間色

後藤明次の知られざる冒険

 こんちは。もしかしたらこんばんはかな。

 枯藁かれわら三歩さんぽの悪友にして恋敵、後藤ごとう明次めいじとは俺のことだ。

 今日は非常に残念なお知らせがある。なんと俺はただいま絶賛死亡中らしい。

 覚えている最後の記憶は、チーズケーキを食べて急に不機嫌になった花魚はなさかさんの姿と、斜めにずり落ちる感覚。

 どうやらあのチーズケーキがよっぽどお気に召さなかったらしい。あんなに負の感情を露わにする花魚さん、初めて見たな。

 しっかし、まさか殺されることになるとは予想できなかった。こんなことなら素直に自分でお菓子を作っとけばよかったぜ。楽して好感を得ようとした罰が当たったのかね。

 でも、怒った花魚さんもきれいだったなあ。

 恋の病、なんて言うけど、まさしく今の俺の感情はビョーキだ。殺されてもまだ恋しちまってる。

 さて、それはともかく、いったいここはどこなんだろーなぁ。

 重苦しい暗闇の中、俺は崖に立っていた。崖の底は真っ暗で見えず、どれほど深いのか見当もつかない。ただ一つ言えるのは、落ちたら助からないだろうということだけだ。

 崖の縁には一本の刀が突き立っていて、鎖で何重にもがんじがらめに縛られている。刀身は紫色に鈍く輝いていた。

 こういうのって、抜いてみたくなるよね。なんせ俺、男の子ですから。

 それにしてもここはあれか。死後の世界ってやつか。陰気臭い湿った空気の匂いがぷんぷんする。


「そうだ。茶の駅の者よ」


 いきなり返事が返ってきてびっくりした。思わず目の前の刀に目をやる。まさか、この刀が……?


「緊縛プレイ中の刀が、喋った……?」


「プレイと違うわ、ど阿呆!」


 日本刀から声がした。透き通ったソプラノボイスだ。やっぱり、こいつが喋っているのか。


「その通りよ。拙者の名はディスパー・プルトー。ここ、紫の駅の看板者センターだ」


「センター? ってなんか聞いたことあるな。偉いんだっけか?」


「まあ、そのような認識でも構わぬ」


「じゃあなんでお前縛られてんの? 趣味? あ、失礼しましたー」


「断じて違う。勝手に帰ろうとするな。お前の中で鎖はどういう役目を持っているのだ」


 ふう、と刀は一息つき、続けた。


「これは拙者を封印するための措置だ。拙者に触れた者はみな例外なく両断される。ゆえに、こうして紫の駅の者たちが力を合わせて拙者をここに封じたのだ」


「なんだ、趣味じゃなかったのか」


「くどいわ!」


 刀が怒鳴った。シュールな絵面でなんか面白え。


「でもさ、趣味じゃないなら、それ、退屈だろ?」


「詮無きことよ。もう慣れた。拙者に関わった者は真っ二つになるか、恐れをなして逃げ出すかのどちらかと決まっておる。さて、お前はどちらかな?」


「…………」


 俺は腕を組んで考える。なーんか、引っかかるんだよなー。人を二種類に分けるなんて雑な考え方だし、こいつの言ってること、どっかずれてる気がする。

 それに、さっきからぐいぐい後ろ髪を引かれている。目に見えない引力が、俺をこの世界から弾き出そうとしてるようだ。

 そして、かすかにはるか遠くの上空から、聞き慣れた声が降ってきている。

 三歩の声だ。言葉の内容まではわからないが、切羽詰まった声だった。どうやらあっちはあっちで何かまだややこしくなってるらしいな。

 ったく、しょうがねえなあ。やっぱり、俺がいないとだめか。じゃあ友だちらしく、一肌脱いでやるよ。

 俺はしゃがんで日本刀に顔を近づけた。


「あんた、友だちはいるか?」


「おるはずがなかろう。話を聞いておったか?」


「じゃあ、まずは俺が一人目だな」


 柄に触れようとすると、刀は狼狽したように揺れた。鎖ががちゃがちゃと鳴る。


「待て待て待て! 自ら両断されにくるというのか!?」


「なんでも真っ二つに分類できるほど、人間ってのは単純じゃないんだぜ」


 俺は迷うことなく日本刀の柄を握り締めた。いとも簡単に鎖が壊れ、刀は自由の身になる。


「ほい、握手ってやつだ」


「……!」


 刀は絶句する。喋らなかったらただの刀だな。

 数瞬経ったのち、刀はない口を開いた。


「……お前、なぜ斬れぬ?」


「だって俺、もう真っ二つに切られてるし。だからじゃねえの?」


「は……?」


 刀がぽかんとしているのが、柄を通して伝わってくる。こいつが何を考えているのかが触れた手から流れ込んでくるようだ。

 刀は小刻みに震えていた。しかし今度は焦っているのとは違う。今の状況に戸惑い、さらに不安と、微かな期待が滲んでいる。


「拙者を、ここから連れ出してくれるというのか?」


「ああ。もうひとりの友だちが、あっちで泣いてるんでな」


 上から引っ張られる力がどんどん強くなる。そして、不思議と体の底から気力が湧いてくる。今ならなんでもできそうだ。


「お前、なんだその生命力は。本当に死人か?」


「俺にもわかんねえけど、なんとなく胸の奥が温かいんだよな。だから、こうすることだってできる」


 解けたはずの鎖がじゃらじゃらと蛇のようにうごめき、再び刀を縛りつけようと飛びかかってくる。どうやら刀をここに留めようとする何かしらのエネルギーはしぶとく残っているみたいだ。

 その動きはやたら生生しく、冷たく光る金属質の見た目に反して、意思のある温度を感じられた。気持ち悪ぃ。

 うっとおしいので、刀を振るい、迫りくる鎖の蛇をかたっぱしからざっくざっくと切り刻む。刀は驚くほど軽く、すっかり手に馴染んでいた。まるで昔から遊んでいたおもちゃの剣のように。あるいは、腕の延長線上にある自分の一部であるかのように。

 一振りするごとに刃の生み出す突風が鎖蛇を吹き飛ばし、目に見えない殺意の切れ味がぱっきりとその鋼の体を断ち切る。

 ケーキにナイフを入れるかのごとく、いとも容易く鎖の群れは切り裂かれていった。ちょ、そこまでするつもりは……と、気の毒になるぐらい鉄の蛇は事切れていく。力を入れた記憶さえ朧気になるほど手応えなんてものはなく、命を両断したという実感もなかった

 触れたものをなんでも切れるってのはこういうことか。たしかにこの切れ味は、縛り付けたくなる気持ちもわかるぜ。切ってるこっちも切られているような危うさでぞくぞくする。細切れになった鎖の破片は、やがて一匹残らず動かなくなった。

 刀が俺の手の中でクエスチョンマークを浮かべているのがわかる。


「お前は、お前はいったい……?」


「後藤明次だ。行こうぜ、一緒に」


 刀は少し間を置き、それでもまだ揺らぐ気持ちを声にした。


「いや、やはり共には行けぬ。なぜならこの崖は――」


 言い終える前に俺の立っている崖は音もなく崩れた。

 足場が心細くなり、徐々に立つことさえ難しくなる。もろく崩れる足場を見ながら、まるでビスケットみたいだな、とぼんやり思った。そういや俺の死因もビスケットだったな。


「もとよりここは崖の底に落ちまいとする亡者が拙者を掴み、真っ二つに両断されるという仕組みになっておるのだ。逃げられはせぬよ」


「なるほど、胸糞悪いシステムだな。だがよ、一つ忘れてねえか?」


「?」


「俺は今、絶好調なんだぜ?」


 とん、と俺は最後のひと欠片になった地を蹴る。俺の体は宙に浮き、ぐんぐんと勢いを増して浮上していく。落下していく崖を見下ろしながら、暗闇の中を俺と新しい友だちは突き進む。


「信じられん……! こんな芸当、茶の駅の住人が、死人ができるはずが……」


「実際できてるからしょうがねえじゃん。えーっと、名前はもう聞いたっけか?」


「……紫の魔剣ディスパー・プルトーだ」


「じゃあ紫だからサキな。行こうぜ、サキ。俺の友だちを紹介してやるよ。最高の恋敵なんだ」


 天から光が差し込み、俺とサキはその中へと溶けていった。眩しく、懐かしく、紅茶の匂いが仄かに混じった、柔らかい光だった。

 待ってろよ。今行くからな。

 お前が呼んでるんだろ? なあ、三歩。

 まだ誕生パーティの途中だったもんな。

 声がだんだんはっきり聞こえてくる。間違いない、三歩の声だ。さて、俺が死んだことを悲しんでいてくれてるのかね。生き返ったらさぞびっくりするだろうな。

 ドッキリのネタ晴らしをするときに近い興奮が体の中をうねるとともに、はっきりと三歩の声が耳に届いた。


「花魚さん。あなたのことが……好きでした」


 おいおい、聞き捨てならねえな!? あの野郎、抜け駆けしてやがる!

 俺は力の限り、喉の奥、腹の底から叫んだ。



「その告白、ちょぉっと待ったあ!」

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