第20話 吉江の顛末
天十郎は考え込んでから、日美子さんの質問に「ええ」と生返事をしている。
「着物のモデルで夏梅が火傷とひどい汗疹と湿疹が出て、騒ぎになったのを覚えているよね。蒲は、夏梅に何が起こっているか知っているのに、貴方に、帯を回して取ってはいけないと止めなかったでしょ。知らない貴方は、帯を強引に回して、それで夏梅の皮膚が破れて血だらけになった。夏梅は丈夫な子だから、多少の傷くらいは、後も残らずきれいに治るからね。病院に行くほどでもなかったけれど、広い範囲で怪我をして、何日も痛みが続いたはずよ。その時、蒲は何と言っていた?」
「なにも…。笑っていたかも…。」
「多分、貴方にはそんなことしないでしょ」
「ええ、しませんね。いや、そうではなくて、日美子さん、おかしいですよ。あれは、日美子さんの美容室で起きた事ですよ。どうして、蒲が夏梅に起こっている事を知っているのですか?知っている訳はないでしょ」日美子は、さらにため息をついて
「天ママ、前日に吉江さんに、使い捨てカイロを渡したのは、蒲なの」
「えっ」
「それと、マタタビ女で騒いでいた時が、あったわよね」
「初めて、お会いした時ですか?」
「そうね、貴方が私たちに強引に押されて、困っていたのを夏梅が助けるために自爆したのは、わかっているわよね」
「あっ」
「そうよ、夏梅を小さい頃から知っているけど、あの子が人を助けるために自ら、自分を差し出したのは初めてだった。従順な塁にもしなかった。今ならわかると思うけど、あの子は楽な人生を送っていないでしょ。すべてが本人の意志とは別の所にある。貴方のように自分で選んだ道じゃなくて周囲に翻弄され、抑え込まれ、自分の気持ちをうまく表現できない不器用な子が、貴方に自分を差し出したのよ。
結果、その気持ちを利用して、蒲はわざと事を大きくしたでしょ。サイズの合わない服をわざわざ着せて、あんな胸がはち切れそうな格好で、町中を夏梅一人で歩かせるなんて、どれくらい危険な事かわかるでしょ。私たちもそれがすぐにわかったから、休みの日を設定して、誰にも会わないようにして阻止しようとしたのよ」
蒲は、夏梅をターゲットにすれば、必ず僕が反応する。その事を面白がっていた。僕はそれを知っていたが、蒲を無視し続けていれば、そのうちに諦めるだろうと思っていた。
「でも蒲にとって、夏梅は、子供で、妹で、姉で、妻で、母のようにすべてになりうる存在だと、言っていましたが…」
天十郎は自分が言った端から、自信がなさそうに考え込んだ。
日美子さんは笑いながら
「そんな言葉は、あの子のキャラじゃない。今まで起こった出来事を、まったく気が付いていなかった?そうじゃないでしょ。だから蒲が天ママにそんな事を言ったのよ。そして、あなたはその言葉で自分の持つ疑惑を晴らしたかった。違う?」
天十郎は黙り込んだ。
「だから、なにかしてくれって、いう事じゃなく、私たちも同じ気持ち。そうであって、欲しくないと話しているの。貴方が疑問に思っているから、私たちが知っている事はすべて話そうと、思っているだけなの」
【でね。もうひとつ、スタッフの吉江さんが】
「暴行にあった時の話を、蒲から聞いている?」
「翌日、警察に事情聴取されたけれど、あの時はよく覚えていなくて…」
「いつも男ばかりの吉江さんの飲み会に、夏梅を連れて行き、鍵をかければ夏梅に、吉江さんの気持ちを、わからせることが出来るって言ったのは蒲なのよ」
「そんな…。アルコールが入った男ばかりの所に夏梅を連れて行ったら!」
「そうよね」
「吉江さんは、あの事件で妊娠したの。蒲に、言われた事を録音していたわけでもないし、蒲に勧められてお尻が半分でたスカートを履いていた事は、誰も証明できない。さらに、夏梅がいたことで起きたという立証が出来ないでしょ。結局、男ばかりの飲み会に、お尻丸出しの格好でいたのは、吉江さん自身の意志だと言う事で、淫乱女のレッテルを貼られて、子供はおろしたの。
世間で話題にもなったので、うちにもいられなくて、今はどうしているかわからないけど、死ぬまで立ち直る事は、ないでしょうね」
【天十郎は何も言い返さず、沈黙した】
「あの子の件は私たちも責任があると思っている。吉江さんがうちの美容室で働き出したのは離婚したてでね。どういう事情がわからないけれど、一度もご主人とSEXがなかったそうで、別れたご主人は他に沢山の女性がいたみたい。で、スレンダーな彼女は、自分には女性的な魅力がないと思い込んでいた。反面、男性の本能だけを求められる人を、男の人がチヤホヤしてくれる得な人生だと勘違いしていたの。
私はね。二人共両極端な位置にいて、カードの裏表みたいだったから、ひょっとしたら、互いを知れば相乗効果があると思ったの。本当に私って傲慢よね。
夏梅は、自分の環境を避けるように、自分の殻に逃げ込んでいたけど、吉江さんはSEXに過大な期待をしてSEX=愛される事と勘違いしていた。だから、勘違いの大きさがそのまま妬みの大きさになってしまった。蒲はその吉江さんの欲を見逃さなかったのよね。夏梅と吉江さんを会わせなければ良かったと今は思っているの」
天十郎は不快感を露わにして聞いている。僕はその話を聞いて複雑だった。当然、予想通りの結果だったからだ。面白くもない結果だ。蒲が一方的に悪者になっているが、確かに蒲は、吉江という女を利用して夏梅と僕を潰そうとした。
しかし吉江にも非がある。人の女を便所呼ばわりしただけでは、気が済まずに陥れようとしたから、その代償を払ったのだ。そういう結果になるとは思わなかったと、いう吉江にも言い分はあろう。
【恐ろしい事とは、形が見えないものである】
それも、自身で手を伸ばさなければ、その見えない恐ろしい事と出会う事もない。蒲と同じように彼女もまた、自分で引いた引き金で、負傷したのである。
一番可哀そうなのは、何も知らずに、雄の本能を揺すぶられた、自制が効かないアルコール漬けの男達である。多分、状況がつかめないまま、悶々とこれからの一生を過ごすのであろう。愉快ではない。いたたまれない。それぞれの業の深さに嫌気がさす。
天十郎は、一連の話に納得ができないような顔つきだ。黒川氏はそれを察したように
「天十郎君、もう一人。詳しい人がいる」
「誰ですか」
「立花編集長だよ」
「立花編集長?」
「ああ、彼は釣りで知り合ったけど、塁がとっても慕っていた。結婚するときも色々と相談していたみたいだから、彼からも聞いてみるといい。僕らと違う見解を持っているかもしれないから。それに、ほら、昔のタイアップ記事の事、僕らが聞いた話と少し違うから、その辺も聞いてみるといいよ」
【翌日、天十郎は仕事の合間に立花編集長に会いにいった】
僕も付いて行った。立花編集長は天十郎を見るなり
「昨日、蒲がつきそって、夏梅の実家に帰るところを写真に撮られたよ。少し蒲との距離をあけた方が良いかも知れない」新たな報告をした。
「昨日は、塁の事で口喧嘩になって、収拾がつかずに、蒲が付いて行く事になりました」
「塁の事を聞いたのか?」
「ええ」
「今日は、その事か?」天十郎はゆっくり首を縦にふった。立花編集長は、諦めたように「そうか」と頷いた。
「黒川氏夫妻から、立花編集長も塁とコンタクトがあったと聞いたので…」
「そうだよ。先に黒川氏から聞いたのか。ダブルかも知れないけれど、何が知りたいのかな?塁の事かな?蒲の事かな?なんでも聞いてくれ」
「ホテルのタイアップ記事は、立花編集長からの提案だったのですよね」
「あれか?あれは蒲からだよ」
「蒲が…。どういう経緯で」
「夏梅が、僕らの仕事の手伝いをしているのは、知っているだろ?」
「ええ、時々、ぼろ雑巾のようになって、徹夜しています」
「ふふ、そうか。がんばっているな。夏梅の仕事は、クライアントの要望を我々が聞いて、編集社スタッフの代わりに電話やメールで取材して、原稿を作成する仕事だから、いわゆる下請けだな。まあ大変な仕事だよね。もともと、この仕事を依頼してきたのは、塁なのだ。外に出られない夏梅が、自宅で出来る仕事はないか?と、夏梅の両親が亡くなってから、塁から相談があった」
「ああ、そうか、夏梅は外で就職できないから、生活面で困るからな。よく考えている奴だな」
「いや、そういう事ではなくて、塁は夏梅と結婚して生活費は自分で稼ぐから、お金の心配はさせないつもりだけど、今までは、夏梅と学校でも家でも一緒だった。自分がいない時間でも、両親がいた。四月から就職も決まった。自分が仕事に出れば、夏梅が一人で過ごさなくてはいけなくなってしまう。孤独にならないように、なんとかしてあげたいと…。言う事だった」
「塁が心配していたのは、孤立しない事だったのですか?」
「私も事情はよく知っていたから、多くの給与はだせないけれど、クライアントや取材対象者と直接会わずに行える、校正や僕の外部助手みたいな仕事を考えた」
「そういう事ですか」
「最初は、細かな調整が必要な時は塁が私の所に来て、やっていたが、塁がいなくなってから、蒲が代わりにやっていたのだ」
「蒲はどうして、夏梅の生活をみているのですか?」
「それは、わからないが、私には蒲が塁のやっていた事を、そのまま引き継いだように思えた」
「では、あの時、立花編集長は、なぜ俺に親切にしてくれたのですか?」
「あの七月のタイアップ記事は、ホテル側からイメージに合う数名の俳優リストが上がっていて、ホテルでの取材記事が条件だった。通常は夏梅の仕事ではないのだけど、蒲から天十郎が夏梅を指名してきた。この際、夏梅をぶつけてみたらどうだろうか?と話があった」
【蒲から?】
天十郎が驚いていると立花編集長は、意外な顔をした。
「おい、どういうことだ?」
「六月十日だったか、立花編集長の所で蒲に初めて会いました。その日に帰りがけに蒲から呼び止められて、立花編集長から、アルバイトだけど腕のいいライターが、一緒に仕事をする人を探しているから、会ってみれば?と提案されたと…」
「ああ、六月というと、ああ、うちの女性スタッフともめた時か?そういえば、蒲もいたな。私の提案だと聞いたのか?」
「ええ、あの頃、茂呂社長や元カノの美来の脅迫が、五カ月以上も続いていて…」
「確かに荒れていたな。しかし、なんで夏梅を指名したのだ?」
「いや、夏梅の事は知らなくて、蒲が女性に感心がなかったみたいなので、アルバイトが、男性だと思い込んでしまって…」
天十郎はどんどん歯切れが悪くなる。
「まあ、そうか、しかし、仕事なら事務所を通すだろ?内緒でするつもりだったのか?」
「いや、そういう事ではなくて、専属のライターがいれば、トラブルが減るかと思って、顔合わせのつもりだったけれど、実際には違っていたので…」
「まあ、考え方としてはあっているな。うちの社内でも問題になった日から、暫くして、蒲から紹介があった。蒲の紹介でも、君の取材記事は二の足を踏んだ。社内でも、テストケースでやってみようと言う事になって、夏梅の仕事なので当然、クライアントと事務所の間に私が入ったよ。そんな調整が必要だった事もあって、確定したのは六月半ばの事だよ」
【そんな経緯が、あったのですね…】
「塁がいなくなって、何か月も経っていなかったので、気が進まなかったが、蒲が夏梅に付いて行くというから許可したけど」
「いえ、夏梅が一人で来ましたよ」
「よく、トラブルにならなかったな。ああ、でもそうだよな。蒲がいいのだからトラブルは避けられるな」
「いや、危なかったです。正直、夏梅に初めて会った時は、どきまぎしましたね。自分でも信じられませんでしたし、蒲を裏切った気分でした」
「蒲に仕掛けられた?いやごめん、あいつは上手いから。つい疑ってしまうのよ。画策好きの蒲には、今の仕事があっている。ただ敵に回すと面倒だと思うよ。出来るだけ、蒲よりに天十郎君がついて入れさえすれば、問題はないと思うが…」
立花編集長は言葉を濁した。
「立花編集長も、蒲の事を疑うのですか?」
「いや、気分を害したら申し訳ない。気にしないでくれ。5か月以上続いた茂呂社長や元カノの美来から逃れられたのは、裏で蒲が動いていたからだ。君が行方不明になった時、一番先に、居場所を隠して欲しいと蒲に懇願された。最初は意味が解らなかったが、あいつの画策好きがうまい具合に作用して君の仕事が順調だ」
「蒲のおかげである事は、わかっているのですが…」天十郎は困った顔をした。
【蒲が今どんな仕掛けをしているか、わからない。と言う事か?】
「ええ」
「君も、私と同意見みたいだな。それで調べているのか?」
天十郎の様子を見ながら、立花編集長は話を続けた。
「うむ。君の知りたいことを教えると言っても、塁が夏梅を気にして、両親がなくなってから、夏梅と生活が出来るように必死に努力していたのは、知っているが、塁自体の事は、私から、話せることは、さしてないような気がするな。いつも夏梅が、絡む話しばかりだったからな」
「夏梅が絡む話とは、なんですか?」
「今の蒲は君のために、そこまでは、やらないと思うのだが、塁の事もあるし、夏梅に対しては十分に注意した方が良いと思うよ」
「どういう事か、はっきり教えてください」
「あまり偏見を持って欲しくないが、例えば、夏梅の足首に深い傷があるのを知っているか?」
「ええ、知っています。骨が見えたって本人は笑っていましたが」
「そうか、本当は笑い事じゃないのだけどな。中学生の頃、蒲がドレッサーの椅子に夏梅を乗せて、塁の落ちた窓に向けて、突き飛ばしたのだ。その時は、塁が落ちる夏梅を掴んだから、夏梅がガラス窓に足を突っ込むだけで済んだけど、本気で、突き落とすつもりだったと、私に中学生の蒲が言っていた。その目は中学生といえども怖かったよ。そういう意味では、蒲が何をするかわからないから、塁は、とても心配をしていた」
「なぜ、蒲はそんなことをするのです?」
「私にはわからないよ。男の趣味が、夏梅と一緒だから、蒲が夏梅を邪魔にすると塁が言っていたが…」
【恋敵同志ですか?】
「恋敵か、それはいいや」と立花編集長は楽しそうに笑った。
「立花編集長、笑い事じゃないです」
「いや、真偽のほどはどうか、わからないよ?塁の冗談かも知れない。蒲は当時から親に嫌われていたというか、時々、釣りで会う私から見ても、愛されていない事がわかるほど、ひねくれストレスを抱えていたんだな。夏梅は可愛いし、誰にでもチヤホヤされるだろ?そんなところなのかな?憶測の域は出ないから、わからないけれどな。誰からも愛される夏梅と、親から愛されずにいた蒲。親が不在の塁。この三人がうまく打ち解けること自体が、不思議だと、おもっていたよ。親密圏での暴力は多いと聞く。前にも特集を組んだ事がある」
「親密圏って、親兄弟、配偶者、友人などの身近に接する人的環境の事ですか?」
「ああ、親密圏はその人に与えられた試練。試練は軽い方がいいはずだよな。でも、試練だからそう簡単に軽くならない。互いに甘えられる環境が存在すること自体、難しいということなのかも知れない。君達は、それぞれが、特徴のある個性を持っている。だからこそ互いの距離感を大切にしていたら、そのまま平和でいる事が出来る気がするよ。まあ蒲の場合。君を守っているヒーローと、夏梅に対するダークヒーローの二面性を持ち合わせていると言う事かな」
僕は立花編集長の言葉に頷いた。
【天十郎は】
「しかし、放置はできません。吉岡から夏梅の再婚歴を聞かれて、質問された俺が答えなくてはいけないのに、蒲がノーコメントを貫いているので、かえって憶測を呼んでしまっている。対応方法を考えないといけないと思っています。このままでは、あまりにも展開が怪しくなる」
「そうだな。蒲が裏で動いていたら…」
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