第17話 大物

【二十年経った今でも、僕らは一緒にいる】


 家族も増えた。子育てに費やした、僕の二十年間は、長いようで短かった。


 長女はおしゃべりで、何でも首を突っ込みたガールの日咲。二十歳。


 大人しく、いつも傍観者であろうとする十九歳の長男禾一。


 全寮制の高校を卒業し、サッサっと天十郎と同じ、芸能界の仕事を見つけて、最近、結婚して出て行った。禾一は、いつも静かで手のかからない子だ。どちらかというと、なんでも受け入れて優しかった夏梅の母親に似ている。


 僕が他の人と違う事に、一番先に禾一は気がつき、日咲のように僕を話し相手にすることもなく、だからと言って無視している訳でもなく、淡々としている。


 うん、淡々というよりは見守っているという感じだ。


 次女の亜麻 玉実(あま たまみ)十七歳は夏梅二世である。


 次男亜麻 叶一(あま きょういち)十五歳が生まれ、二男二女の子供が増えて、天十郎の亜麻家は大家族になった。中でも、掴んだものは決して離さない、スッポン体質の天十郎によく似た、末っ子の叶一はツワモノである。





【夏梅は四人とも母乳で育てた】


 大きい胸の人は、母乳が出ないと助産婦さんから言われ、無理をしないで粉ミルクで育てるように言われていたが、夏梅はふんだんに出た。


 本人はまるでホルスタインみたいだと嫌がっていたが、双子を同時に一人で育てるくらいの事は簡単そうだった。搾乳も苦労しなかった。


 夏梅は菩薩のような顔で、うっとりとしながら授乳している。


 それを見ると自分もミルクをあげたい天十郎は、授乳中の夏梅から子供達を無理矢理に奪い取ると、粉ミルクを上げようとする。


 夏梅は子供達を奪われまいと、抱いて家中を逃げる。最後には部屋に逃げ込んで、鍵をかけて母乳を上げる夏梅。天十郎が家にいる時の授乳は、いつも大騒ぎになった。四人の子供のうち、末っ子の叶一の母乳に対する執着はすごかった。


 いつも叶一の授乳の時には、男達が敗北感に打ちのめされた。


 自分の頭以上に大きいおっぱいを両手で抱きつき、満足げに俺たち男を目でけん制しながら、片足の指ではもう一つの乳房を、もてあそんでいる。


 漫画でよくみる、授乳中の大きくて、丸い巨乳に抱きつくなんて、ストレートなら憧れの構図だ。この時期にしかできない、乳児ならではの光景ではあるが、叶一は二つある乳房を足まで使って独占しているのだ。


 叶一はいつも、僕をにらむ


「お前…。僕に喧嘩を売っているのか?」

 言葉をまだ話さない叶一だが、独占欲はあるようだった。このおっぱいが自分の物である認識の元に、取られてはいけないと思うのか、それとも、僕達を挑発しているのか…。


 ただ者ではない。


「まあ、話せないから許してやる」とクールを装う蒲も、横目でちらちら見ている。


 よせばいいのに、天十郎はそんな叶一の挑発に我慢できずに、乳房から引き離そうとする。他の子と違い叶一は黙っては、いない。泣き叫んで大暴れである。


 さすがの天十郎も、叶一が挑発しているとは、夏梅に言えずに、粉ミルクの方が栄養がいいとか訳の分からない事を言って、なんとか引き離そうとするが、夏梅と叶一の抵抗にあい、叶一は粉ミルクを拒絶し母乳だけで育った。


 その叶一も十五歳になったが、いまだに、なにかと、天十郎と敵対関係となって、互いにやり込める事に力を注ぎ、たまに中学の寮から帰ると二人で火花を散らしている。


 もちろん、叶一は僕を睨むことを忘れない。





【問題よね。そう思わない?】


 二十歳の日咲が僕に言う。


「ニコラッチ、問題ってなにさ?」


「この家の住人は、表向きには、俳優夫婦とマネージャーという構図だけど、裏を返せばXジェンダーの天ママにぞっこんな男性オンリーの蒲パパがマネージャーをして、その肝心の天ママは夏梅にぞっこんだ。塁ちゃんは全部のまとめ役」


 日咲には、そう見えるらしい。


 ちなみに、我が家では子供たちは、戸籍上の母を「夏梅」と呼び、父は「天ママ」と呼ぶ。そして一家の父親役は、マネージャーの「蒲パパ」なのである。僕は子供達に「塁ちゃん」と呼ばれている。


 家族が多い日常は、とても賑やかで騒がしい。


「最近思うのよね、うちの夫婦は変だと思っている。それも…。変態的に変でしょ」


 日咲は、誰に似たのか…。何でも首を突っ込みたガールで、家庭内一般人である。芸能ニュースやメディアの情報に、興味を持ちすぎるほど持つために、家族の中ではパパラッチににせて、別名ニコラッチと呼ばれている。


「ニコラッチ、変態的って、何を基準に?」

「塁ちゃんったら、今のご時世いくらでも情報は手に入るのよ。夏梅と天ママは陰と陽みたいでしょ。夏梅は表向き派手で目立つ人気女流作家」


「うん」

「これが家の中では逆転する。実は夏梅は派手どころか地味すぎる。男物のシャツかインナーでボロボロの格好をして表に出る事を極端に嫌い、ゴロゴロしている」


「おお」

「愛する女を寡黙に守り抜く、ヒーローイメージの俳優が、家に帰ると、家事・炊事・育児までこなすスッポン体質スーパーママ!だけど、本当は家族の注目を浴びていないと落ち着かない、ただ、うるさいだけのキス魔のなーんちゃってヒーローに変身する」


「随分長いな…。でも、なーんちゃってヒーローは、ニコラッチちょっとひどくないかい?」

「さて、塁ちゃん、亜麻家では、誰が母親で誰が父親でしょうか?」


「クイズかい?役割が法律で決められているわけではないし…。あまり考えない方が…」

「塁ちゃん、それはダメでしょ」


「ダメかね」

「天ママは、蒲パパのベッドで寝起きをし、毎日、騒ぎを起こしている人が世の中でヒーローになるなんて。おかしいよね。100歩譲って、家の中に母親と父親が、二人ずついる事が何でもない事だったとしても、世の中の常識と現実との乖離がありすぎるのは、子供にとっては困る訳よ」


「僕、父親に入るの?なんで?」


「夏梅の驚くべき童顔は、パパラッチに家族写真を撮られても、妻不在、ヒーローが子供を連れてショッピング!のタイトル記事が出るよね。お母さんどこにいるの?と周囲に聞かれまくるのも面倒なのよ」


「うん、それはわかるような気がする。あれ?まさか、最近、出回った、お買い物のあの写真は、ニコラッチが提供してないよね」


 日咲は笑った。

「小遣い稼ぎ。うまいでしょ、みんなの顔が、わかるようでわからないように撮るのは難しい」


「おい、ニコラッチやめろよ」





【嘘っぽいが本当だ】


 二十年後も夏梅は健在だ。運動をしないので、お腹はぷよぷよ、腕はぷにぷに。しかし、太っていない。


「食べたり、運動などの外的要因でカロリーや脂肪を落としても、脳のコントロールはできないからリバウンドするのが落ち。だから、カロリーの増減だけを考えるダイエットはしても無駄。食べ過ぎた時に、過去の自分の元の姿に戻す!と思うだけで、脳がコントロールを自然と行い、食事量が減り、元に戻る。無理して時間で食べないのが、コツ!太っていても、体重があっても、体のラインが綺麗だったら人間満足できるのよ。それには短時間のヨガや筋肉運動」と、ライターの経験から得た知識で、娘たちに力説している。


 紫外線にあたらない生活に化粧品、シャンプー、石鹸、ボディソープ類などを、いまだに、使わないので肌はすべすべである。顔にしわもない。いや高校生の時のままである。


 二十年前あった、茂呂社長の記念式典の写真だけが、世の中に出回っているが、夏梅ひとりがその写真と変わりがないのだ。


 日咲いわく、夏梅もその時の写真が好きなんだそうだ。特にお嬢様に従い、エスコートする天十郎執事とのツーショットの写真がお気に入りらしい。


「最近も、禾一の結婚式に、留めそでの着付けに、花嫁と朝一番に呼ばれたのに、担当者が何を勘違いしたか、新郎側の母親だと気が付かずにウェディングドレスを探していたでしょ。その間に、天ママと蒲パパは女性に囲まれ大騒ぎ。その騒ぎが治まるまで、私達は散々待たされたあげくに、家族写真を撮るときに、夏梅が行方不明な事に気がついて、またひと騒ぎ。着付けの部屋でひとり、くつろいで漫画本を読んでいる夏梅を見つけ出し、それから黒留袖を着付けしたから、写真が最後になったでしょ」


「確かに、あれは、あれで可愛かった黒留袖姿」

「塁ちゃん、夏梅は四十三歳。黒留袖が可愛いって年じゃないでしょ」


「もう、そんな年か、でも僕とのツーショットなら、おかしくないだろ?」

「まあね、塁ちゃんも変わらないよね」僕はうんうんと頷いた。


「僕はニコラッチの彼氏でも通用するぞ」

「はいはい、あの時、新婦側のお父さんがデレデレするから、お義母さんに嫌味言われて、宴会場でも男性客が集まって来て、天ママがマーキングを始めるし…」


 そんな、エピソードは沢山ある。


「学校の保護者面談で、夏梅だけ教員室で男性教諭に囲まれてしまって、私が助け出すのが大変だった。それ以来、学校行事は蒲が行く事になったじゃない。一人でどこにも行かせることが出来ないでしょ」


「うん、まあ、日咲も苦労しているよな」


 夏梅も四十代になって、もう大丈夫だろうと思ったけれど、同じようなトラブルは続いている。日咲の言うようにいまだに一人で外出させられない。


「それに」

「まだ、あるのか?」


「夏梅と玉実がそっくりだし」

「それはな…。そう思う」


「玉実を一人で、どこにも出せないから」

「そうだな」





【玉実が、夏梅二世】


 つまり「マタタビ女」だと気が付いたのは、随分前だ。


 三歳になった玉実は、まるっきり夏梅二世だった。蒲パパが時々、玉実を見て嫌悪感を露わにする。「小さい頃の夏梅にそっくりだな」僕を見る。


 僕は、夏梅にそっくりな玉実が可愛い。ボロボロこぼしながらの食べ方も似ている。昔、天ママが夏梅に言っていた言葉をそのまま引用して、蒲パパが三歳児を真剣に説得していた。


「玉実、ほら、あぐあぐだぞ、しっかり噛め。口を大きく開けろ。口をちゃんと閉めろ。スプーンはちゃんと口まで運べ、手の筋肉使え」


「そこまでしなくても、トラウマになるからよせ」

 天ママが言うと


「いや、俺の洋服の運命を、こいつが握っているからな」

「男物の洋服を、別に買ってやればいいだろ…」


「こいつら親子が、そんなささやかな俺の望みを、聞くとでも思っているのか?」

「思わないけど」


「知っているなら何も言うな、こいつらは悪魔だ」

「しかし、そこまで嫌わなくても」


 そんな会話が交わされていた。


 その時も、日咲は

「蒲パパは、幼児体験でなにかつらい思いでもありましたか?それとも母親に愛されなかったとか?」


「日咲は、鋭いですね」僕が答えると、日咲はニッコリ笑った。その顔をみて、天ママと夏梅は「日咲は笑顔が可愛いわね」と話していた。


 もしかすると玉実が夏梅二世であるなら、家族間で間違いが起こると困る。禾一と叶一は中学になると、中高一貫教育の完全寮に送り込まれた。


 蒲パパと禾一と叶一は「問題のある玉実をどこかにやれ!」と僕に怒って騒いでいたが、それはさすがに、直接、天ママと夏梅に訴える事は出来なかったらしい。


 共学がいいのか、男子校がいいのか、蒲パパと天ママは迷ったらしいが本質の問題を悩んでもしょうがない、という結論に達したようだ。


 自分達の事をたなに上げて、二人共真剣に悩んでいたから、おかしなもんだ。僕が思い出し笑いをしていると、日咲は迷いながら僕の顔を見た。





【塁ちゃん、この間の天ママの授賞式でね】


「何かあった?」


「外出するとすぐにマーキングする天ママを敬遠してか、表だった席には天ママとは出来るだけ、同伴しない夏梅でしょ。それなのに、この間めずらしく公の場に出席した時、蒲パパが天ママのそばに、夏梅を近づけなかったみたいで、天ママは、多くの女優さんをはべらせ、会場の中央で注目を浴び、後方で夏梅に蒲パパが、からだをつけるようにぴったりくっつき、誰とあいさつを交わすことなく、男達を引き連れ、自由に動き回っていたの」


「それが、なにか問題になるのか?」


「世間では天ママに、子供が沢山いることを、知らないのではないか?もしくは結婚していることも、知らないかもしれないと思うことがある」

「夏梅は女優じゃないから、天ママと同席出来ないだろ?」


「そんなことないわよ、他の俳優さんは奥さんの隣に座っていたわ」

「自分達の存在を知って欲しいか?」


「そんな、レベルじゃなくてさ、塁ちゃん、おかしいでしょ」

「なにが?」


「華やかな会場で、娘や妻を見ても決して動じずスタンスを変えない父はある意味、尊敬できるよ。だけど、女性をはべらすって寡黙なヒーローのイメージじゃないでしょ」


「まあ、そうかな?」


「先日も、偶然に私のとなりの席にいた天ママが、そのとなりにいた女優にせがまれて抱き寄せて、キスをしていた。私は、天ママではなく、天ママにキスをせがんだ女優をガン見してしまった。あの有名な女優が、テレビカメラが舞台上に集中し、席が暗くなっているそのすきに、そんな事をするか??へー、あの女優が…。と…。笑える」


「うん」僕は、なんだか取り留めがなくなって来た会話に飽きて来た。


「ちょっと、塁ちゃん、聞いて、ちゃんと聞いて」

「はい、はい、聞いています」子供達の話を聞いてやるのも僕の仕事だ。苦笑いだ。


「天ママは、自分から進んで他人と「挨拶」スキンシップをとろうとは思わないが、俳優だから求められたら、どこでも対応する。というのが信条でしょ」


「ああ、何がいいたい」


「なんか、やっている事が滅茶苦茶でさ、いつかその隙を突かれて、仮面夫婦って言われるのではないの?」


 僕らは、社会や政治、理念に僕らが合わせた生活をするのではなく、僕らが家族を守る為に、社会や政治、理念を利用する事にしただけだ。


 それを継続させていくためには、日咲が指摘するように、各自が自由にしすぎているようだ。確かに今のままではまずいかも知れない。それに、子供の気持ちもわかる。出来るだけ家族は、仲良くしてほしいものだ。


「なるほど、日咲、お前はほんと鋭いな。確かにな。蒲パパと相談しておくよ」





【子供達が小さい頃から】


 仕事帰りの蒲がリビングに入るなり

「日咲、天ママは?」と聞く。


「持ち去った」本から目を離さずに、チラ視線を蒲に向けると、聞くなよと言わんばかりに、顔をそむけながら一言返事をする。


「ああそう、連れ去ったか?」


 禾一は蒲が来ると、そそくさと面倒ごとに、巻き込まれたくないとばかりに、僕の元に来て本を差し出すので、僕はいつも、黙ってリビングの子供スペースの定位置で、カーテンを揺らして、禾一を包み込み、本を読んだ。





【今日は】


 日咲と玉実が手足を投げ出して、テレビの前でゴロゴロしていた。


 二十年経った今も蒲がリビングに入って来ると必ず「天ママは」と聞くので「天ママなら、夏梅を持ち去った」と先制攻撃を日咲が放った。


 蒲は日咲の言葉に不快そうに

「おまえら、いい歳をして、みっともないぞ、夏梅が三人いるみたいだ」と応戦した。日咲は『こいつ面倒くさい』と言わんばかりに、僕の方を見てから、玉実の洋服を引っ張って、自分達の部屋に入って行った。


 蒲の後を追いかけるように、リビングに入って来た、日美子さんが夏梅を探している。


「蒲パパ、夏梅は?」

「天ママと部屋」というと、そっぽを向いた。


「ああ、そうなの」日美子さんは、納得したような仕草をした。



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