第13話 蒲の根回し
【先に採寸が終わった天十郎が事務所に入って来た】
「おお、昨日はお疲れ様」立花編集長が天十郎に声をかけると、天十郎は頭を下げた。
「夏梅ちゃんは?」立花編集長は天十郎に聞いた。
「別室で採寸と試着をしています」
「今日も夏梅さんに会えるわね」和樹も黒川氏に聞いた。
「採寸が終わったら、そのまま蒲と帰る事になっている」
「会えないのですか?」残念そうに和樹が落胆した。立花編集長は笑いながら
「愉快ですね?こんな小さな事務所で夏梅ちゃんと同室になったら、男は誰も収拾がつかなくなりますよ」
「あっは、そうよね。夏梅さんとこの間の船釣りで一緒になって、リールまだ持っていてくれるかな?あの電動リール高かったのです。僕の宝物をお預けしておきました」和樹は興奮気味に言った。
「ああ、あのリールね」天十郎は小さく頷いた。
「でも、さすが天ちゃん。やっぱり大物はゲットできる女性も違いますね。今回の仕掛け面白いでしょ」馴れ馴れしく近づいて来た。
天十郎はこの間、おねえ言葉から一変して、すごんだ和樹を思い出したようだ。困ったような顔をしていた。
「仕掛けって?」
「茂呂社長の矛先をうまくかわしているだろ?」
「ええ、悪くないかな。茂呂社長の接待に付き合わされて、四六時中呼び出され、SEXまで強要される生活を考えたら、今は天国かな…」
立花編集長と和樹は初めて聞いた事に驚いて固まった。
「なに、それ、茂呂社長との専属モデル契約は、事務所と茂呂社長の契約だろ?」
前回、黒川氏夫婦には話をしたが、新事務所に関わる人達に説明するために、天十郎は、契約書の写しを見せながら、経緯を話した。
黙って聞いていた立花編集長が深いため息ととともに「それでか…」つぶやき、天十郎の顔を見た。
「この業界あるあるだけど、ちょっと悪質ね。今回の執着も凄いし、でも執着の強い人間は、操作しやすいから」和樹が言った。
立花編集長は
「今年になって、変な噂ばかりで俳優活動も出来ていないようだったし、編集社の女性スタッフとも、もめることが多かっただろ?天十郎君に対応できる女性スタッフがいなくなって困った時期もあったよ。昨日、夏梅ちゃんのおうちで会った時、天十郎君がすっかり変わった感じがしていたよ。しかし、まったく、どんな事務所だ」
「なにか対応方法はありますかね?」黒川氏が立花編集長に聞いた。
「うちの弁護士に相談してみよう、何か方法があるかも知れない」
「ええ、ぜひ、うちの弁護士とも一緒に、住所の件も含めて今の事務所との交渉が先ですね」
「ああ、茂呂社長の条件付き提案もあるので…」
「今の話だと、この九月で契約が切れているだろ。それを三月まで伸ばして、今の事務所の契約が切れる四月から新たに契約したい意向か?まあ、あっているな」
「今の事務所のコマーシャルタレントは、契約違反で契約解除になっていると聞いている。それに、広報の仕事、月三回の化粧品の代理店研修の参加も、新たに追加されてきた」
【その時、すっかり落ち込んだ夏梅が入って来た】
立花編集長が「お、夏梅ちゃん今日のパンツ素敵だね」と声をかけた。
「立花編集長!こんにちは。これ!天十郎の七分丈のチノパン。ちょうどいいでしょ」夏梅は元気を振り絞って答えた。
「ウエストどうしているの?」
「スカーフで縛っている!」
腰から長く垂れているスカーフを手元で遊びながら、ベビースマイルを見せた。
「お前また俺のか、お前、帰れよ」
声をかけてきた天十郎に近づき「蒲と帰れってか?」
「俺と帰るか?」
「いやだぜ」
「蒲はどうしたの?」
「しらない、吉江さんと話でしょ」
不貞腐れている。僕が叱ったからテンションは低めだ。
「塁の洋服はどうしたの?ちょうどサイズが合っていたよね。蒲と天十郎のサイズだとかなり大きいでしょ?」
立花編集長が聞いた。夏梅は頷き
「それが、家に帰ったらもう何もなかった」
僕にも、僕の両親にも、夏梅はとてもいい子だった。だから余計に蒲と一緒の夏梅に耐えられなかったのか、僕のものを全部持って引越をしてしまった。だから夏梅が着られる物が一枚も残ってないのだ。
「そうか、残念だったな」
夏梅は寂しそうな顔を見せた。そんな夏梅をまったく無視して、天十郎は自分のチノパンツが気になるようで、さっきからシャツをめくろうとして、夏梅とぴったりくっついて小競り合いを始めた。
どうみても傍からは、ねちっこく、いちゃついているカップルに見える。
【夏梅は最近】
外出する際は、天十郎にくっついていれば、大きなトラブルにならない事を理解している。周囲の男達も、仲良く天十郎にぴったりくっついた夏梅を、遠巻きにするしか方法がないのだ。
黒川氏が、天十郎と夏梅のカップルをつくづく見ながら聞いた。
「しかし、君たちのツーショットは圧倒されるな。夏梅ちゃんは不思議な子で、いるだけでお客さんが増える。お客さんを呼ぶ子だし、蒲はあの通り黙っていれば、かなりのいい男だろ、二人が協力してくれるなら、天十郎君の事を本気で考えてもいい。夏梅ちゃんはどう思う?」
「どうって、なんの話かわからないよ」
「天十郎君の事務所を新しく、僕らが作れるか検討しているところだが、私達はコネが少ないからな。九月から蒲が根回しをしてくれている事は知っている?」
「天十郎の住所を隠す話?」
「そうだよ。今のところ夏梅ちゃんに担当してもらうのは、記念式典だけど…」
【蒲が根回しを始めて一か月になる】
本来、人に頭を下げるのは苦手の蒲が毎日のように、立花編集長の紹介でまずはメーカーを回っているが、中々成果にはつながらない。
メーカーが俳優やタレントを起用するには、多くの場合は広告代理店を通す。広告の内容やイメージ、芸能プロダクションのコネクションと力関係などが加味されて、メーカーに絵コンテで提案される。しかし、決定権はお金を出すメーカーである。
茂呂社長の時もそうだが、一歩間違えると権力を誇示する道具になりかねない。まるで、部下のように連れまわされるリスクはあるが、メーカーと上手に契約した方が得である。メーカーが指定した俳優、タレントを広告代理店は変える事ができない。
天十郎は幸いにもイメージがまだ固定していない。黒川氏の美容室のイメージモデルを務める事によって、さまざまなイメージの発信ができる。ただ、蒲はうんざりしている。
毎日のように自分だけ外出をしているのだ。玄関ホールで天十郎と夏梅が仲良く並んでにこやかに「いってらっしゃい」と、言われるたびに頭に来ている。天十郎を忙しくさせてやる!今はそれだけが蒲の原動力だ。
僕に「二人をしっかり監視しろ」しつこく言う蒲だが、僕は全く相手にしていなかった。蒲がいなければ、夏梅のそばにいる必要もなく、天十郎と夏梅の幼稚園児なみの言い争いから離れて、静かで緊張感のない日々を送っていた。
【蒲が天十郎の住所を隠すために動いている事は、夏梅も知っていた】
「ふーん。私の出来る事ならやってもいいけど」天十郎を見ないで答えた。
思わぬ夏梅の応援に照れ隠しか?天十郎は「お前も可愛いところがあるな」夏梅に頬刷りすると「夏梅は肌がぷよぷよで、しっとり吸い付く抱き枕としては最高だ」と、余計なことを言った。
その一言で夏梅がヒートし始めた。
「デカマッチョ、私は枕か!」
その騒ぎに慌てたように「それなら、もちろん俺も協力するよ」と和樹が口をはさんだ。
「私も協力するよ。ただ、正直、リスクヘッジも取れない状態で大きな投資をするのは危険すぎる。とりあえず、黒川さん、事務所の契約はいつまでだっけ?」
「和樹さん、立花編集長ありがとうございます。契約は三月までです。ですから、四月から一年間やってみてもいいかと思いますが…。それに天十郎の本業の俳優の仕事が取れないとまずいでしょう。もし、うちで出来なければ、その時は大手のプロダクションに移れるように手配するのは立花編集長、どうでしょうか?」
「いいと思いますが、その時は、住所の件は諦めてもらわないとなりませんね。半年くらいで方向性がわかるかも知れないから、その時にまた本格的に動くかどうか考えましょうか?」
立花編集長は答え、和樹が頷いた。
後日、蒲から天十郎の新しい事務所開設に向けての話を聞いた。
表向きは、今の事務所が仕切っているような形だが、実情は今の事務所と専属モデル契約をした黒川氏が全面的に仕切り、月三回の代理店向けのフェイスコーディネイト研修で、天十郎が参加するメイク指導を行う。
おかげで、天十郎が直接する事はなにもなくなり、黒川氏の指定した日と場所に蒲と和樹たちと外出すればいいだけになった。
【打ち合わせが終わる頃】
蒲と吉江が仲良く戻って来た。吉江は、なぜか、さっき、夏梅が投げつけたミニスカートをはいている。スレンダーな足と、お尻が半分のぞいている。
確かにきれいではあるが、これでは夏梅の言う通り、事故が起きても、ファッションの主張は難しいかもしれない。女性が意図的に誘ったと誤解される。しかし、吉江は非常に満足そうだ。
【僕は蒲の異様な行動が不快だった】
二人が戻って来たのを見て、黒川氏が蒲に向かって
「おい、蒲、先に夏梅を連れて帰るのではなかったのか?打ち合わせはもう終わったぞ」
「あっ、失礼」
蒲は、にこやかな吉江に対して、優しくエスコートしていたが、夏梅を見つけると、手のひらを反すように、吉江の腕を払いのけ、べったりくっ付いている夏梅と天十郎を引き離した。
それをまた、天十郎が抵抗して、夏梅の奪い合いのような格好になった。吉江の表情が能面のように変わった。
天十郎は蒲を払いのけ、夏梅にマーキングをはじめた。
うざい飼い主に、うんざりした愛玩動物のように、夏梅は両手両足を使って「デカマッチョやめろ」天十郎を必死に避けようとしている。
その光景を、黒川氏や立花編集長達も、呆れ返って見ていた。
天十郎が蒲に二人で家を出ようと、提案した時以来。天十郎の夏梅に対する態度は、日増しにしつこくなってきているように感じる。まるで、報復行動のように…。
帰り際に、吉江が非常に低姿勢で夏梅に謝罪し、仲直りに二人でお茶をしないかと誘った。天十郎が付いて行こうとしたが、蒲はそれを遮った。
黒川氏の事務所近くの吉江の自宅のアパートで、お茶を楽しみ、帰りは、吉江が車で送ると言う。当初、天十郎も蒲もいない状態でのひとりの外出を、反対をしていた黒川氏夫婦も反対出来なくなった。
【黙っていた、夏梅は素直に吉江についていった】
僕が、夏梅についていったのは、あれだけの言い争いをしたのに、吉江が下手に出たからである。それに、先ほど蒲が、吉江より天十郎と夏梅を優先した時の、能面のような顔だ。自分が優位に立っていると思った瞬間に、奈落に落とされたのだから当然だ。
吉江の仲良しになりたいなんて、そんな言葉は信用できない。
本当に関係を修復したいのなら、仲良くなりたいという言葉は使わない。
なぜなら仲良くの定義があいまいで、各自の線引きに任されているからだ。つまり本気ではないという事だ。
なにより蒲とコソコソ話す吉江が信用できないし、吉江と仲良くしたり、夏梅の前で邪険にしたり、蒲の態度もおかしい。吉江は、二人で飲もうと事務所の隣のコンビニで大量のビールを買った。
!お茶のはずだろ?飲んだら車で送れない!
基本、夏梅はお酒を飲まないが、初めて吉江に会った時にいつも飲んでいる話を聞いている夏梅は疑ってないだろう。それに夏梅は世間知らずだ。蒲に言って、夏梅を叱った事で、夏梅が素直に付いて行った事が気になった僕は、二人の後を追いながら、嫌な予感しかしなかった。
【夏梅が吉江の部屋に入ると】
玄関のカギがかけられた。
僕はその瞬間、蒲と天十郎の元に向かった。運転席の天十郎は不機嫌そうだ。蒲は機嫌よく、にやにやしている。蒲は僕の顔を見るとウィンクをした。
信号で止まった。
僕は、Uターンして反対方向の吉江の住まいに向かって車を走らせた。
蒲は「おい、やめろ」叫んでいたが無視をした。
車から降り、吉江の玄関まで走り寄るとその反動を利用してドアをけり破り、夏梅の傍に駆け寄った。
夏梅は男たちに囲まれ、触れられて無表情である。
自分の意志のないところで、男たちに追い回されている時の顔だ。ひどく緊張し固くなったからだを丸め。爪をちゅっ、ちゅっと吸っている。僕は「夏梅、指を食うな」ボソッと言った。
夏梅はさらに身を固くした。
男たちが怒号とともに僕達に襲い掛かった。後から追って来た蒲が、さすがに動いた。天十郎は仕事の為に、蒲は天十郎に付き合ってからだを鍛えている。
もともと、蒲は喧嘩っぱやく、穏やかな顔立ちに似合わず乱暴で残忍だ。どっかおかしくなっている男達を相手に、大立ち回りになった。
蒲は慣れたように、僕らの逃げ道を確保してくれた。僕は、夏梅を抱えたまま車に飛び乗った。蒲はその後を追って来て、黙って運転席に座って車を走らせた。
【吉江は、どうなったのだろうか?】
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