第19話 ウェディングドレス
【黒川氏が困っているのがわかる】
「そうね」日美子さんも暗い声を出した。黒川氏は、ゆっくりと言葉を選ぶように、話し始めた。
「もともとは、奥さんが働いている美容室に、夏梅のお母さんが通っていた。夏梅達が小学校に、入学前だったかな?」と日美子さんに振った。
日美子さんは、えー私?というリアクションしてから、引き気味に
「今は、塁がいなくなって、ご両親は引越をしてしまったけれど、塁、夏梅、蒲と三件並んで隣同士だったの。夏梅の家の右隣の塁の家は、共稼ぎで学校から帰ると塁は、両親が夜遅くに帰るまで夏梅の家にいたのよ。
夏梅のお母さんが隣の家の塁を預かっていたの。蒲の家は大きくてお金持ちだったけれど、毎日のように蒲は夏梅の家で過ごしていた。三人は同学年でとても仲が良かったわ。美容室にもよくきたし、家に遊びに行っても二階の奥、今の衣裳部屋になっているところが、子供部屋で三人はいつも一緒に、笑っていた記憶がある」
懐かしそうに微笑んだ。黒川氏が、ため息をつきながらその話を引き継いだ。
「僕は、奥さんと結婚した時からだから、中学生になってから彼らに会っている」
「昔からの知り合いだったのですね」
「ああ、我々は子供がいないから、我が子みたいなものだな。夏梅のお父さんと釣り仲間だった立花編集長とは、そのころから一緒に出掛けていた」
「それで、僕が、蒲達と同居を始めた事に、立花編集長が驚いていたのは、そのせいですね」
「ああ、そうかも知れない」
「立花編集長も、事情を知っているからな」
「事情?ってなんです?」
「夏梅が大人びて来て、女っぽくなってきてからかな…。今のように周囲の男性に追いかけられるようになってきた。塁はいつも、そんな夏梅をかばっていたな。まるで小さなナイトみたいだった」
僕は、黒川氏夫婦が、昔話を始めたのには少し驚いた。
夫婦で口を閉ざすはずだったのに、天十郎の興味が蒲から夏梅に、シフトしているせいか?いや、たぶん自分が知らされていない再婚に、天十郎の憤りを読み取ったのかもしれない。
【僕は、避けられないかもしれないと思った】
いつか、天十郎も僕を見つけるだろうか?
「塁か…」天十郎は、少し上ずった声をだした。明らかに、感情を揺すぶられている。
「少し、つらい話だけどな、夏梅が大学を卒業する直前。三月の初めに、両親が事故で亡くなって、それはとても突然で。交通事故だから仕方がないが、夏梅が一人になった。
葬式が終わって、すぐだったか、塁が、僕らの元に尋ねて来て、夏梅と結婚するから、婚姻届けの証人になって欲しい、と言う。前々から、男に追い回される夏梅を一番かばって来たのが、塁だったし夏梅も塁の傍を離れないし、なにより夏梅が塁に対して従順だった。塁の言う事ならなんでもきいた。
二人の仲は、傍から見ていても、愛おしいほど互いを必要としているように見えた。塁は一人になった夏梅を法的にも保護をしようとしたのだな。きっと…。
すでに就職は内定していたが、昼間、夏梅が起きている時は、夏梅にぴったりくっついていたが、夜 夏梅が寝るとバイトをしていた。無理する事はない。と言ったのだが、昼間の仕事に出るようになったら、会える時間がなくなるし、夏梅は一人で外に出ることは出来ないから、うちで仕事ができるように、仕事内容なども考えなくちゃいけない。と言ってさ。
本人が望めば、勉強も仕事も出来るように準備をするのだとね。立花編集長にも、色々と頼み込んでいたみたいだ。さすがに、立花編集長に頼んだと聞いた時は、気が早いと笑っていたのだが…。あんなことになって、後から考えると抜群のタイミングだったような気がするよ」
そっぽを向いている天十郎の方を見た黒川氏の目は、潤んでいた。胸に詰まったように、言葉も震えている。日美子さんも、泣いている。
「もう、なにもかも夏梅が中心で考えていたわね」
僕は、あらためて他人から、自分がどう思われているのか知った。こそばゆい気がした。夏梅中心か…。どちらかと言うと、蒲との戦いが中心と言った方が、近いかもしれない。
【黒川氏は深くため息をつき、思い切ったように】
「あの日…。婚姻届けを出した日の夜、蒲から電話があった…。三月も終わりで、大学の卒業式が終わり、翌日には結婚式を控えていた」
日美子さんが黒川氏に
「そう、塁に頼まれたウェディングドレスの最終チェックをしている時だったわ…」
「そうだったな、シンプルな真っ白なウェディングドレスだったな」
「塁は、双方の両親だけで結婚式を挙げるから、何も用意しないけれど、せめてウェディングドレスくらいはって言うから、私が用意したの」
黒川氏の様子に、うんざり感を隠し切れない天十郎は「両親って…」不審そうに聞いたが、黒川氏夫婦は、そんな天十郎の様子を気にすることもなく、続けた。
「お葬式で使った夏梅のご両親の遺影写真と、塁のご両親だけでね」
「ああ」余計な質問をしてしまったと思ったのか、天十郎は言葉を濁した。
急に思い出したように日美子さんが
「ほら、茂呂社長の記念式典の時に来ていたドレスあったでしょ。あれは翌日の結婚式で着る予定のドレスだったの。良いタイミングでパーティがあったので、せめて一度くらいは着せてあげたくて、丈を短くして刺繍入りのピンクとグレーのオーガンジーを足して。すごく可愛かったでしょ」
僕は頷いた。何を着ても、夏梅は可愛いが、初めてのドレスがまばゆかった。ウェディングドレスを着せてあげられなかったのも、僕の心残りだったので、日美子さんの心使いにはとても感謝した。
天十郎も頷いている。思い出したか…。
「話がそれてしまったが、夜、二人で、夏梅の家に行くと、今、夏梅のソファーベッドがあるところに、一面、血の海があって、その中に塁が倒れていた。急いで救急車を呼んだけど、すでに息はなくて…。三月の初めにご両親に続いて終わりには、塁がいなくなった」黒川氏は天十郎を見た。
先ほどまでの恋話に、うんざり感でそっぽを向いていた天十郎が、振り返り黒川氏を見つめた。
一瞬の間があって「えっ」驚きの声を上げ天十郎は聞き返した。
「黒川さん、もう一度、なんですって」
【ソファーベッドのある場所で塁が死んでいた?】
「ああ、それはなんというか」真っ赤に染まった光景が、黒川氏夫婦を覆っていることはわかった。
「事故かな…」日美子さんが気まずそうに、口ごもった。
「事故ってどういうことですか?家の中で、血まみれで倒れていたわけでしょ?」
興奮気味に天十郎は追求しようとする。黒川氏は、慌てて
「そう、家の中じゃない。正確には家の外だ。昔は、一・二階にはサンルーフがなくて大きめの窓があった。その真下の窓から、庭半分がコンクリート塗装だった。当時、二階の上がった、手前の部屋が塁と夏梅の寝室だったのだ」
「あの部屋の窓から、塁が落ちて下のコンクリート舗装した庭石に頭をぶつけ、一面血の海になった」日美子さんが苦しそうに言った。
黒川氏は日美子さんの手を取ると、軽くなだめるように包み込んだ。思い出したくもない、あの光景を見た二人は、つらかったに違いない。
「当時、家には塁と蒲と夏梅がいた。警察は当然、家にいた者を疑った」
「なんでそんなことに!」天十郎がイラつきながら怒鳴った。
「蒲がやったのですか?」天十郎はすぐに聞いた。
「天十郎君もそう思ったか?実は私もそう思ったが、実際にはよくわからない。蒲や夏梅が塁は死んでないと言い張り、二人とも二か月ほど入院した。警察でも、最後は事故という処理になった。蒲と夏梅に何度か聞いてみたが事故の事は一切話をしないよな」
「うん、私も聞いていない。事故の後、二階のサンルームの下を増築して塁が落ちた場所に、ソファーベッドを作って、まるで塁の血の海に抱かれ漂うように、いつもそこに夏梅がいるようになったわ。他人が聞いたらおぞましい話かもしれないけれど、あの子にとっては、そこだけがやすらぎの場所だったのかもね」
日美子さんは重々しく言った。天十郎は声が出ないようだ。考え込んでいる。
【今も塁のところに帰りたいのだろな】
黒川氏がボソッと言った。確かに僕は、子供達が生まれてから育児に気を取られ、夏梅の事をおろそかにしていたかもしれない。知らぬ間に、一番つらい孤独に、させてしまっていたのでは、ないだろうか。
僕は自由に動き回っているが、夏梅はあの場所に固執してしまっている。場所に固執することによって、僕を見つけ出し、頼ろうとしているのかもしれない。よく地縛霊と言うが、実際に、からだを失った者には縛りつけられるものは、なにもない。
この家にも、夏梅のスペースを作る必要があったのかも知れない。それに気が付かずに何年も長い事過ごしてしまった。夏梅は寂しかったに違いない。天十郎が言うように、夏梅にとっては子供も家族もすべて偽物だ。
そういう意味では、子育ての慌ただしさは、本質を忘れさせてしまう要素がある。それが本物であれば、充実感や満足感に繋がるのか?いやその前提はないかもしれない。そう考えていたところ、
「そうか、子供以外に僕には愛する人がいて、充実感や満足感があるが、この家では、夏梅の愛する人がいなかったのか、それは帰りたいかも」
天十郎がため息をついた。そして大切な事に、気が付いたかのように、天十郎は声を大きくして聞いた。
「そんな出来事があったのに、なんであの二人は一緒にいるの?出来ているのか?」
黒川氏が笑った。
「おい、お前が一番よく知っているだろ。蒲は子供の頃から男性オンリーだ」
「だけど、時々、恐ろしく夏梅に優しい時がある」天十郎は不服そうだ。
日美子さんがそうそうと、いう顔で
「ああ、それはあの事故以来だね。もともと、子供の頃から蒲は夏梅の事を邪魔にしていたからね。あの子にしてみれば、遊ぶなら、女の子より男の子の方が良いに決まっているでしょ。夏梅の家にいたのも、塁がいたからじゃないの?」
「事故以来?」
「そうよ、蒲が入院して、母親から拒絶されたのよ。頭がおかしくなった息子はいらないって、蒲のお母さんも変わっているわよね」
「頭がおかしくなった?」
「うん」
「精神錯乱になったのか?」
「夏梅は怪我をして、二階の部屋から救急車で外に出たから、リビングの外は見ていないはずなのに、塁が落ちた場所を知っているし、蒲は一階の血だらけのその現場を見ているのに、塁は生きている。目の前にいるって騒ぐからね」
「ふーん」答えながら、天十郎はいいようのない顔をした。
【黒川氏は深刻な顔をしながら答えた】
「お医者さんは、親友が死んだ事を、認められないのだろうという話だった、と思う」
「そんなに繊細な奴だったかな?」天十郎は頭を傾げた。
「ショックだったのではないの?」日美子さんも難しい顔だ。
「それで、入院中に突然に蒲が、高校生の時に亡くなった、父さんの遺産を利用して、蒲の家を賃貸に出して、夏梅の家のリフォームをして欲しいって、蒲から依頼があった。蒲と夏梅が入院している間に、そのリフォームが済み。退院するときに迎えに行ったら、蒲は夏梅の家に行くっていうし、夏梅も黙って受け入れてね」
「そうよね。正直、夏梅の家に二人を帰すのは考えちゃったわ。夏梅を一人で帰すのも迷うのに、蒲と二人で不安は大きかったのよ。でも、帰ると事故現場に固定されたソファーベッドがあって、夏梅には心地よい専用のスペースが出来ていたのよ。まるで塁みたいな気の配り方で驚いたわよね」
日美子は黒川氏に同意を求めた。
「ああ、蒲は自宅を賃貸に出し、そのお金で夏梅に家賃を払って、残りは自分の小遣いにすると言っていたな」
「あれには驚いたよね。自分達の生活まで考えているなんて、蒲らしくないわ」
「そうだな、丁度、からだと心が入れ替わるっていう映画やドラマがはやり出して、きっと蒲に塁が乗り移った。と話をしていたよ。本当にそんな感じだった」
「それは、ないな」天十郎は言い切った。僕は少し気分が良くなった。
みんなの想像とは違うが、確かに、やらせたのは僕だから。人はこちらが思うほど、興味がないと思っていたが、結構、良く観察しているものだ…。
「隣の塁のご両親は、塁がいなくなって、夏梅の家に蒲が来た時点で、家を売却してどこかに引越をしてしまった。今は連絡も取れないの。少なくとも塁の両親は、夏梅の事も、蒲の事も、認め、許す事が出来なかったのでしょうね。
一か月のうちに、夏梅の頼る人が一人もいなくなった上に、蒲と一緒の生活が気になっていたのよ。それに事故から半年もたたないうちに、天十郎君が同居して、一年後には入籍して引越する事になって、日咲、禾一、玉実、叶一と出来て、あっと言う間にお母さん」
日美子さんは考え深いようだ。
【黒川氏は】
「それぞれが何をどう思っているかは、本人達に聞いてみないとわからないが、俺は今回のような事があると、あんなに必死になっていた塁に申し訳なくて」
「そうね、私もそう思うし、残された夏梅にとって今の状態が良いのか悪いのかまったくわからない。今日みたいな事があると、泣くことも出来ず、ただひたすら我慢をしているような気もするしね」
黒川氏を日美子さんが見た。黒川氏は頷きながら
「俺らはね。説教をするつもりはないよ。ただ、夏梅のおかげで関係が順調な蒲パパと天ママは思う通りに、生活が出来ているのではないか?」
「そうね。私もそう思うよ。実際には違うのかもしれないけれど、あなた達にとっては、夏梅はただの子供を産むための道具のような気がする事があるのよね」
「いや、それは…」
「女性のすごいところは出産という、人類の起源に出会うこと。どんなに頑張っても、あなた達男性に出来ない事の一つでしょ」
「そうなんだけど」天十郎が言葉に詰まった。
【どうせ、今回の仮面夫婦の報道も】
「蒲が仕掛けたのだろうと、思っているのよ」日美子さんはつらそうに言った。
「えっ」天十郎が驚いた。
「蒲って、真剣じゃないっていうか、人を利用するようなところあるでしょ。それに、この間、気になる事があって」
「なにかあったのか?」黒川氏が不安げに言った。
「夏梅は、ぷよぷよでしっとり吸い付くような肌で、天ママが抱き枕のようで好きだと前に言っていた話をしたら、蒲の顔色が変わったのよ」
「日美子それはまずいよ。蒲がまた嫉妬して、夏梅壊しが始まる。ああ、そうか、その可能性はあるな」
黒川氏が頭を抱えた。そういえば、僕も蒲を刺激したのだった。黒川氏夫婦の話に、すっかり忘れていた自分の浅はかさに、背筋が寒くなった。
「最終的に、この件に関して、晒し者になり、集中攻撃を受けるのは夏梅ひとりでしょ。どう考えてもタイミングがね。偶然すぎるよね。夏梅が、持ちこたえてくれるといいな、って思っている」日美子さんが不満げに言った。
「そんな事…」天十郎は動揺を隠しきれないように、目が泳いでいる。
「俺も、そうは思いたくないのだがね、実際には色々あってね」黒川氏の顔も暗い。
【日美子さんが、ため息をもらした】
「蒲は子供の頃から、夏梅に怪我させることが多くて、軽く見ているというか、物扱いするというかね。おもちゃは壊れると捨てるしかないけど、夏梅は何度、壊しても再生するからいいのだっていうのよ。どういう意味って聞いたら、怪我して血が出ても治るから、何度壊してもいいと言っていたの。夏梅が血を出しても僕は痛くないからってね」
「まさか」言いながら、天十郎は顔が硬直した。
「天十郎君、まだ聞くかい?知りたいか?」黒川氏が聞いた。
天十郎は下を向いたまま、黙ってうなずいた。何度も…。
日美子さんが頷いて勇気を振り絞るように
「わかった、話すけど、聞きたくないなら、ストップかけてね。私の知っているだけでも、橋から落としたり、蹴り上げたり、椅子から落としたり、ブロック塀にぶつけたり、自動車で引いたこともある。軽い怪我の時が多いけれど、入院騒ぎになった事もある。それをかばって塁が怪我をする事もあった。
夏梅って目薬が嫌いでしょ。目薬もコルセットも蒲が原因なのね。親御さんたちは蒲が夏梅の事が好きで、わざとやっているのではないかと、言っていたけどね…。だけどね。天ママ」日美子さんが迷いながら
【着物のモデルの時の事を、覚えている?】
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