第2話 夏梅方式
【夏梅の声に】
僕の膝元でゴロゴロしていた、蒲と天十郎が、頭をもたげて玄関ホールを挟んで反対側にある、バスルームの方を見た。
「おい」僕が蒲に声をかけると、
「行って来るよ」蒲はニヤと笑って僕を見た。
「どこに?」天十郎が焦った声を出した。
「夏梅を洗いに」
「おい」
「焼いているのか?可愛い奴」
「おい」
声を荒げて蒲の腕を掴む天十郎。
「夏梅って普段は体温が低くて汗をかくことがあまりないけど、風呂に入って血行がよくなると面白くなる」
フフっと意味ありげに蒲が笑う。
「どういうことだよ」
さっき、食事終わりに
「蒲、お風呂!」と夏梅が言っていた。蒲は、夏梅や天十郎の方を見ないで「いいよ」と答えていた。それを思い出したように天十郎は
「おい、まさか、夏梅と一緒に風呂にはいるのか?ありえないだろ」
悲鳴に近い声を出した。
「俺たちの習慣だから気にするな」
「気にするだろ、いい加減にしろよ」
「気になるなら、一緒に来ればいいだろ」
「嫌だよ、女と一緒に風呂なんて嫌に決まっているだろ」
「じゃあ、待っていろ」
「お前がやめろ」
「気にしなくて、大丈夫だぞ。そういえば、お前は仕事で女性の事を知っていた方がいいだろ?」
「うるさい。仕事は一瞬だけ我慢すればいい。だから女の事を知らなくても問題は起きない。それにあの女は危険だ」
バスルームでは相変わらず、夏梅の声がしている。
「そろそろ行かないと、夏梅がゆでタコになる。のぼせると介抱が大変だからな、あいつは長湯が出来ない。離せよ」
天十郎の腕を払った。
「おい」まだ食い下がる天十郎に顔を近づけ
「しつこいぞ、夏梅がのぼせたらお前に介抱させるから、それでもいいのか?」
「うゅっ、それは嫌だ。蒲が介抱するのも嫌だ」
「だよな、わかっているよ。いい子だ」
立ち上がると、バスルームへ向かった。
バスルームの方から夏梅の「待ってたとー。のぼせそう~」という声が反射した。思わず、立ちあがった天十郎はバスルームへ駆け寄った。僕はそのあとをついていった。
【広いバスルームに、大きめのバスタブ】
その中には、真っ赤な顔をして、手足に力なくバスタブに沈みそうな夏梅がいた。蒲は「待たせたな、天十郎が放してくれなくて」と笑っていた。
「ごちそうさんです」力なく夏梅が答えた。蒲は、パンツ一つになると、バスタブに沈みそうな夏梅を引き上げ、湯船から出した。
「おい、扉を閉めろ」
「えっ、なんで」
「夏梅のからだがすぐに、冷えるからだよ」
天十郎がバスルームの中に入って閉めようか、それとも外で待とうか、迷っていると。
「酔っぱらい。昨日はお風呂に入った?一緒に入ったら?」と、夏梅が言う。
「そうだな、お前も風呂に、はいれよ」蒲も普通に言う。
二人のまったく問題はないよ。というような雰囲気の会話に飲み込まれ、天十郎は「そうか」と、いいながら全裸になった。
それを見て、蒲と夏梅が小さく噴き出しそうになった。
「なんで、こんな状態になる」
納得がいかないのか、天十郎はぶつぶつと言っている。
バスルームに、はいってくると、バスタブに腰掛け、夏梅を抱きかかえるように膝の上に乗せて、夏梅の背中を手際よく垢すりをしている蒲をかなり不愉快そうに見て苛立ち「なんで、一人で洗わないかな」と天十郎が夏梅を小突いた。
「このやろう!」僕は思わず立ち上がった。
それを見て蒲が「まあまあ」と、天十郎をなだめた。
天十郎がぶつぶつ言いながら湯船にはいるのを見て蒲は
「おい、洗ったか?」
「お前、湯船にはいる前に洗えよ」
蒲はぐずぐずしている天十郎に蒲はお父さんのように叱った。
「俺は洗ってくれないの?」天十郎が甘え声を出した。
「あたしが洗おうか?」
夏梅が天十郎をからかうように言うと、天十郎はそっぽを向いた。
「妊娠しちゃうかな?」夏梅が追い打ちをかけると
「しねえよ。女が入ると話が通じなくなる。これだから嫌だ」
天十郎は吐き捨てるように言った。
「背中とかできないから、やってもらう」といいながら、夏梅は蒲に安心しきったように体を預けている。蒲は右足を洗い出した。
【一人で洗えるだろ】
天十郎は夏梅を優しく扱っている蒲と夏梅の関係に、我慢ができないように腹を立てている。そんな天十郎に蒲が「おい、左足を洗えよ」と、天十郎にタオルを渡した。
夏梅はにゅっと、左足を天十郎の目の前に差し出した。子供のようにふくよかで、白くギュッと引き締まったきれいな細い足首に深い傷跡がある。
その傷跡を見つけた天十郎が
「お、怪我したのか?」
「うん、子供のころガラスに足を突っ込んで真っ白い骨が見えた~」
屈託なく夏梅が笑う。
「何針縫ったの?」
「十二針」
「痛かった?」
「ううん、あまり血もでなかったよ」
「しっかし、どうやったらガラスに足を突っ込む。とんでもないお転婆だな」
「そうでもないよね、蒲」と言いながら夏梅は蒲の方をちらっとみた。蒲は黙ったまま、僕の方を見た。
そんな僕たちの様子に全く気が付かない天十郎は
「なんで俺が…」といいながら、何かを探している。それに気が付いた蒲が天十郎に
「こいつは、石鹸やボディソープ、シャンプーリンスとか使わない。お前もシャワーだけでいいよ」
「なんで?汚いな」
【ふふっと夏梅が笑って天十郎に聞いた】
「なんで、石鹸、ボディソープ、シャンプーリンス使うの?」
「なんで?当たり前だろ?」
「なにが?」
「使うのが常識だ」
「どんな常識だよ。まさか、ただ根拠もなく洗脳されているわけ?」
夏梅が笑った。笑いこけている夏梅は可愛い。思わず僕も笑顔がこぼれる。しかし、天十郎はそうは思わないみたいだ。
「汚れを取る為に決まっているだろ」とバカにしたように鼻で笑った。
「なんの汚れ」
「ほこりとか、汗とか、塗った化粧品とか落とすため」
「あれ?知っているのだ」
「なんだよ」
「ほこりとか汗はシャワーだけで十分落ちるよね。化粧品などの脂分を落とすためにボディソープや石鹸使うでしょ。からだに塗りたくっていなければそんなものは必要ないじゃない。必要なのは、新陳代謝で古くなった角質を落とす事、つまり垢すりタイムは重要」
蒲が笑いながら
「夏梅は何も塗ってないから、石鹸だって必要がない。それに天十郎、夏梅からどんな臭いがする?」
「えっ、垢だらけで汚いよ」
「いいから、臭いをかいでみろ」
天十郎が身を乗り出して夏梅の耳元へ顔を近づけると
「おい、急にクラクラした。なんだ?」
「夏梅自身の体臭だ」
「取材の時やさっきのベッドの中で微かに感じた香りが、はっきりとわかる。オー!心臓が破裂するかと思った」天十郎はのけ反った。
「な?わかったか?」
「えっ、うん」
天十郎のベクトルは反応していた。蒲が笑いながら
「やっぱり。お前も性別は男だな」と下をみた。
「なんだよ」
【天十郎が恥ずかしそうに夏梅に背を向けた】
天十郎は洗い終わり、湯船に入るとお湯があふれ出した。
「やっぱり大きいな」夏梅が言うと、天十郎は
「見るな」とからだをさらによじらせた。
「なによ」
「それより、天十郎はどう?湯船で香りが取れてきたからわかる?」
蒲が夏梅に聞いた。
「そう?どれどれ」
夏梅が逆に、湯船の中の天十郎に向かって身を乗り出していた。夏梅の豊かな胸が目の前に迫り、天十郎は目を白黒させている。
「おい、垢を落とせ湯船に入れるな」
夏梅を突き放そうとすると夏梅は無表情のまま「蒲、シャワー」命令した。すると、反射的に体を動かしてシャワーで夏梅の垢を落とし始めた。
何度も夏梅は蒲に「もーいいかい」と聞いた。蒲はエステサロンのマッサージ師のように、丁寧に手で夏梅の垢を落とす。
落とし終わり「もーいいよ」と、蒲が言ったとたんに、夏梅は湯船に入り、上半身をぶつけるように、天十郎を抱き寄せて「ふんふん」と、臭いをかぎ始めた。
「お前は犬か」
天十郎がよけようとするが、からだをさらに乗り出して、頭の臭いを嗅ごうとしている。夏梅の胸が顔の真ん前にある。
「おい、抱き枕みたいだ。窒息するよ」
天十郎は悲鳴に近い声を出しながら騒いだ。
「大丈夫かも」夏梅が言った。
「おお?」蒲は満足げだ。
【天十郎は夏梅をよけながら】
「なんで、頭の臭いだ」
「頭部の皮脂腺や汗腺から出る成分は、シャンプーやリンス自体の臭いを強くして、ごまかすくらいしつこい!ボディソープで、体臭が消えていても、そこで確認すれば、私は大丈夫かどうかわかる」
「何が大丈夫だ」
蒲が笑う。もがきながら騒ぎ続ける天十郎を抱きしめながら、夏梅は一緒に湯船に入った。
「酔っぱらい!あんたの体臭は悪くないよ。きっとこれで、人を引き付けているのだね」
「何を言っている」
「あんたも、石鹸とかボディソープ、シャンプーリンスをやめなよ。必要のないものをつけて、折角のいい匂いを消すなんてもったいないよ」
「だけど、汗臭くなる」
すると蒲が
「もちろん、汗も体臭だ。食べものだけでも体臭は違って来る。石鹸とかボディソープ、シャンプーリンスを全面的に否定しないけど、洗濯だってなんだってすすぎが肝心。成分が残れば悪臭の根源となるよ。不要な物が残れば余計に臭くなるのは当然。毎日、シャワーを浴びるか、お風呂に入って、肌着を変えていれば1週間もしないうちに、体臭は気にならなくなる」
「だけど…」
「俺も、この夏梅方式でモテるのさ。夏梅なんか、外出するときにわざわざフレグランスを使って、体臭を消しているくらいだ。人気商売だったら必要じゃないの?強制はしないよ。ただし、この家では使わないルールだから、このうちにいるのなら、化粧品、石鹸、ボディソープ、シャンプー、柔軟剤など臭いの強いものは、諦めろ」
「整髪料は?」
「ワセリンとかベビーオイルで十分だ」
「冬場、カサカサしたら?」
「薬事があるから、効果を期待するなら病院で治療するか医薬品だ。お金が無駄にならない」
「うん、そうか?」
「天十郎は、茂呂社長の化粧品のコマーシャルタレントをしているから、使わないといけないのか?」
「まあ、そうかな?」
「そんなの、実際に使わなくても、化粧品を使っています。と言えばいいだけだろ」
「そうだけど、それだと虚偽だろ」
「真面目だな。化粧品を使っているのに、冬場に肌がカサカサなんて、おかしいだろ?逆に肌がすべすべなら問題ないだろ。広告主は天十郎の信用を、購入している利害関係だ。逆に私の信用を落とさない製品にしてくれと、要求ができるのではないのか?」
「そうなのか?」
蒲の話に、なんとなく納得したような、表情をし始めた。
【事務所は、なんて言っている?】
「茂呂社長の指示に従えと言うな。茂呂社長から電話があると恐ろしい。しばらくは帰る事が出来ないし、SEXのお相手までさせられてはべらされて、べったりくっ付いて気持ち悪い。でも、スポンサーだから仕方ない」
「おかしくないか?その事務所」
「まあな、契約が、あるからな」
蒲達が夢中で話す中、夏梅は天十郎を抱きしめるのに飽きたのか、早々に湯船から出た。夏梅は二人の会話を無視しているのか、興味がないのか、脱衣場に入りバスタオルでからだを拭き始めた。
夏梅と入れ違いに、蒲が下着を脱ぎバスタブに入る。お湯が大きな音を立てて流れるのを見て
「やっぱり、男の人は大きいな。二人で入ると、お湯がなくなっちゃう」
とお湯の心配をしている。
夏梅の言葉に天十郎が反応した。
「今、お湯の節約の話か??俺たちの話を聞いていたか?お前の頭の中は何も入ってないのか?ばかなの?」
「馬鹿じゃないもん。蒲、天十郎が増えるなら生活費を増やしてよ」
夏梅が言った。
「夏梅!」僕は絶句した。夏梅は何を思ったか、天十郎の同居を認めたのである。
「おいおい」僕は夏梅と蒲に向かって声をかけたが、蒲はそれを無視して、夏梅に
「おい、からだが冷えるから、早くあがれ、俺たち後から出るから」
夏梅は「はーい」と元気よく答えた。
「ねえ、お前さ、俺たちを見ていても平気なの?不思議な奴だな」
蒲が天十郎にねっちこく絡みつくのをよけながら、天十郎は不思議そうに夏梅に問いかけて来た。
【夏梅は、脱衣場で鏡を見ながら】
「はあ?そうだな…。大きな番犬を二匹飼っているようなもんだ。一匹は気を付けないと咬まれるけど、もう一匹は…?どうかしら?キャンキャンうるさいかも、どちらにしても、君達は私とは全く別の生き物だから、絡みたいとは思わないよ。ね」
と鏡の中の自分に小さな声で話しかけた。夏梅の返事が聞こえない、天十郎はさらに言葉を重ねる。
「おい、恥ずかしいとかさ、羞恥心はないのか?」
夏梅は、横目でバスタブの方をチラッと覗き見ると「お前らには、ない!」と大きな声で怒鳴った。
そうか…。夏梅は、蒲も天十郎もまったく別の生き物として、見ているのか…。番犬ね…。なるほど。だから二人がべたべたとしていても平気なのか…。
一方、湯舟の蒲はにやにやしながら
「天十郎、人に見られるのは嫌いか?おれ好きだぜ」と天十郎に迫ると
「おい、蒲、お前さ」と言いながら、蒲を避けている。
やはり夏梅が気になるようだ。
「まあ、そのうちこの刺激がたまらなくなるぞ」
「おい、蒲」
「しかし、天十郎もやっと夏梅に興味が沸いたな」
「うん、おれ、女に心臓が破裂しそうになるほど反応したのは、初めてだしな」
「だろ、あいつ、お風呂で血行が良くなって、さらにマッサージをかねて垢すりすると、フェロモンがはっきりする」
「いつからだ?」
「おお、中学卒業するくらいからかな?急に女性らしくなったと思ったら、巨乳になってものすごいフェロモンを出すようになった」
「ふーん、昔からの知り合いなの…」
「ストレートだったら子孫を残すための遺伝的、本能的な雄を刺激されるな。しかし、そもそも、あいつは、自分が強烈なフェロモンを発信しているなんて知らないし、なぜ、周りの男が自分を触ろうとするのか、付け回されるのか、まったく理解してない。というよりあいつの頭じゃ理解する方が難しい」
「ストーカーとかあるのか?」
ふふ、と蒲が笑った。
「俺たちみたいな一部の例外を除いて、高校生の時はトラブルが多かったかも。SEXしか頭にない衝動的な年ごろに加え、教師を含めて本人も知らないうちに、多くの雄のスイッチを入れてしまったから、大変だったよな」蒲は僕を見た。
【そして天十郎に話し続けた】
「あいつは、男が好きな俺を、襲われない知り合いという位置づけで、いるみたいだ」
「体臭を消す香料系のものを、からだにつけなくても、安全パイと言う事か?」
「まあ、そんなところだろ、どんなに頑張っても、体にとっては異物だからな。使い方によっては、からだに必要な菌や脂分、フェロモンをそぎ落し、余計な物をからだに残すから、肌が荒れる、悪臭が強くなる、異性は興味を示さない。そして、異性にもてたい奴は、宣伝文句に踊らされて、さらに使う。現代社会のミステリーだ」
「まあ、正直、その悪循環は知っているが、俺たちも仕事だからな…」
天十郎のトーンは落ちている。蒲は話しながら、夏梅の去った脱衣場の方を見た。
「すべての女性が、香料系を使わなくなったら、夏梅はきっと孤立しないだろうけど。そうはいかないだろうな」
「つまり、夏梅の場合はフェロモンが強いのに、他の女性みたいに化粧をしないから、トラブるのか?それは敏感だからなのか?」
「いや、普段に使わないからだろ。夏梅は香水が臭くて、我慢できない事が多いな。嗅覚は慣れる器官だから、使い続けると臭いが強くても、本人はわからなくなる。普段から、慣れていないから、多少の臭いも強く感じるのだな」
「なるほどな。それにしても、夏梅の肌はさらっとすべすべなのに、吸い付くようだ。蒲もなんとも気持ちがいいし、香水の臭いじゃないけど、すごくいい匂いがする」
「そうだろ、オレも夏梅方式を取り入れてから、みんな触りたがる。ついてくるぞ」
「本人はどう思っているの?」
「何を?」
「その、人と違う事。つまりフェロモンが強い事は知らないから…。なんというか…」
「そうね。どうだろうな、今度、本人に聞いてみれば?多分、すべての女性は夏梅と同じだと思っているから、人と違うという発想は無いような気がする」
「聞くだけ無駄なの?」
「そうじゃないけど、あくまで俺の心象だ」
「ふーん」
話ながら、甘える天十郎を、とっても可愛いというような仕草で、蒲はにやにやしている。こいつ何を考えているのか?まさか、同居させようとは思っていないだろうな?
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