第6話 マムロッド

「ここか」


街外れにある住宅街、そこから更に進んだ場所。


訪れたのはラタンから紹介された女が住んでいるという家、だが。


「随分ボロい家だな」


建ててから随分経って見える古い家。

壁には一つ大きな罅が入っており、その端からポロポロと土くれがこぼれ落ちている。


少しの風で家全体が揺れて、外にいるのに軋む音が聞こえてくる。

およそラタンが言っていた女が住んでいるようには思えない見た目の家だ。


ガンガン、と今にも外れそうな扉を叩く。


「マムロッドはいるか? 俺はトトフ。ラタンから話を聞いてきた」


声をかけてからしばし、中から人が動く音が聞こえてきた。


ーー本当に人が住んでるんだな


そうして音が近づき、扉が開かれる。


「……なんですか」


姿を表したのは透き通るような水色の髪を伸ばした女。

年の頃は三十辺りだろうか。

随分と整った容姿をしているが、暗く、陰気な表情がその美貌をやや損なわせている。


とはいえ整えれば十分すぎるほどに見栄えのする美人なことには間違いない。


まさか浮浪者が住み着いていそうな家からこんな人間が出てくるとは思っていなかったことで少し驚いた。


「あ、あぁ。カイトという冒険者について少し話があって」


カイト、という名を聞いた瞬間。ピクリと反応した女。

その俯き気味だった顔がまたたく間に憤怒の色に染まる。


「お前、あいつの仲間か?」


「いや、違う! 俺はトトフ、ただの冒険者だ」


「帰れ」


キッとつり上がった目つきが鋭く俺を射抜き、女はそのまま勢いよく扉を閉めようとする。


「っ!?」


「どうやら相当恨みを買ってるらしいな」


すかさず足を差し込み、扉が締めるのを防ぐ。

勢いよく引いた扉はそのボロさの割にはしっかり役目を果たしていたようで、壁と扉の間に挟まった足はかなりの痛みを訴えて来ている。


まさか足を伸ばしてくるとは思わなかったのか、家の中に戻りかけた女は驚いた表情で俺を見ていた。


「早まらないでくれよ。俺はあいつの仲間じゃない、あいつを殺したくてここにきたんだ」


「殺す?」


「あぁ、そのためにあんたに手伝ってほしいことがあってな」


怪訝な顔をしていた女だったが少し考え込んだ後「中へ」と俺をリビングまで案内してくれた。


家の中はほとんど外から見たとおりそのまんまの様相を呈していた。


薄暗い部屋。

時折パラパラと土埃が天井から舞い散り、どこからか入ってくる隙間風が身体に吹き付けてこころなしか外にいるときより冷える。


一歩歩く度に床が不可解な音を立てるせいで、いつ底が抜けるかとヒヤヒヤさせられた。


しかし建物には大いに問題はあるものの、部屋自体は片付けられており、思ったより生活感がある。


テーブルはガタガタ、椅子は身動ぎする度にギシギシと音をたてるものの何度か修繕した形跡があり、使えないことはなかった。


「申し訳ないけどお客をもてなせるほどの余裕はないの」


「別に必要ない。喉が乾くころには話も終わってる」


互いに椅子に座り、机を挟んで向かい合う。


「それで、話って?」


「今俺は協力者を探しててなーー」


俺はカイトを殺すに至った事の経緯、協力者探しの末ラタンから紹介された旨を説明した。

女は予想外にも素直に話を聞いていた。

表情は相変わらず不機嫌そうだったが、時折相槌を打ちつつも最後まで話しを遮ることもなく静かにしていた。


「端的に言うとな、カイトに対して復讐する手伝いをして欲しい」


「……」


「奴とサシで殺るためにあいつのパーティメンバーが邪魔でな、あんたには奴をおびき出す役をやってもらいたい」


「おびき出す役?」


「知ってるか分からないが、奴は女好きだ。あんたは見目が良い、そんなあんたが二人きりになりたいと奴に近づけばーー」


「知ってるわ」


食い気味に話す女。

その目は先程よりもずっと鋭く俺の目を睨みつけていた。


「多分あなたなんかよりずっと、ずっと」


その射殺すような眼光には怒りと、憎悪が垣間見えた。


間違いなく、これまで話をしてきた誰よりも深い恨みが顔を覗かせている。


「……気に触ったようなら謝る」


「ラタンから紹介されたのに、私に関しての話は何も聞いてないの?」


「何も知らない。俺があいつに紹介してくれと頼んだのは奴に恨みを持っている人間ってことだけだから」


「恨み?」


片側の眉がピクリと上がる。


「あんたに会いに来る前に、ギルドでいろんな奴に声を掛けたんだ。でもどいつも奴に絡まれるのが怖いとか、旨味が少ないとかで断られた。それで奴に強い恨みを持っている人間なら多少の不利益は飲み込んででも協力してくれるんじゃないかと思ってラタンに聞いたんだ」


「それで私を」


納得がいったとうなずく女。


「あいつが女好きだと俺よりもずっと知ってるって言ったよな、あいつ何をしたんだ?」


「……」


そう聞くと女はテーブルの一点を見つめ、黙りこんでしまった。


沈黙が流れる。

家の中に入ってきた隙間風がピーピーと間抜けな音を鳴らし、静かな部屋の中に響く。


「私、恋人がいたの」


不躾だっただろうか。

そう思い始めた時、女が口を開いた。


「あなたと同じ冒険者。トップクラスとは言わないまでもかなり優秀な冒険者だった」


語り始めた彼女の声音はこれまでで最も柔らかく、優しかったがその瞳はもう手に入らない幸せを嘆くように悲しげに揺れていた。


ーー


マムロッドの恋人は高難度の討伐依頼を頻繁にこなすことのできる、腕よりのパーティーに所属していた。


「それじゃあ行ってくるよ」


「行ってらっしゃいキッテス」


寝床から起き上がり、恋人の見送りをしようとするマムロッドの顔色はひどく青ざめていた。


「あぁ、ダメだよ寝てないと」


よたよたとおぼつかない様子で立ち上がろうとするマムロッドにキッテスが慌てて駆け寄る。


マムロッドは病を患っていた。


医者曰く、ひどい難病でこのまま放っておけば後数年で死ぬと言われるほど重い病だった。


「ほら、大人しくしてて。心配しなくてもしくじりやしないさ、今回の依頼だって俺たちの実力なら今回もばっちり!」


肩に手を添えられ、優しく寝床に横たわるマムロッド。


呼吸の浅いマムロッドをいたわりつつ、心配をかけまいと元気に笑う姿は彼の優しさが溢れていた。


この日、キッテスはジャムジャマの生け捕りという極めて難易度の高い依頼を受けていた。


ジャムジャマは殺傷能力が高く、攻撃のリーチも長い戦闘能力に長けたモンスターだ。

硬い外殻や身体の素材を利用して作った装備は人気があるが、このモンスター最大の特徴はその血にある。

生きているジャムジャマから採れた生き血は高価な薬の材料になるのだ。

この薬はあらゆる病に効くとされ、マムロッドが患っている病もこの薬があれば治療することができる。


だがジャムジャマは並の冒険者では十を超える人数でかかったとしても討伐することすら出来ないほどの強敵。

それを殺さずに生け捕りにしなくてはならないという難易度から受けるものはおらず、治療に必要な薬が出回らなかった。


そこで恋人の命を救わんとキッテスはパーティーに頭を下げ、命がけで依頼を受けることにしたのだ。


キッテスのパーティーは弱くない。

各々が高い戦闘能力を有し、その誰もが死線をくぐり抜けてきた実力派。

それでも高い危険が伴う依頼。


自分のためにそんな依頼に向かう恋人をマムロッドは寝台の上から心配そうに見つめていた。


「うぉぉぉ!」


「距離を取れ、前衛はキッテスに任せて援護するんだ」


青白い身体に双頭の頭。

三メートルを超える背丈に丸々と大きな胴を持ち、六足の足が動く度に小さく砂煙が起こる。


森の中の開けた場所で、キッテス達はジャムジャマと激しい攻防を繰り返す。


ジャムジャマの攻撃手段はその巨大な身体。

六足の先についた鋭い爪に加えて巨大な鞭のごとく伸びた尻尾。

この二つをがむしゃらに振り回して攻撃してくる。


キッテスのパーティーは全員で六人。

一人は非戦闘要因のため、戦うのは五人。


その内キッテスが前衛を受け持ち、二人が中衛。残り二人が後衛という一見バランスが悪く見えるチームだ。


前衛が足りず、モンスターの攻撃を受けられないと思われがちだがその心配のすべてをキッテスがはねのける。


一人異様なまでに抜きん出た近接戦闘能力により、モンスターの攻撃を受けきり、その注意を一手に引き受ける。


その間に他メンバーがモンスターの足止めをする道具を準備したり、後方から魔法を放ったりしてキッテスを援護するのだ。


このスタイルでキッテス達はどんな強力なモンスターも討伐してきた。


この日もキッテスは両手に握った大剣を振り回し、ジャムジャマの攻撃を捌いていた。


距離を開ければ長い尻尾をしならせてくる、そうさせないためにキッテスはジャムジャマの身体にぴたりと密着し、ガツンガツンとその大剣を叩きつける。

振り回せる程の空間がないため、刃先を押し付けるようにしてほとんど棍棒のように外殻を打つ。


まとわりついてくるキッテスが鬱陶しいのか。


ジャムジャマは身体をよじり、その巨体で地面に倒れ込れこみながら押しつぶそうとする。


だがそこは実力派冒険者。


ジャムジャマの攻撃の前兆を感じ取り、倒れ込んでくる直前に後ろへ飛んで距離を取る。


そうして攻撃が空振りに終わったジャムジャマが立ち上がれば再びその巨体に近づくのだ。


一分の隙もない、長年積み重ねてきた完璧な連携でジャムジャマを弱らせていく。


半刻ほどたった頃合いでようやくジャムジャマの動きが鈍り始めた。


「ここだっ、捕獲準備!」


キッテスの一言でパーティーが動く。


あと少し、一歩間違えれば致命傷は避けられない緊張感の戦い。

綱渡りを続ける戦闘に終わりが見えてきた。


しかしここで油断するものはいない。

キッテス達パーティーは熟練の冒険者。

気を抜いた瞬間というのが一番死に近づくのだと経験則で知っている。


一切のほつれもなく、ジャムジャマの捕獲準備が整った。


「よし、俺が離れた瞬間にーー」


捕獲の合図をキッテスが出そうとした時だった。


がさりと生い茂った森の中から見知らぬ人影が現れた。


「おぉでっか。これがジャムジャマかぁ」


緊迫した戦闘が繰り広げられている中、男の場違いに呑気な声が響く。


「何やってる! 危ない下がれ!」


突然の乱入者にパーティーに動揺が走る。


男はきょろきょろとキッテス達を見渡すと、


「危ないってどっちがだよ。あんたたち今にもやられそうじゃん」


どうやら生け捕りにしようと殺さずに戦っている姿が男の目には劣勢に映ったらしい。


「いいから下がれ、こいつは殺さず生け捕りにするんだ!」


「ぷはっ、生け捕りってあんたら現実見えてなさすぎ」


キッテス達がいくら忠告しても男は従う素振りを見せない。


「カイトー、喋ってないでいいからはやくやっちゃおうよ」


男の後ろにはこの状況下にあって平然としている女が数人男に侍るようにきゃいきゃいと話している。


「カイト様、あいつがモミの腕に傷を付けたんです」


「うわ、それは許せないや。せっかくきれいですべすべの腕なのに」


そうして男は緩慢とした動作で掌をジャムジャマに向けた。


一瞬にして視界が光に包まれ、その掌から極太の光の束が放たれた。


光はキッテスの頬を掠め、ジャムジャマの身体を貫いた。


「ガ、ガ」


身体に大穴の空いたジャムジャマの動きが止まる。


「あれ、ちょっと外したな」


「お前ぇぇ!」


突然の横槍に激昂するキッテス。


この傷ではジャムジャマは直に死ぬ。


誰だか知らない男のせいで薬が。


あいつを助けるための薬が。


憤怒の表情を浮かべ、男の胸ぐらを掴むキッテス。


「なんだよ、おっさん。雑魚のあんたたちに代わって俺が倒してあげたんだろ? うざいな」


「このガキっ!」


許さん。

握りしめた剣を振るおうと力を込める。


「ガ、ガラァ」


背後から水音混じりの咆哮が響いた。


振り返ると首元から胴に大きく穴を開け、瀕死の状態となったジャムジャマがこちらを睨みつけていた。


「あーー」


視界に映る青白い影。


それは怒り狂ったジャムジャマが振るった尻尾だった。


キッテスは避けようとするまもなく身体を横薙ぎに払われ、吹き飛んだ。


「キッテス!」


無防備に尻尾のなぎ払いが直撃したキッテスを見て、仲間たちが慌てて動く。


「ガァァ!」


しかし唯一の前衛を失ったパーティーにジャムジャマを止める術はなかった。


もはや目が見えていないのか、めちゃくちゃな場所に前足を振るうジャムジャマ。


しかしその巨体であっては目で見ていなくとも攻撃範囲は尋常ではない。


光に身体を貫かれ、発狂するジャムジャマは周囲すべてを破壊して回った。


「ちょ、死にかけの馬鹿が! 危ねぇって!」


この惨状の引き金を引いた男は一人、一目散に逃げていく。


「待ってカイト!」


「カイト様っ」


連れの女たちはそんな男の背中を追いかけ、走り去った。


嵐のように暴れまわるジャムジャマ。


「巻き込まれる! 俺たちもーー」


「馬鹿野郎、キッテスを見捨てるつもりか!」


彼らは熟練の冒険者。

卓越した連携を誇る高い結束力に寄ってこれまでどんな強敵も打倒してきたものたち。


しかし、その結束力が仇になった。


たった一人の前衛を失った彼らは暴れ狂うジャムジャマの攻撃を捌くことができない。


キッテスを救おうとしてその場に留まったのが失敗であった。


後衛のメンバーがジャムジャマの動きを止めるための魔法を準備。

その時間稼ぎをしようと中衛の二人が前に出るが、ジャムジャマの攻撃力は即席の前衛を容易く蹴散らした。

そのままの勢いで突進してくるジャムジャマの巨体に魔法の準備をしていた後衛の一人が押しつぶされた。


残った一人の魔法が発動し、灼熱の鎖がジャムジャマの身体を縛り付ける。


しかしその巨体を縛り付けるのに一人の魔法では足りない。


数秒だけ動きを止めた鎖はあっという間にジャムジャマに引きちぎられ、怒りの咆哮を上げる。


そうして暴走する狂獣の動きが止まったのはそれから数十分後のことだった……。

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