第18話 蒲を笑う僕
【日美子さんは出かけようとする、蒲を捕まえて】
「夏梅ちゃんは未だに、化粧品とかボディソープやシャンプー、リンスを使ってないの?」
「うん、そうね。昔通り、天十郎が垢すりしてるくらいだ」
「だから、シワ一つないのよね。肌トラブルとかないの?」
「夏梅?夏梅は、普段は足りているから、足さないって言っているし。トラブルあった時は医者に行っている」
「そうよね。化粧品の売り文句に、乗せられるタイプの子じゃないわね」
「なんで?」
「いやね、あの肌を売りに出来ないかなって思って」
「日美子さんも、がめついね。茂呂社長?もうじき、六十歳だろ、まだ儲けるの?」
「いや、六十歳なんて、まだまだ、百年生きるなら、あと、四十年あるわ!この年まで、積み重ねたキャリアをそのままに枯れるなんて、あり得ない。人生、やっと面白くなったところよ。充填完了。これから始動よ。死ぬまでに、事業を三つは立ち上げられる!」
「そのパワーはどこから来るの?」蒲があきれている。
「若い時は、自分が成長するので一生懸命で先が見えないでしょ。六十歳ちかくになれば、すべてが楽になって来るのよ。そのうちに、きっとわかるわよ。でさ、やっぱり化粧品は原価率が低いからいくらでも稼げる。個人で化粧品製造販売許可を取るのは難しいけれど、逆に化粧品製造販売許可メーカーでいくらでもOEMで作れるでしょ。可もなく不可もない化粧品を作ればいいんだから。知り合いが、ワンロット売り逃げ販売してるから、私も可能性がないか検討中」
「まあね、効果がなくて、肌トラブルにならなければ化粧品としてはOKだから、夏梅の肌を使って、この肌はこの化粧品でっていう奴?」
蒲がからかうように言うと
「あら、そんなことしたら過大広告になるから、だめよ。イメージ広告かパーツモデルで…」
「それなら、自分がやればいいじゃないの」
「私はダメよ。肌を虐めすぎているから」
「うん、そうかもね」
【蒲が、日美子さんの肌をじろじろと見た】
「日美子さんも、こんなことやってないでさ、みんなやめて元に戻せばいいじゃない」
「蒲パパ。自分を痛めつけて利益を得る。これが世の中の仕組みよ」
「そう?…意味わかんない」
「天ママも、割と肌はいいよね」
「仕事以外では、夏梅方式で塗らないから、肌本来の機能は失くしてないよ」
「だから、いい匂いがするのよね。子供達もそうでしょ?」
「もちろん、うちは全員。でも、禾一と叶一は、寮生活中は他の生徒に合わせて、使っていたみたいだよ」
「あら、なんで?」
「そりゃ、男ばかりの中で問題が、起きたくなかったんだろ」
【あら、蒲二世はいないの?】
「俺は義理立てるので精いっぱい」
「えー?あなた達の関係が、まったくわからないわ…。息子二人は夏梅方式じゃないのね」
「そうでもないよ。禾一は、結婚すると同時に、いや、芸能界でやっていくと決めた時から、夫婦で使わなくなった」
「賢い子ね。自由のきかない、すべてに、台本がある仕事を選ぶから、先に結婚したのよね。それに、あの可愛い奥さんは、昔の夏梅みたいに世間知らずで素直。世の中に汚される前に、自分色に染める魂胆でしょ。情報操作が得意な、あなた達の子だわね」
「利用される前に、先に利用しないとな…」
蒲はフッと笑った、その様子に日美子さんは
「蒲パパは?」
【日美子さんが嗅ごうとすると、蒲が大げさに避けた】
「日美子さん、俺は嫌だよ、人の利益のために、自分を痛めつけるのは…」
「蒲パパ、あんたも綺麗よね。天ママとは違ういい匂い。利益を分けてあげるから~ね~」
「お断り。日美子さん、天十郎が怒るから、子供達もダメだよ。そもそも、そんな化粧品やらシャンプー、ボディミルクかな、柔軟剤も?全部が混ぜこぜで、かなり異様な臭いに包まれているけど、日美子さんは臭いがわかるの?」
「あはは、わからない」
「勘弁してよ、気持ちわるいよ、近くに寄らないでよ」
「はっきり言うわね」
「当たり前でしょ。女が嫌いな原因の一つでもあるから」
「ひょっとして、お母さん?」蒲は黙っている。
「そうね。お母さんは、香水がきつかったからね」
日美子さんは、ばつが悪そうだ。
普段、ビジネスライクに徹しているが、本質は悪い人ではない、どちらかというと人の痛みのわかるタイプだが、蒲の傷口に触ってしまった後悔が、顔に出ている。
「あんたは、何を思っているか知らないけど、天ママに負けないほど、いい顔立ちしているのよ」
「やめてよ。興味ないから」蒲の言葉が刺々しくなった。
「そう?」
「日美子さん、俺をえさに、もうけ話を考えないで…」
「わかりました!」あっさり引き下がった。
【そして、繕うように】
「それにしても、あなた達って不思議な関係よね。夏梅ちゃんも、まったく変わらずに、すべすべお肌にシワ一つないから、いまだに天ママの抱き枕なのね」
人は、繕い始めると、余計な事を言うものだ。黙っていれば、よかったのに…。おおよそ、地雷を踏むときは、そんな時だ。
その、日美子さんの言葉に…蒲が驚いた顔をした。
「抱き枕?誰が?」不思議そうな蒲の声に
「前に言っていたのよ。天ママは夏梅の肌が、ぷよぷよでしっとり吸い付くようで、抱き枕としては、最高らしい」日美子さんが笑った。
「天十郎がそんな事を言ったのですか!」蒲の尖った不愉快なトーンが、かえってきた。
そのトーンに日美子さんは慌てた様子で
「そうよ。だから好きだって。あら、いやだ、蒲パパは嫉妬なんかしないわよね。あなた達は、ずーっと仲良くやって来たものね」
蒲パパは黙っている。
「昔よ、昔、こっちに移る前の話だから、気にしないでよ。余計なこと言ったかしら?」と言いながら、そそくさと日美子さんが帰ってから、
【蒲は僕を見た】
「お前はいいよな」つっかかってきた。
「何が」
「まあ、いいや」と言った途端に、我に返ったように、ギョッとした様子で「なんでお前が、ここに居る?」
「さっきから、居るよ」
「だって、お前、夏梅と…。分身の術が使えるのか?」
「お前、面白いぞ!できる訳ないだろ」
「だって…」まるで小さな子供が叱られたように、困惑に顔を歪めた。
「ひょっとして、お前、今頃、気が付いたの?最初から僕は関わっていない」
僕は淡々と言った。
天十郎は夏梅がお気に入りだ。夏梅がなにをしていても、突然、天十郎は小柄な夏梅を小脇に抱えて寝室にいくのだ。時々、夏梅も同じことをするが、さすがに夏梅が天十郎を抱えるわけにいかないので天十郎の背中を押して寝室に消える。
自分が安定した心地よい生活を送る為に、蒲が仕組んだ事だが、今は少し違う事になっている。今更ながら、蒲がそのことに気が付いた。
蒲は凍りついたように茫然としている。
我に返ると「おい、おい、どういう事だ」と蒲が僕の元に迫って来た。
「あーやめてくれ、僕に聞かないでくれよ。言わせるな」
「だから、天十郎が夏梅と…」蒲が切れている。頭が真っ白なのか?面倒くさい状態だ。
「知らねえ」僕は、半狂乱になって何か意味不明な事を叫び迫って来る蒲を避けながら
「まあ、今の状態だと、お前がひとり、いつ、いなくなっても、誰も困らない構図になっていたという事か?しかし、お前、今更だぞ、二十年間も疑わないって、思い込みは恐ろしいな。逃げ癖があるからな~。それとも、自分でマインドコントロールかけたのか?笑えるぜ。おい、それからさ、外ではお前はマネージャーだから、夏梅にくっつくのはまずいだろ。もう、くっつくのは天十郎だけに任せろ」
僕は意地悪く笑った。
【事務所の電話が鳴りっぱなしだ】
蒲が二人の仲に気が付いて、一ケ月もしないうちに、吉岡が夏梅の再婚歴を出して来た。
-----------仮面夫婦------------
天十郎の妻はバツイチ!驚愕!元夫!は、入籍した翌日に『死亡!』
元夫の死別から三カ月後には、天十郎の現マネージャーと同棲。
そして一年後には天十郎と再婚!
隠された再婚歴!
いまだに続く夫のマネージャーとの仲は?!子供は誰の子?
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センセーショナルな見出しは、人心をくすぐった。日咲の懸念した通りの展開だ。
以前に、夏梅が言っていた「部外者は現実よりも空想が好き」そうなのかもしれない。どんな現実を突き付けられても、面白い訳がない。空想で幻想だから面白いのだ。事実なんて、誰も知りたくない。
僕は、今更、こんな記事が面白いのか?と不思議だったが、見出し的には、確かに興味は引くだろう。ネット上では面白おかしく憶測が飛び交い、二十年も前の話しで、盛り上がった。憶測は、時にして憶測をした人の人間性を表す。
法律上は何も問題がないのに、吉江のような欲求不満者の、不満解消の対象となった。ヒーローに守られた女は、豪邸と豊かな暮らしを手にした!男を垂らしこんだ女!と騒ぎ始めた。
立花編集長と黒川氏がそれに気が付き、天十郎と蒲を呼び出した。僕もついていった。天十郎は夏梅が再婚と言う事も知らないだろう。蒲と黒川氏がすべてを取り仕切ったからだ。
黒川氏は、現状の問題点に焦点を合わせようとした。まずは茂呂社長の対応が先である。また機嫌を取らねば、何を仕出かすかわからない。二十年経っても、それは変わらない。同時に夏梅へのバッシングをかわして、次につなげなければならない。
黒川氏と蒲が対応でバタバタとしている中、天十郎はひとり黙っていた。こういう時、黙り込む癖があるな…。こいつ。
夏梅は子供達から、その話を聞いた。子供達がその情報に惑わされずに、面白がってくれているので、夏梅も動揺せずにいる。子供達と一緒に涙を流すほど、散々に大笑いをしていた。まあ、当たり前と言ったら、当たり前だ。
日頃から、あいつらが失言をすれば僕がサポートし、子供達に親たちの話をしている事もあり、諸事情は知っている。父親の件に関しては、子供達はもともと、母親は一人だが父親の役割をしているのは、僕も含めて三人いて、そのうちの誰かが精子提供者だと思っている。
さらに、夏梅を持ち去るのは、天十郎だけなので、おおよその見当がついているし、基本、家族の誰が父親でも構わない。不安にもならない。と言っていた。
【夏梅の両親が亡くなった時から】
深く関わっている日美子さんが、今回の報道を一番気にかけていた。
「夏梅にとって、この二十年はどうだったかしら?」
「短いようで長かった」と夏梅は笑い。その笑顔に日美子さんが涙を流し、感傷的になった。
「私は早かったな、あっと言う間だった。もうこんな歳だと思っていたら、どんな風に過ごして来たかもわからない。夏梅の気持ちの重たさを知る由もないけど、周囲の勝手な思い込みや欲をなすりつけられるだけで、時計の針は動けなくなって、日常がただの地獄の淵に立たされてしまうのではないかと、ずっと心配していたの。時計の針が一分進んで二分戻るような日々から抜け出せるようになればいいね。いつになったら終わるのかしらね」
僕は、必死にその淵にしがみついている夏梅がその地獄へ落ちないように願ってきた。みな、自分だけは傷つきたくないくせに、人の傷には鈍感だ。
からだのある人間は不自由だ。いや、それより吉岡だ、なにをもって夏梅を攻撃対象としているのか、背景が読めない。
蒲と天十郎が事務所から出て、玄関ホールで立ち止まった。
「さっきの、バツイチってどういうことだ」天十郎が蒲に聞いた。
蒲は、リビングに向かうドアを見ながら、同時に指で天十郎の唇を抑え「シィ」と小さくいい、天十郎を抱え込んで、二人のプライベートスペースに入って鍵を閉めた。
【十畳ほどの二人のプライベートスペースは】
天十郎と蒲のお気に入りのもので埋め尽くされていた。二人が一番のびのびする誰も入ってこないスペースだ。僕もほとんど、彼らのそんなスペースに入り、二人の仲を邪魔する事はしないが今日は別だ。夏梅の事であれば、二人について部屋に入った。
蒲は、言いたくないような顔をしていた。
「一応、戸籍上の夫としては知っておくべきじゃないのか?」
天十郎は食い下がった。蒲はついてきた僕を見て黙りこくっている。
ベッドに手足を投げ出している天十郎は、ふてくされたように語尾を強めた。
「秘密ですか?そういうことなら自分で調べるぞ。籍を入れる時も蒲が一人で手続きをしただろ?」蒲が静かに天十郎に言った。
「今更だが、夏梅は再婚になる」
「再婚?」
「塁と籍を入れていた」
「塁って?時々、夏梅が言っている奴か?離婚したのか?」
「いや、記録としては死別だ」
「死別?いつ?」
「大学卒業した時に」
「つまり、報道通り、入籍した翌日に相手が死んだのか?ちょっと待てよ」
天十郎が混乱した様子で蒲を見た。
「俺が七月に同居して籍を入れたのは翌年の四月?夏梅の誕生日が十月だろ?」
天十郎の問いに蒲がひとつひとつ確認するように頷いている。
「その前の話し?」
「ああ、三月だったな」
「翌年の四月、一年後には俺と入籍か…。それは興味をそそられるな。なんで死んだ?」
その問いに僕を見ながら蒲が「まあ、色々と」口ごもった。
「僕は死んでないし死亡届けを出したのも、天十郎との婚姻届けを出したのもお前だろ」
僕のその言葉に、目の焦点があわずに動揺している蒲を、僕は冷たく見返した。
「塁って男だったのか?ペットかと思っていた」
「ふざけた野郎だ」
僕は天十郎をにらんだ。蒲が苦笑いした。僕が怒り出しそうなことを察して蒲が
「夏梅は、死んだ事を認めていないから」
「どういうこと?」
「そういう事だ」それ以上、蒲が天十郎の質問に、こたえる事はなかった。
「それなら、夏梅に聞く」天十郎は部屋を飛び出した。その後を蒲が「待て」といいながら後を追った。リビングに入った僕達と、すれ違いに、夏梅が外出をするところだった。
【どこへ行く?】
天十郎が強い調子で夏梅を呼び止めた。
「今日は、天ママがお休みだから家に帰る。子供達をよろしく」
夏梅はそっけなく答える。その答えが気に入らないのか、天十郎は文句を言うように「家に帰るって、夏梅の家はここだろ?」
夏梅は意外という顔で
「ううん、私の家はここじゃない」天十郎の表情が変わった。怒っている。
「どうしてこだわる。お前にとっては、ここにいる家族はすべて偽物なのか?」
夏梅は、飄々と、問いかけの意味が理解できないかのように
「私に一番必要なのは、塁だから」
「塁ってさ、ちょっとさ、塁の事を好きなのはわかったけれど、家に帰る必要はないだろ、あの家は売ってしまうか、賃貸に出して貯蓄でもしろよ」
その声がまったく聞こえないように、夏梅はゆらゆらとリビングを出ようとする。
「俺がついて行くから」
慌てたように蒲が後を追った。夏梅は振り向き、ベビースマイルで蒲を見た。それを見た天十郎が眉をひそめた。
「また、蒲が行くのか。わからんな、二十年も変わらない。育った家だから帰ると言うのなら説得力があるのだが、そんな理由でもないし」
吐き捨てるように言った。
【その騒ぎに後から入って来た、黒川氏夫婦が】
その言い争いに近い声に、ため息をついた。
「天ママ、夏梅は蒲に任せてさ、ゆっくりお休みを楽しめばいいでしょ」
日美子さんが言うと天十郎は
「いや、おかしいでしょ、死んだ奴を待っているのか?塁って奴の為に家を売りにも出さず、貸し出す事もせずにいるのって、おかしくないですか?それにこうやって、時々、家に帰っているのは、どうしてですかね」
母親に文句を言う子供のように、日美子さんに食ってかかった。天十郎の様子が、今までと違うので、僕は夏梅について行かずに留まった。
「天ママは本当に魅力的ね。典型的な内弁慶だから、家でのあなたを録画して公表したら、かなりの反響があるわね」
「おい、冗談でもやめろ。自分の身を売る商売は楽じゃない。せめて家の中では自由にしていたいよな」黒川氏が天十郎に同意を求めた。
「わかっているわよ」日美子さんが笑った。
「そんな事より、黒川さん達は蒲や夏梅と、付き合いは長いのですよね」
話題をそらしたつもりの黒川氏夫婦だったが、いつもの天十郎のようにごまかされない。黒川氏はしかたなさそうに「そうだな、三十年くらいになるかな」日美子さんは隣で、うんうんと頷いた。
「元旦那の塁って誰です?死亡届けが出ているみたいですが、蒲は、まるで生きているように扱うし、こと夏梅はこんなふうに、待ち続けているし」
「うん、そうだな。聞けば聞き腹かも知れんが…。天ママも知っておいた方が良いかもしれないな、それに昔の話だしな」
黒川氏は妻の日美子さんを見た。日美子さんは難しいというように小首をかしげた。
「聞けば聞き腹って…」不愉快そうな天十郎が、真っすぐ黒川氏を見た。
「聞かなければ、知らないから、平気だが、聞けば腹立たしくなる。ということだが…。正直いって、話していいかわからない。だからと言って、蒲や夏梅の口から話す事は、ないだろうからな…」
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