🔳第一幕🔳「口から真実は出てこない」|語り:真間 塁|

第1話 訪問者

 それは…。


 僕、真間 塁(まま るい)が蒲 征貴(かば まさたか)を連れて、夏梅(なつめ)の家で暮らし始めて間もなくの事だった。


「ただいま」


 ホテルから夏梅が帰ると蒲がいつもと違って、二階から玄関まで走り寄った。


 男の蒲が階段を降りて来る大きな音が、玄関ホールに響く。まるで、留守番をしていた大型犬が、ご主人様の帰りを待っていたかのような騒ぎ方だ。僕も明るい笑顔で、帰って来た夏梅にホッとした。僕は、最近の蒲の行動が怪しくて蒲につきっきりだ。


「天十郎はどうだった?」

 蒲は待ちきれないように、息を弾ませた。


「うん、最初は私を見て女?だ!と驚いていたけど」

 夏梅は面倒臭そうによそを見た。


「それで、それで?」蒲は夏梅の傍を離れずに聞いた。


「うーんとXジェンダーの両性だな、現在三十%~五十%くらいかな?」


「へえ、そうか?」嬉しそうな蒲に、夏梅は冷たい視線を送った。

「蒲!あの人、彼氏なんでしょ?なぜ自分の彼氏を試すの?」


「そんなことはしないよ」

「そうかな?なんか、あの人が可哀そう。待ってあげればいいのに」

 

 僕は、夏梅が洋服を脱いでいる周りをウロウロと、まとわりついている蒲を見て吹き出しそうになった。夏梅もまたそんな蒲を怪訝そうに見ている。


「ひょっとして心配なの?調べたかったの?」


「まあ、そうだとは思っていたけれど。人とかかわる事自体に苦痛が伴うみたいで、特に女性には痛い思いをしている」

「私の好きな感受性の強いタイプだね。彼さ、仕事は選んだ方がいいかもね」


「まあね、本人は俳優しかできないと、思い込んでいるみたいだから」

 夏梅は小首をかしげながら一人で納得するように

「ふーん。確かに精悍で、黙っていると迫力があるよ。悪役が出来るかも、蒲は自分が可愛い系の顔だから、あの手の顔が好きなの?」


「顔というより、真面目な奴が好きだ」

「なるほど、そうか…。わかるような気がする。ああ、それから、その蒲の真面目な奴は私を抱きしめていたよ」


「ほお!で?」蒲が目をギラつかせた。


「おい、どういう状態だ」僕は声を荒げたが、夏梅は平然と

「私を捕まえて取材する部屋まで走って、そのままベッドに潜り込んで二人で隠れた」


「なぜに?二人で?」僕は聞き返した。


「部屋に入って鍵をかけたのに、なぜか、あいつ、ベッドの中に私を引きずりこむのだよ。それでシィって訳わかんない」

「触った?抱きしめた?さすが!夏梅だな」 

 蒲は夏梅の行動に疑問を持たずに、ただひたすら喜び、どんどんとテンションが高くなる。





【はあ?ねえ、蒲】


「こんなことして雄を揺さぶってさ、彼にストレートになって欲しいの?」

「いや、ストレートになって欲しくない。でも、もう少し頑張ってもらわないと」


「何を言っているの?意味がわからないよ。とにかく、ホテルの部屋で二人だけでも、意図的に胸を触らなかったし、目がアウトじゃなくて、悲しそうだった」

「かなりしんどい経験をしているみたいだからな」


「だからさ。やりすぎだと思う」


 その夏梅の言葉に今までの蒲とまったく違い、突然にギロっと夏梅を見た。


「お前、最近、生意気な口を聞くようになったな」

 夏梅を脅すように、夏梅の顔に蒲が自分の顔を近づけた。


 本当に蒲は忌々しい奴だ。そんな蒲を完全に無視して、着替えながら夏梅は話を続ける。


「彼さ、すぐに正気に戻って、私と名刺交換をしたら、あらまあという感じで、おとなしく仕事は出来たから、問題はなかったよ」


 さっきの一瞬の悪魔のような形相から、子犬のような蒲に戻り、にこやかに

「良かった、さすが~夏梅ちゃん」と夏梅にじゃれつく。


「今回のホテルのタイアップ記事の仕事は、釣の師匠である立花 孝之(たちばな たかゆき)編集長の紹介だからやったけど、本来はお断りよ。まあ、事故にならずに私としても良かったよ。いいバイトになった。報告終わり!これから、原稿を仕上げるから邪魔をしないで」


「ああ、しないよ。ライターさん頑張って仕上げてよ。きっと今日は、天十郎が泣きついて家に来るからオレは忙しい」


「家に来るの?」

「ああ」蒲はニンマリと笑い答えた。


「家の場所を知っているの?」

「一度、来たから…。夏梅は知らなかったの?」


「いつの間に…。準備万端、整っているのね。蒲のそういう所が嫌いだわ」

「そういう所って?」


「人を試したり、謀ったり、利用したり悪ふざけが過ぎるのよ」

「悪ふざけか…。今の夏梅にやったら何が起こるか、わからないな」

 蒲が僕を見た。


「蒲って、子供の頃からそうやって、私の男を奪っていくのよね」

 夏梅が牽制球を投げる。


「おい、あいつはオレのだ。お前のじゃない」

 蒲はすごんで見せた。しかし、そんな蒲の行動に少しも動じずに夏梅は

「ええ、そうですね。私の彼氏ではございません。塁~」と僕を呼んだ。


 僕はここにいるのに夏梅は遠くを見た。


 蒲が僕を見て複雑な顔をする。いつもの事だ。夏梅はため息をついてから

「ようは手を出すなって言う忠告も含めてなんでしょ。わかっていますよ。くわばら、くわばら」と、言いながら、黙っている蒲に向かって、夏梅は〈えんがちょ〉を切った。


「夏梅様はさすが余裕ですな」

「雄なんてみんな同じ。海は広いが釣れるポイントは決まっている」


 夏梅はそう言い捨てると、蒲がたたんでいた洗濯済みの山から、蒲のボタンダウンプルオーバーシャツを引き抜き、下着の上にひっかけて二階に向かった。


「あ!おい、それ高いやつだから返せ」

「はーい」遠くから返事だけ帰って来た。


「また、返事だけかよ」蒲がイラつき、僕を指さして

「おい、お前、塁、夏梅をちゃんとしつけろよ」と怒鳴った。

 

 また蒲は無理な事を言うものだ。昔から変わらない。

 




【ガチャ…】


 真夜中になって玄関から音がした。そしてドアが静かに開いた。


 天十郎だ。


 靴も脱がずに玄関に立っている。蒲の奴、玄関の鍵を閉め忘れたか?そのうち、僕の足元に座り込んで独り言を呟き始めた。


「今日はね、満月ですよ。夜の梯子酒もいいでしょ」


 かなり酔っぱらっている。


「満月がどうした」

 僕は暇つぶしに酔っぱらいの相手を始めた。


「僕はね。蒲が好きなのに女を抱きしめました。あー。なぜか嫌悪感がなかったのですよ。困りました。戸惑いますよ」

「夏梅の事か?」


「浮気をした気分。ただ抱きしめただけなのにね。どう思います?」

「どう思う?って、夏梅を抱きしめて無事にいられただけでも奇跡に近いけどな」


「あの女、ほんとに気持ち悪い、SEXをしたがる」

「夏梅が?」


「おい、茂呂 鈴里(もろ すずり)って、化粧品メーカーの女社長を知っているか?」

「知らねえ」


「蒲がさ、蒲がいつでも、おいでって、優しいだろ?」

 

 家の鍵を玄関ホールの電球に照らして影をつくって眺めている。


「合鍵を渡しやがったな。蒲が?優しいね…。まあ、せいぜい気をつけなよ」

 僕はため息をついた。


「あー。自分が信じられないよ。女は苦手だ。触るのも嫌、見るのも嫌。出来るだけ視界から遠ざけたいし、そばにいても、物としてしか見えないはずなのに、あの女はなんだ」


 天十郎はよろよろと、しゃべりながら二階に上がって行った。


 あの女とは失礼な奴だな、しかし本当に女性が嫌いみたいだな。この間も来ていたから、まるで自分の家に入るみたいだ。


 僕は時計を見た。夜中の一時を過ぎている。






【天十郎は二階へ上がると蒲の寝ているベッドに潜り込んだ】


 蒲は、当然というように

「うん?来たか?」

 掛け布団を持ち上げて招き入れた。天十郎は嬉しそうに、


「何もかも忘れられる」


 蒲の胸の中でまるくうずくまって、落ちついたようだ。蒲に幼子のように全身を任せ、胸に顔を押し付けて、ウトウトとまどろみ始めた頃に「ちょっと、どいて」夏梅が入って来た。


 蒲が当然のように


「今、何時だよ」

「二時半」夏梅が答える。


「終わったの?」

「おおよそ、二校までした」


「それで、提出?」

「うん、少し寝る」

 夏梅は、もぞもぞと潜り込むと蒲以外の存在に気がつき、覗き込んだ。


「酒臭~。酔っぱらいだ。やっぱり来ていたの?」と、いうと蒲の背中を枕に寝始めた。


 天十郎もまた、夏梅の存在に気が付き、驚きと怒りで飛び起きようとするのを、蒲が身動きできないように強く抱きしめた。


「天十郎、お前は、なにも心配する事はない。大丈夫、とにかく明日の朝だ。今は寝る」


「だって」天十郎は子供みたいに甘えた声を出した。蒲は髪をなでながら

「俺が信用できないか?信用ができないなら今ここで出ていけ、信用しているなら、とにかく寝る」


 少しもがいていたが、そのまま蒲の腕の中で天十郎は眠りについた。






【朝の陽ざしがベッドに差し込んで来た】


 目覚めた天十郎が、自分が今、どういう状態なのか気がつき、大声を上げて夏梅を投げ飛ばした。

「おい!」 


 僕は怒鳴ったが、すでに遅かった。夏梅は、ポーンとベッドから、ドアのところまで飛んで落ちた。


「いたーい」


 大きなドスンという音ともに、夏梅の声が家中に響いた。次にドスドスと音を立てながら、蒲が階下からやってきた。


 ドアノブに引っかかっている夏梅は、男物のトレーニングウエアのズボンとボタンダウンプルオーバーシャツを着ている。ブカブカで大きく開いた、襟元から胸がはみ出しそうに膨らんでいる。天十郎はその光景に思わず生唾を飲んだ。


 階下から上がって来た蒲が部屋のドアを思いっきりあけ、丁度、立ち上がろうとした夏梅のお尻をドアが突き飛ばした。夏梅は前のめりに倒れた。


「あーああ」


 僕は蒲を非難するように見た。ドアを開けた蒲が、掛け布団を顔まで引き上げて、ベッドの上で固まっている天十郎とベッドの下で、哀れもない恰好で転がっている夏梅に歓声を上げ、蒲が大笑いした。


「お前って本当に笑える」


「蒲!」

 夏梅と天十郎の二人が同時に叫んだ。蒲は笑いをこらえながら、


「悪い…。写真でも撮るか?」


 この状況をとても楽しんでいる。蒲は泣き出しそうな天十郎の元に行くと優しく髪をなでた。


「驚かせてごめん」と抱きしめた。


 夏梅はぼさぼさ頭に、顎を擦りむいた顔で「痛いな~」といいながら、立ち上がる。


「何時?」と夏梅が聞いた。


「七時半」蒲が答えると、夏梅は指を折り始めたが、蒲は天十郎を抱きしめたまま「夏梅、五時間」と答えた。


 夏梅は大きな声で「飯!」と叫ぶ。


「ご飯が炊けたら、味噌汁よそえ」蒲が答えると「ああ」夢遊病のように、夏梅はお尻をなでながら、ふらふらと階下に降りていった。

 

 夏梅の姿が見えなくなると、天十郎は蒲に

「あの女がベッドで寝ていた」ドアに向かって指をさした。

「うん、そうか?食うか?」天十郎を見て優しく笑った。






【蒲と天十郎と一緒にリビングに降りて行くと】


 キッチンカウンターで夏梅がご飯と味噌汁、白菜の浅漬けで朝食をとっている。蒲が「顔を洗ったのか?」と聞くと、首を横に振る夏梅。


「ぼとっ」


 音とともに、蒲が夏梅の元へ走り寄った。

「夏梅、また落としたな!あーあ、俺のボタンダウンプルオーバーシャツ、おい、脱げ」


 蒲が夏梅の着ているボタンダウンプルオーバーシャツを脱がし始めた!


「何をやっている!」


 天十郎が叫びながら二人の間に割り込んで、三人でもみ合った。蒲は少し驚いた顔をしたが、天十郎が夏梅との間に入って来たのを嬉しそうにしている。天十郎は夏梅に結構な力で押している。


 僕はすぐに気が付いた。蒲の奴…。わざと天十郎を刺激している…。案の定、天十郎は夏梅を敵視しだした。不安が募る。僕は蒲を睨みつけた。


 すでに、天十郎と夏梅の二人のもみ合いになっている様子をニヤつきながら、見ていたが、僕の怒りの視線に気が付いた蒲は、天十郎を夏梅から引き離すと、天十郎に告げ口するように夏梅の着ているシャツを指さした。


「こいつさ、食事の時は気をつけないと食べ物を洋服に食わすから、ほら、ボロボロと落としている」

「今に始まった事じゃない。子供の頃からだ」

 夏梅は不愉快そうに食卓に戻り、また食べ始めた。


「子供の頃は、胸がなかったからこぼしても、スカートとかズボンの染みだったが、今は胸だよ、胸。一番目立つところに染みを作りやがる」


 天十郎が

「この女、自分の洋服はないのか?」


 座っている後ろからシャツを引っ張るようにつまむと胸の豊かさがクローズアップされた。思わず天十郎は、シャツを離した。夏梅は、ちらっと天十郎を見たが気にも留めぬように「ある」と着ているシャツを指さした。


 蒲はイライラしながら

「それは、俺のだ、早く脱げ、染み抜きをしないといけない」


 夏梅の頭を小突いた。


 二人の会話が気に入らないのか、天十郎もイライラしながら

「口をちゃんと閉めろ、箸はちゃんと口まで運べ、手の筋肉使え」

 と夏梅を指さした。


 すると、夏梅は立ち上がり天十郎に向かって


「酔っぱらい!指さすな!蒲の代わりに抱いてあげたでしょ」

「はあ?迷惑なのだよ」

 天十郎が怒りで、ありとあらゆる汚い言葉を駆使して怒鳴り騒いだ。


 そんな天十郎に揺さぶられる事もなく、横目で見ながら食事を終えた夏梅は黙って、食器をキッチンに運び


「うるさい酔っぱらいだ。あと、洗っておいてね」

 一言残し二階に上がった。天十郎は、夏梅がいなくなってもしばらく興奮状態が続き、今度は蒲に食ってかかった。


「あいつ、何だよ?」

「あまり気にしなくていい」


「何を言っているか、わからないよ」

「そうかもね、俺もほとんどわからない」


「ずっと、こうなのか?取材の時は普通に話をしていたぞ」

「仕事だからな」


「いつから?一緒にいる?」

「俺が引越をして来た頃かな?」


 蒲は意味ありげに笑った。天十郎はイライラしたまま蒲に食いついた。


「引越って、いつ?」

「五月終わりくらい。かな?」


「今年のか?一カ月以上も前か?あいつ何?」

「言葉とかを話したくないみたいだ、自分の気持ちとか悟られたくないと、聞いても答えないから、こっちが理解してやるしかない」


「面倒だ」

「俺たちにとってはそれくらいがちょうどいい。わからないって理由で無視ができるだろ?」


「それでいいのか?」

「いいだろ?あいつの自由だ。それより飯!」


 二人の食事が済んだ頃、二階にひとりで上がったと思った夏梅がバスルームで盛んになにかを叫んでいる。

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