第6話 釣果と行方不明

【玄関先で】


 蒲の釣り用のジャケットがうまく脱げず、クーラーを蹴とばしている夏梅に、蒲が近づいた。


「釣果は?」

「アジ五本」


「それだけ?」

「坊主じゃないからいい」


「五目だしな」


 夏梅の機嫌がとても悪い。


「なんだよ。海臭い」天十郎がやって来た。


 天十郎を見ると夏梅は

「それ!聞いてよ。壊れたレコードみたいに、だれもかれも近寄って来て同じことを言う。最後には今度会うとき迄に預けて行きます?私は荷物預り所か?」夏梅はかなり怒っている。


「イヤ~参った」

 遅れて、黒川氏夫婦が玄関に入って来た。大きな袋を持っている。広めの玄関ホールがとたんに混みあった。


「こんにちは!先日はどうも!」天十郎があいさつした。


「これ、夏梅ちゃんの」

 日美子さんは大きな袋を指さした。天十郎は袋が気になっているようだ。


「いらない、私、預かった覚えがない」

「またか、最近、又一段とレベルアップしてない?」

 蒲が笑いながら夏梅に尋ねた。


「そうかな?」

「就航前から大騒ぎ」黒川氏が笑っている。


「十名のうち、私と夏梅ちゃんのほか、もう一人女性がいたのに、うちのを除いて六名全員が隙あらば、夏梅の隣にすわり、預かったものがこれらだよ」

 大きな袋を日美子さんが差し出した。


「そんなもん受け取るなよ。二階の納戸がいっぱいだよ」

 蒲が袋を蹴とばした。


「そんなにたまったの?またフリーマーケットに持って行くわよ」

 日美子さんが元気に答えた。


「処分をするのですか?」

 天十郎が日美子さんと並んで不思議そうに袋を見ている。


 日美子さんが

「天十郎さんはファンからもらったプレゼントをどうしているの?」

 天十郎に聞くと少し考えて、「ほとんど、事務所が管理をしているよな」と、答えると突然に夏梅が袋を蹴とばし、プリプリしながら


「おい、それ!聞けよ。私はね、プレゼントじゃなくて預けて行くの。違うの、まったく違うのよ。みんな預けて行くの」


「預けるって?」

 天十郎はみんなに聞いた。黒川氏夫婦と蒲が、困ったような顔して笑っている。


「みんな、貴方に預けます。またお会いするときまで持っていてください。何なの?なぜ、なぜに置いていく?もう二度と会う事はないのに、どうして自己主張するわけ?まったく、けち臭い。くれたらいいのに、くれたら捨てられるのに、預けると言われると捨てられないじゃない。大体、なぜ無料で預からなくちゃいけない訳?」

 

 夏梅はふくれている。


「質流れも三か月くらいだから、無償で預かっているから、こっちで処分しても文句は言えないよ。大丈夫だよ、誰も取りに来る勇気は、ないさ」

 蒲が、言ってこちらをみた。


「ああ、その場限りだからな」と僕が答えた。天十郎は納得がいかぬ顔をしている。


 日美子さんがそれをみて、

「天十郎さん、聞いてよ。狭い釣り船の上で、私たちが追っ払っても、追っ払っても次から次とやって来て、釣りどころじゃないわよ」と、ため息をついた。


「ゆっくり釣りがしたいのに」夏梅が半泣きだ。


「まあ、お前は男から預かる事しか出来ないからな」と蒲が馬鹿にしたように付け加えた。


「天十郎、お前、稼いで仕立てに乗せてやれよ」

「仕立てって?」


「貸し切りの事」

「釣り船を借りる事?どれくらいの金額?」


「一回十万円以上だろ」

 黒川氏が答えると、天十郎は叫んだ。


「嫌だ。お前が釣りをやめろ」

「それ嫌い!」と夏梅が叫ぶと、リビングの自分のソファーベットに逃げ込もうと駆け込んでいった。


「夏梅がさっきから言っている「それ」というのは、天十郎さんの事?」

 日美子さんが小さな声で蒲に聞いた。蒲は頷いた。


「そーなの「あれ」から「それ」に昇格したの?」

「昇格か降格かはわからないがな…」


 あーあ、夏梅を逃がさないで、先にシャワー浴びさせないと、塩だらけでベタベタだ。

「おい、蒲、シャワーが先だ。捕まえろ」


「夏梅、預かり物は納戸に入れておくから、シャワーを浴びろ」

 蒲はわざとらしく、優しくいいながら、夏梅を追いかけて行こうとすると、天十郎がそれを遮り「俺が行く」と走り出した。


 僕も天十郎を追いかけた。


 ソファーベッドに到着する前に、夏梅を捕まえると引っ張るように、浴室に連れて行った。夏梅も黙っていない「それ!さわるな、引っ張るな」と、叫び、天十郎も

「お前が、我がままをいうと蒲が、お前の世話を焼くだろ。我慢がならない」と、騒いでいる。しまいには、強引に洋服を脱がすと、風呂場に夏梅を押し込んで、洗い始めた。





【リビングに戻ると】


 二人の騒ぎを横目に黒川氏夫婦は、家に上がり込み、自分たちでお茶を入れ、キッチンカウンターでくつろいでいた。


「いったいこの騒ぎはなに?」

 蒲に聞いている。蒲は、仕方なく笑うだけである。


 夏梅を洗い終わった天十郎は、得意げに蒲の元に来たが、蒲があごで大きな袋を指した。天十郎は怪訝そうな顔をして、その袋の中身を見ると、釣り竿やリール、傘などが入っている。


「さっきのか?」

「うん、持って来いよ」


 蒲は天十郎に袋を持たせ、先に歩いた。





【二階の納戸にしまうためだ】


 階段を登りながら蒲が「男たちが夏梅に、強引に預けて行く」と説明をしている。


「なんで?」

「また、会う口実だろ」


「あーなるほど」

「せこいよな、男は単純で、全員同じことを考える。また会いたいという言葉ではなくてさ、下心が丸見え」といいながら、納戸を開けた。


「こんなところに納戸があったんだ」天十郎は興味深いようすで中を覗いた。


 二階の階段の横にある二畳ほどの広い納戸は、高級なお酒から、ありとあらゆる男物が溢れている。


「これはすごいや」

 天十郎が、面白そうに眺める。後から追いかけてきた黒川氏夫婦も、一緒に覗き込んで

「また増えたわね。やっぱりフリーマーケットだわね」


「しかし、出かけるたびに、これだと困るだろ」黒川氏も頷いている。

「俺よりすごいかも」天十郎は興味深いようだ。


「まったく夏梅ちゃんの言う通り、彼女が使えるものをくれればいいのに、役に立たない男物なんてあほらしいわね」日美子さんがため息をついた。


 みんなが納戸に気を取られている間に、シャワーから出て来た夏梅が、二階の奥の衣裳部屋に潜り込み、男物に身を包み出て来た。


 それに気が付いた日美子さんが

「素敵ね。蒲の洋服?」と聞いた。その声にいち早く反応した天十郎は


「うん?俺のか?」納戸から顔をだした。

「俺のだ、お前、自分のものを着ろ!」


 全員集合し、混雑している二階の狭い廊下のスペースで、天十郎が、夏梅に飛び掛かりそうになるのを、全員で止めた。夏梅は潜り抜けるように、一階に一人で降りて行った。そのあとを追いかけるように、みんな階下に降りて来た。





【リビングに戻ると】


「今日は、立花編集長とメイクアーティストの紅谷和樹氏も一緒だったのよね」


 日美子さんが話題を変えて夏梅に同意を求めた。夏梅は、コクコクと頷くとソファーベッドに潜り込んだ。僕も夏梅のとなりに座り込んだ。僕は久しく会っていない立花編集長の名前を聞いて嬉しくなった。しかし、蒲は面白くない顔をしている。


「また、仕事の話をもらったね」

 日美子さんに言われて、夏梅は嬉しそうな顔をしている。


「立花編集長と知り合いですか?」天十郎が黒川氏に尋ねると

「ああ、夏梅も蒲も中学生くらいからね。知っているよ。釣り仲間だから」黒川氏がカッカッと笑った。


「蒲も知り合いですか?」

「そうね。昔からの知り合いでね、そうそうこの間の君とホテルのタイアップ記事が好評らしいね。おかげで夏梅に新しいお仕事が来たよ」


「えっ、ああ、そうなのですか!」

「天十郎君は蒲のお勧めだったのだろ?」


「あっ、いえ、蒲を通して立花編集長から提案をしてもらって…」

「えっ、そうか?」

 黒川氏が困った顔をした。


 僕はとっさに、なにかあった事に気が付いた。今日、やっぱり釣りに一緒に行けば良かった。と後悔していた。


「口から真実は出てこない」と、よく黒川氏から言われたものだ。


 口から言い訳は出て来ても、真実が語られる事は滅多にない。だから自分自身で掴むしかないのだ。黒川氏夫婦は口が堅い。美容という客商売で多くの情報が入るが、よほどの事がないと話さない。


 僕は立花編集長の所を訪ねようか考えていたところ、膝もとでゴロゴロしていた夏梅が天十郎を指さして「!行方不明!」と叫んだ。


「えっ」天十郎は夏梅を見た。


 黒川氏が申し訳なさそうに

「いやね。天十郎君のタイアップ記事の話から、今、天十郎君が、行方不明でひと騒ぎになっていると立花編集長から言われていてさ、それでカバーガールのポートレートサンプルも極秘で我々だけでおこなったのさ。今日の釣りの席でもその話が出て、茂呂社長がかなり強引で…」

 

 最後の言葉を濁した。


「はあ」天十郎は暗い顔をして、ため息だ。


「なんで、そんな事になっているのかわからないが、いや、もちろん、君が新しい同居人だという話は、立花編集長にもしていない。天十郎君自身が解決すべき問題だからね」


「誰にも言わずに、必要な荷物だけ持って来たし、来る途中で携帯を捨てたから、ご迷惑をおかけしてしまったようで」


「マネージャーにも言わずに?」

 黒川氏が驚いた顔をすると、天十郎は申し訳なさそうに頷いた。


「それで、行方不明なのか。そうか、君がそこまで、そうしたかった事情があるのだろう」


「ただね~」

 日美子さんがため息をつき、黒川氏が続けた。


「大手ではないが化粧品メーカーの茂呂社長は知っているかな?」

「ええ」蒲が答えた。


「彼女が騒ぎ立てているようで、早めに解決しないと面倒な事になりそうだという事だ。出来るだけ早く立花編集長に会って対応策をとらないと」


 天十郎は迷っている顔をしている。天十郎のスポンサーらしいが、無理を押し通すその社長の事を、気持ち悪いと言うほど嫌がっていた。


「あのね。うるさい事を言いたくないのだけど、天十郎さんがいる事で、この家のメンバーに関心が集まるでしょ。対応策は練らないとね」


 日美子さんが微笑んだ。よっぽど嫌なのか、天十郎の顔はますます暗くなる。空気が暗く澱み始めたが蒲は知らん顔をしている。


 その顔をチラチラと見ていた夏梅が

「それ!ようは、ここの住所が表に出なければ問題ない。それに行方不明にならなければいいのでしょ。日美子さん達はいつも助けてくれるから相談すればいい」


 澱んでいた空気が少し和らぎ、黒川氏夫妻は顔を見合わせた。


「元に戻るのが最善だと思うけれど…。まあ、今のところ、私たちに被害はないし、折角、引っ越したばかりだしね。しばらくはこのままいられるように、私たちも協力するから」


 黒川氏が慰めるように言った。


 蒲は、物事の展開が自分の思う方に進んでいない事に、腹を立てたのか、黒川氏夫妻や天十郎が座り込んでいるそばをするりと抜けて、リビングを出た。





【玄関ホールを抜けて反対側にある洗面所まで蒲を追いかけた】


 鏡越しに目線があった蒲は「よせよ」突き放すように目線をそらした。僕は笑って

「お前がマネージメントすればいいだろ」

「俺が?冗談だろ」馬鹿馬鹿しいという顔だ。


「茂呂社長ってスポンサーだろ?スポンサーから逃げたら事務所とのトラブルは明白だ。事務所に掛け合って、黒川氏の美容室の専属モデルで契約して、広告料として美容室の住所を貸してもらえよ。簡単だろ。天十郎をスポンサーに返すか、蒲がマネージメントするかどっちかだ」


「ばかいえ、そんな事できないよ」

「黒川さん、そろそろ美容室から抜け出して事業展開したいって、聞いたことがある。振って見ろよ。今回の夏梅のカバーガールの件もうまくまとめたぞ、才覚はある」


「馬鹿馬鹿しい」

「自由にすればいい。天十郎には出て行ってもらえばいいだろ。僕はどっちでもいいぞ」





【僕は蒲を洗面所に残しリビングに戻った】


 暫くすると蒲がリビングに戻って来て黒川氏夫妻と話し始めた。


「黒川さんは事業展開を考えていますか?」

「蒲、どうしてそれを知っている?」


「いや、今の事務所のトラブルを解消出来るのなら、俺も全面的に協力します」

「蒲?お前が?」


「今の生活、結構、気に入っています。お前どう?」


 蒲が天十郎にふったが、天十郎は黙っていた。僕は、彼らを全く無視して、夏梅が釣りで日焼けした、おでこと鼻の頭を撫でていた。





【天十郎が「行方不明だ」という話があってから】


 しばらくして、夏梅の着物モデルの衣装合わせのために、黒川氏の美容室にみんなで出かけた。


 僕らは黒川氏に引き留められた。


「つまりどういう事?」蒲が黒川氏に聞いた。


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