第11話 蒲への刺激とタンス

「男地獄とは!江戸時代の浮世草子などに表現されている、女にもてあそばれる男。男めかけ。男色を売る者という意味だな」


 天十郎は嫌そうな顔したが夏梅の声は意地悪くもなく、軽蔑した感じも微塵もしなかった。


「さすがライター!天十郎も苦労したからな」


 蒲はなぜか、はしゃいでいる。その蒲の様子を見た夏梅は鼻で笑い。呆れ返ったように「お茶でもしようかな」ソファーベッドの正面にあるキッチンに向かった。


 天十郎が蒲に「嬉しいのか?」突っ込むと

「俺の胸に抱かれていれば、そんな事は忘れさせてやるから」蒲が天十郎の頭をなでた。

 

「途中でいなくなったよな。夏梅にはやはり勝てないのか?夏梅ってすごい奴だ」

「元カノか?」蒲が聞くと天十郎が頷いた。


「お前の演技もすごかった。やっぱり役者だな」

 蒲の誉め言葉に天十郎は嬉しそうに笑ったが、その件に関して僕は非常に面白くないままである。


「美来や茂呂社長などあの部類の女たちの興味は、男に対する夢や要望を形にして偶像をひたすら求める。こっちの気分なんか気にも留めない女の欲が薄汚すぎて反吐が出る。夏梅もそれと似通った立場だよな」


「そうだな」


「オレはそんな女達を利用して、仕事にありつくためのパトロンだと考えられるが、夏梅は元々そんな世界で生きる事を選んだ訳でもないし、欲望がある訳でもない。そういう事だろ?過酷だな」


「過酷か?」

「正直、俺、夏梅のすること、なすこと、腹立たしくて顔をみるのも嫌だったけど、その部分については共感できると言うか」

 言いながら、天十郎はキッチンに向かった。





【蒲が僕を見て何か言いたそうだ】


 僕は蒲に聞いた

「蒲は天十郎に、夏梅の何を見せたかった?」


 蒲は、天十郎が思いのほか夏梅に同情していることに気が付き、機嫌が悪く黙っている。


「女嫌いの天十郎に、女の本性や、男を惑わすところを見せたかったのか?そうだとしたら、とても成功したとは思えない」僕はため息をついた。


 僕らが話し込んでいると、キッチンから、夏梅と天十郎の言い争いが聞こえてきた。


「だから、これは私のだから、あんたには使わせない」

「ふざけるな、蒲が使っていいって言った」


「冗談じゃない、蒲、蒲」叫び声のような夏梅の声がする。

「おい、今度はなんだよ」僕はキッチンを覗きに行った。戻って来ると蒲に


「二人してティーカップの取り合いをしているぞ、まるで幼児の兄弟げんかだ。早く、お前がなんとかしろよ」

「嫌だよ」


「あの二人、波長が全く合わないのか、手加減なしで騒ぐな。勘弁だぜ。天十郎の言い分も父親とか母親の取り合いみたいだし、おい、蒲、早くしろ」

「嫌だよ」


「お前が原因だ、さっさと終息させろ、頭が痛くなる」

 僕が蒲にきつく言い渡すと


「お前に頭なんかあるかよ」

 蒲はため息をつきながらキッチンに向かった。


 美術館から帰って来てから、天十郎は夏梅への興味が沸いたのか、演技をしたつもりが夏梅にのめり込んだのか?二人の距離が接近しているような気がする。





【二階の寝室で】


 蒲との蜜月タイムに天十郎は突然、起き上がり「あ、我慢できない」裸のまま飛び出した。蒲が「おい」怒りの声を上げた。僕は「蒲、諦めろ、どうやってもあれが気になるみたいだ」隣の衣裳部屋を指さした。


 さっき、少し開いたドアの向こう側で、仕事中のボロボロの夏梅が通ったのだ。天十郎はそれに気が付き、サンルームで繋がっている蒲達の寝室から、衣裳部屋へと夏梅を追いかけたのだ。


 隣の衣裳部屋に入っていった、天十郎の向かった方を見た。バタバタと足音が響いた後に「ぎゃ~」夏梅の声がした。ベッドの中で蒲と僕は聞き耳を立てた。


「待て、動くな」天十郎の言う声と「嫌だ~、怖い~」夏梅の泣き声に近い悲鳴が聞こえる。


「お前がとめれば」蒲が、不服そうに僕をにらんだ。僕は、わざとにやりと笑い、蒲を刺激してから「僕に何が出来る?それとも前みたいにやっていいのか?」聞き返した。


 蒲は憂鬱そうに頭をかかえ「くそ」と布団の中に潜り込んで丸まった。こいつも、子供の頃からのこの癖が治らない。僕と夏梅が仲良くしていると、同じように布団の中で丸まっていた。いまだに同じ構図の中にいる。


「殺人を起こす奴の気持ちがわかる」蒲が布団の中からつぶやいた。

「それで、また殺すのか?」僕が声をかけると


「殺すなんて、ただふざけただけで、大げさだ」

 蒲の絞るような声がする。


「そうだな、ただのおふざけだよな。でもそのおふざけの代償は自分で払うって決めたのだろ」蒲は黙りこくった。

 

 僕は蒲に打撃を与え、おとなしくさせてから、天十郎と夏梅を見に行った。





【衣裳部屋では】


 天十郎は裸のまま、夏梅を抑え込んで、目薬を差そうとしている。


「怖い、怖い」叫ぶ夏梅

「何が怖い。たかが目薬を差すくらいどうってことがないだろう。お前がいくら自分で差しても、目には入らない」


 僕は辞めればいいのにと思いつつ、二人を傍観した。


「橋から落とされるより、怖い」

「なんだ?橋から落ちるより怖いって?橋から落とされる方が怖いだろ」


「橋から落ちるなんて一瞬だ」

「お前は馬鹿か、目薬も一瞬だろ。まったく、面白い奴だな」


 天十郎は平気で押さえつけて目薬を差した。

「どうだ、怖くなかっただろ?」


「怖いよ」

「これからは俺がつけてやるから、一人で目薬を差そうとするな」


「なんで?」

「イライラする」


「なんで?」

「なんで?なんで?って、オウムみたいにうるさい」


「じゃあ、別の切り口で…」

「なんだよ」


「天十郎」重たく怒ったような口調で夏梅はまっすぐに


「目薬を差し終わって満足したでしょ。いつまでパンツをはかずに裸のままで、おっぱい掴んで私を抱きしめているの?」


「えっ?」





【天十郎はひどく驚いて下を見た】


 僕も驚いた。こいつは気が付いていなかったのか?天十郎は反目しながらも、蒲みたいに夏梅を拒絶しているようではなさそうだ。


「お前、なんでブラジャーをしてないのだ」


「知るか!関係ないでしょ。私の自由だ」

「ブラジャーくらいしておけよ。胸元のぽっチはダメだ」

 夏梅は馬鹿にしたように笑い。怪訝そうな顔して


「?乳頭?の事?」

「乳頭って言うな」


「乳頭は乳頭でしょ。他になんて言うのよ」

「それは刺激的だ」


「天十郎だって筋肉盛り上がって、乳頭がポチってなっている」

 夏梅はニヤリと笑い。天十郎の乳頭を指先でつまんだ。


「夏梅、やめろ!」

 過激になってきそうな二人を気にして、後から追いかけてきた蒲が口をはさんだ。蒲の叫びに近い声を無視して、天十郎が夏梅を抱いた腕に力を込めているようだ。


「いや、俺と蒲はいいけど。お前、子供が出来たら困るだろ」


「はあ?いや出来ないだろ」

「俺だって雄の本能あるからな、好きじゃなくても生殖本能で出来るからな」

 天十郎が夏梅にからだをすり寄せた。


「天十郎なんか裸のくせして、パンツとブラジャーと、どっちが無礼よ」 

「裸は慣れの問題だろ!お前が慣れればいい!」


「そうか、慣れたらいいのよね。じゃあ、君たちみたいに裸で歩くかな」





【夏梅が天十郎を突き飛ばし、興奮気味に服を脱ぎ始めた】


「二人とも、やめろ!そんなに仲良く喧嘩されると、生殖本能だとわかっている俺だって我慢が出来ない!」


 蒲が突然に叫んだ。天十郎は蒲を見た。蒲はかなり怒っている。

「夏梅、いい加減にしろよ、天十郎の雄を刺激するな、やっちゃうぞ」


「蒲、むかつく!やれるものならやって見なよ。天十郎を刺激されたくなかったら、君たちもっと謙虚に暮らしなさいよ」


「俺は夏梅の刺激にはほとんど反応しないけど、天十郎は違うのだから少しは配慮しろ」


「配慮って何をどうすればいいの?蒲は私にどうして欲しいのよ!蒲、あんた達のねちっこい痴話げんかに巻き込まないで!」

 夏梅は半泣き状態になった。


 蒲は天十郎が夏梅に興味を抱き、幼稚園児並みにかまう事に苛立ち、嫉妬で夏梅に対して牙を剥こうとしている。


 夏梅は愛されもせず、雄の本能の対象として責め立てられる痛みで半狂乱だ。何も悪くない夏梅の痛みを感じた僕は、つらくなり、天十郎を見据えた。


 それに気がついた蒲が、下着を脱ぎかかっている夏梅に

「夏梅、ごめん、天十郎と話すから興奮をするな」と、飛び掛かって止めた。


 その様子に、天十郎がいたたまれないように立ち去った。


 僕は冷ややかに蒲を見つめ、少し様子を見ようと考えた。なにより、夏梅が嫌がりながら、妥協が出来ているようだ。それに、声に出してあらがう事が出来る相手のようだから、大ごとにならずに済むかもしれない。


 夏梅への対抗心から、弾みで一緒に住み始めた天十郎だが、ひょっとしたら何も知らない天十郎の存在が、抑止力になる可能性を秘めているのかも知れないと、思い始めていた。





【それ以来、毎日の天十郎と夏梅の小競り合いに蒲が参戦して来た】


「おい、バル乳」

「おい、デカマッチョ、肩削れ」


「二人とも朝から何をやっている?夫婦漫才か?」

「蒲、こいつ捨てて来て」


「夏梅、やめろ、俺を刺激するな」と蒲が夏梅を止めようとした。

「なんで、刺激なのよ」


「天十郎、俺に嫉妬して欲しいのか?」

「こいつ」二人同時に蒲に向かって叫んだ。


「やめろ、仲良くののしりあっているんじゃないぞ、夫婦喧嘩みたいなことするな」

「おい、蒲、お前は何を言っている。こんな乳お化け捨てろよ」


「クソマッチョ、シネ」夏梅が毒つと、蒲が切れた。

「やめないと叩き殺すぞ」二人を追いかけまわし始めた。


「キャー」家中に夏梅の悲鳴が響く。





【夏梅は二階の衣裳室の箪笥に逃げ込んだ】


 夏梅に続いて、天十郎が飛び込んで来た。天十郎を追いかけてきた蒲は、殺気立っている。蒲が、怒り狂って箪笥をそのまま動かそうとしている。狭い箪笥の中で、夏梅の胸に押しつぶされそうになっている天十郎だ。


「デカマッチョ。動いている。怖いよ」

「まったく、何を怒っているのやら…」


「もう嫌だ。あんた、マッチョなのだから、どうにかしなさいよ」

「マッチョは関係ないよ」


「どうしてよ」

「つまりだな、簡単に説明すると、蒲を怒らせたらオレは殺されるってことさ、あいつ可愛い顔して、すっげー強いし、やることは、えげつないから」


「そうなの?」

「知らなかったのか?」


「知っている。蒲は、いつもは仮面を被っているから。人殺しなんて簡単にする人だ」

「そうか?」


 箪笥が斜めになった。


「まずいなこのまま、二階から放り出される」

「あんたが、どうにかしなさいよ」


 夏梅は、足で天十郎を箪笥の外に押し出そうとした。


「お!バル乳!やめろ」

「バル乳言うな!蒲に殺されろ」


 斜めになった箪笥のドアが壊れ、天十郎が外に転がり落ちた。その、転がった天十郎に蒲が覆いかぶさって、殴ろうとして手を挙げた。


 その時、壊れた箪笥の中から、目を見開いた夏梅が怒りを込めて叫んだ。


「二人とも、家を壊すな!私の家から出ていけ!」

 その声に蒲と天十郎の動きが止まった。


 僕は天十郎と蒲の間に入り込み、天十郎を見つめた。


 蒲は大きく深呼吸すると「今日の夕飯なににしようか?」と立ちあがり「おい、天十郎、直しとけ」と言うと、険しい顔の僕を見ながら、下のキッチンに降りていった。


 夏梅は「今日はバターソースパンを食べるからいらない」蒲の後ろに向かってヒステリックに叫び、下に降りた。





【おい、冗談だよな、怒るな】


 蒲の声が遠くなる。ため息をつきながら天十郎は「蒲を怒らせると本当に怖い奴だけど、夏梅も相当だな」呟いている。


 天十郎が一人、壊れた箪笥の片づけをしていると、こそこそと蒲が下から二階に上がって来て僕を見ると安心したような顔を見せた。


「おい、まずいよ、バターソースパン食べるって言っているから、夏梅は本気で怒っているよ」

「怒るだろ、これだけ壊せば。だけど…バターソースパンってなんだ?」


「夏梅の父さんのソウルフード」

「うん?」


「亡くなったお父さんが好きだった。単純に食パンにバターを両面塗ってフライパンで焼いてソースをかけて食べるだけ。昔はバターも貴重な時代にはそれなりの位置を占めていたさ」


「それが何」


「あいつ、怒るとそれを延々焼いては、食べ。と気分が落ち着くまで続く、ひどい時は一斤くらい食べる」

「ただ食うの?ふーん、怒り狂ってもそれで済めばいいな。無害な奴だな」


「天十郎、わかってないな。明日の朝食のパンをあいつがみんな食っちまう」

「俺、片付けているから、蒲が買ってくればいいだろ。だいたい、なんでこんな事になったのだ」


「もともとはお前だろ。お前が夏梅と仲良くするから、我慢が出来ない」

「仲良くないだろ、頭に来て『バル乳』って言ったら夏梅が怒りだして」


「バル乳ってなに?」

「バルーン乳」


「お前、バカなの?夏梅が一番嫌がる事を言ったの?」

「ああ?」


「それは怒るだろ」

「でも夏梅がデカマッチョって言った」


「お前ら幼稚園児か?そうやっていちゃつけば、俺が怒るのをわかってやっているのだろ」

「蒲、誤解するなよ!だからさ、いい機会だから二人で出て行こうよ?」

 

 天十郎はお願いするように蒲に言った。蒲は黙ったまま、天十郎のそばに張り付いている僕を見つめていた。


 十月の終わりになって、黒川氏事務所に茂呂社長から連絡があった。



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