3. その茶は一件落着の味
「住宅街のど真ん中でお隣さんを
「確かに私たちはあなたに花魚という名前と、戸籍と住所を与えましたけど、それはこの世界のルールを守って暮らしてもらうためであって、好き勝手させるためじゃないです。わかってますよね?」
「……ええ、もちろん」
風の詰問に、花魚さんは素直に頭を下げた。
花魚さんに、名前や戸籍を与えた? 展開についていけない俺は挙手をした。
「あのさ、叔母さん」
「叔母さんじゃない」
「はい」
ぎろりと睨まれる。怖い。しかしこれだけはどうしても訊いておきたかった。
「じゃあ、風。きみはさっきから、何を言ってるんだ?」
風はため息を一つし、腰に手を当てた。
「私は、私たちの家は親戚代行サービスをやってんの。違う世界から迷い込んできた人に戸籍と身分を分け与えて、私たちの親戚ということにしてかくまうのが仕事。だから私も本当は
衝撃の事実が、さらりと風の口から紡ぎ出される。待って待って。情報の密度が濃すぎて脳の処理が追いつかん。
風は腰に手を当ててかがみ、目線を合わせてずずいと花魚さんに顔を近づける。目力と圧がすごい。
「いいですか、花魚さん。あなたのお名前はなんですか?」
「花魚、
「そう、サーヤ。私が付けた名前ですよね。名付け親でも親の端くれ。親の言うことは大人しく聞いてください」
「はい……」
どこか不満げに片頬を膨らませながらも、花魚さんはしぶしぶ頷いた。俺は慌てて腰を浮かし、風に詰め寄る。
「おい、風!」
「正座」
「はい」
素直に座り直し、俺は正座のまま話を続けることにした。情けない。
「で、何?」
風は鋭い目つきで促す。おかげで蛇に睨まれた蛙の気持ちがわかってきたところだ。
「親とか子とか言ってるけど、結局きみ自身と花魚さんはどういう関係なんだ?」
はあ、と風は息を漏らし、指を一本立てる。
「大家と
風の話をかいつまんで聞くとこうだ。
説明をなんとか頭で噛み砕いてやっと理解した俺は、気になったことを風に訊ねる。俺とじーちゃんが風の親戚ということは、まさか。
「つまりあれか? 俺とじーちゃんも、この世界の住人じゃないのか?」
「少なくとも土熊さんはね。三歩は土熊さんがこっちに来てしばらくしたあとに、孫にしてくれって連れてきたから、もしかしたらこっちで拾ったのかもしれないけど。あの人はなんにも言わないからわかんない」
だからなんでそう重要なことをぺらぺらと簡単に喋れるんだよ。ムードとかタイミングとか、もう滅茶苦茶じゃねえか。
「と・に・か・く! お隣さんにはすぐ元の駅へ帰ってもらうこと。いいですね、花魚さん?」
風はくいと眼鏡を持ち上げ、踵を返して去っていく。嵐のような女だ。やはり女は怖い。海のように底が知れないところが特に。
「あ、そうそう、三歩」
と、風がくるりと首だけをこっちに向ける。
「今度調理実習でクッキー作るんだけど、コツとかあったら教えてくれない? あんた得意でしょ? お菓子作り」
なぜこの流れで話題を学校モードに切り替えられるんだ。戸惑う俺に、まともなアドバイスなどできるはずもなく。
「……生地に『まごころ』って文字を指でなぞってから焼けば、味に深みのあるクッキーになるよ」
「あっそ」
果たして真に受けたのか、風はそれだけ言った。
「なあ、紡寺」
「なに?」
今度は明次が質問する番だった。
「花魚さんの名前、サーヤってお前が名付けたの?」
「そういうこと。十年前にこっちに来た花魚さんを見たとき、『これだ!』って頭の中に浮かんだんだよね」
「へえ、お前にしては気の利いたセンスじゃんか」
「でしょ?」
風は自慢げに鼻を擦る。
「しかもその名前、なんと花魚さんの故郷での本名とおんなじだったのだよ!」
「ほんとですか?」
俺は半信半疑で花魚さんの方を見る。花魚さんはこくんと頷いた。
「風ちゃんに名前を言い当てられたときは、ほんとびっくりしたなー」
「ま、女の勘ってやつですかねー。んじゃあ、私は後始末があるんでこの辺で」
へへらと笑って、風は踵を返し、今度こそ花魚家を出て行った。
そんな偶然、あるのかよ。俺は呆然と彼女の後ろ姿を見送る。
あまりにいろんなことが起こりすぎて、くらくらしてきた。今日だけで俺の知らない世界はいくつ明かされたというのか。もうちょっと小出しにばらしてくれよ。
頭を抱える俺の横で、ベルドレッドがすっくと立ち上がる。
「もうデザートは食べていいのだな?」
お前も空気読めないタイプか。だろうな。というかよく今まで大人しく正座してたな?
花魚さんも腰を上げる。
「そうだね、紅茶もすっかり冷めたし、淹れ直そうか。最後にみんなでお茶にしましょう。気分を一息、落ち着かせるために」
どうやらここにはマイペースな人しかいないらしい。ちなみに明次は足がしびれたらしく、勝手に苦しんでいた。そういやなんでこいつまで正座させられてたんだろうな。でもさっきの雰囲気じゃあしかたないか。首を刎ねられそうになったり、人質にされたり、あの場にいた時点で、とっくに運が悪かったのだ。
でも、大量の種明かしを食らった俺もなかなかついてないと思うのは気のせいか。
「じゃあ、乾杯」
全員分の紅茶を淹れ終えた花魚さんは言う。乾杯って、何に。
椅子はベルドレッドの分も用意され、赤の魔人は大人しく腰かけている。なんともシュールな光景だった。ヴォーパル・バニーはまだ俺の膝の上だ。懐かれたかな。
殺し殺されかけた関係の四人と一羽が、同じテーブルを囲んでお茶をしている。そんなのありかとも思うが、花魚さん家ではなんでもありなのだ。
「美味である」
ティーカップを傾け、パンのプディングを口に運んだベルドレッドが言う。そいつはどうも。口に合ったのなら何より。
膝の上に乗っているヴォーパル・バニーにもパンを一欠片やると、もくもくと頬張った。折れた前歯はもう生え変わっている。
俺も紅茶を一口飲むも、味はしない。気分が重く沈んでいる。
俺はこれから家に帰って、どんな顔でじーちゃんに会えばいいんだ。もしかしたら俺も、この世界の住人じゃないのかもしれない。俺は何者なのか。自分の正体を、じーちゃんに問い詰めなければならないのだろうか。そもそも、俺は本当にここにいていいのか?
「なあ、三歩」
隣に座っている明次に話しかけられる。俺の肩はぴくりと跳ねた。俺が人間じゃないかもしれないと知った明次が何を言うか、怖かったのだ。
ぎこちなく首を横にやると、明次はにやりと笑っていた。
「俺たち、友だちだよな」
クラスの女子には見せないが俺には見せる、いつものにやにや笑いを顔に浮かべながら、言う。その、ちょっと癪に障る表情を見てから、俺は紅茶を口に含んだ。
「悪友だろ」
二口目の紅茶は、こんどはちゃんと美味かった。じんわりと体の中から温もりが広がっていく。そう、悪友だ。これまでも、これからもな。
「さて、そろそろお開きにしようか」
花魚さんはポットに残っていた最後の紅茶を自分のカップに注ぎ、ティースプーンでかき混ぜた。湯気が立ち上り、空中に魔戸を作る。
ヴォーパル・バニーは一瞬だけ俺を見、それからぴょんと跳ねて
「馳走であった。血糖値が気になるが、悔いはない」
ベルドレッドも魔戸に手をかけ、六つの目で俺たちを見る。結局お前一人でプディングほとんど食べてたな。医者の言うことは聞けよ?
「またいつか、うんと甘いものを食わせろ」
そう言い残して、ベルドレッドも魔戸の向こうへと消えていき、魔戸は霧散した。糖尿病が悪化しても知らねえぞ。今度は砂糖を少し控えめにしてやるか。
二体のお隣さんが帰ったのを見届けて、花魚さんが両手の指を合わせる。
「では、今日のティータイムはここまでだね。二人とも、巻き込んじゃってごめんなさい」
「いいですよー、そんなー」
本日二度も殺されかけた明次がでれでれしながら頭を掻く。お前すごいな。でも、気持ちはわかる。
「おかげで、退屈しなくて楽しかったですし」
そう言って、俺はカップに残っていた紅茶をぐいと飲み干した。
花魚さんとのご近所づき合いは命がけだ。死にそうになったのも、これが初めてじゃない。それでも俺たちが花魚さん家でティータイムをするのは、一騒動あったあとに一緒に飲むお茶が、何よりも美味しいからだ。
俺と明次は同時に席を立つ。俺たちも帰るんだ。自分の家へ。じーちゃんの待っている、あの家へ。じーちゃんは今も緑茶をすすっているに違いない。
六時過ぎに花魚さん家を出たときにはすっかり日は暮れていて、夜風が気持ちよかった。
家の前で明次と別れて、玄関を開ける。明かりは点いているものの、家の中はしんと静まり返っていた。
軋む廊下を進み、今の襖を開ける。予想通り、ちゃぶ台の前に腰かけたじーちゃんが緑茶を飲みながら新聞を読んでいた。
「ただいま」
俺の声が部屋の畳に吸い込まれ、染みていく。じーちゃんは新聞を眺めたまま「おう、おかえり」とだけ言った。湿気った煎餅のような声だった。
ちゃぶ台の上には、今日の夕飯が二人分並んでいる。食べずに待ってくれていたらしい。メニューはピーマンの肉詰めとコーンスープにフランスパンだった。うちのじーちゃんがますますわからなくなる。
「なあ、じーちゃん」
じーちゃんの反対側に腰を下ろして、通学バッグを置く。
「なんだ」
新聞越しにじーちゃんは答えた。表情は見えない。
「俺、本当にじーちゃんの孫なのかな」
新聞が折りたたまれた。眼鏡の奥の、じーちゃんの鋭い目が露わになる。
ごくりと自分の喉が鳴る音が、やたら大きく聞こえた。
ふむ、とじーちゃんは顎に手を当て、それから湯呑みを傾けてお茶を飲み干した。
空になった湯呑みを俺の方に向ける。
「おかわり、淹れてくれんか」
「話を逸らすの?」
「いいや?」
とぼけている様子ではなさそうだ。しかたなく差し出された湯呑みとちゃぶ台の上にある急須を取り、台所へ向かう。
急須に目分量で茶葉を入れてお湯を沸かし、急須の中に注いでふたをした。立ち昇る緑の優しい匂いが俺の緊張をほぐす。じーちゃんにお茶を淹れるなんて、久しぶりだな。
湯呑みにお茶を入れてから、じーちゃんの前に置いた。「はい」
じーちゃんは「ん」とだけ言ってから、俺の淹れた緑茶を飲む。湯呑みから口を離したじーちゃんは一言。
「少し苦いな」
なんなんだよもう。しかたないだろ、緑茶を淹れたことはあんまりないんだから。
「でも、誰がなんと言おうと、これはお茶だ。そうだな?」
不意に真剣な眼差しで語るじーちゃんに、俺は頷くしかなかった。
「味が違っても茶は茶だ。それと同じでな、誰がなんと言おうと、お前は俺の孫だ」
自慢のな、とじーちゃんは付け足した。
俺は盛大にため息をついた。
なんて不器用な人だ、と。そんな屁理屈をこねくり回さないと、自分の気持ちを素直に伝えることすらできないのだ。そして、その不器用さは確かに俺の中にも受け継がれていて、家族とはこういうものでいいのか、と、すとんと腑に落ちた。
同時に、こそばゆくもなる。じーちゃんに褒められると、嬉しさよりも照れ臭さの方が勝ってしまう。それをごまかすために、俺は自分のお茶をぐびりと飲んだ。熱い。なんて熱いお茶だ。耳まで熱くなったじゃないか。
たとえ口数少なくとも、すべて話してくれなくとも。じーちゃんが俺のことを考えてくれているということだけは伝わったので、今はそれでよしということにしておこう。
「いただきます」
「いただきます」
俺とじーちゃんは揃って手を合わせる。洋食に緑茶は、さすがに合わなかった。そのちぐはぐさは、まるでうちのようで。そして、それでも美味しかった。
【第一色・完】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます