2. 誰がための誕生パーティ
俺は部員の一人に借りたエプロンを身に着け、風の隣に並んでテーブルの前に立つ。テーブルの上にはクッキーの材料が揃っていた。
「で、俺は何をすればいいんだ、先生?」
俺が茶化すように横を見ると、風はいつになく真面目な顔をしていた。
「最初だけでいいの。それだけでいいから、私が間違わないように見てて」
「あ、ああ」
風は目の前にある、粉糖と薄力粉とアーモンドパウダーが混ぜ合わさったものが入ったボウルの横で、冷蔵庫から取り出したばかりのバターをまな板シートの上で一センチ角に切っていく。ぎこちない手つきだがバターは結構スムーズに切れ、断面は少しぎざついているもののバターのサイコロが出来上がった。
手つきはまだおぼつかないが、風の手際は慎重で丁寧だった。俺の教えたことも律儀に守り、手順も今のところ間違ってはいない。
それにしても。風の顔を横目でちらと見る。その目はまっすぐに手元の材料を見ていて、集中力に満ち溢れていた。こいつ、こんな真面目な顔もするんだな。
「あのさ、
粉糖と小麦粉、アーモンドパウダー、それにバターをゴムベラで切り混ぜながら風が俺の名を呼ぶ。
「なに?」
「今朝、
痛いところを突かれて古傷が痛んだ。そういえば今朝は風に花魚さんのことを訊かれなかったっけか。でも、なんで――
「……なんでわかった?」
「あんたが、元気なさそうだったから」
その一言で、俺の中でいかに花魚さんの存在が大きいか再確認させられた。
そうだ、俺の朝陽はいつも花魚さんに会うことで昇るんだ。俺の一日は、俺の誕生日はまだ始まってもいない。
だからこそ、今日がどんな日になるかどうかはこれから決められる。俺次第で素敵な誕生日にできるし、してみせる。自分の線路を切り替えられるのはいつだって自分だ。
今日という未来に、少し光が差した気がした。
「ありがとな、風」
気づけば、自分の口からこそばゆい言葉が出ていた。てっきりからかわれるかと思ったけど、風は視線をボウルに落としたまま、一瞬だけふっと微笑んだ。
「こっちこそありがとうね。いつも花魚さんと遊んでくれて」
「遊ぶっていうより弄ばれてる感じだけどな。それよりなんでお前がお礼を言うんだよ」
「私も花魚さんのことが好きだからだよ」
「も」、ときたか。その一文字は、俺と風の関係を物語るには充分だと思った。
混ざりゆくバターと小麦粉に何度も数字の一が刻まれる。そうそう、その調子。
額の汗を拭い、風は続ける。
「花魚さんが初めてこの世界に来たときさ、なんかあの人元気がなかったんだよね。笑っていてもどこか白々しくて、白黒映画の住人みたいだった」
それは、俺の抱く花魚さんのイメージとはあまりにもかけ離れていて、想像できなかった。いつもにこやかに笑っているお隣のお姉さん。それが花魚さんだ。
冗談かとも思ったが今の風の顔つきは真剣そのもので、俺も料理をするからそこに嘘が滲んでいないことは容易に見て取れた。お菓子の前で嘘は吐けないよな。
「でも、それがなんで俺にお礼を言うことに繋がるんだよ」
「それがね、三歩が隣に引っ越してきてから、花魚さんに色がついていったんだ。まるで、自分の夢が見つかったみたいに」
「夢……?」
「そう、夢」
風は額に浮かんだの汗を腕で拭い、すぐまた料理に向き合う。
「その正体がなんなのかまではわかんないけど、今の花魚さんに元気を与えたのは間違いなく三歩だよ。だから、名付け親としてありがとう。そして、これからもよろしくしてあげてね」
クッキーの生地が均一に混ぜ終わったのを満足そうに確認した風は、そこでようやく俺の方を見て微笑みかけた。
見慣れない不意打ちの笑みに心が一瞬止まるが、俺もにっと笑い返した。
「言われなくても任せとけ。花魚さんとよろしくするのはお隣さんとして当たり前だし、何より俺がそうしたいからやってるんだ」
「よろしい」
眼鏡越しに、風の目が柔らかく細まったのが見えた。
「で、あとはこれを冷やすんだっけ?」
クッキー生地を両手のひらの間でびたーんびたーんと往復させながら風が訊いてくるので、俺はテーブルの上に遭ったラップを体の前で広げてバリアを張った。
「やめい。それはハンバーグの作り方だ。ラップに包んで冷蔵庫に入れるんだよ。一時間ぐらい冷やしてから型抜きして焼けばさくさくのクッキーになるはずだ」
「オッケー。じゃあご苦労。もう行っていいよ」
「なんだそりゃ。俺はなんのためにここまでつき合ったんだ」
「だってさ、」
風は生地をラップで巻きながら照れ臭そうに言う。
「私が素直になれるの、キッチンの中だけだもん」
「そういうもんか」
「そういうもんです。では先生、ありがとうございました!」
びしっと敬礼をする風を見て、俺は苦笑しながらエプロンを脱いで折りたたむ。
「風」
クッキー生地を手に冷蔵庫のドアを開ける風を、俺は呼び止める。
「誕生パーティ、お前も来いよ?」
「最高のクッキーを持って参りますとも」
そう言って、風は冷蔵庫のドアを閉めた。ばたんという音が放課後の家庭科室に木霊する。俺も借りていたエプロンを部員の人に返して、家庭科室のドアを閉めた。
キッチンの中の素の風は、なるほど確かに見ていて気持ちのいい頑張り屋な女の子だった。真摯に料理に取り組む風の顔が脳内で再生される。
頑張れ家庭料理研究部。それいけ家庭料理研究部。
全米がお前を待っている。炊かれる方の米が。
……さて、俺も行きますか。
人生初の部活動の見学をしている間、今朝のじーちゃんとの気まずいやり取りの重さがちょっとだけ軽くなった気がする。あくまでも、ちょっとだけ。
しかし、どんなに麻酔をしたところで病気そのものが治るわけではない。教室に戻ると、またもや今朝自分がじーちゃんに言ったことを思い出して憂鬱になる。
「今日の主役が時化た面するなよ。さっさと花魚さん家に行こうぜ」
肩を叩いてくる
俺は肩の明次の手を払い、気を取り直して教室のドアに向かって歩き出した。一歩一歩に自然と気合が入る。そうだ、今日の主役が何を恐るる必要がある。
「よし、行こうか明次。盛大に祝われてやるから覚悟しとけ」
「覚悟するのは俺の方なのかよ」
呆れながらもくつくつと笑う明次とともに、花魚さん家目がけて学校を出た。
校門を過ぎると、五月の爽やかな風に葉桜が弄ばれて宙を舞っていた。
先月まではあんなにきれいな薄桃色だったのに、もう緑に染まっている。それが不思議でならなかった。ころころ色を変えられるというのが、ぶれているようでなんとなく腑に落ちない。自分の色をしっかり持てないのか。でも緑も桃色もどっちもきれいだから許す。人間は勝手だ。
「なあ、三歩」
河川敷を通り過ぎ、橋に差しかかったところで明次が急に真面目な顔つきになった。
「なんだよ」
「俺もお前も、母親がいないんだよな」
「そうだな」
俺に至っては父親すらいないわけだが。
「俺な、思うんだよ」
明次は遠い目をする。
「お母さんって、どんな匂いがするなんだろうってな」
その台詞は、前に何度か聞いたことがあった。明次は母親というものに、ずっと恋焦がれていたんだ。
「俺の理想の母親の匂いは、紅茶の香りかもしれない」
明次のその発言に、俺は軽くショックを受けた。紅茶の香りを漂わせている女性といえば、それはすなわち――
「だから俺は、花魚さんのことが本気で好きだ。今日はお前の誕生日だけど、遠慮なんてしないから覚悟しとけよ」
まっすぐにこっちを見る明次の目に、やや気圧されるも、すぐに力強く頷くことができた。
「じゃあ、お互い覚悟するってことで、おあいこだ」
俺は笑って親指を立てる。明次も親指を立て、その拳を俺の拳に軽くぶつけてきた。親指以外の指同士が打ち合う。
俺たちは悪友で、恋敵で、親友だ。たとえどっちが花魚さんの心を射止めても恨みっこなしな。
もっとも、花魚さんの心は鉄壁の牙城で、攻略するのは骨が折れそうだけど。高校を卒業した後だとしても花魚さんとそういう関係になれるビジョンがこれっぽっちも浮かばない。お互いとんでもない人を好きになってしまったもんですなあ。
そうこうしているうちに商店街も抜け、住宅街に入った。住宅街の中で花魚邸の次に目立つ、瓦屋根の純和風な我が家が見えてくる。
レアチーズケーキを取りに行くというミッションが、これから控えている。
「じゃあ、ちょっくらお前の作ったという設定のお菓子を持ってくるよ」
「設定言うな」
明次と軽口を交わし、玄関の引き戸を開ける。じーちゃんの靴があった。やっぱりいる。
ただいまも言わず、息を殺して廊下を進む。驚くほど家の中は静かだった。誰の気配も感じない。
冷蔵庫を開け、中から漏れ出すひんやりとした空気を浴びながらレアチーズケーキを取り出す。よしよし、しっかり固まってるな。
あとはこれを持って花魚さん家に行けば、当面の問題は先送りにできる。そう思ってそろりと廊下を歩いていると、襖の向こう、居間から音がした。鶏の首を絞めるような、奇妙で不快な音だった。心臓が飛び跳ねる。
「……じーちゃん?」
おそるおそる、襖越しに声をかけると返事があった。
「三歩か。帰ってたんか」
間違いなくじーちゃんの声だ。じゃあさっきの音はなんだったんだ。気にはなるけど、襖を開ける勇気はない。
「今の、何の音?」
「交尾中の猫の鳴き声だ。今いいとこだから邪魔すんな」
「猫の交尾は見世物じゃねえぞ!?」
怖がって損したわ。趣味悪いなじーちゃん!
「そういうわけだから、今はこっちに来るな。猫が逃げちまう」
朝は花魚さん家に行くなで、今度は来るな、ですか。
つくづく勝手な人だ。無性に腹が立った俺は、当てつけのように一言一言はっきりと、こう言った。
「花魚さん家、行ってくるから」
「…………」
返ってきたのは沈黙だけだった。今更何を言われても予定を変える気はないが、それでもじーちゃんなら何か一声かけてくる気がしていたので、拍子抜けだった。
俺が呆れて去ろうとしたそのとき、ぽつりとじーちゃんは言った。
「気ぃつけろよ。俺もあとで行く」
来るのかよ。そして今は孫の誕生日よりも猫の交尾かよ。じーちゃんがますますわからなくなる。
「行ってきます」
それだけ言い残して、俺は家を出た。家の前で明次にレアチーズケーキの入った紙袋を渡し、揃って花魚さん家へ向かう。
花魚邸まで徒歩十秒の優良物件だ。ただし思考の読めないじーちゃんがもれなく付いてくる。住みたいような、出て行きたいような。メリットとデメリットのバランスがこれまた絶妙だった。
「おいでませ。待ってたよ」
花魚家へ着くなり、ぴったりのタイミングで花魚さんがドアを開けてお出迎えしてくれた。今日は尖塔型の居住スペースではなく、ドーム型の家庭菜園スペースの方からの登場だ。
いかんいかん。もうじーちゃんのことは考えないでおこう。今日は俺の誕生日。主役は俺なんだ。
「花魚さん! 今日は俺がお菓子を作ってきたんすよ! 三歩のために!」
鼻息荒く明次がまくし立てる。わかったわかった。もうそれでいいよ。
「あらそう? 明次くん、友だち思いなんだね。よかったじゃん、三歩くん」
「ええまあ、はい」
とんだ茶番だった。タネのわかっている手品を見せられている気分だ。しかし男の約束である以上、これは避けられぬ道。ピスヘントのときはいろいろ迷惑かけたしな。これくらいでいらついてはいけない。
「中身、何だと思いますー?」
明次が花魚さんににこやかに問いかける。ごめん、やっぱむかつくわこの小芝居。
「お楽しみにしておくよ。さあ、パーティを始めましょう?」
花魚さんに招待されるままに俺たちは家庭菜園スペースに足を踏み入れると、思わず息を呑んだ。
中では、色とりどりの植物たちが自由に生い茂っていた。普段はほぼ緑一色なのに、今日は赤や青など、地球のものとは思えない色をした植物が虹のようになだらかなグラデーションを描いて俺たちを囲んでいる。
ところどころに咲いている花や枝にぶら下がる果実はどれもみな黒く、そこだけ輪郭がはっきりしていた。少し暗いが、周りの色を引き締めるいいアクセントだ。
「三歩くんの誕生日なんで、張り切っちゃいましたー」
腕を広げて花魚さんは誇らしげに笑う。
今まで数え切れないほど足を運んだこの空間だけど、こんなに見事な色の変化を見たのはこれが初めてだった。その景色に見慣れているほど、変わったときの感動と驚きは大きくなる。
これを、俺のために?
真っ赤に咲いた掌に似た花が風にそよいで拍手をし、今にも開きそうな橙色の蕾が身を寄せ合って集まり、黄色くほころんだ細長い花は波打ち、ぎざぎざの緑の葉が並び、ちょっと引くほど青い花弁がふんわりと丸く膨らみ、鮮やかな藍色をした花の傘が開き、紫の半月みたいな形の花びらが円を描いている。
俺たちを中心にぐるりと一年が流れているかのような、色と時間の輪が今、この場に連なっていた。
花魚さんは魔法が使える。たいていの不思議なことはやってのけてくれる。植物の色を変えるなんてことぐらい、朝飯前なのかもしれない。
だけど、やっぱり。俺のことを思って祝ってくれるというのは、嬉しいものだ。こればかりは慣れそうもない。
えっへんと豊かな胸を張る花魚さんは、いつものロングスカートの上にブラウスを着てネクタイをしていて、その上から天女の羽衣のようにゆったりとカーディガンを羽織っていた。ネクタイが胸の膨らみに合わせて緩くカーブしている。ノースリーブなので露出している白い二の腕が眩しい。
上から下までじろじろ眺めていた俺の視線に気づいたのか、花魚さんは人差し指を唇に当てる。
「どうかな?」
その一挙手一投足全てが、色っぽかった。俺の体は石化して、どうにか口だけを動かす。
「きれいです、とても。あと、女の人のネクタイってかっこいいですね」
「私じゃなくてこの部屋の感想を聞いたんだけどな?」
もちろん部屋「も」きれいですよ。などと言うと怒られそうだったので、俺は軽く頭を下げた。「わかってますって」
「でも、花魚さんってほんとロングスカート似合いますよね。そんで今日は足を隠している分腕を見せているから、なんか新鮮です。爽やかですよね」
明次もしっかりと花魚さんを見ていた。気持ちはわかる。というか褒め方が本気だな?
「ありがとー。さ、じゃあお茶にしましょう。座って座って」
花魚さんにエスコートされ、虹色の中心に設えられたテーブルに三人で座る。あとで風とじーちゃんも来るから、椅子が二つ余った。テーブルの中心に明次が紙袋を置き、花魚さんが手際よく紅茶を淹れる。一気にティーブレークの香りが時間を満たした。
「さ、どうぞ」
俺と明次の前にそれぞれティーカップが置かれる。花魚さんは自分の分もカップに注ぎ、最後にティーポットに残っていた一滴を俺のカップに入れてくれた。確かゴールデンドロップ、だったっけか。
「じゃじゃじゃじゃーん」
なぜか「運命」のメロディで明次が紙袋からレアチーズケーキを取り出す。
「レアチーズケーキだ!」
花魚さんの目が輝く。やはりチーズにして正解だったようだ。
惜しいのは、これが明次の手柄になることか。いや、これ以上女々しいことは言うまい。もう十六歳になったのだから。
「じゃあ、いただきましょう。三歩くん、誕生日おめでとう」
花魚さんの音頭に明次も「おめっとさん」と同調する。俺はありがとうと返し、照れ臭さを隠すために紅茶に口をつけた。明次も目の前のカップを傾ける。
ただ、花魚さんだけは紅茶を飲まず、ミルクも砂糖も入ってないストレートティーをマドラーでぐるぐるとかき混ぜていた。
飲まないんですか? 何を混ぜてるんですか? と聞こうとしたとき、異変に気づく。
足が、自由に動かせない。
どうやらそれは明次も同じらしく、「あれっ」と何回も言いながら身じろぎしている。足どころか下半身が丸ごとマネキンのように固まったまま、言うことを聞いてくれない。
「……花魚さん」
「なぁに?」
俺の呼びかけに柔らかく微笑んで返す彼女が、今は無性に怖かった。
「あのー、足が動かないんですけど、どういうことですかね」
明次の声にはまだ希望が灯っていた。事態をそこまで深刻には受け止めていない様子だ。
花魚さんのティータイムにつきもののハプニングか、あるいは誕生日のサプライズの一環とでも思っているのかもしれない。
けれど、俺の背中の汗は止まらなかった。何かがおかしい。それも致命的に。
そう。それに、今回はまだ非日常を届けるお隣さんもいないし、
つまりこの異常は、いつものお隣さんによるものではないということだ。
そしてこんな不思議な出来事を起こせる人物は、この場にたった一人しかいない。
俺は慎重に言葉を選んで、情報を引き出そうと試みた。
「花魚さんはなんで、お茶を飲まないんですか?」
「だって、眠り
答えはストレートに返ってきた。悪びれもしていないし、いたずらを仕掛けたときの茶目っ気もない。ただただ純粋な、俺と明次の自由を奪う悪意が透けて見えた。
眠り茨というものは初耳だけど、その効能は説明されるまでもない。
「えっ、冗談ですよね」
明次が半笑いで言う。
「残念ながら」
花魚さんは真顔で首を横に振った。明次の笑みが引きつる。俺たちは今、蛇に睨まれた二匹の蛙となった。
「なんのためにこんなことをするんですか」
「誕生日を祝うためだよ」
俺の質問に、花魚さんは普通の返事をした。
「ただし、三歩くんじゃなくて、黒の駅の
「看板者?」
疑問の声に、花魚さんはマドラーから手を離し、人差し指をぴんと立てる。急に自由になったマドラーが、残された勢いでティーカップの中をくるりと回った。
「各色の駅を代表する者のことだよ。その駅で一番強い者だったり、一番偉い者だったり、一番厄介な者だったり、いろんな人がいるけどね。この前私が呼んだベルドレッドは赤の駅の看板者だよ」
脳裏に全身に傷が刻まれた魔人の姿が蘇る。
あいつ、そんな大物だったのか。でもあの強さと威圧感なら納得だ。いや、風に正座させられてたからやっぱ威圧感はキャンセルで。
「特徴として、その駅の色が名前に含まれてるんだよ。ほら、赤の駅の看板者だからベルドレッド。ね、面白いでしょう?」
花魚さんは人差し指でピストルを作り、こっちを差した。俺は与えられた情報を頭の中で
名前に色が入っている? 待て待て。俺たちのいるこの世界は茶の駅だと花魚さんは言っていた。そして花魚さんの下の名前は確か――
「まさか、この世界の看板者って……」
俺の疑問に、花魚さんは薄く笑みをたたえるのみだった。答えとしては充分すぎる。
どうやら俺も明次も、とんでもない相手を好きになってしまったようだ。
「今日がその、黒の駅の看板者の誕生日ってことですか? 三歩と同じで」
明次の顔からはとうに笑みは消えていた。花魚さんはおかしそうに口元に手を当てる。
「正しくは、今日をヴェノワールの誕生日にするんだよ。黒の駅はもう滅びて看板者もいないから、ちょっと生き返らせてみようと思ってね」
凄まじいことをさらりと言われてしまった。黒の駅が滅びていたということも、その駅の看板者を生き返らせるということも、現実味と突拍子がなさすぎて反応に困る。
面食らった俺たちを見て、花魚さんは両手の指を絡めてテーブルに肘をついた。香水か、それとも虹色の植物のものか、甘い匂いがふわりと漂い、鼻をくすぐる。
自由の利く首を振って甘い香りを追い払い、ついに俺は核心を訊ねる。
「それと俺たちを動けなくすることと、なんの関係があるんですか?」
「うん、ヴェノワールを復活させるための、生け贄になってもらうんだー」
あ、依り代かな、と訂正が入るものの、どうも俺たちの無事が保証されないのは同じようだ。
とんだ誕生日が、来てしまったらしい。これが十六歳の世界か。
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