【コミカライズ開始】蔑まれた令嬢は、第二の人生で憧れの錬金術師の道を選ぶ ~夢を叶えた見習い錬金術師の第一歩~【Web版】

あろえ

第一章

第1話:婚約者の浮気現場

 昼休みを知らせる鐘が鳴り響く頃、冒険者ギルドに勤める子爵家の私――ミーア・ホープリルの元に一人の男性がやってきた。


「今夜は大事な話がある。ミーアの指のサイズを教えてくれ」


 私の婚約者で、錬金術師のジール・ボイトス伯爵令息だ。


 そんな人が結婚指輪をほのめかすような発言をすれば、春が訪れるように職場が明るくなる。


 冒険者ギルドはお祝いムードに包まれ、仕事仲間たちが「おめでとう」「よかったね」と、笑顔で温かい声をかけてくれた。


 本当は愛のない政略結婚だけど、みんなに祝ってもらえるのは、素直に嬉しい。退職するのが名残惜しいと思うほど、居心地のいい職場だったから。


 すでに三年間勤めた冒険者ギルドには辞表を提出して、明日、寿退社することが決まっている。あとは流れに身を任せ、新婚生活が始まる……はずだった。




 その日の夜、婚約者の浮気現場を目撃するまでは。




 綺麗な星空が広がる夜になると、冒険者ギルドの倉庫で変な音が漏れ出ていることに気づく。


 不審に思って、暗い倉庫の中を確認すると、男女が濃厚なキスを交わすシルエットが映し出された。


 こんな場所で愛し合わないでよ……と思っているのも束の間、キスを終えた二人の顔が離れる。


 月明りに照らし出されたその人物を見て、血の気がサーッと引いた。


 密会していたのは、婚約者のジール様だったのだ。


 結婚まで残り僅かな時間しかないのに、婚約者の浮気現場を目の当たりすることになるとは、誰が予想できるだろうか。少なくとも、昼間に仲間たちから祝福された私は、考えてもいなかった。


 今まで愛の欠片もない冷たい態度に耐え抜き、感情を押し殺して尽くしてきたというのに、なぜこんなことを……。


 周囲に円満アピールをするため、必死に作り笑いを浮かべてきた私が馬鹿みたいだ。


「カタリナ」


 それも、浮気相手が私の可愛がっていた後輩、カタリナ・メディック男爵令嬢なのだから笑えない。


 職場に馴染めない彼女を気遣い、同僚や取引先にもフォローして、面倒を見てきたつもりだった。冒険者ギルドを退職すると決まった時も、甘えん坊な彼女のことが気がかりで、仕事仲間に頭を下げてお願いまでした。


 それなのに、どうしてこんなことができるんだろうか。今となっては、利用されていただけなのかな、と疑ってしまう。


 居たたまれない気持ちになり、声をかけずにその場を後にしようとすると、不意に近くの物に手が当たって、ガランガランッと物音を鳴らしてしまう。


 当然、そんな大きな音を出せば、密会している二人にバレるわけであって――。


「ミーア……」

「ミーア先輩……」


 呼吸ができなくなるほど気まずい雰囲気になり、自分で表情がうまくコントロールできない。心の底から嫌悪感が湧き上がり、私は自然と二人に軽蔑の眼差しを向けていた。


 しかし、密会していた二人は違う。悪びれる様子もなく、呑気にクスクスと笑っている。


「あーあ、バレちゃった」

「だから、今日は時間がないと言っただろ。ミーアに結婚指輪を渡す日で、夜はレストランで食事をする、とな」

「でも~、昼休みだけでは満足できないって言ったのは、ジール様ですよ。結婚指輪も既製品で済ませたって言ってたじゃないですかー」


 カタリナの腰に手を回して抱き寄せるジール様を見る限り、目の前の光景がすべてを物語っている。


 婚約者の私にまったく興味がなく、何の価値も感じていない。可愛げのあるカタリナの方が好みだったんだろう。


「まあいい、誤解を解けばいいだけの話だ」

「……誤解?」

「ああ。ミーアは浮気だと思っているだろうが、現実は違う。これはただの遊びだ」


 は? という言葉すら声に出てこない。どう見てもコソコソ隠れて密会していたのは、一目瞭然だった。


「そうですよ~、先輩♪ 私たちは体を求め合うだけの関係ですから、気にしないでください。よくあることじゃないですか~」

「当然だな。健全な貴族なら、夜遊びの相手が二・三人はいるものだ」

「でも~、ジール様は一途じゃないですか~。だってぇ、私だけしか見てないですもんねー。それも、ずーっと前から」

「あまり大きな声で言うな。真面目すぎるミーアのために、今まで隠してきてやったんだぞ。せっかくの俺の気遣いが無駄になるだろ」


 隠してきてやった? 私への気遣い? この人はいったい何を言っているんだろう。言い訳するのかと思いきや、完全に開き直るなんて。


 貴族の婚約は政治的な意味合いが大きい契約だと、ジール様は理解していないのかな。


 どうにも彼が本気で言っているような気がして、私は呆れることしかできない。


「信じられませんね……」

「残念ながら、貴族に愛のある結婚なんて必要ないんだ」


 婚約者との時間を切り捨て、私の後輩と遊び惚けていた彼に、貴族の結婚を語る資格はない。


 両家の間に深い溝を作ったジール様が事の重大さを理解していないのは、滑稽としか言いようがなかった。


「夜遊び程度で騒ぐなんて、馬鹿らしいことだぞ。いい加減に機嫌を治せ」


 ようやくカタリナの腰から手を離したジール様は、ゆっくりとこっちに近づいてくる。


 どや顔でポケットから取り出したものを見て、私はため息しか出てこなかった。


「ミーアのために用意したんだ。俺からのが結婚指輪なんて、忘れられない思い出になるだろ?」


 このタイミングで結婚指輪を渡してくるなんて、正気? 馬鹿にしていると言われた方がまだ納得できる。


 十歳の頃から八年も婚約しておいて、初めてのプレゼントが結婚指輪というのも、意味がわからない。今まで誕生日に花の一つも贈らないで……いや、もう考えるのはやめよう。


 こんな人と付き合う必要はないんだから。


「結婚指輪は受け取れません。私たちには不要なものです」

「は? 何を言ってるんだ? からの贈り物だぞ」


 妄想もはなはだしい。そういった感情を抱けるような状態だったのか、自分の胸に手を当てて聞いてほしいものだ。


「勘違いされているみたいですので、ハッキリと申し上げておきます。我がホープリル家に恥じぬよう尽くしてきただけであって、私はジール様に好意を抱いておりません。これっぽっちもです」


 ボイトス伯爵家から押し付けられた雑務をこなし、ジール様の指示に嫌々従ってきた身としては、好きになる要素など一つもない。


 うちの家系に悪評が立たないようにと、ずっと我慢してきただけ。これも貴族に生まれた運命だと、自分に言い聞かせて受け入れるしかなかった。


 でも、それも今日で終わり。これ以上は彼の言うことに従う必要はない。


 私が軽蔑の眼差しで見つめ続けている影響か、さすがにジール様の表情が曇り始める。徐々に状況を理解し始めたみたいで、苛立つように歯を食いしばっていた。


「俺との婚約を破棄するとでも言うつもりか?」

「見過ごすには大きな問題です。婚約破棄するのは、普通のことでしょう」

「馬鹿馬鹿しい! 伯爵家の俺と結婚寸前で破棄しようなんて、大問題だぞ! こっちは結婚してから抱いてやろうと妥協してやっているのに!」

「けっこうです。丁重にお断りさせていただきます」


 話すだけ無駄だと思い、私はその場を飛び出した。


 暴力の一つでも受けていれば、もっと楽に婚約破棄できるかもしれない。でも、一秒でも早く顔を見たくないと思ったし、逆上されて大怪我をしても困る。


 当然のように追ってくる気配はないが、念のため、後ろをチラチラ確認しながら歩いていると――。


「痛ッ」


 ドンッ! と大きな音が出るほどの勢いで壁に激突した。それがどうしようもなく惨めに感じて、現実が押し寄せるように悲痛な思いが溢れてくる。


 情けない。どうしてこんなことになったんだろうか。


 昼間のお祝いムードから一変して、階段を踏み外したように転げ落ちる自分の人生に、思わず涙がこぼれ落ちる。


 私は特別可愛いわけでもないし、スタイルがいいわけでもない。でも、子爵家に恥じぬように努力を続けてきたつもりだった。


 ドレスを着こなすためにダイエットや筋トレを続けたり、伯爵家の婚約者として生きるためにマナーを覚えたり、周囲の目を意識して気遣ってきたり。


 それなのに、妥協されないと結婚もしてもらえないの? そんなの……あんまりだよ。


「私、そんなに魅力がないのかな……」

「そんなことないだろ。何かあったのか?」


 我を失って泣いていると、突然声をかけられてハッとした。


 急いでハンカチを取り出して涙をぬぐうが、もう遅い。そこには、何度も依頼を担当させていただいている、侯爵家クレイン・オーガスタ様の姿があった。


 茶色い髪に深い緑色の瞳が輝き、目鼻立ちの整った男性。私よりも二つ上の二十歳にもかかわらず、最年少で宮廷錬金術師に選ばれた天才と称されている。


 貴族の間では気難しい人と言われているが、そんなことはない。婚約者のジール様とは違い、錬金術のことを色々と教えてくれる優しい人で、とても人柄の良い印象だった。


「何でもありません。あの、見なかったことにしてください」

「別に構わないが……代わりに、依頼の確認をお願いできるか? 引き継ぎをしてもらったが、急にミーア嬢に確認してもらいたくなったんだ」


 優しく笑うクレイン様を見れば、気遣っていただいていることくらいはすぐに察する。私が落ち着くまで付き合ってくれようとしているのだ。


 そんなクレイン様の優しさが身に染みて、また涙が溢れ出てしまうのだった。

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