第3回:深められない絆と深まる絆

 あさりは事務所での収録の帰りに呼び止められた。

「あさりちゃん最近みんなの相談に乗っているんですって?」

「げぇっ!たにし先輩!!」

「……流石に失礼じゃない?」

 ロールパンのようにゆるく丸まったサイドレールが揺れる。

 失礼なのは認めるが、あさりの本能が告げていた。『絶対に濁川たにし先輩は重すぎる相談をしてくる』と。

 この業界にベテランを見たら「生き残り」と思え。


 喫茶店に場所を移して世間話をする。さすがにベテラン、「重大告知」や「大切なお知らせ」が待っていることが明らかな状況でも話術で盛り上げてくれた。思い悩まずにこの話術を活かしていればいいと思うのだけど、よく考えるから話術が磨かれているのかもしれない。

「それで……」

 たにしは旦那の話をするマダムの風情で息を吐いた。本題を口にする。

「最近リスナーさんにマリトッツォで言われちゃったの……近頃のたにしんはコラボ相手のことばかり見て、リスナーさんが見えていないって」

「お、おぅ……」

「好き好き.comでも言われているの……」

「それは見るだけ時間の無駄ですね」

 同業者の間では嫌い嫌い.comと言われているやつである。

 やっぱ重すぎるわ。しらねーよ。と言えたら楽なのだけど、同じ事務所に所属する先輩の活動は自分にも影響してくる。万が一にも炎上でも起こされたりしたら、延焼しかねない。


 あさりは「そんなもんだよ。一部の連中の意見だよ」と、なだめすかして先輩のやる気を引き出そうとした。だが、それがさらにディープな想いを吐き出させる結果になってしまう。まるで自分の憂鬱をあさりに感染させたがっているようだ。

「言われてみれば確かにそうなの……リスナーさんよりコラボ相手との交流の方が楽しくなってしまっていたの。だってリスナーさんよりコラボ相手との関係性の方が深めやすいんだもの。リスナーさんはあまり一人を特別扱いできないし」

 およよ……非常にわざとらしく目をこする。

 どちらにしろ深めすぎて地雷を踏まないでくれよと、後輩は思った。しかし、たにしの言いたいことは分かる。

「そりゃリスナーとは基本的に文字を使ったやりとりだけど、コラボ相手は声やオフコラボなら身振り手振りアイコンタクトでもコミュニケーションできますからねぇ……」

(あれ?自分も同じことになりかねないのか?ヤバいな……)あさりは危機感を覚えて、わりと真面目に頭を働かせ始めた。

「うーん、リアルアイドルの場合はファンは「ファン」という一個の存在にして、あまり個別に認識せずに対応している感じがします」

 彼女がイメージした一部の大物アイドルの場合である。絆を深める場合もファン全体との絆を意味していて、個人は見ていない。この時、共演相手とファンは扱いがまったく別で、比較する存在になっていないのではないか。


 たにしが頷いた。

「リスナーさんはアイコンとお名前が分かるから、それぞれを見ちゃうのよね」

「それが出来るのが私達の強みで、満足させられなくなると弱点になるんですね」

 もっと大手の、リスナーがべらぼうに多いVTuberであれば、否応なくリスナーを集団として扱って行くのかもしれない――それでも目立ってくるリスナーはいるけれど。

 しかし、中堅事務所Shell's所属の中堅VTuberとしてはリスナー個人を認識して対応することが可能であるし、そうすることで大手VTuberには満たせないニッチを満たしている。たにしの悩みはリスナーが増えていく時に共通の悩みであろう。もっとも、たにしのリスナーはずっと横ばい状態だったが。



「あー、これは雑談配信で使おうか迷っていたネタなんですが……」

 あさりのツカミに、たにしが身を乗り出してきた。

「ダンバー数って知ってますか?人間がうまく付き合える人数は150人くらいって説なんですけど」

 口で説明するだけじゃなくて検索して直接たにしに見せる。

「この人数をリスナーに当てはめて考えると、私達が上手くさばける人数は150人が限度なんじゃないでしょうか?」

 同時接続者数150人くらいが配信者にもリスナーにも居心地がいいと仮定すれば、個人的には納得感があった。

「でも、150人じゃ専業でやっていくには……」

 もう一桁ほしいと先輩は顔で語った。社会学と経済のミスマッチ。

「うーん、書き込みする人が全体の一割ならいけるんじゃないですか?」

 実際はもっと多いとは思う。厳しいところである。

「それにリスナーさんだけを相手にしているわけじゃないよ」

 同僚・運営・他社のコラボ相手など仕事だけでも関わっていかなければいけない人は多い。その余力でリスナーに対応するならさばける人数はもっと少なくなる。どうも仕事相手とプライベートな相手などは分けて考えられそうだし、個人差もありそうだが、それでも1000人を超えるのは無理ではないか。

 ただし話題のAI VTuberだったら150人の壁をやすやす突破し、数万人のリスナーを個体識別して相手にできる日がいずれ訪れる可能性はあった。怖い。


「そうか……コラボ相手も150人が限界って考えたら、同僚が150人いる事務所は事務所内コラボだけで容量切れを起こしちゃうのね」

「そんな特定の超大手以外ありえない話をしても……」

 先輩も入ることを夢見ているんじゃないだろうなと勘ぐってしまった。それが出来るならリスナーとの関係に悩まない気もした。


 結局あさりは濁川たにしの悩みを解決することは出来なかったが、考えのきっかけを与えることはできたようだった。相談を受ける前よりは少し明るい顔をして先輩は帰っていった。



 後日、たにし先輩は一つの発表を行った。

「今後はアイコンと名前を見ないで、配信画面に移した文だけを見て反応して行きます。よろしくお願いします」

「やりやがった!!マジかよあの先輩ッ。やりやがったッ」

 嫌な予感がしてお知らせ配信を見ていたあさりは汗ばんだ手でマウスを握りしめた。彼女がこれを決めたのは自分のせいなのではないか。


 表向きは好意的な反応が返ってきたこの発表以降、たにしのチャット欄では「語尾ににゃんをつけるなど特徴的にする」「特定の絵文字を必ず入れる」などの方法で個を主張するリスナーが横行し、混沌カオスを極めたという。

 まぁ、それでも本人は少し気が楽になったようだった。混沌としたチャット欄も見る分には愉快なときもあった。同時接続者数はゆるやかに減っていった。

(今度ホラー配信を一緒にやろう)

 現実以上のホラーはないからな、と思ってあさりは心に決めた。



 実のところ、業界が円熟したVTuberのリスナーに本当に新しいもの新しいことが好きな人は案外少ない。たくさんいるのは、新しいものが好きな自分が好きな人である。

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