第5話 プロの仕事

【翌日、黒川氏夫婦の美容室に行くと】


 メイクアーティストの紅谷 和樹(べにや かずき)が個室のパウダールームで待っていた。その他、黒川氏と吉江しかいない。


 和樹は遠目に夏梅を見た瞬間に

「ちょっとこの子は嫌よ」黒川氏の方を向いた。黒川氏は黙って頷いた。

「どうして?」吉江は怪訝そうな顔をした。


 しかし和樹が、同行した蒲と天十郎を見ると

「あら、美形が二人?あれれ、天ちゃん?」

 親しそうに天十郎にしな垂れた。どうやら知り合いのようだ。


「和樹さん、こんにちは」

「あら奇遇。なにをしているの?」


「夏梅の付き添いで…」

「あら、この子の付き添いなの?」不愉快そうな顔をしてから「困ったわね、黒川氏と相談しましょう」と和樹は吉江に言った。





【夏梅一人をパウダールームに置いて】


 黒川氏は吉江、蒲、天十郎を連れて事務室に向かった。僕も、彼らについていった。事務室に到着すると、さっそく和樹は熱弁を振るった。


「だからね。あの子はダメなの。化粧は化けるから化粧なの、あの子の顔立ちは化粧映えしない顔」


 すると、吉江は馬鹿にしたように笑いながら

「どういうこと?これ以上どうしようもないってこと?」


「そうね。言い方を変えればね。化粧は、その人の個性が引き立つように、最初にポイントを探るの。例えば、目が印象的であれば、それを引き立ててより印象深くする。みたいにね。あの子は、各パーツ配置が完璧でそのポイントがない。あの小顔で、足首がこんなに細いと立ち姿もバランスが取れている。完璧すぎて、特徴がないのよ。あえていえば、完璧という欠陥がある。無理だね。特徴がなく目立たない配置だけど、存在がすべての人の関心を引いてしまうような子だわ」


「じゃ、モデルが出来るの」


「それも違う。通常モデルはどれだけ洋服が綺麗に見せられるかが、勝負でしょ。あの子はどんな洋服も、サイズがあえば、自分に合うように着こなすはず、何を着ても、あの子のまま。どんな役をやってもカッコいい高倉健と同じ!そんな感じかな。良くも悪くも、大変な子だわ。私も長年やって来たけど、こんな子にあったのは初めて」


 その和樹の話を受けて黒川氏が

「和樹さんありがとう。今日の話はここまでだな。天十郎君、夏梅ちゃんを呼んで来てくれるかな」と天十郎に声をかけた。


 天十郎はパウダールームに夏梅を迎えにいった。


 しかし、蒲と吉江は諦めない。

「芸能界なら誰っぽいの?」さらに吉江が振って来た。

「あそこまで、完璧な子は芸能界でもいないわよ。それに特徴がないのに芸能界で生きていける訳がない」


「美人がいっぱいいるだろ?」蒲は可笑しそうに聞くと


「あの子はその辺にいる、ただの美人じゃないの。たぶん、あの子は、化粧したことがないでしょ」

「なんか、リップクリームしかないって」ばかにしたように、吉江が答えた。


「そうよね。化粧をしない理由がわかる?あんたみたいに、特徴があって化粧をすれば、何とかなる顔立ちとは違うのよ。パーフェクトすぎて、芸能界は無理ね。あっ、でも、例えば天ちゃんとの共演なら可能でしょ?」


「天十郎君と共演?」黒川氏が驚いた。

「天ちゃん、化粧品のコマーシャルタレントをやっているでしょ。今度の新製品のカバーガールなら最適じゃない?瞬間的に注目させる力はあると思うわよ」


「ああ、なるほどね。わかるような気がする」

「造られていない、本当の人間の美なのだけど、あんな人もいるのね」

 

 黒川氏と和樹が真剣に話す中、蒲のおふざけが止まらない。

「とりあえず、ファンデーションとかさ、つけまつげとかさ」


 和樹がとうとう怒り出した。


「しつこいわね。あの肌で、どうやってファンデーションつけるの?道化師でも作りたいの?あのさ、必要もないのに使うって、発想が間違っているのよ。すごくきれいで完璧な絵に、何かを足したら、もっと良くなる?完璧だったバランスが崩れて、ただのゴミになるでしょ。悪戯画きにしかならないでしょ。あの子だけじゃなく、世の中、必要もないのにつける一般の子は、多いけど、プロの私をなめているの?いい加減にして、私、帰るわよ」


 丁度、その時。





【天十郎と事務室に夏梅が入って来た】


 夏梅とすれ違いに、和樹は振り向きざまに急に男言葉になった。

「君、肌が綺麗だね。どんなお手入れをしているの?触ってもいいかな?」


 夏梅は思わず天十郎の後ろに身を隠した。

「おい、触るのはダメだろ」天十郎が和樹の前を遮り鋭く制止した。


「天ちゃん、邪魔だよ」

 和樹は強い調子で攻撃的だ。その声に夏梅は、諦めたように答えた。

「なにもしてないけど」


「みんなそういうね。教えたくないの、じゃあどんなボディソープを使っているの?この香りはなに」

「ボディソープ?使ってないけど…」天十郎の後ろに隠れたまま、夏梅の声がどんどん暗くなる。


「ほんとに何もしてないよな。俺たちに垢を落とさせているだけ…」

 天十郎はぼそぼそと口ごもった。


 突然の状況変化についていけないようだ。蒲はニヤニヤしながら

「おや、お姉言葉を使っているけどストレートだね。営業用か…」


 和樹の目つきがどんどん変わっていく。蒲と天十郎に攻撃的な目を向ける。蒲はさすがにまずいと思ったのか

「黒川さん、和樹さんにそうそうに退散してもらわないと…。次は洋服だから…」そう言うと、吉江に向かって「洋服、よろしく」と、夏梅を吉江の方に押し出した。


「蒲、やめろ!」僕は大きく叫んだ。


 夏梅はすでに疲れ果てている。周囲の行動はいつものように、彼女にとって傲慢で疲弊させる。僕はイラついた。


 吉江はことの次第がわからずに、素直に夏梅の肩を押してフィッテングルームへ向かった。夏梅もそれに従った。


 黒川氏は「こっち、こっち」手招きをして、不服そうな和樹を帰した。





【しばらくすると、吉江が夏梅を連れて事務室に現れた】


「黒川さん、夏梅さんに合うサイズが無いのです。全体がSサイズで胸周りだけ2L?もしかしたら3Lかも知れない。うちの衣裳ではフリーサイズはなくて…」


 案の定である。完全に吉江になめられている。7号サイズの既製品のワンピースは、胸だけ収まらずにはみ出している。吉江は作為的に、このみだらな不恰好な夏梅を完全に見世物にしたがっている。


 黒川氏は息を飲んだ。「いや、これは」と言ってから声が出ない。吉江はクックッと笑いを押さえながら報告している。夏梅はベビースマイルのまま立っている。


「よう、夏梅。可愛いな。食べたいくらいだ。この可愛い姿を世間の人に見せたいな。このまま町中を歩いて、モデルで通用するか検証しようぜ」

 蒲が嬉しそうに夏梅の頭をなで、頬ずりした。天十郎と吉江は、蒲の態度に苛立ちを隠せない。


 僕は蒲の目の前に立ち

「蒲、いい加減にしろ。あたりまえだろ、ウエディングドレスもオーダーしたのに、合うサイズがあるわけないだろ。吉江にやられただけでも傷ついているはずだ。これ以上夏梅を見世物にするな」ときつく言った。


 蒲は、ウエディングドレスと言う言葉に顔が引きつった。僕はさらに怒鳴った。

「もう辞めさせろ、これ以上はダメだ。おふざけを辞めないなら、俺も黙っていないぞ」蒲は、そんな僕を無視して

「洋服もサイズがここのところがまったく合わない」胸をツンツンと指で押し出した。

「おい、覚悟があってやっているのか?」僕は、蒲に詰め寄った。


 こんな時に日美子さんがいれば、止めてくれるのに。僕は蒲の悪ふざけに髪の毛が逆立つ気分だ。


 黒川氏が

「今日は化粧も出来ないし、うちの奥さんもいないし、これで解散だ」と、締めくくってくれた。


 帰り際、不満げな吉江に蒲が近寄って、何か、話をしていた。僕は、その二人が気になったが、それ以上にベビースマイルを絶やさない夏梅が気になった。気まずい雰囲気の中、その日は吉江の飲み会に行かずに帰宅した。


 黒川氏の美容室で気まずい時間を過ごした数日後に、


 黒川氏を通して、正式に夏梅の新製品のカバーガール候補の話が入った。どうやら、和樹が黒川氏の美容室に、天十郎とカバーガールに適した子がいたことを茂呂社長に伝えたらしい。二人のイメージポートレートの打診があり、天十郎と夏梅の、提出書類用のイメージポートレートの制作が、





【黒川氏の美容室で始まった】


「よく、この仕事引き受けたね」日美子さんが夏梅に尋ねた。

「黒川さんと日美子さんがついているし、あれも一緒で慣れているから」


「あれって、天十郎さんの事?他の人だったらやらない?」

「絶対、やらない」


「夏梅ちゃん、天十郎君の事が好きなの?」

「日美子さん、冗談がきついです。また塁の時のようになりたくない」


「そうだよね。そうだね」

 日美子さんは慌てて言葉をしまった。夏梅はそんな日美子さんを見て申し訳なさそうに「ごめんなさい」と小さく言った。


「夏梅ちゃんが謝る事なんて、なにもしていないでしょ。やめてよ。それよりこの仕事の打診があった時に、我々を通さなければ彼女は受けないし、沢山の人がいる場所は難しいと言っておいたから、ポートレートを作っても、採用されるかわからないよ」


「それって、この作業が無駄になる可能性があるのですか?」

「いいのよ。夏梅ちゃんは大物俳優よりも厳戒態勢が必要だから、当たり前です」


「日美子さん可笑しい!」と、夏梅は笑い出した。日美子さんは夏梅が笑い出したので、ほっとした様子を見せた。


「この企画は、立花編集長とメイクアーティストの和樹さんが、茂呂社長への提案企画と言う形で、採用されたのよ。立花編集長から、天十郎さんの所在がわからないようにして欲しいと、依頼があったので、今回は極秘に行われ、スタッフは私達と吉江さんといつものスタジオカメラマンだけだから」


「はい」夏梅はなぜかご機嫌だ。





【早速、ポートレートの作成だ】


 今日は、蒲の釣り用のジャケットを着こんでいる夏梅だ。巨人のように膨れ上がっている。カメラの前に立っても、レインウェアを脱ごうとしない夏梅に、天十郎が掴みかかった。


「今日は特大サイズだな?なんでだ?黒川さんこのままで撮るの?」


 黒川氏が笑いながら

「釣りの時はいつもだよ。夏梅は後ろからの横顔だけのつもりだから、着替えなくても…いいかな」

「なんで?今日は釣りじゃないだろう。どうやったらこんなになる」


「ポケットだよ」日美子さんも笑いながら指をさしている。

「えっ?」


「ポケットに色々なものを詰め込むから、大きく見えるのだよな?」

 黒川氏が夏梅に問いかけると、夏梅が小首をかしげ不思議そうな顔をした。夏梅は事態を把握していないみたいだ。


 突然、天十郎が夏梅に向かって

「おい、ポケットから出せ」

「何?」


「早く出せ、おい、仕事を舐めているのか!」

「嫌だ」と口論を始めた。


 日美子さんは心配をして、蒲に聞いた。

「ちょっとあの二人大丈夫」

「うん、大丈夫じゃないの?」


「本当?」

「おお、なんか、あの二人はガキに戻るのだ。幼稚園で、女の子と男の子が虚勢を張りながら言い合いしているだろ。あんな感じだ。俺を取りあって喧嘩ばかりしているかと思えば、仲良くかばい合いをしている。よくわかんない」


「一種の幼児帰りだな」二人を見ながら、黒川氏がまるで評論家みたいだ。


「幼児帰り?幼児退行の事?あはは、そうかも。そのうち取っ組み合いの喧嘩すんじゃないの」蒲は自分を中心に夏梅と天十郎がいると思っているのか、満足げだ。


「まさか」

 日美子さんが不安そうに見ていると、天十朗が夏梅を抑え込んでポケットに手を突っ込もうとしている。


「嫌だったら」夏梅も応戦を始めた。

「お前はバルーン人形か!風船に手足が生えているように見えるのは、ポケットにものを入れるからだろ」


「胸が目立つから嫌だ。嫌だ」


「ちょっと、放置していて平気?」

 日美子さんは、さらに不安が増したようだ。本気で心配し始めた。


「ああ、とことんやらないとおさまらないから、放置していい。その間にお茶でもしよう。コーヒーある?」

「ちょっと蒲」不服そうに日美子さんは、蒲を見ている。


「蒲ったら、天十郎さんが芸能人だから人のいない時を選んだのではなく、こうなる事がわかっていたからなの?」


「ああ、あいつら一種の音害だからな」

 蒲と日美子さんの会話に黒川氏は苦笑いをした。





【ポートレートの作成から進展はなく、日々が過ぎた】


 天十郎は出かけることなく毎日、料理、洗濯、掃除、家事全般をすべて引き受け、楽しそうに過ごしている。


 そんな中、だてメガネの黒川氏夫婦と釣りに出かけていた夏梅が、鼻の穴を大きく膨らませて、文句をいいながら帰って来た。


 黒川氏夫婦とは、子供の頃から知り合いだ。親同士が知り合いで、僕らに釣りを教えてくれたのも、黒川氏夫婦だ。


 船釣りは、貸し切りと乗合がある。人数がそろえば貸し切りで、船を借りて沖合で釣りをするのだが、今回は乗合の為に人数合わせは必要ない。それに五目釣りなので、コマセを籠に入れ、海底に落としてしゃくりあげながらリールを巻く釣り方は夏梅一人でも問題なくできるし、黒川氏夫婦がついていれば大丈夫だと安心していたのだが…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る