第2話 草壁調査事務所


『行方不明の≪スターズ No.4≫レスター・モーガン騎士爵 事件公開から1年 未だ手がかり無し』


―――


 行方不明の届けが出されて1年が経つ、高名な超能力者≪イレイザー≫ことレスター・モーガン氏(当時32歳)だが、警察は公開捜査に踏み切ったものの、現在まで捜査に進展は見られていない。

 モーガン氏はキャニスター社主催の祝賀式典に出席後、自宅に帰宅していないことが家族により明らかになった。

 式典後に1人で行動していたモーガン氏は、懸命な捜査により23時ごろ帰途についたと見られているが、その後の足取りが掴めなくなっている。

 能力犯罪者の超能力を打ち消す、強力な超能力を持つモーガン氏だが、現在まで犯行声明や犯人からの連絡等は無く、事件・事故両面で捜査が進められている。

 葬儀について家族より会見があり―――。


―――


(1年も経つと記事の扱いも小さくなるものだな)


 かつて倉庫でモーガンを『処理』した東洋人の男、ケンタロウ・クサカベは、自分1人だけの広くはない事務所のデスクへ、読んでいた新聞を畳んで置き、コーヒーを口にする。

 朝のニュースを流すテレビにも目をやるが、かつて持て囃された国家の英雄の死という暗い話については、もう取り上げられてはいない。かわりに―――。


『―――次のニュースは、我が国の英雄、3人の超能力者"スターズ”の結成10周年記念式典の話題です。首都での開催が予定されている本式典の会場は王族も利用することで有名な―――』


 外は雨。

 ぱらぱらと窓を打つ雨音と、ニュースキャスターの声が室内に響く。

 この地域の11月末はかなり気温が下がる。

 窓はうっすらと曇っている。


(残る標的は3人。全員が首都を拠点としているのは変わらず。調査と下準備も兼ねて念のため1年空けたが、連中の慶事、10周年記念式典とやらに合わせて、そろそろまた動き始める頃合いだろう)


 ただ殺すだけならそう難しくはないが、それで済ませる気は無い。

 可能な限り、苦しめて殺さなければならない。



 己の胸の炎が消えていないことを再確認していると、部屋の外から、とん、とん、と軽やかな足音が近づいてくる。

 続いて事務所の扉をノックする音。

 こんな早朝にこの零細調査事務所を訪れる者は限られる。来訪者は分かっているので「どうぞ」と返す。


「おはようございます!」


 扉を開けるなり、明るく朝の挨拶をする来訪者は、年の頃、初等部から中等部の間くらいに見える少女だ。

 細く、すらりとした手足。

 癖のない美しく長い銀髪。

 明るい碧の瞳に通った鼻梁。

 月を連想させる肌はほんのり輝いて見えるほど白く、触れてみたいと思わせるほどに肌理が細やかだ。

 若いというより幼いと言った方が近い容姿だが、それに類することを口にすると彼女はひどく機嫌を損ねるので気を付けねばならない。


 彼女と過ごした時間は諸々足し合わせてもまだ数日ほどで、長くは無いが、濃い。

 何しろ……彼女はケンタロウのクライアントで、復讐の協力者だ。



「ああ、おはよう、ミス・ペンドルトン」


「レインよ」


 扉を閉めたレイン・ペンドルトン子爵令嬢は、眉をひそめてケンタロウに呼び名の訂正を求める。


「何度でも言うけど、あなたからそのファミリーネームで呼ばれたくはないわ、ロウ」


 数日前、再会してからの、彼女からケンタロウへの呼び名は『ロウ』だ。


 ―――『ケンタロウ』なんて呼びにくいわ。『ケン』も響きが好きじゃない。だからずっと考えてたの。私はあなたを『ロウ』って呼ぶわ。他にそう呼んでる人はいる? 良かった。私があなたの特別だって感じられるから、他の人にこの呼び名を許しては嫌よ? ―――


 ……ということらしい。


「どうにも外聞がよくないよ」


 30歳過ぎた男が、身長が140cm未満の美しいクライアントを名前呼びするのにはどうにも抵抗があった。

 このうさんくさい調査事務所に入り浸っている時点で今更感はぬぐえないのだが。


「それでもよ。他の人はともかく、よりによって貴方からその名で呼ばれるのは、嫌」


「……君が母親似で良かった」


「それだけは会ったことのない母に感謝ね」


 互いに微笑みあう。

 そんな会話を交わしながらも、ポールハンガーにコートを掛け、鞄をローテーブルの脇に置いて、勝手知ったる様子でキッチンへ移動して自身のコーヒーを淹れ始めるレイン。

 もうすっかり慣れたものだ。

 ケンタロウに鞄から出したA4の書類を渡して、自身はマグカップ片手にデスクの正面、来客用のソファへ腰を落ち着ける。


「来月のスケジュールよ」


「ありがとう。いつも助かるよ……レイン」


「! ……貴方は私の護衛なのだから当然よ」


 少しだけ頬を緩めて、レインは胸を張る。


「僕の言えた義理じゃないが、僕が君の元に取りに行くのが当然だと思うよ」


「いいのよ。私、この事務所で飲むコーヒーが気に入っているの」


「毎度、ごひいきに」


「うふふっ」


 レインは楽しそうに笑う。

 その笑顔に屈託は感じない。

 無邪気な微笑み。


 ケンタロウが初めて出会ったとき、レインの瞳に光は無かった。

 彼女の心は、死にかけていた。




◆◆◆




 2年前、僕は標的に関する調査結果を確認するため、古都ベクトラシティの拠点から遠く離れた街の、ペンドルトン邸へ深夜に偵察に訪れていた。


 約6年ぶりにこの国、グラベル連合王国へ1人戻った僕は、ベクトラシティの小さな調査事務所を、旅の道連れだった前所長から引き継いだ。

 家賃は口座引き落としになっていたため、事務所は所長不在の6年ものあいだ立ち退きの憂き目にも合わず手付かずだった。僕はその事務所を拠点とすることに決め、掃除と片づけもそこそこに、すぐに5人の仇の消息を調べた。

 そして、唯一首都以外に住んでいたペンドルトン博士を、最初のターゲットに決めた。ターゲット5人の中で最も警備が手薄で、軍属ではないので手を出しやすい。


 ペンドルトン邸の警備の状況は事前調査の時点から変更なし。

 晴れた日の明るい満月は潜入に不向きだが、僕にとってはさしたる障害にならない。

 音も無く塀を乗り越えて、警備員と番犬を躱し、木々が厚く生い茂った広い庭を抜けると、広大な敷地の真ん中付近に子爵邸としてはかなり豪壮な屋敷が見える。

 脳内に記憶した図面から寝室の位置にあたりを付けて高い木に登り、カーテンが閉じられていない、3階の窓から中を伺った。

 部屋に明かりは無かったが、"ワーウルフ"ならぬ身でも、満月の月光で十分仔細が見て取れるほどに明るい夜だ。


 そこから見えたその光景に、僕は平静を失い、即断し、その現場に踏み込んで状況に介入した。


 大きなベッドの上、全裸の幼い女性の手には、先を荒く尖らせた細い木の枝らしきものが握られ、大きく振り上げられている。

 そしてそれは、同じく全裸で仰向けに転がった、やせぎすの老齢の男性に向けて振り下ろされる直前だった。

 慌てて窓から乱入した僕は『力』によって木の枝を空中で掴み、動きを止めた。

 彼女の足は短い鎖で大きなベッドにつながれており、彼女がどういう境遇に置かれているかを否応なく想像させる。


「……殺させてよ」


 突然音も無く窓から飛び込み、踏み込んできた僕に暗い眼差しを向けた彼女の、涼やかな声にも美しい顔にも激情は無く、けれど、木の枝に今も込められ続けている力が、この老人への底深い憎しみを感じさせた。


 老齢の男は、その隙に逃げようと必死にもがいていたが、木の枝同様、僕は『力』で奴の動きと声を止めていた。

 いくら混乱していても、この状況でこの男を逃がしたりはしない。


 一息ついた僕は、まだ木の枝に力をこめ続ける彼女に、窓際から話しかけた。


「……力を貸そう。その下衆は、僕と友人の仇でもある」


 彼女の瞳が僅かに揺れ、老人の目が見開かれた。

 仰向けで皺腹と縮み上がった股間をさらした見苦しい姿の下衆、ジョージ・ペンドルトン博士は、僕が誰なのか、気が付いたらしい。

 僕は続けて、できるだけ優しく聞こえるよう、語り掛ける。


「一思いに殺したくない。できるだけ苦しめたいんだ。駄目かい?」


 老人へ暗い瞳を向け、しばし無言で、僕の言葉をゆっくりと咀嚼したらしい彼女は、改めて僕へ目を向け、腕を下ろし、うっすらと、つぼみの先端がほころびる様に、微笑んだ。

 部屋へ差し込む月光に、長い銀髪がきらきらと輝き、彼女の女神のように美しい顔と裸身を彩っている。


「それは……とても素敵な申し出だわ」


 頬を薄っすらと赤らめ、一糸まとわぬ彼女のその微笑みは、ひどく危うく、だからこそ、例えようもなく美しかった。




 僕はペンドルトン博士を海老反りに縛り上げ、猿轡を噛ませてから、少女に今の名前、ケンタロウ・クサカベと名乗り、大きなソファに腰かけた。

 レインと名乗る少女が僕の話を聞きたいとねだったため、まずは互いの境遇について語り合うことにしたのだ。


 彼女の足の鍵を『力』で開錠し、鎖をペンドルトン博士の足に繋げなおした僕は、先に僕がレインに語って聞かせることを提案した。

 少しでも彼女の信頼を得るためだ。


 レインはその提案を了承したが、その際、僕の膝の上に座ることを望んだ。

 服を着ることも、毛布などを体にかけることも拒んだ。

 理由を聞くと、彼女は僕に細い裸身を擦り付け、首に手を回し耳元で囁いた。


「(その方が、『あの男』は苦しむわ。私にとても執着しているから)」


 ペンドルトン博士に目をやると、血走った目を見開き、何やらひどく呻きながらこちらへにじり寄ろうとして鎖に阻まれていた。

 納得した僕は、レインを膝の上に乗せ、寒く無いよう、優しく肩や頭を撫でながら語り始めた。

 レインは僕の話を聞きながら体の力を抜いて僕にしなだれかかり、頭を撫でる手を取り、僕の指を咥えた。

 さらに掌を彼女の肉づきの薄い尻や乳房に誘導して、控えめだが甘い嬌声を上げ、そのさまを博士に見せつけ、挑発し続けた。

 ペンドルトン博士の形相が醜く歪み、呻きながら鎖をガチャガチャ言わせて抵抗するさまが、たまらなく愉快だった。



***



 ジョージ・ペンドルトン博士は、超常能力開発研究の第一人者で、首都から離れたこの街にある国立総合研究所の責任者だ。その功績で子爵位を賜っている、痩せた老齢の紳士である。見た目だけは。

 12年前、20歳だった僕を含めた5人は、国が主導する第1次超能力開発実験の被験者として国立研究所に集められ、ミッシェル・ハイマンはペンドルトン博士の助手の1人だった。


 だが、他の4人と比べていつまで経っても能力開発が進まない僕は、いつしか、博士の研究成果のノイズと見做された。

 華々しい結果を残す4人のデータだけを残すため、『自己都合で研究所を去った』ということにすると秘密裏に決めた。

 また、ミッシェルは非常に優秀な研究者だったが、彼女の構築した理論と研究成果を己がものとしたいペンドルトン博士にとって、自身より優秀なその存在は目障りだった。

 そして、研究所の総責任者で貴族のペンドルトン博士にとって、これらのデータの改ざんはなんら難しいことではなかった。

 

 夜更けに僕たちを実験施設の一角である暗い森まで誘導したペンドルトン博士は、他の被験者たち4人に殴られ、犯される僕たちに、自身の行動の理由を熱弁した。大いに自分に都合が良いように脚色を加えながら、大学の講義でも語るように。

 かわるがわるミッシェルを犯し、合間に麻袋の中の僕を蹴っていた連中のリーダーは、下衆な講義を終えた博士にこう尋ねた。


『博士も一緒にどうですか?』


 ペンドルトン博士はこう答えた。


『無能な男にも、肉がたるんで劣化したメスにも、興味は無い』


 この言葉を最後に、遠ざかる足音が聞こえ、もう博士の声は聞こえなくなった。



***



 ……僕の話を聞き終えたレインは、僕の頭を胸に抱き、頬や唇に何度もキスをした。

 その度に老いたペドフィリアの発する呻き声と鎖の音が部屋に響き、無様にもがく老人を見て、彼女は蕩けるように笑った。


「それじゃあ、次は私の番ね」


 僕はこの時まで、彼女は孤児院あたりから合法的に買われた養子か何かなのだろうと漠然と思っていた。

 だが、軽い調子で語り始めた彼女の境遇は、想像の上を行く、実に胸糞の悪くなるものだった。


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