第12話 入籍?

【リビングのサンルームに】


 黒川氏夫婦と和樹、立花編集長が来ている。天十郎が引越をしてくる前に、部屋の中央に置かれていた、長椅子とダイニングテーブルは明るい秋の日差しが入るこの場所に移動され、そこに集まった。


 広いリビングの半分は、夏梅のパソコン関連と書籍に埋もれている。その先にある出窓横のソファーベッドで、夏梅は、いつものように僕の横でダラダラしている。黒川氏夫婦は決して、用事がなければソファーベッドには近づかない。


 黒川氏は、十一月二十日の新製品の発表会を兼ねた、十周年記念式典に、ゲストモデルの衣装とヘア、フェィスメイクコーディネートの依頼があった概要を説明し終わると、出席者、全員を見回した。


「再来週の茂呂社長の十周年記念式典に、うちの美容室がゲストのコーディネートをするの?」日美子は初めて聞いたようで、驚きの声を上げた。


「コーディネートって?衣装とヘアとフェィスメイク?ゲストって何人?」

 日美子はさっそく頭の中でシミュレーションを始めたようだ。ながくこの手の仕事をしているだけはある。すぐに可能かどうか検討するようだ。


「六人かな?年齢は…。茂呂社長と同年代の四十~五十歳だな」

 黒川氏は資料を見ながら説明すると、日美子さんが

「女盛りか…。衣装のサイズは?いえ、それ以前に、それをやったらどうなるの?」質問した。


「うちの宣伝になるし、上客がつく」

「それってかなり良い事だね?」


「まあそうだね」

「でも、再来週って全然時間がない」


「うん、それで、立花編集長のところの広告主で、プレタポルテの新規参入のメーカーなら、高級衣裳を無償貸出の交渉ができるかもしれないと、提案をしてもらっている」


 僕は、隅で腕を組んで座り込んでいる立花編集長を見た。頷きながら顔をあげない。考え込んでいるようだ。


「それは、いいかも」日美子さんが嬉しそうな顔をした。日美子さんは、お金儲けの好きな人だ。


「しかしだな。諸条件が揃っても、中高年のイメージに偏ってしまうネックがある。現在、うちの美容室のリピーターは二十~三十代止まりなのが、急に偏りが出る事の不安要素がぬぐえない」黒川氏は的確に分析している。


「だったら、茂呂社長の提案通り、事務所のモデルがパーティに参加して、美容室の健在ぶりをアピールするしかないだろう。ただ、残念な事に他に専属モデルがいないので、天十郎と夏梅を出すしかない。きっと茂呂社長はそこが目的だろ?計算づくさ」


 蒲が笑いながら提案した。僕は蒲を見据え「お前、夏梅を見世物にしたいのか」きつくいったが、蒲は僕の声が聞こえていないふりをしている。


「俺はいいけど、おい、夏梅を連れて行って大丈夫か?」天十郎が声を大きくした。


反対のようだ。


「現時点で、話題性は高いし、それに蒲が言っていた、提案の事もある。事業展開する事を考えていたから、やり方次第ではプラスに出来る。非常に良いタイミングではあるけれど…」黒川氏が戸惑っている。


 和樹が「籍を入れる話?」と口を挟むと、馬鹿馬鹿しいとばかりに、日美子さんが「本人が納得するかどうかでしょ。夏梅ちゃんは、既製服が入らないわよ」と遮った。日美子さんは欲だらけだが、正論から外れないタイプだ。


 籍を入れる話?なんだろう?僕のいないところで何か話されているようだ。注意をしなければ…。


「特別に仕立てないといけない訳か。モデルとして連れて行く時間もないし、目立ちすぎるから、何か他の方法を考えないと」


「まったく面倒な奴だ。記者とかライターとして参加させれば?」蒲は嫌そうに言った。


「黒川さん、まず、タイアップ記事の打診をしてみようか?そこがクリアしないと再来週にまに合わないだろ。ただ、打診したら、最後、進むしかないが」


「立花編集長。夏梅ちゃんの事は何か方法を考えるとして。そうですね。そうしましょう。早急にお願いします」


 それは天十郎の事務所開設に向けて、GOサインが出たのと同じことだ。


 プロの集団である。それぞれが、言われなくても記念式典に向かって、自分達のやるべき事と調整を短時間で終わらせた。






【そして、最後に議題は夏梅になった】


「黒川さん、夏梅は、うちの記者として連れて行けば、ゲストモデルとして舞台に一時期立ったとしても、そのあと目立たずに、誰かが見ていられるだろ?」


「立花編集長は、夏梅ちゃんのそばにいられるのですか?俺は隣にいるっていうのは無理ですよ。奥さんに抑えてもらわないと襲っちゃう」


「要するに、蒲さんと、てんちゃん日美子さんだけがセーフなのね。皆さん、忘れていませんか?この子に化粧は出来ませんよ」と、和樹が口を挟んだ。


「だからさ、恋人説が過熱しているから、それを逆手にとって、天十郎の婚約者として、茂呂社長の天十郎への抑止力にすればいい。そんな使い方しか出来ないだろ。さらにそのまま籍を入れれば、ストーリーが完成するだろ?」


 立花編集長はあきれたように

「まったく、なんて言い方だ。蒲は夏梅の使い方しか考えないのか?」


「どんな言い方をしても同じです。ここはプラスマイナスをきちんと見極めて対応すべきですよ?」


 入籍だって?婚約者まではわかるが…。僕は戸惑った。やはり、蒲の奴め、またなにか企んでいるな。


 ソファーベッドの上から夏梅の、のんびりとした「私、お留守番でいいよ~」と声がした。


すると、日美子さんはソファーベッドに向かって

「そうは、いかないの」

「なんで?」


「元カノのリークで、ちまたでは、天十郎君の恋人に注目が集まっているの。だから茂呂社長の条件の中に、あなたが入っているの」夏梅はびっくり顔をした。


「美術館の話?ほへ~」

「まったく夏梅が爆弾とは知らずに、茂呂社長も簡単に要求するなよ」

 蒲が吐き捨てるように言った。


 日美子さんが不審そうに黒川氏に尋ねた。


「公の場ではなくて、個人的に会社に夏梅を連れて行ったら?一度、夏梅を見たら茂呂社長も落ち着くのではないの?」


「そんなのは、カバーガール候補として呼び出せば簡単だろ?公の場で曝したいのは、恋人説の真偽を確かめるためだろ?」


「別に、公の場所だから真偽が確かめられる訳じゃないわよね?」


 すると和樹が

「あの社長、ずる賢いからね。自分の手は汚さずに多くの記者の前で、公になれば何もしなくても、彼らが真偽を明確にしてくれる。それが茂呂社長の狙いだわ。俳優一人に、えらい執着している。恐ろしいよ」


 蒲は笑いながら

「天十郎の彼女だから、かばっているわけではないのに、世間なんて笑えるな。それを逆手にとらないとダメですよ」


「知らないのだからしょうがない。みんな憧れ症候群に陥っているからね」立花編集長の言葉に日美子さんが反応した。


「あーそれは認める。私も最初、天十郎君を見た時は憧れ症候群にかかったわ。でも、夏梅の自爆で正気に戻ったけれど、あれがなかったら今でも、お目めキラキラで憧れていたかもしれない。全体のほんの一部、真実ではないところしか見えないからね」


「そういう仕事でもあるしね」立花編集長はニッコリ笑った。


「そうだな、難しいよな。とにかく、夏梅をどうやってお披露目するか、慎重にしないと後が難しくなる」蒲以外、みんながこっくり頷いた。






【蒲は天十郎と夏梅に近寄ると】


「天十郎、お前達の一番の心配は、公の場での幼児帰りだ」


 黒川氏達が真剣に記念式典に向かって話し合っている間、天十郎と夏梅は相変わらず、ソファーベッドで小競り合いを続けていた。蒲がそれを見かねたようだ。


 天十郎は蒲をチラッとみると「なんだそれ」としらを切った。


「そうやっている。お前と夏梅の言い争いだ。両方とも仲良く喧嘩し過ぎだ。押さえろよ」


「まさか、公の場でそんなことしないよ」

「だと、いいけど」蒲の言葉に棘がある。


「天十郎がおとなしくしてれば、参加してもいいよ」夏梅が言いきった。


 その様子を見ていた黒川氏と日美子さんは微笑んだ。

「天十郎君が来てから、夏梅ちゃんが少し変わって来たかな?」


「うん、そう思う。水と油のような関係なのに、イザという時には助け合おうとする。蒲の彼氏に、あんなに、よくするのは初めてかな」


「良い事だよな?」黒川氏は日美子さんに聞いた。日美子さんは、考え込みながら「良い事だと思う」二人で顔を見合わせた。


 僕にとっては、夏梅を地獄に落とさない事が一番だ。そのためには、色々と迷惑をかけている彼らの事業に、利益をもたらす事も重要なのではないかと思い、夏梅の入籍の話も、強く反対が出来ずにいた。


 僕は、一連の出来事にとても迷った。とりあえず、明日、記念式典に向けて、黒川氏の事務所で採寸する事になった。





【翌日】

 

 採寸と同時に、並行して行われた打ち合わせに現れない夏梅を探して、フィッテングルームにやって来ると、夏梅は吉江と口論になっていた。


「お尻丸出しの洋服なんか着られる訳がない。雄を揺さぶっちゃぁ、だめだ」夏梅がベビースマイルのまま、目が怒っている。


それを蒲がみてニヤニヤしている。


吉江は挑戦的に

「だいたい、お尻が丸出しのどこがいけないのよ。可愛いでしょ。雄を揺さぶって何が悪いのよ。あなたの方がもっと悪質よ。何人の男を引き連れて歩けば気が済むの。とにかく私の言う通りに着なさいよ」


「あたしが何人引き連れようとそんな事、重要じゃない。自分の身を守らないと、私はこんなの着る事が出来ない」


「あら、偉そうに、ただのモデルが私に口答えするつもり?何様?」

「自然界では雄が着飾って雌の気を引くものよ。女が媚びるのはおかしい」


「自分はなにもしないでも、男が寄って来て選んでもらっています自慢か!それともお金かけています自慢?その胸いくらかかったの」


「胸にいくらかかったかなんて、余計なお世話だわ。そもそも男を呼び寄せたいのなら、フェロモンを消すほど強い香料や消臭剤を使わなければいい。肌を露出させると、何かあった時に男社会ではすべての責任を不本意でも女性が背負う事になる。その覚悟があるの?私にはない!」


「説教なんて迷惑だわ。全部を理解しています論。腹立たしい。御託並べて、多くの男をひっかける、あんたはただの歩く便所じゃない」


 吉江が勝ち誇ったように薄笑いを浮かべた。夏梅の顔が引きつり、目を見開き異様な顔をしている。


「そうよ、ストレートはみんな入れたがる。だけど私は誰も入れない。私の許可がなければ私の中に誰も入れないのよ。あんたは、公衆便所にもなれないじゃない」


「夏梅!」僕は驚いて叫んだ。


ただ、黒川氏の事務所で採寸するだけで、何をそんなに興奮しているのか?あまりの異常な言葉のやりとりに茫然としていると、蒲が「両極端な可哀そうな女が、支離滅裂に騒いでいやがる」とクックと笑いを押さえながら僕を見た。


 また、吉江に屈辱されたのか?それにしても、夏梅がああ大きく反応しているのを初めて見た。


「蒲、何をした」僕が問い詰めようとすると、蒲は二人の間にはいって夏梅を軽く抱くと、


「そういうSEXやフェロモンの問題は微妙だよね。僕ら男が女性を傷つけるなんて思ってもみなかった。ごめん。僕が悪かった。みんなが呼んでいるから、事務所のほうに行こうか」


 夏梅は手に持っていた、ミニスカートらしきものを吉江に投げつけた。まるで、吉江が夏梅に酷い事をしたような構図だ。吉江は居たたまれないようにその場を飛び出した。





【僕は男性用トイレに蒲を誘導した】


「おい、蒲」


「おお、吉江って女、面白い。夏梅にお尻まるだしの超ミニスカートを試着させようとしたら、夏梅が嫌がって、それで吉江がご丁寧に自分で試着したのよ。スレンダーだから綺麗に足のラインが見えて、それを吉江が自慢げに、夏梅に見せていたら、突然に夏梅が切れ始めた」


「はあ?本当か?」


「おお、自分は安全なところにいて、文句をいうなんて夏梅は頭がおかしいだろ?自分が着せられたのではないのにさ」


「蒲、お前こそ、被害者面して僕が悪かったなんて、高みの見物を決め込んで可笑しいよ」

「そうか?」蒲はけらけら笑った。


「その根性治らないのか」

「俺って可愛いだろ」と蒲は嬉しそうだ。


「お前って変わらないな。おい、蒲、夏梅に悲しいぞって伝えてくれ、僕は先に事務所に行っている」僕は、そう言って先に男子用トイレを出た。


 夏梅は見たことのない形相でトイレの入り口で待っていた。


その夏梅の横を通って事務所に向かうと、後ろの方で蒲が夏梅に「悲しいぞ」と声をかけた。その言葉に僕が振り向くと、夏梅が茫然としていた。


 僕は夏梅にはもっと自分を大切にして欲しかった。


 ポートレートを提出してから、茂呂社長から正式な記念式典などのオファーがあったということは、当然、単純に仕事をくれた訳ではない。行方不明のはずの天十郎のポートレートを提出してきた黒川氏へ探りを入れて来たのだ。その対応いかんでは、夏梅の今後を考える必要がある。

 




【僕が急ぎ事務所に戻ると】


 メイクアーティストの和樹と、立花編集長が合流し打ち合わせが始まっていた。黒川氏の声が事務所に響く。


「うちが絡んで、天十郎の住所を隠すことは簡単だが、今の事務所は茂呂社長が関わっている。どう対応するか…」

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