第四色  あのとききみが、私の窓にノックした

1. きみよ元気に死にたまえ

 目の前の光景が信じられない。この目で確かに見ているのに、脳の処理が追いつかない。

 ただ、胸の内に広がっている感情ははっきりしていた。驚きと喜びだ。

 苦しげに額を押さえるヴェノワール。

 ヴェノワールから解放され、地に横たわる花魚はなさかさん。

 そして何よりも目を引くのは、今この状況を作り出した男。

 むかつく笑みをたたえ、見たこともない紫色の刀を肩にかけている、ついさっきまで死んでいたはずのそいつは――後藤ごとう明次めいじは、確かにそこに立っていた。


「声、聞こえたぜ三歩さんぽ


「明次、お前……」


 生き返ってほしいと必死に叫んだ俺の声が、届いてくれたのか。


「てめえ何勝手に花魚さんに告白してやがる!」


 ぎん! と紫の刀身を俺の方に向け、明次は目を吊り上げた。

 聞こえたって、そっちの声かよ!


「いいだろ! 今そういう話は! それよりなんだその刀!?」


「いいやよくない! 抜け駆けは死罪だ!」


 さっきまで死んでたやつが言うと台詞の重みが違う。


「驚いた。紫の駅のプルとうじゃねえか」


 そう言ったのはじーちゃん。黒ずんだ眼鏡に手を添えている。


「プル刀と呼ぶな。今はサキだ」


「刀が喋った!?」


「それもう俺がやったから」


 刀を指差す俺に、明次は半眼で答える。


「なるほどな。三歩、明次くんにノックしたのは一回じゃねえな?」


「急に何を……」


 じーちゃんに指摘されてふと、思い当たる。

 意識して明次にノックしたのはさっきの一回だけだが、俺は今まで何度も明次と拳を合わせたことがある。

 拳を突き合わせるというのはつまり、ノックとほぼ変わらないんじゃないか?


「何度もノックするたびに明次くんの体に元気が積もっていたのさ。本来一人分しか死後の世界から帰ってこられなかったはずが、プル刀まで一緒に連れてこられるだけの元気があり余っていたってこった」


 なるほど? よくわからんけど、じーちゃんがそう言うのならそういうことなのだろう。


「にしてもまさか紫の駅の看板者センターを連れてくるたあ、すげえ友だちを持ったな、三歩」


 たまらなくこそばゆいのを我慢して、俺は胸を張った。


「ああ、最高の親友だろ?」


「よせやい」


 照れ臭そうに鼻の頭を掻く明次。なんだよ、人が珍しく褒めてるってのに。


「んで、生き返ってみれば花魚さんが変な化け物に囚われてるじゃねえか。じゃあ助けなきゃなって、体が勝手に動いたんだよ」


「お前を殺した張本人なのにか?」


「それでも好きなもんは好きなんだから、しょうがねえだろ」


 驚く俺に、明次はにかっと歯を見せる。

 ああ、その気持ちはよくわかるよ。でも、自分を殺した相手を憎まずに助けることができるってのは、なかなかできるもんじゃないよな。

 やっぱりお前は、自慢の恋敵だ。

 そうそう、と明次は手にした刀を俺に見せびらかす。


「そしてこいつが向こうで知り合った新しい友だち、サキだ」


「物騒な友だちだなおい!」


 紫色の剣は鋭く光を放っている。こんなやつを友だちにするなんて、ぶっ飛んでるなー。だけど、明次らしいや。こいつはお調子者だけど、誰かのためなら後先考えずに動く、いいやつなんだ。

 ヴェノワールは額から黒い血を滴らせながら、俺たちを見下す。


「ディスパー・プルトーだと? 自分の駅の民に恐れられている看板者がなぜ、ここに……」


「よくわかっているではないか。貴様の言う通り、居心地が悪かったので、引っ越してきただけよ」


 明次の構えた紫の魔剣が凛とした声を発した。


「さーて、デカブツ。覚悟しとけよ? お前が手を出したのは、みんな俺の大事なやつばかりなんだぜ?」


 刀を地面と水平に流し、腰を落とした明次は、ヴェノワール目がけて一直線に跳んだ。踏み込んだ石畳がひび割れ、破片が舞う。


「死に損ないの分際で、よくも吾輩の魔力の供給源を!」


「花魚さんを電池みたいに言うんじゃねえよ! それに、花魚さんはお前のじゃねえ!」


 吠える明次は迫りくるヴェノワールの腕の上に飛び乗った。黒い腕を駆け上りながら目いっぱい刀を引き絞り、一閃、横に薙ぎ払う。剣先から紫色の光が迸り、漆黒の腕に一筋の裂け目を入れた。


「ぐおお!?」


 花魚さんを拾おうとしたヴェノワールの腕が裂け目を境にずれ、切り落とされる。ヴェノワールは腕の断面を押さえ、苦痛の雄たけびを上げた。ドーム内に黒い悲鳴が響き渡る。


「ならば毒息!」


 再びヴェノワールが黒い息を吐き出す。さっきじーちゃんを苦しめたあれだ。


「避けろ、明次!」


「いいや、それは俺には似合わねえ!」


 俺の忠告を無視して明次は刀を真上に構え、上段から振り下ろす。剣筋をなぞるように紫色の風が生まれ、黒の息を真っ二つに吹き飛ばした。


「今の拙者に両断できぬものはない」


「そうゆうことだ」


 毒息を切り開いた刀と明次の息はぴったりだった。俺の心配なんか杞憂だと、ばっさりと切り捨てられる。俺は明次に親指を立てる。


「明次! お前最高だな!」


「わかりきったこと言うなよ!」


 ヴェノワールの腕から降りて石畳に着地した明次目がけて、太い尻尾が降ってくる。襲いくる漆黒の尻尾に向かって明次は刀を振り回した。紫の線が幾筋も走って無数の十字を描き、ヴェノワールの尻尾を細切れにする。

 黒の魔王を解体しながら、明次は笑っていた。心なしか明次の手にしている刀も楽しそうだ。

 この場は明次に任せてもよさそうだ。これで、心おきなく俺のやるべきことができる。


「じーちゃん!」


 俺はじーちゃんの手を離し、背中側に回った。


「孝行、させてくれよ」


 そのまま肩に両手を置き、拳を作る。

 とん、とん、とん。

 骨ばったじーちゃんの肩を、優しくリズミカルに叩く。俺の中にある力が、じーちゃんに注がれていくのを感じる。

 じーちゃんの背中は小さかった。とても数々の幻獣を殴り飛ばしてきたとは思えない、折れそうな体。けれども、その背中はいつだって広く、頼もしかった。


「ああ」


 じーちゃんが吐息を漏らす。


「こいつは、いいもんだな」


 幸せの音色が、そこに含まれていた。

 とん、とん、とん。

 じーちゃんの体の表面に付いていた黒い煤がはらはらと落ちていく。口の端から流れていた血は止まり、呼吸も整ってきた。

 肩叩きをしたのは、生まれて初めてだ。こそばゆいけど、確かにこれは悪くないな。

 拳がじーちゃんの肩に触れるたび、力が俺とじーちゃんの間を巡って循環していく。肩叩きは、している方も満足感を得られるんだ。心のお裾分けみたいだな、と思った。

 どれほど経った頃だろう。時間も忘れ、黒い風が吹き荒れ、黒の魔王が明次と戦いを繰り広げている中、俺とじーちゃんだけの切り離された空間で肩叩きは行われ、やがて終わりを告げた。今のじーちゃんの体には、極上の元気が詰まっている。

 じーちゃんがすっくと立ち上がり、振り返る。もうその体に、一片の曇りもなかった。


「ありがとうよ三歩。駄賃を払わねえとな」


 ごそごそとポケットから財布を取り出しまさぐるじーちゃん。

 いいって、そんなの。と言おうとした俺に突き出されたのは、しわくちゃになった画用紙だった。クレヨンの拙い字で「かたたたきけん」と書かれている。俺が子どもの頃にプレゼントした、手作りの肩叩き券だ。ずっと、持っててくれたのか。


「どうした? 受け取らんか」


 よれよれの肩叩き券を差し出したじーちゃんは、いたずらっぽくにかっと笑った。目尻に細かい皺が刻まれる。


「これ、永久に使える保証付きだから、じーちゃんが持っててよ」


「そりゃあいいことを聞いた」


 肩叩き券を財布の中にしまい直したじーちゃんは、背後を親指で指す。


「じゃあ俺からもいいことを教えてやろう。ヴェノ悪の野郎は今、蘇ったばかりで元気いっぱいだ。あいつは生命力が高くしぶといから、完全に倒すのは骨が折れる」


 まっすぐ、眼鏡の奥の細い目が俺を見据える。


「そしてお前の吹き込む元気の量は、ノックの勢いが強ければ強いほど多くなる。普通に小突く分には問題ないが、全力でぶん殴れば過剰な元気が溢れて行き場を失っちまうだろうな。もう、やるべきことはわかったな?」


 俺はこくんと頷いた。じーちゃんも頷き返し、ヴェノワールの方に向き直って歩き出す。その一歩一歩が、自信に溢れていた。


「さてと、お開きにしようや、魔王様」


 ぽきりぽきりと指を鳴らしながら、じーちゃんがヴェノワールの正面に立つ。


「今日はうちの孫の誕生日でな。お前の誕生を祝ってる場合じゃねえのよ」


 言ってるうちに、明次がヴェノワールの角を一本、切り飛ばす。苦悶の声を上げながらも、ヴェノワールの闘志はまだ衰えてはいなかった。

 本当に元気いっぱいだな。それが命取りになるとも知らずに。


「まだだ、せっかく復活したこの機会、諦めるわけにはいくものかあ!」


「知ったことかよ!」


 飛び出すじーちゃんの姿は、まさにヒーローそのものだった。俺だけの、とっておきのヒーロー。緑の手甲をはめた拳がヴェノワールの腹を削って貫く。じーちゃんはヴェノワールの腹部にぽっかりと開いた風穴を通り抜け、黒い肉壁の向こう側に着地した。

 ヴェノワールは倒れ込み、大地が揺れた。真っ黒な巨人の頭が俺の前に転がる。


「今だ! 三歩!」


「おう!」


 返事をする前に俺は走り出していた。ヴェノワールが俺を握りつぶそうと残った手を伸ばすが、それもたちまち明次に切り伏せられる。まったく、それでこそ親友だよな!


「一発、かましてやれえ!」


 じーちゃんの声が轟く。俺も負けないように叫んだ。


「ヴェノワ――――ル!」


 じーちゃんに倣って俺も拳を構える。ああ! ぶちかましてやるさ!


「失礼しまああぁぁっす!」


 俺は倒れたヴェノワールの脳天を、全力でノックした。もはや裏拳に近かったが、ノックったらノックだ。タイヤのゴムみたいな硬い感触が俺の手の甲を勢いよく跳ね返すが、もうノックは成功している。終わりだ、黒の魔王。


「何を――」


 最後まで言い終えることなく、ヴェノワールの体がどくんと脈打つ。


「生命力が強いのが仇となったな、ヴェノ悪」


「ぐ、ががががが」


 じーちゃんに返事をする余裕もなく、ヴェノワールの全身が小刻みに震える。


「今、生まれたばかりのお前さんの体には大量の元気が詰まってる。そこにさらに元気を注入すりゃあ、そうなるに決まっとろうが」


 じーちゃんは眼鏡を押し上げ、不敵に口の端を上げた。


「俺の孫をなめたつけだ。そしてこれは、あのときお前の毒息を食らった小僧の復讐だ。パンクしちまえ、腹黒の魔王」


 ヴェノワールの全身が肥大化し、ぱんぱんに張り詰める。黒の魔王はたまらず呻いた。


「ばかな! 吾輩の力の絞り滓ごときが、こんな――!」


「知ってるか、ヴェノワール!?」


 ぱんぱんに膨らんだ風船みたいになったヴェノワールに俺は言ってやる。いつか花魚さんが教えてくれたことを。


「最後の一滴はゴールデンドロップって言うんだぜ! 絞り滓だからってばかにすんなよ!」


 とどめとばかりにもう一撃、裏拳を打ち込んでやった。黒の魔王の目が絶望に歪む。せいぜい苦しめ。お前に、許せるところはもうないのだから。


「こんな、こんなはずじゃあ―――!」


 ヴェノワールの苦渋を張り付けた表情が内側から引っ張られて歪み、眉間の皺も強引に伸ばされ、絶望を引き連れた魔王の全身が丸みを帯び――やがて一斉に爆ぜた。

 拍子抜けするほど乾いた破裂音が響き、弾け飛んだ黒の魔王の破片は霧となって黒の竜巻に巻き込まれ、散り散りになっていく。

 人の運命を弄んだ魔王の最期とは思えない、ともするとコメディ映画にも見える滑稽な絵面だった。だけど、あいつには相応しい幕引きだとも思った。

 そして、ヴェノワールが完全に消滅したのと同時に、黒い風も勢いを弱めていった。

 周囲にぽつ、ぽつと鮮やかな色が灯っていく。早送りが普通の再生に切り替わったように景色の回転はゆっくりと止まり、黒一色だった景色に赤、青、黄色、緑などの色が鮮やかに蘇る。やがて、辺りは俺たちを歓迎する虹色の植物たちで満ちていった。黒い風が吹き荒れる前の景色に戻ったんだ。

 こうして、やっと黒い竜巻は晴れた。五月にしてはやや強めの日差しが、俺たちのいるところを切り取る。十六歳の誕生日は、とても長く感じられた。きっと一生忘れることはないんだろうな。

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