第3話 マタタビ女ってなに?
夕方からの雨は、リビングの窓ガラスに、小さな川筋をいくつも作っている
【いい匂いだな~】
蒲と天十郎が夕食の支度をする中で、夏梅が二階から足元も、おぼつかぬように降りてきた。二人を見る事もなく、サンルームの端に置いてある固定のソファーベットに、仕事で疲れて、動かない頭とからだを投げ出してゆだねた。
「起きたのか?お仕事よく頑張ったね」
僕は夏梅を抱いた。そこへ、天十郎がやって来て、寝ころんでいる夏梅を覗き込んだ。夏梅がこっちをチラッと見ると思わず、僕と天十郎は同時に微笑んだ。僕は天十郎が、微笑むことが不愉快だった。
天十郎を無視して、ソファーベッドと一体化している夏梅を、穏やかなカーテンの揺らぎで、やさしく夏梅の頭を撫でた。
「あれ?窓は締まっているはずなのに、雨が吹き込むかな」
天十郎が、サンルームの大きな窓を閉めにソファーベッドから離れた。
「お疲れね。ご飯食べる?久々に炊き込みご飯だ」
蒲の声にキッチンの方に顔を向けた夏梅はけだるそうに「うん」と答えた。
「使えない粗大ゴミだな」天十郎は夏梅にいいながら、窓を調べている。
「あれ、蒲、締まっている。へんだな」
蒲は天十郎の話が全く聞こえないように「夏梅、味噌汁を作ってあるから、好きにしな」というと、自分達の食事をキッチンカウンターに運んだ。入れ違いに天十郎がキッチンに入っていった。
出て来た蒲に「キウイある?」と夏梅が聞いた。
「まだ七月だ、九月頃にならないとな」
「ふーん」夏梅がソファーベッドに、顔を埋めベッドの端を握りしめているのを見て、蒲が僕を見た。
【僕は夏梅に】
「変わらずに夏梅のそばにいるよ」とささやくと、蒲が夏梅に聞いた。
「会いたいのか?」
「うーん」少し考えながら
「会いたいのとは違う。そんなシンプルな気持ちじゃないな」
「どんな気持ち?会いたい以外に気持ちがあるのか?」
「そうじゃなくて、食べたい」
「食べたい?何を?」蒲は聞きなおした。
「何を食べたい?と言うわけじゃないけど、犬のお母さんが子犬を舐めるように、慈しみたい、なんでもしてあげたい、可愛がりたい、甘えて欲しい、抱きしめたい、それに、可愛がって欲しい、安心して欲しい、抱きしめて欲しい、愛して欲しい、甘えたい、キスしたい、腕の中で眠りたい、ぺろぺろしたい、形のあるもので、愛情表現したいし、して欲しい。形のないものだけで満たされてはいるけれど、それだけではどうにも気持ちが治まらない。感じ?」
「ようは、欲深だと言う話か…」
「そうやっていないと、呼吸が出来ないというか。求めていないと、命をぞんざいにしそうで自分が怖い。かくれんぼの鬼になった気分。鬼はほんとに嫌いだ」
悲しそうにそういうと、胸に顔を埋めるように、ソファーベッドに頬刷りしている。
「泣いたのか」蒲が尋ねると、ちょうどキッチンから出てきた天十郎が蒲に「泣かしたのか?」聞いた。
「いや、質問しただけだ」と言いながら蒲は
「先に飯を食おう、作っておけば夏梅は好きな時に食べるから、放置すればいいよ」二人で食卓についたが、天十郎は気にかかるようだ。
「いいのか?」蒲に不安そうな顔をみせた。
「いい、あいつは、それだけで生きているし」
「どういう事」
「つまり、どうしても欲しいものが、捕まえられそうで、捕まえられない。与えてくれそうで、与えてくれない。目のまえにいるのに、いない」
「わからん」
「たとえば、自分の好きなご飯を目の前に置かれて、食べたい欲求で押さえられないのに、一口も食べられない。そんなときは、どう思う?」
「イライラするだろうな、諦めがつかないだろうし、他の奴が寄ってきたら、取られまいと闘争本能むき出しになるだろうし、強引な手に出るかもしれない」
「まあ。そういう事だ」
僕は、二人の会話を聞いていたが、ふと、夏梅を見ると微かな寝息を立てている。夢中になって夏梅の話をしている二人の視線が、夏梅に行かないように、ソファーベッドの室内側のレースのカーテンを引いて、遮った。
【どういう意味だ、なんでトラブルになる】
「マタタビ女だからだよ」
「猫にマタタビ?のマタタビか?それって、フェロモンの事か??」
「マタタビは特定の生き物に、ある成分が反応するだろ。それと同じで夏梅は男の興奮剤となる。人類が滅びないために神様が与えた任務を持って生まれた。と言うなんか宗教みたいだが、自然界でバランスを保つために、生まれて来るのさ」
「つまり、あいつみたいな雌が、フェロモンをまき散らさなくなったら、出生率が下がる?と言う事か?なんかもっともらしい説だな」
「だから、夏梅は天十郎の敵じゃなくて、夏梅がいるから僕達がこうやって、愛しているという感情を享受できる。だけど、夏梅には愛が決して手に入らない」
「どうして?」
「性別が男ならわかるだろ。夏梅には反応するけど、感情は抱かない」
「うん、たしかに」
「マタタビは好きで欲しいけど、マタタビに感情を与える事はない。つまり欲だけの関係しか成り立たない」
「欲だけを求められる、あいつの気持ちはどんなだろうな。割り切れなかったら、過酷だな」
「夏梅は男女間や僕らにあるような感情は、今までもこれからも体験は出来ない。フェロモンを出し続けている限り、人類を元気にすることは出来るが、本人は死ぬまで相手から、与えられる愛されるという感情を知らずに死んでいく。だから、親の愛情しか、わからないのさ。それ以外の愛情を、これからも知ることはない。知っているのは、家族愛だけ」
「どういうこと?」
「直球でいうなら、あいつは子供が欲しいのだ」
「子供が欲しい?」
「そう、子供がいる家族愛。それを満たすために俺は、そばにいる」
「他の男に、やらせろよ」
「男専門の俺でも大変な時がある。夏梅を襲いそうになる時はあるさ、お前が、そばにいれば解消できるけど、そんな状態で任せられる男がいるか?」
「知らないよ」
「僕にとっては、夏梅は、子供で、妹で、姉で、妻で母。すべてになりうる存在だ。だけど愛人だけにはなれない。貴重だろ?」
【僕は蒲に、そんな感情が無い事をしっている】
まして女性に対する興味はゼロに等しい。今までの言葉はすべて、僕からの受け売りだ。薄笑いを浮かべて、天十郎に話している。なにを企んでいるのか?僕は腹立たしく、蒲を目で非難した。
「それってさ、決して、男女の関係になれないと、いうこと?」
「さあ、どうかな?神様も人類を滅ぼさないために、こんなものを作るなんて残酷だよな」
「もの?」
「ああ、あの体形、あの性格、すべて整っているくせに、親しみやすい顔立ちだ。美人じゃないから、誰もが手の届く存在と勘違いする。そばに近寄っても、大丈夫なような気にさせて、あのフェロモンだ。夏梅にしてみれば最悪だろ。よけても、よけても男がよだれをたらして近寄って来る状態だ。しかし、現実的にそれをよける方法はない」
「つらいな」
「お前も風呂で見ただろう?」
「風呂では恥ずかしくって、夏梅の裸を直視することが出来なかった」
「そうか?子供サイズの小さな頭に、極めつけの童顔とバストトップ98 アンダー65 ウエスト54 ヒップ85 ブラジャーサイズはH65もしくはG75、完璧な八頭身、バストを除けば七号サイズだけど、胸周りに合わせると十三号サイズだな」
「ほんとかい? 逆三角形のマッチョだな。しかし、蒲、女に興味がない割には、詳細に知っているな」
「小さい頃から一緒だからな。あいつは、拒絶か容認の二通りしかない。決して自分を差し出さないし奪われるのは嫌いだ」
【殆どの人がそうじゃないの】
「自分の思い通りに、生きられる人間なんていないけど、夏梅は究極さ。すべては夏梅のものだけど、彼女が望んだものじゃなく。変えようがない。選択がない」
「言っている、意味がわからないな」
「たいがいの人は、自分の持つ能力を伸ばす努力は、出来るだろうな、でも生まれ持った資質は変えようがない。先天的なものは変えられない」
「あそこで、からだにフィットしたインナーにブラジャーとレギンス姿で、ソファーベットで寝ている奴の話しだろ?」
「あいつに関わったストレートの人生は大変だよ」
「どんな人生になるの?」
「さあな、全くストレートな相手だと、気が気じゃないだろうな。いつも他の男が狙っている状態で、オレのマタタビを誰にもわたさないと、常に他の男をけん制しながら、一年中SEXするだろうな。他の男から、自分の女が監視され拘束され、ストーカーされる。並みの男なら下手すれば、所有欲や支配欲が高じて、夏梅に暴力をふるうだろ。最悪、殺されるかもな」
「あり得るな…。よっぽど精神的にも、肉体的にも、強い男じゃないともたないだろうな。憧れて、言い寄っている時も、全神経を夏梅に向けないとならない。モノにできても男は疲れるな…。二十四時間ぴったり張り付いていないと、いけない」
「夏梅は強い男より、天十郎みたいに、感受性が強くて優しすぎる奴が好きだし、自分の思い通りにしようとする奴は、大っ嫌いだから決して穏やかな生活は出来ないだろうな」
「そうか、愛情のひとかけらもなく、本能や本性を揺さぶるから、ただじゃすまないな」
「俺たちだと、あいつのフェロモンに振りまわされても、相手がいるから、俺たちの負担は少ない」
「そうかな?」
「天十郎はオレ一筋だろ。だから夏梅にのめり込まないだろ。もし万が一夏梅にのめり込んだらどうするか、わかっているだろう。必ず殺すぞ」
天十郎は嬉しそうに笑うと
「雄の嫉妬は半端じゃない、殺しあうまでやるからな」
「嬉しいか?」
「ああ、殺したいくらい俺の事を愛しているなら」蒲は天十郎の頭を撫でた。
僕はこの二人の会話に苛立った。
天十郎の無邪気さも、蒲の底知れぬ思惑も、僕には十分すぎるほどだ。警戒心が強くなるのを覚えていた。
【でも、そんな危険な奴とどうして一緒にいるの?】
天十郎は蒲に聞いた。
「大家だから」
「ここを借りているの?実家はどこ?」
「となり」
天十郎はリビングの外に見える隣の豪邸を見た。
「蒲の家ってあそこ?」
蒲は頷きもせず淡々と
「おお、高校の時に父親から相続でもらった」
「そこに居ればいいだろ?」
「広すぎるからな」蒲が僕を見た。
「なんで、この家に居候している?」
「居候なんかしてないさ、家賃と生活費を払って住んでいる」
「シェアハウスか?」
「それとも違う」
「夏梅は一人なのか?」
「両親が今年の三月に亡くなった」
「一年経っていないのか?」
「ああ、交通事故でな」
「他に親戚がいないのか?」
「いない」
「そうか、でもなんでお前が面倒見ている?」
「小学生くらいから長くこのうちで過ごすことが多かったからな」
「小さい頃から一緒だったのか?」
「親のところにいるより、ここに居る方が楽だったからかな」
「ふーん、そんなに長い付き合いなのか?」
「さほどでもないけどな、だけど夏梅と男の取り合いは長いかも。中学生に入ってどんどん女らしくなってきて、お互いの好みが一致しているから、男の取り合いで、よくケンカになった。あいつから奪いたくてな」
「となりにお母さんがいるのか?」
「いないよ、どっか好きな所で暮らしている。あそこは今、賃貸にだして俺たちの生活費と家賃に充てている。だからお前がここで一人増えても問題はないぞ。遥かに向こうの家賃収入の方が多いからな」
「ふーん」
【夏梅はどんなタイプが好きなの?】
「さっき言っただろ、好みは俺と同じ。天十郎」
「?オレ?」
「そうだよ、だからこの家に天十郎を入れても、仕事を紹介しても問題は起こらないのさ」
【蒲は嫉妬しないの?】
「天十郎は女に行かないし、行かせない。他の男に気を取られたら許さないけど、あいつの場合は、男性生殖機能を持っている奴はあらがえない。本能だからな。しかし本能はあくまで本能だ、心とは別物。一過性の本能が心に勝つとは思えない、第一、夏梅はお前に本気にならない」
「どうして?」
「性格的にはおまえは確かにあいつのタイプだけど、容姿がな…。身長が高くて、大きいマッチョは嫌いだよ」
「えっ?」
「あいつは細マッチョで自分と目線が同じくらいの奴が好きだ。歩きながら、顎をちょっと上げれば、キスできる位置がたまらなく好きだ。だから、天十郎は安心なのさ」
そうだった。夏梅は少し顔をあげ、僕にキスをする。それはとても嬉しそうに…。その姿を…思い出そうとすると体中に不快が走る。
蒲の話を不愉快そうに聞いていた天十郎は呑気に
「おれが、夏梅と寝てもか?」と蒲に聞いた。
「そしたら、俺も夏梅と寝るさ、あいつと寝るのは簡単だよ。俺たちはあいつの許容範囲にすでに入っているからな」
蒲は天十郎をじらすように不敵な笑みを浮かべた。天十郎は焦ったように蒲に迫る。
「寝たことがあるのか?」
「フフ」
「おい、寝たこと…」
「お前だって、夏梅を抱きしめて、寝ていたろう?」
「それと、これとは違う」
「違う?男の俺に言っているの?女と話をしているわけじゃない」
「…」天十郎のイラつきは言葉を発せないほど、ピークに達しているようだ。
そのイラつきをさらにあおるように蒲が
「男が無意識に相手を欲しているかどうかは、すぐにわかる。まあ、落ち着け、しばらくここに居れば?オレの事も心配だろ、いつ夏梅と寝ちゃうか、わからないからな」と笑った。
天十郎は深いため息をついた。
「ふざけるな、お前は夏梅と寝た事もないし、これからも寝る事は出来ない。僕がそうさせない」
僕は蒲に突っぱねた。蒲はそんな僕を牽制するように
「どんな反応するのか見たいしな。それに基本さ、裏切りたくないからさ、女とは寝ないよ。男オンリーのまま行くさ」
「誰に義理立てているんだ」僕は鼻で笑った。
【翌日も翌々日も、天十郎は家にいる】
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