第21話 おあいこ
「あっ、いや別に、気にするな」立花編集長は焦って否定した。
「いいのです。このままだと、夏梅一人が、蒲とのスキャンダルを被る事になります。僕らのバランスが崩れても、やらないといけない事があると、今は思っています。このまま蒲に任せず、僕が対応しようと思います」
「そうでしたか」
「前夫の塁は、警察でも三月に事故死となっているので、そのショックで夏梅は二か月間入院し、退院後に取材で出会った俺が、猛烈にアタックして、一年後に再婚という時系列の事実と相違ない範囲で収めようかと思っていますがどうでしょうか?」
「蒲とのスキャンダルは?」
「あくまで、蒲は夏梅の幼馴染でマネージャーとして、夏梅と僕を助けていると言う事で突っぱねます。急に対応を変えると世間の話題をさらいますから」
「それが良いですね。丁度、美術館でのツーショットの写真も露出していますし、結婚前のスキャンダルも、吉江さんの事件も辻褄があいますから、そうしようか。その線で記者会見より先に、記事を出した方がいいだろ」
「立花編集長、うまいこと、お願いします」
「それにしても、あの美術館のツーショットの写真は、凄かったな」
「マタタビ女全開で、夏梅が『モネ』と言った時の写真ですよね」
「夏梅の顔は天十郎君に隠れているが、天十郎君に抱きかかえられ、見つめ合ってブカブカのセーターで豊かな胸の線が綺麗に出ていてさ…」
「ああ、あれは、偶然に会った元カノの美来から逃げるための小芝居に、俺と蒲のSEXビデオを撮らせる条件で夏梅が乗ってくれました」
【立花編集長は大笑いした】
おい、天十郎、違うだろ。家族と子供を作ってやるという条件だったぞ。まさか、お前が、自分で作るとは思わなかったが…。
「いやー、凄まじいな。それで本当に夏梅はSEXビデオを撮ったのか?」
「いえ、夏梅は大型犬には興味ないそうです」
「君達の関係やエピソードにはいつも驚かされるが、その秘話を公開したいよ」
「いやいや、イメージが大切ですから」
「それは、もちろん。今や人気女流作家と人気俳優、あれから20年、子供達と愛の溢れる生活の独占記事にしようか?」
「いや、巷では、仮面夫婦とも囁かれているし、今回は夏梅がターゲットになっているから、下手な記事は、煽る事になるからまずいです」
「君も、寡黙な家族を守るヒーローイメージだが、実際にはかなり違うからな、夏梅さんも華やかなイメージだけど、二人共まったく逆だし。子供達が一緒だとばれるな」
「僕達、二人共、仲が悪そうで、悪くないですし」
「そうだよね。最初は、幼稚園児の喧嘩をしていたけれど」
「今もしています。子供の取り合いで」天十郎が笑った。
「とにかく了解したよ。黒川氏と相談して、うまい展開を考えよう」
【僕らにとっては】
立花編集長はとてもいい相談相手だったが、天十郎と立花編集長は、信頼で結ばれているわけではない。お互いの利益で結ばれている関係だ。さすがに天十郎も本当の事は話さない。
彼らが夏梅の事をただひたすら寡黙にしているのは、表ざたにしても面倒なだけで、なんの利益もないからだ。しかし、夏梅は、天十郎と一緒にいる限り、彼らの利益の対象となるのは仕方のない事だ。
ただ心配なのは、天十郎の妻と言う付加価値で、人気女流作家になったものの殆ど作られた幻想に近い。夏梅にそれほどの実力が、あるとは思えない。天十郎が気軽に話した事も、いずれ夏梅に跳ね返る。
一度、この関係に、ひびが入れば、夏梅はマタタビ女として曝し者になる可能性がある。自分自身を売る仕事は、周囲が無事でも本人は逃げ場がなくなる。逃げ場である夏梅の自宅を確保しているとはいえ、リスクは大きい。
蒲との戦に明け暮れていないで、それまでに、夏梅自身に力をつけなければならないだろう。今日の味方は明日の敵だ。ビジネスの世界はそういうものだ。いつでも、晒し者になって切り捨てられてもいいように、準備をさせないといけない。
【帰り際に、天十郎は一人ごとのように】
「これでいい。あの状態でこれしか方法がなかったじゃないか」
自分に言い聞かせるように、何度も何度も…。どうやらかなり揺さぶられているようだ。天十郎のベクトルが出来るだけ、夏梅に向いていてもらえると嬉しいが、僕も慎重に行動しなければならない。
黒川氏夫婦と立花編集長のところで話を聞いた後、天十郎は一人になりたがった。
【数日後、一人で天十郎が帰って来た】
夏梅は「お帰り~」といつもと変わらずに挨拶して「蒲は?」と聞いた。天十郎が「営業。少し蒲にも、仕事をさせないとね」とやさしく答えると、笑いシワができるほど、くちゃくちゃの笑顔をみせた。
子供が生まれてから、夏梅、本来の笑顔を天十郎にも見せるようになってきた。いつものように、子供達は誰が好きかという言い争いで、二人でひとしきり騒いだ後に、日咲と玉実が不在である事を確認した、天十郎が夏梅に話しかけた。
「塁ってどんな奴だったの?」
突然の質問に、夏梅は不安そうな顔をしたが「私と塁だけの話を、誰とも共有したくないけど」そういいながらも、重たい口を開いた。
「塁はね、いつも後ろの席にいた。私は旧姓
フッと悲しげに笑ったが、僕の話をしている夏梅はとても嬉しそうで、二人だけで暮らしたわずかな日々のようだった。
「私が後ろばかり見るから、先生はいつも怒ってばかり、塁を前の席に移したら夏梅は、前を向くのかって言われていた。消しゴムも借りた。鉛筆も借りた。教科書も…」
「教科書を借りたら困るだろ?」
「でも、塁は何でも貸してくれた。天ママみたいにおしゃべりじゃなくて、私に、自分の気持ちを「悲しいぞ」「嬉しいぞ」「複雑だぞ」って教えてくれる。時々、飛行機の話や機関車の話をしてくれた。どこで、どんな飛行機が飛んでいるのか。どんな機関車が走っているかって、少しもわからなかったけど、夢中で話してくれるの。それを聞いているのが嬉しかった。楽しかった。本当に塁がいれば楽しかった。黙っていても、そっぽを向いても楽しかった。居なくなったとたんに、なにも楽しくないの。笑うのだけど、笑い声が、体の中であちこちにぶつかりながら落ちて行くのがわかる。どっか別次元に吸い込まれていくようで、あの時のように心が弾まない。パパやママが死んで独りぼっちになっても、塁の顔を見れば楽しかったし、怖い事は、なにも感じなかった。でも、塁がかくれんぼした瞬間に、呼んでも返事がなくて、それが暗くて怖くて、悲しくて全部ぐちゃぐちゃになった。塁も今の私を見て「悲しいぞ」って言っているかな?そうだといいな。私と一緒の気持ちだといいな。そう思うの」
「悲しいぞ」僕は夏梅の顔を頷き込みながら頭をなでた。
【夏梅は気が付いたように】
真正面から天十郎を見て「今日はどうしたの?」と真顔で聞いた。
「おかしいか?おかしいよな、いや、この間、家に帰っただろ?」
「うん?」
「だからさ、寂しいのかと思って、夏梅は寂しいのか?」
夏梅が驚いて天十郎の顔を見た。夏梅同様に僕も驚いた。今までに夏梅の事を気遣う事は一切なかった。今日の天十郎のベクトルは表立って完全に夏梅へと指している。
「どういうこと?」
「塁が一番だろ?」
「うん」
「塁に会いに家に帰っているのだろ?」
「うん」
「黒川氏夫婦になぜ夏梅が帰りたがるのか聞いた。あのソファーベッドの事も…」と天十郎は夏梅の顔を覗き込んだ。
「そう」何か感情が揺らぐと思ったが変化はない。
僕はそんな夏梅が心配になった。自分の意志のないところで男たちに追い回されている時の顔に似ている。夏梅は脅かされていると感じていると思った。とっさに夏梅を抱きかかえた。
「聞いて悪かったかな」
「いや、いいよ」夏梅は天十郎が何を聞きたいのか、問いたださない。
【夏梅は何を思っているのだろう】
少し時間をおいて天十郎がボソッと聞いた
「夏梅さ、SEXって嫌いだろ?」
「SEX?好きな人とのSEXは好きだけど、望まないSEXは嫌い」
「ふーん、当たり前っぽいな。女性って好き嫌いの問題なのか?SEXを演技している女性が多いっていうでしょ」
「演技って、オルガスムスの事?」
「そうだな」
「聞きたい意味がよくわからないけど、そもそも、その質問にどんな意味があるの?わからないな。人によるでしょ?知ってどうするの?性別に関係なくSEXは、相手が嫌だと思えば成立しないし、求めるものが違えば、答え合わせをしても、正解しないよ。私は私の事しか、わからない」
「じゃ、夏梅の事を聞いていい?」
「げっ?」
【夏梅はどうなの?】
「SEXするたびにオルガスムスに達するの?」
なんだよ?僕は天十郎の顔をマジマジとみた。こいつ本当になにがしたい。自分と夏梅の関係を探ろうとしているのか?
「うん、そうだな」
夏梅は、一般論から夏梅自身に絞られて、素直に考えている。おい、話すのか?僕は驚き、夏梅はそこまで心を開いているのか?こいつに?聞きたいような…。聞きたくないような…。複雑だ。
「オルガスムスも毎回だと疲れるからな…。その時のSEXの主旨によって違う。自分で調節するようなところがあるな…」
「調節が出来るの?」天十郎が驚いた顔をした。
「出来ない」
夏梅が笑いジワが出来るほど、顔をくちゃくちゃにしてケタケタと笑った。さらに天十郎は、突っ込み始めた。
「夏梅さ、俺のSEXと塁のSEXの違いはなに?」
「なに?何か演技の勉強?」
「いや、そうじゃなくて、知りたいかな?」
「知りたいか…、知ってどうするのかな…」少し考えて「塁との一番の違いはね」
【おい、夏梅、答えるのか?】
この二人はいったい、なんの話をしている?焦り気味の僕だが夏梅は淡々としている。
「愛しているって感情を分け合う他に、ストレス解消みたいなところがあるでしょ。だから仕事とか、育児とか、何かほかに夢中になって、満たされている時はSEXしなくてもいい。SEXしたいと考える事もない。だけどSEXが必要だと思うときに、呼びたい人とそうじゃない人の違いかな」
「つまり、SEXしたい時に、塁の事は呼ぶけど、僕は呼ばない。と言う事か?」
「基本はそうかな、呼びたい人は、傍にいるだけでも安心するし、SEXしなくても胸に顔を埋めているだけで、ストレスが解消する」
「つまり塁以外では、ストレスは解消されないという事か?」
「そうかもね」
「じゃあ、SEXしたい時はどんな時?」
「呼ばれた時」
「呼ばれた時って?」
「ストレスが解消できる相手に、呼ばれた時に、とってもSEXしたい」
「ふーん『SEXしたいよ』と、呼ばれた時?」
「ちょっと違う。いやそうかな?あー。面倒だ。その白黒付けたがる天ママの性格」
「なんだよ」
「そうかも、SEXという言葉や行為ではなく、名前を呼ばれても、その時の相手の気持ちは伝わって来る」
考えながら天十郎はひとつひとつ夏梅の気持ちを確認しているようだが、そもそも論が違うような気がする。
【僕は混乱した】
「じゃあ、その夏梅が感じるストレスってなに?」
「怒っているよ、つらいよ、悲しいよ、悔しいよ、嬉しいよ、楽しいよ」
「嬉しい、楽しいも入るの?」
「入る」
「それじゃ、自分の感情を、相手に丸投げしているようなものじゃない」
「そうかも、だけど相手の感情も、丸投げしてもらっているから『おあいこ』」
夏梅はこんな事を考えていたのか『おあいこ』ね。僕は思わず噴き出した。確かにそうだ。それぞれ、自分では吐きだした感情を自身で受け入れられないから、それを相手にぶつけて、SEXしているところはあるな。
だから、体があるときは、どんな外部的要因のストレスがあっても、SEXで耐え抜いているようなところはあった。天十郎は『おあいこ』という感覚が、つかめないように不思議そうだ。
「それが『おあいこ』でなくて、一方的に感情を押しつけられたら、吸収することも、納めることも出来ずに、押しつけられた方は逃げたいよね」
「うーん」
【俺はSEXで、感情を押しつけている方か?】
「いや、天十郎のSEXは感情のない、SEXだから平気」
「はあ?」
「感情のあるSEXは、蒲としているでしょ?」
「まあ、そうか?相手を蒲に例えると、意味あいもわかるような気がする。相手の欲望だけに、付き合わされると、ご奉仕しているような気分で、SEXしたくなくなるな」
「天十郎は、雄の本能だけだから」
「本能だけだったら、いいの?」
「うん、でも男性で、そういう人は少ないじゃないの?おおよそSEXには、支配力や優越感などが加味されるよね。今のところ、天十郎から感じない」
天十郎は納得できないような顔をしている。
「だからさ、みんなの憧れバル乳の私とSEXする事で、他の男を蹴散らした気分になる?」
「別に…?なるか?ならないかも」
「でしょ。つまり天ママは私を支配したくて。他の男に勝つ事や、優越感に浸りたくて、無駄にバル乳の私と、SEXしている訳じゃない」
「まあ、そうか?塁はストレートだろ?支配力や優越感は感じる?」
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