第2回:アンコールの話
某日、Shell'sに所属するVTuberの汽水あさりは同僚の黒潮あわび、後輩の中洲しじみとオフで飲んでいた。回線に自分の声とモーションを乗せることで対価を得ているせいか、オンライン飲みをすると何か損した気分になってしまう。
肉体労働の人が休日に無料で身体を動かしたがらない感覚に近いのだろうか。
「アルコールと言えば、この前めずらしく歌枠をしたんだけどぉー」
あわびがわかめのようにウェーブした髪の隙間から酔ってとろんとした目を流してきた。おつまみで両頬をリスのように膨らませたしじみがふんふんと頷く。ちなみに、あわびが得意とするのはASMRだ。歌はあまり得意ではない。
「珍しいわね。どうしたの?」
あさりはグラスを片手に適当なあいづちを打つ。何がアルコールと言えばなのか?
「スパチャ読みに移ろうと思ったら、アンコールされて困っちゃったぁー」
アンコールされることは完全に想定外だったらしい。結局あわびはもう一曲を歌ったのだが、そのときには配信が実質的に終わったと思ったリスナーは離脱していて、同時視聴者数は減少していたという。
「後からリアタイしたかったってマリトッツォもらっちゃったわぁ……」
アンコールを断るのもノリが悪いと思われそうだし……と、あわびは悩みを打ち明けた。
「そんなマリトッツォ送ってくるやつブロックしておけ」と言ってしまいたいところだが、Shell'sは中堅VTuberの悲しさで一人一人のリスナーの比重が重い。マリトッツォを送ってこなくても、似たようなことを思っているリスナーがいることも十分に考えられる。ハインリッヒの法則である。
「どうすれば良いのかしらん?ちなみにマリトッツォはブロックしたんだけどぉー」
「ブロックしたのかよ!もうそのまま無視でいいじゃんっ」
「マリくんの犠牲を無駄にするわけにはぁ……」
同僚は変に真面目だった。
「あー……しじみはどう思う?」
あさりは額に「しんみょー」と書いた顔で話を聞いていた後輩に水を向けてみた。目の動きが鈍い。少し出来上がってきている?
「ん~?僕はアルコールされて困ったことはないかな?」
意外と上手く対応しているらしい。あさりは理由を聞いてみた。
「いつも必ずアルコールに応えているから、アルコールの前にリスナー減らなくなったよ。みんなアルコールがあるって分かっているもん」
「「……」アンコールな」
どこまでもお人好しゆえの勝利だった。暗黙の了解は強い。最近はアンコールを歌うことを前提に時間配分や喉の状態を調整しているらしい。悪くいえば茶番じみている。
「あさちゃんはアンコールされないのぉ?」
あわびはあさりの対応も聞きたがった。ちなみに彼女の怪しい発音では「あさちゃん」が「朝チュン」にしか聞こえない。
「あー……あたしは、最後に必ずアスファルト切りつけることにしてるからアンコールされることはないな」
「?」
「なるほどぉー」
あさりの歌枠をたくさん聞いているはずのしじみの方が理解していなかった。あさりは締めの歌を決めていて、これを歌ったら終わりと周知しているので、リスナーからアンコールされることはないのだ。仮に知らない初見リスナーからアンコールされても無視である。
あわびは豊かな胸の前でぽんと手を打ち合わせ、酒臭い息と一緒にお礼を吐き出した。
「二人共ありがとう、参考にさせていただくわぁー」
――そういって三ヶ月、あわびは未だに歌枠を開いていないのであった。
「歌わなければアンコールされないってこと!?」
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