第22話 篋底(きょうてい)の秘め事

「うん、感じられない。それよりも、互いに、心配とか慰めや、生きる力みたいなものが主流かな?」





【なるほど、やっとわかって来たな】


「俺の聞き方が悪かったかも。質問を変えよう。塁って、どれくらい好きだった?」

「どれくらい?そんな事…。考えたこともない」


「考えろ!」

「命令形?誰に聞いている?そんな聞き方をするのなら、答えたくない」


「例えばで、いいから~」天十郎は甘え声を出した。


 夏梅は、気持ち悪そうに顔を歪めた。


「なんだよ。気持ち悪いよ。そうだな。例えば、蒲が、昔よく、やっちゃうぞと言われると腹がたった。無性に腹立たしい。死ね!っと、思う。蒲だけでなく、他の人に言われても不愉快極まりないのに、塁に言われると嬉しくて、嬉しくて、自分でも可笑しいくらいに、うれしくて、あー、私って塁には勝てないな~。こんなにも好きなのだなって思う」


 一人で照れてえへへと笑いだした。


「おい、何を照れて、くねくねしているのだ」


「うふ!悪い。今も思い出すだけで、嬉しくなっちゃう。こんな自分が完全お馬鹿みたいで、収拾がつかずに笑えるけれど、嬉しい!」





【歳月が過ぎても】


 天十郎はあきれているが、僕は夏梅のその嬉しそうな顔を見ると、胸が潰れるほど痛く、押しつぶされそうになる。


「おい、夏梅、正気にもどれ、俺が言ったら?どう思う?」

「うん?言ってみれば」


「やっちゃうぞ」

「何も感じない」


「こっち見ろ。ちゃんと目を見てさ」夏梅は無関心にボーとしている。


「何も感じないのか?嬉しくないのか?」

「さっきまで、塁の言葉を思い出して嬉しかったのに、興ざめした。別に嬉しくない、嫌でもない?そう?って、感じ」


「そう?って、ちょっと待てよ。それってどうよ」

「どうって?何がどうなのか知らないけど、天ママは面倒くさいかも。何を期待しているの?」


「期待はしてないと、思うのだけど、なぜか寂しい」

「あっ?よくわかりません。何を聞きたかったの?」


「正直、夏梅を抱くときはやっぱり、どっか1本すっ飛んでいるような、気がする」

「だから、理性では治まらないって事?」


「そうだね。理性が飛んじゃうかもね。蒲と言う相手が一緒に暮らしていて、蒲が一番、嫌がる行為だと知っていて、やっているのだからね。理性でとめられるなら、止めているよ」


「ふーん、人の事は理解したくても出来ないから。蒲に殺されない程度に、許容範囲ならいいでしょ」





【で、さっきのオルガスムスだけど…】


「まだ聞きたいの?」夏梅はあきれた。


「おお、あのさ、俺とSEXした時オルガスムスに達するの?」

「しない」


「まったく?」天十郎は、ひどくがっかりした。

「しない」


「つまり、今は、塁がいないから、まったくオルガスムスに達する事がないのか?」

「だから、その時による」


「?」


 僕は…。気がついた。


 ひょっとしたら、夏梅は最初から、本人も気がつかずに、天十郎を受け入れていた。僕が天十郎を利用する前からそうだった。対抗しながらも、自分を犠牲にして助け、頼り、身を任せるようになったのではないだろうか?


 それとも…。僕と天十郎を重ね合わせ、自分を誤魔化しているのか?


 それとも完全な勘違いなのか?





【この二人…】


 天十郎が、夏梅のたったひとりの男だと、気がついていないのか?天十郎は、夏梅の話しの意味を解せずに質問を続けている。


「愛情を分け合うSEXとストレス発散のSEXの違い?」

「どうかな?それとも違うな」夏梅は、意味深な笑いをした。


「違うのか…?」

「今までの話は、相手のある話でしょ」


「SEXは相手があるだろ?」

「いや、違うよ」


「なにが?」

「オルガスムスって、単純に自分の気持ちだから、相手は関係ないかな?」


「関係ないの?」

「逆に聞きたいよ。あんのか?」


 天十郎も、僕も、夏梅の新たな一面に驚いていた。


 とくに僕は、いつも弱々しく泣き虫だった夏梅が、主導権を握り、はっきり自分の意見を相手に突き付けている。


 何かが変わる…。いや変わったのだ。気がつかない間に…。すでに変わっている。今、僕は…。表現が出来ない脱力感の中にいる。


「怒らずに、教えてよ」天十郎はどぎまぎしながら、夏梅に聞いている。


「なら、教えてやる。私が塁をめちゃめちゃ好きだから、食べたいくらい好きだから、一つになった時点でオルガスムスを感じる」





【うふっと素直に嬉しそうに笑う】


「挿入しただけで?」

「うん、無条件」


「そうなんだ」


「でも、めちゃめちゃ好きでも。その時に、他に興味があったり、少しでも塁に対して怒っていたりすると、感じるのが遅くなったり、感じなかったりするよ。だから完全に自分の心の問題だと思う。いつもめちゃくちゃ好きだと、私も塁も疲れるから、オルガスムスを感じたり感じなかったりして、それでいいと思っていたけどな~」


「SEXすると、今その人がどれくらい好きか、わかるって事か?」

「まあ、そうだ」


「だから、俺とSEXした結果、めちゃめちゃ好きじゃないからオルガスムスなんか、論外?」


「うん、感じるベースがない。でも、さっきも言ったように、SEXってオルガスムスだけの問題じゃないから…」


 すらっと話す夏梅はカッコいいが…。この会話に意味があるのだろうか?


 天十郎は呆れ返ったような顔をした。


「好きでもなく、嫌な存在でもない俺って、まったく無害だからSEXが出来るって事か?」


「ああ、そうだね。そうかも知れない。SEXがお仕事なら、考え方がまた違って来るのかもしれないけど、私は仕事にするつもりはない」


「複雑だぞ」天十郎がぼそっと言った。


 夏梅は、複雑と言う言葉に天十郎を見た。僕が良く使う言葉だ。夏梅は嬉しそうにクネクネし始めた。


「どうした?お前って時々変になるよな…」


 夏梅は鼻歌を口ずさんでいたが、突然に思いついたように

「私にとって、無害ゆえに蒲との衝突が起きない。だから蒲にも殺されない。喜ぶべき事なのでは?」


「はあ、そうか、夏梅のその度胸がすごい。ねえ、それからもう一つ聞きたいことがあるのだけど」





【吉江さんって覚えている?】


「うん、覚えている」


「彼女さ、どうやら、蒲が仕掛けたらしいけど、知っている?」

「また、蒲がやったの?ふーん、それ以前に吉江さんは嫌いだ」


「蒲の仕掛けって知っていたんだ…。そうか…。でも、どうして嫌い?夏梅の代わりに、餌食になってくれたのだぞ」


「塁の好みのタイプだから」

「はあ?」天十郎と僕は同時に驚いた。


「そんなわけはない、違います」僕は、何度も夏梅の耳元で言い聞かせた。


「塁はモデルさんやバレリーナのように筋肉質で胸の無い人が好きなのだもん」

「いや、そうだったとしても塁は、いないでしょ」天十郎が言うと


「居る」僕と夏梅は同時に答えた。しかし、夏梅はどうしてそんな事を思っていたのか…。だから吉江に対してあんなに、異常な反応をしていたのか?


 僕は考え込んだ。思い当たるのは、中学生になって夏梅の胸が大きくなりはじめた時に「あまり大きくなるな、大きいと手に余るから」と言ったくらいだが、それは胸が大きいのが嫌いと言う意味ではなく、群がる男たちを排除するのが大変だという意味だったのだが…。


 どうしたら、そんな拡大解釈になる。難しい…。それを勘違いして、夏梅はいつもイジイジしていたのか?…。力が抜けて行くようだ…。


「塁はかくれんぼしていけど、塁は居る」と天十郎の目をみつめて、きっぱりと夏梅は言い切った。


「かくれんぼ?子供じゃあるまいし、塁はどこに隠れて居るの?」天十郎が強く問質した。


「隠れているから、どこに居るかなんて、わかる訳ないでしょ」夏梅はムキになって抵抗している。


 僕はここに居るけどね。


「隠れていると言う事は、いないと言う事だろ?いない奴の事なんていいじゃない」

「でもね。いないけどいるのだ」夏梅が言った。





【しばらく前から帰っていた蒲】


 リビングに入るなり二人の会話が聞こえ、二人から死角になる場所で聞き耳を立てていた。よほど、後ろめたい事があるらしい。


 夏梅の言葉に、二人に走り寄り、話に割りこみ「夏梅、わかるの?」と蒲が聞いた。天十郎が驚いたように「お帰り」蒲に言ったがその声をまったく無視し、夏梅の目の前に、顔をよせ、もう一度「わかるのか?」脅かすようにすごんだ。


「おい、わかるはずないだろ。蒲、夏梅を脅すな」僕が夏梅と蒲の間を遮ろうとすると、夏梅は、小さく言った。


「居た時も、かくれた今も、同じように私を見ている視線がある」

「視線?」蒲は僕の方を見た。


 僕は可愛く微笑んだ。


「ほら、私の後ろの席にいたでしょ。後ろから視線を感じていたのだけど、それを今もずーと感じる」


「怖いな」と天十郎がつぶやいた。


「僕は、いつも夏梅を見ているから当然だろ。天十郎、お前に怖がられても問題ないよ」僕は夏梅に寄り掛かった。





【夏梅の顔を覗き込むと】


 ものすごく緊張した顔で、蒲をにらみつけている。すると、蒲が

「夏梅、なにを、睨んでいる。余計なことをしゃべるな」苛立ちながら、夏梅を強く叩いた。夏梅が飛んだ。


「おい!」天十郎が、蒲を叱咤し胸ぐらをつかんだ。初めて、天十郎が夏梅の味方について蒲と対峙し小競り合いになった。その天十郎の行動で、蒲の目は異様に狂った光を放っている。蒲と天十郎が声をあげ、もめている中で夏梅が叫んだ。


「私は知っている。あの日、蒲が塁にしたこと」夏梅の大きな声に、もめていた天十郎と蒲の動きが止まった。


「私、知っているの、あの日だけじゃない。蒲も好きだったくせに?

 私が知らないとでも思っていた?塁は知っていたよ。蒲の気持ちも」


 蒲が僕の方を上目使いで見た。蒲は叫んだ。


「お前になにがわかる。お前は自分が、欲しいものもわからないくせに」

「私が知らないとでも思ったの?」


 動きの止まった二人に向かって、低い声で話し始めた。天十郎も、蒲も氷ついたように夏梅を見ている。そんな二人に構わずに夏梅は話続ける。


「結婚式に持って行くために、お母さんのドレッサーの椅子に乗って、長押にかかっていた両親の写真を、取ろうとしていた私に、『お前なんかいらない、男を吸い取る女なんかいらない』と言って蒲が椅子を蹴った。私は前のめりに頭から窓ガラスに突っ込んだと思った。声が聞こえた。憶えているよ。塁が、『やめろ!一緒に落ちるつもりか!』って塁が、『夏梅のせいじゃない』って何度も言っていた。そして光が落ちる闇に、塁のからだが光の中に浮いたのを見たよ。光が溢れていたはずなのに、塁のからだが消えたとたんに、光の届かない暗い穴倉の奥の方で、重たい本が落ちるような、冷たく、無機質な平たい絶望的な音が響いた。気がついたら廊下で、私は倒れていて、蒲は塁とずっと言い争っていた」





【僕も思い出していた】


 二人に遅れて二階に上がった時、蒲が僕の顔を見ながら、夏梅の足元の化粧台の椅子を蹴った。僕が慌てて駆け寄り、夏梅の手を引っ張るのが精いっぱいだった。勢いよく手を引っ張ったせいで、僕がバランスを崩し、蒲を巻き込みながら窓ガラスを突き破った。


 僕は蒲の首にひっかかるような形で窓の外に、ぶらさがってしまった。僕の覚えている限り、見上げている自分の腕が、ガラスの破片でぱっくり開き、白い骨が見えていた。一瞬の間があって、血が流れた。蒲の顔が僕の血で見えなくなっていく。


 夏梅が窓ガラスに、同じように足を突っ込んで、怪我をした時も、白い骨が見え、とてもきれいな傷口だった。あの時と同じだ。


 だが、静脈を切ったせいか、僕の腕から面白いように血が流れていた。べたべたとした感触が流れ落ち、気持ち悪かった。なんで腕の内側が切れた?夏梅をかばったから自分がかばえなかったか…な。と思った。


 僕は蒲の首から片手を離した、いや、すでに切れた方の腕には力は入らなかった。


「こいつの事ばかり、いらない。こんな奴いらない」叫んで、蒲が僕にのしかかって来た。


 僕が「やめろ!一緒に落ちるつもりか!放せ。夏梅のせいじゃないだろ」と言うと、「だいたいお前が選ばないから、俺が選ばせてやる。何度でもやってやる。お前は、なぜ俺を選ばない。選ばないお前が悪い。こんな奴と入籍した塁が悪い」蒲が叫んだ。


「こんなことして、その代償をお前は払えるのか?」

「ふざけただけだろ」


「冗談じゃない、どれだけの事をしているかわからないのか?」

「代償を払えばいいのか?いくらでも払ってやるさ、ただのおふざけだ。欲しいのか代償が?代償を払ってやるさ」


「そうか、じゃあそうしてもらおう。蒲よ、お前の物にはならないが、お前が僕の物になれ」そう、僕が蒲に怒鳴った。


 そういったとたんに、僕は落ちなかったが、からだだけが落ちて行ったのだ。


 そうさ、僕らは取引をした。問題だったのは、誰が誰を好きかという事ではなく、こいつが悪ふざけを許されると思っている事だ。


 夏梅は、見ていたのか?いや見る事が出来るはずはない。階段近くまで飛ばされて死角だったはずだ。


 それから、救急隊に担架に乗せられて、玄関から出ているので僕のからだが、落ちているところは見ていないはずだ。


「おい、夏梅、起きているのか?寝ぼけているのか?なんか辻褄があってないぞ」





【天十郎が駆け寄って来て】


 夏梅を抱き寄せゆすった。


 夏梅は天十郎を見ながらも、瞳は遠く思い出すように


「そうなの、あの時、蒲が窓から突き落として、殺そうとしたのは私のはずだった。だけど塁が、追いかけて来て、突き落とされたのは塁だった。蒲は『ふざけただけだろ』って叫んでいた。塁は、蒲の首にしがみついて、落ちないようにしていたのに、塁のからだが落ちて行った。どうしてだろう?」


 理解が出来ない不思議な事が起きたという口ぶりで、夏梅は天十郎に訊ねた。

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