないんだろう。知らないうちに自分の気持ちが制御できなくなり、クレイン様に愚痴ばかり言っている。


 今まで婚約者の悪口は言葉にするべきではないと思い、心の奥底に閉じ込めておいた影響もあるかもしれない。


 あれよこれよと次々に愚痴を吐き出したい気持ちに駆られていた。


「八年間も尽くしてきたのに、妥協して結婚しようとしていたんですよ。信じられます?」

「浮気するような男に人を見る目はない。深く考えない方がいいだろう」

「考えますよ。すでに結婚式の招待状は発送済みですから、多くの人に事情を伝えなければなりません。完全に向こうが悪かったとしても、よく思われないです」


 婚約破棄された令嬢となれば、縁談の話は極端に減る。まともな話が来るとは思えないし、年の離れた貴族に嫁ぐか、仕事一筋で生きる以外に道はない。


 あのまま浮気男と結婚する方がよかったのかと聞かれれば……、絶対に嫌だと答えるけど。


「おまけに、仕事は明日で寿退社です。このままジール様が大人しくしているとは思えません」

「確かに、悪い噂の一つや二つは流しそうだな。もしそうなったら、新しい縁談の話どころか、ギルドや店で雇ってもらえなくなる、ということか」

「イメージの悪い女を雇うメリットはありませんし、取引先とのトラブルの元になります。まず普通に仕事はできないでしょうね」


 夜遊び程度で騒ぐなんて馬鹿らしい、と言っていたし、反省している様子は見られなかった。私の悪い噂を流すと断言してもいいだろう。


「ミーア嬢が冒険者ギルドで培ってきた経験を活かせば、どこでも雇ってくれると思うが、流れる噂次第だな。相手側が揉み消すか悪い噂を流すかによって、評価は大きく変わる」

「希望を抱くだけ無駄です。冒険者ギルドの仕事が休みの時は、ジール様の店で何度も顔を出して手伝っていたんですから。私の悪い噂を流さないと商売になりません」

「それもそうか。ミーア嬢には悪いが、ボイトス家のジールは頭角を現したばかりで、錬金術ギルドが注視している人物の一人だ。有用な人材と判断されれば、ギルド側も庇うかもしれない」


 予想していたこととはいえ、改めてクレイン様に言われると、落ち込まずにはいられない。急激に未来が閉ざされてしまい、虚無感を強く感じていた。


 最悪、家を出ることも考慮しておこう。住み慣れた王都で過ごせなくなるのはツライけど、こればかりは仕方ない。


 身内に迷惑をかけ続けるよりは、細々と暮らしていた方がいいから。


 人生が終わった……そう思っていると、クレイン様が怪しげな笑みを浮かべて見つめてくる。


「だが、今までの話を踏まえた上で、一つだけ未来を好転させる方法がある」

「ほ、本当ですか!?」


 水を得た魚のように息を吹き返した私は、グイッとクレイン様に顔を近づけた。


「どうしたらいいんですか? 現状は絶望的な未来しかありませんから、私にできることであれば、何でもやりますよ」

「いい心構えだ。じゃあ、俺の工房で働いてくれ。宮廷錬金術師の助手になれば、変な噂なんて吹き飛ぶぞ」

「へっ?」


 あまりにも予想外の提案をされて、私は情けない声が漏れてしまった。


 クレイン様の言葉の意味は理解できる。しかし、心が置いてきぼりになり、何を言っているのかわからない。


 なぜなら、宮廷錬金術師の助手といえば、エリート錬金術師の登竜門である。未来のある優秀な錬金術師が働く場所であって、ただの受付嬢が働く場所ではなかった。


「悪い話ではないはずだ。錬金術の店で働いていたのなら、普通の作業くらいはできるだろう」

「えっ。いや、それはそうかもしれませんが……ど、どうして私を?」

「俺はミーア嬢のことをかっているんだ。それ以外に理由はない。じゃあ、明日までに考えておいてくれ」


 それだけ言うと、クレイン様は席を立って部屋を後にする。


 本来であれば、お見送りしなければならないのだが……、その場を動くことができなかった。


 もしかしたら、まだ婚約者の浮気に動揺していて、聞き間違えたのかもしれない。


 いくら非がなかったとしても、私は婚約を破棄するような傷物令嬢になろうとしている。宮廷錬金術師の助手に選ばれるはずがない。


 ましてや、私は錬金術師ではないのだ。宮廷錬金術師の工房で働くなんて、そんなはずは――。


「何が起こってるんだろう。夢、じゃないよね……?」


 人生を大きく左右する出来事が重なり、自分の頬をつねるという原始的な方法で、私は夢ではないと確認するのだった。

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