スカート丈を伸ばすまで

ウノカグラ

大人の真似事

 異性の人間が住む家に泊まることに危機感や背徳感を覚えなくなってしまったのは、一体いつからだろうか。その行為に悦びを感じる人間に成り下がってしまったのは、一体いつからだろうか。



 元来、私は真面目な生徒でありました。いえ、そう装って生きてきたと言っても過言ではありません。校則を破ることなく、無遅刻無欠席は当たり前、先生や友達は「良い子」だと皆口々に褒めてくれます。決して悪い気持ちになることはありませんでした。褒められることは気持ちの良いことです。

 しかし、褒められることより気持ちよくなれることを知ってしまいました。


 一向に通知は来ない。


 上辺だけの友人に手を振り、別に好きでもない家へ急ぐ。

 イヤホンの中の音楽で周りの音は塞がれている。きっと、今日も両親は下らない言葉を言い合っているに違いない。

 届かない溜息を漏らしながら、そんな人間が居る部屋の横を通り過ぎ、二階の自室へ向かう。

 堅苦しい制服を脱いで、比較的動きやすいパーカーに着替える。校則で決められている丈より短いスカートに脚を通す。膝上三十センチといったところだろうか。

 白い太腿が露わになる。以前、女子高生の太腿が好き──と恥ずかしげもなく公言していたクラスメイトの男子を、ふと思い出す。彼が今の私の格好を見たら、果たしてどんな行動を取るだろう。私の行動を知れば、彼は一体どんな種類の言葉を投げるだろう。


 いつも通り姿見に全身を映し、スマホで顔を隠したまま写真を撮る。そして、いつも通りSNSに写真を投稿する。

 家を出て行けと言われました。行く場所がありません。何でもやります──と文章を添えて。

 手慣れたものだった。『#家出』『#家出少女』などの語句を検索すると、私のような女の子はインターネットの中に沢山居る。そして、善意の裏に下心や欲求を抱えた大人も居る。知っている。もう後戻りなどできるはずがなかった。


 此処に居座っていても埒が明かない。スマホと財布があれば十分。

 だから、早く家を出てしまおう。


 一階に降りて、何も聞こえないようにとイヤホンを装着する。音を立てないように廊下を歩き、玄関で靴を履く。手慣れたものだった。それゆえ、慣れてしまうほど経験してきたのだと思い知る。

 両親は私の行動を知らない。知らないはずだ。扉を見つめる。それを一枚隔てた向こう、二人が居る。脚が動かない。今、部屋から出てきたら、鉢合わせたら、目を見たら──。この家から出ていくのを思いとどまることができるかもしれない。罪悪感なんて何処かに置いてきたはずなのに、この行為をやめることができる言い訳を探している。


 結局、今日も私は家出少女となってしまった。

 夜の冷え切った風は容赦ない。生足に針のように突き刺さる。できるだけ肌同士を密着させて、広場のベンチに座り、来るとも分からない人を待つ。

 その人は三十代らしく、車で迎えに行くと言っていた。早く来てくれ、肌寒い。こんな格好をしているのだから、当然と言えば当然。しかし、この格好はお前らを釣るためで、それ以上でもそれ以下でもない。現に、数十分前に投稿した返信欄は『DMください』『大丈夫?』のオンパレード。

 しかし、踊らされているのは私なのではないか。そんな疑問が頭の中を過ぎる。この行為を暇潰しと捉えていることも、善意に近い感情を悪用していることも、こうでもしなければ自分自身の価値さえ見出せないことも。全て、全て見透かされているのではないだろうか。


 途端に、罪悪感が襲い、寒さのせいなのか、上手く思考ができない。

 膝の上に伏せて置いたスマホと同じように、私も項垂れる。風が吹き、木々が揺れ、沢山の人が行き交っているであろう音がする。

 私は、見えているだろうか。どこかのジブリ映画の女の子のように、身体は透けていないだろうか。と、目と手を開くと──透けてなどいなかった。生きていた。実在していた。しかし、生きているはずなのに、周りの人々は目もくれない。


 また項垂れる。

 手の中のスマホが震え続けていた。


 一向に通知は鳴り止まない。


 以前から、自分自身を満たすことのできるものを探していたような気がします。校則を守っても、教師から褒められても、家の手伝いをしても、何かが欠けていました。

 きっと、その反動だったのでしょう。家でも学校でもない場所に身を置いてもいいことを知りました。今考えると、他の手段もあったのかもしれない。馬鹿の一つ覚えのようですが、それしか方法がなかったのです。


 両親が私を干渉することなどありませんので、それを良いことに家出を繰り返していきました。SNSに投稿し、待ち合わせ、家に泊まり、朝に別れます。ただそれだけです。

 お礼をすることもありますが、それに嫌悪感を抱くことも無くなりました。自身の身体を売るで金が貰えるのです。これまでの日々と努力に比べたら、安いものでした。私は其の日限りの、本当の名前も知らぬ男性に処女と同時に過去も捧げました。

 後悔はしていませんが、私を見下ろす死んだ目を未だに憶えています。「全部終わったね」という低い声が耳から離れません。何が、終わったのだろう。あの日、カメラか何かで盗撮でもしていたのだとしたら、晒されるのも時間の問題です。もしそうなれば、私は死ぬしかないですね。


 それでも未だに続けている私は、何を求めているのでしょうか。



 出来合いものだけど、と出してくれた総菜の数々にはスーパーの割引シールが貼られていた。

 それをおかずに、二人並んで白ご飯を食べる。決して豪華な夕飯ではないかもしれないが、家で食べる夕飯より何倍も美味しい。家で食卓を囲んで会話らしい会話が発生したのは、確か中学生の頃が最後だったか。


 戸田という名前でネットの世界を生きている隣の男性は、実に静かな人だった。平凡で、月並みで、とても未成年を家に泊めるようなことはしないように見える。

 今回はどうだろう。本心で私を助けようと考えているのか、があるのか。今は判別できない。


 風呂から上がり、無意味にSNSの投稿に目を通す。おすすめの投稿を表示するタブをスクロールしていく。旦那の愚痴。結婚に対する不満。恋人との惚気話。何だか、SNSを見ていると、大人になりたくないと思ってしまう。私は、大人の何を見ているのか。

 そんな投稿の数々を惰性で眺めていると、『速報』の文字。


 〈10代女性2人飛び降りか、1人死亡〉


 そうか、と思った。悲しかった。他人だし、友達でもないのに。私と同い年だった。何故、彼女達がその道を選ばなければならなかったのか。何故、私は生きているのか。



 日付けが変わる頃、私達は隣同士、ベッドに座っていた。結婚初夜みたいだ。何度も繰り返して心も身体も麻痺しているはずなのに、この緊張感は拭えない。

 戸田さんはというと、口を真一文字に結び、俯いている。膝の上で組んでいる両手は少し震えていた。


 悪いことをして怒られた子供に見える。私の方が子供なのに。ゆっくりと手を伸ばし、上から重ねてあげると次第に震えは止まり、彼の目が私を捉える。


「こんなことやめなよ。って言いたいけど」

 声は震えている。情けない。

「なんか、疲れちゃうよね」

「……疲れる?」

「うん」


 重ねた手を離されそうになったので、到底勝てそうにない力を込めて繋ぎ止めようとした。当然だが、私より指が長い。


 抵抗虚しく、手は膝の上に戻されてしまった。私は、また一人になる。


「色々言われてきたでしょ」

「いや、別に。むしろ何も言われてないです。誰も言わないから、ここまで来ちゃって」


 過干渉と無関心は、対岸にあるようで意外と近いのかもしれない。


「……ほんと、疲れますね」


 思わず溜息が出る。人に自分の本音を吐露することは苦手だ。しかし、初対面の人間に話してしまっている。細かく話しているわけではないが、私としては頑張っている。

 初対面だからこそ、話せることも多いのかもしれない。もう二度と会わないならば。


 少し重い空気になってしまったからだろうか、「僕は床で寝るから」とベッドを貸してくれた。隣に男の人が居ないことに新鮮さを感じてしまう。普通ではないことぐらい、私自身が一番解っている。


「あのさ、答えたくなかったらいいけど」

 少し離れた隣から、声が聞こえる。

「はい」

「なんで、こんなことしてるの?」


 何故か。

 一瞬、無言を貫こうかと思ったが、口に出しておきたいような、あなたにだけは聞いてほしいような感情が芽生えて、


「……安心して眠るためです」


 ──その日、久々によく眠れた。



 昨日の惣菜の残り物、白ご飯、味噌汁といった比較的平凡な朝食を済ませて、隣に並んで洗い物をする。


 彼の手は荒れていた。

 いつも、こうやって一人きりで生活を続けているのか。


 いつか私もそうなるのだろうか。


 玄関に立ち、戸田さんと向き合う。


「あ、お金……」

 ポケットから財布を取り出そうとする。

「あ、大丈夫です」

「え、いいの?」

「これからはちゃんと真っ当に生きていくので、あの、戸田さんも頑張ってほしいっていうか」


 いつの間にか消えてしまいそうだから、とは流石に言えなかった。初対面なのに、こんなことを思ってしまうのは変なことかもしれないが。


 お礼を言って、外に出てみると空が白かった。私に初めて朝が来ている。


 パーカーのポケットからスマホを取り出し、通知が溜まっているSNSアカウントを表示させる。フォロワーの数を見ると、一層虚しさを覚える。


 寒さに震える指で、アカウントを削除した。

 これで大丈夫だ。


 帰ったら、スカートの丈を戻そう。

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