悪党に粛清を


 合州国の鉄道は東から西へ延伸するにしたがって、分岐を増やし、路線を増やし、駅を増やし、それらを管理する関連会社を増やし、複雑さを幾何級数的に倍増させていった。

 ゆえに東海岸を目指すジンジャーの旅路は、東部へ向かうにつれ、駅馬車で荒野を渡り歩くものから、整備され洗練された鉄道の旅へと軸足を替えていく。

 列車に揺られる時間が以前に比べて増えている。尻の痛みと引き換えに、敵に襲われるリスクは確実に減っていた。

 『最後の敵』が出現する期日まで、あと五日。ジンジャーの長い旅は確実に終点へと近づいていた。

 その日、列車を待つ駅の停車場に、ジンジャーは奇妙な一団を見かけた。

 垢じみた数人のガンマンに先導されて、少女たちが十人ほど連れられている。歳の頃にはバラつきがあるが、全員十代に見えた。身に着ける服はあまり上等そうには見えない。

 東部の裕福な家に奉公へ出される田舎娘たちを、仕事を斡旋した者がガンマンを雇って護衛させているようにも見えないことはない。

 そういうこともあるだろう。西部の田舎で育ったジンジャーにとって、聞かない話ではなかった。東大陸にまで出稼ぎに行った者の話も人づてに聞いたことはある。

 だがその一団が奇妙に映ったのは、男たちが少女らを囲って連れていることがいかがわしいからではない。奇妙なのは少女らの髪だ。

 連れられている少女たちは、色の濃淡こそあれ、全員が赤毛をしていた。

「あれが噂に聞く『赤毛連盟』ってやつかしら?」

『お嬢さま、それはフィクションです』

 奇妙には思ったが、思案しているうちに列車がやってきて、ジンジャーは旅路を急いだ。

 二等客車の席を確保して窓を開ける。席に着いた頃、発車のベルが鳴った。

 ジンジャーを乗せた旅客列車は十二両編成。機関車を先頭に、前方には個室で区切られた一等客車が四両。それに食堂車とキッチン車が続き、ジンジャーが切符を買った二等客車四両がその後ろに来る。乗り込んだ車両のひとつ後ろ、最後尾には展望車があり、たいてい男の客が柵に寄り掛かって酒とタバコを呑んでいるのでジンジャーは近寄らないようにしている。

 列車の速度が安定してきた頃合いで、ジンジャーは他の乗客の目を盗んで旅行鞄から予備の魔弾を取り出して、魔法を込め始めた。さすがにこれ見よがしに銃の手入れなどできるはずもないが、このくらいならば見咎められることもない。旅も終りに近づくと、暇を見つけては戦いに備える癖が身体に染みついていた。

「ほーお、そいつがあのピカッと光るやつか?」

 車窓の景色を眺めて内職をするジンジャーに、不意に声が掛けられた。

 数日前に聞いたばかりの声。振り返れば、くわえタバコのガンマンがいた。

「スコール! デーリィ興産が何の用? またわたしの首を狙っているの?」

「おいおい、俺はあんたからは手を引いたぜ。『紅鋼の巨人』に人間様が敵うもんかよ」

『ふむ。『白銀の巨人』に照応した呼び名でしょうか。ぜひ流行らせたいです』

「巨人の名前はどうでもいいわ。手を引くっていうのは、どうせ「今のところは」って注釈つきでしょう。やられる前にやる、くらいの選択肢は当然用意してるでしょうし」

「そうだなァ。俺は確かにあんたからは手を引いたぜ、ジンジャー。でも、組織はそうじゃねえ。『赤毛の魔女』を追ってる。今日の俺はそのケツ持ちだからな。面白くもねえ」

「デーリィ興産が何かのバックについてるの?」

「違うちがう。うちの若い衆がバカをやらかしてる最中でな。始末をつけにゃあならんのよ。経営者はツライぜ」

 トホホ、とスコールはおどけて涙をぬぐう仕草をして見せる。

「俺にとっちゃ、あんたがいるほうがイレギュラーだ。なーんでわざわざこの列車に乗っちまうかなァ……」

 これから起こる面倒事を想像して、スコールは溜め息をついた。そしてガンマンの顔になってジンジャーに警告を促す。

「頭低くしてな。これから銃弾の雨が降るぜ。流れ弾の降水確率はゼロパーセントじゃねえからな」

「ちょっと! なに物騒なこと言ってるのよ! これから何があるっていうの?」

 ジンジャーが詰め寄ろうとした、ちょうどそのとき、列車はトンネルに突入した。

 暗闇の中でスコールのタバコの火が赤々と灯る。

 やがてトンネルを抜け、悠々と紫煙を吐き出したスコールがジンジャーのそばの窓から吸殻を捨てた。

「おいおいおいおい。なんだァこりゃあ……?」

 間の抜けたスコールの顔に異変を察知して、窓の外に視線をやる。

 そこには鬱蒼とした木々が生い茂る、常夏のジャングルの景色が広がっていた。

「いつ南部の路線に乗り換わったのかしら?」

「またおまえさんの『魔法』じゃねえだろうな?」

「わたしのじゃないけれど、わたしのせいかもしれない……」

『正解です、お嬢さま。敵です』

 エールの断定で優雅な鉄道の旅は終わりを告げた。ジンジャーはぐったりとうなだれる。

 スコールは窓の外に手を伸ばし、生い茂る木にぶら下がった果実をすれ違いざまにもぎ取った。

「実体がある。匂いもだ。あむ……味も、ちと薄いがパパイアの味だ」

「よくもそんな正体の分からないものが食べられるわね」

「味がおかしけりゃ吐きだしゃいいんだよ」

 スコールはふてぶてしくパパイアをもうひと齧りして飲み込んだ。

「この景色は現実だ。俺たちは急に南部の線路を走らされてる」

 ジンジャーは窓の外に顔を出し、列車の前後を確かめる。

 無い。前後の車両が見当たらない。自分たちの乗る車両だけが線路の上を走っていた。

 そのとき南国の空が一天にわかにかき曇り、瞬く間に辺りが暗くなる。そしてバケツをひっくり返したような豪雨がやってきた。ジンジャーは小さく悲鳴を上げて頭を引っ込めた。

「この客車だけで走ってる。おかしいわ。他の車両が無いのに、スピードが落ちる気配もない。それに――」

 ジンジャーの言うことを確かめるためにスコールがどしゃ降りの車窓に顔を突っ込む。その顔面に叩きつける重たい雨音が彼女の耳にも届いている。

「天井に雨が当たってる音がしないわ」

『総合して考えると、列車の窓を境に空間が捻じ曲げられているようですね。おそらく窓の外から見える車体は便宜的な幻で、列車自体は本来の線路を走っているはずです』

 ようやく頭を引っ込めたスコールは首から上だけがずぶ濡れになっていた。

「はぁはぁ……南部ってのは風呂いらずだな。命を洗濯しほうだいじゃねえか」

 ぜーはー、と息を荒げて軽口をたたく。呼吸もままならない、降水確率一〇〇%の本物の豪雨だった。とんだ流れ弾だ、とスコールは自分の前言に悪態をつく。

「嬢ちゃん、なんか分かったかい?」

「慌てふためいてひとりでバカ騒ぎしてる大人って、はたから見てると面白いわね」

「俺のこたぁいいんだよ!」

「わたしを狙った悪魔の仕業ね。何が目的でどういう攻撃なのか分からないけれど」

 車窓が南国になる以外に異常らしい異常は感知できていないのだから当然である。

「おまえ、悪魔からも追われてるのかよ」

「順番が逆よ! わたしのところに悪魔や魔獣が押し掛けてくるから『赤毛の魔女』が魔物を呼ぶだなんて噂が立って懸賞金を掛けられるのよ」

「はーん、『魔女』ってのも大変なもんだな」

 他人事であることを微塵も隠さない心底から無関心な共感だった。

「列車の中にいるはずの悪魔を倒さないと元には戻らない――んだけど……」

「どうした?」

「列車に乗ってるときに襲撃されるのは初めてだから、ちょっと勝手が分からないのよ」

 くわえてエール以外の誰かと共に事に当たるのも初めてである。

 ジンジャーは旅行鞄を開き、魔弾を整理する。ランチャーの弾をいつもの閃光弾から爆裂弾に入れ替える。すぐに抜き撃てるようガンベルトの隙間に差し入れた。

 作業を覗き込んでいたスコールがぽつりと言う。

「よくブーツの隙間にそんなごつい銃、仕込めるよな」

「わたし、脚細いのよ」

『縮んで履けなくなった男物のブーツのお下がりなので隙間に余裕があるのでは?』

「言わぬが花よ……」

 ジンジャーは改めて車内を見渡した。他の乗客も戸惑っているが、さして大きな混乱はない。せいぜいが豪雨に見舞われて慌てて窓を閉じたくらいだ。席を立つ者はいない。

「前か後ろか。移動するならどっち?」

『前でしょう。車両が安定して走行している以上、機関車部分は正常な空間を走っていることになります』

「なるほど。機関車に悪魔がいる可能性は高い、か」

「こないだも思ったけど、その独り言は占いか? いつも誰と話してるんだ?」

「わたしの悪魔よ」

『天使です』

「他を調べるなら俺も行くぜ。こっちの用事も片付けにゃあいかんしな」

 スコールは自信を持って宣言する。

「背中は俺にまかせろ!」

「それってわたしを盾にするってことよね……」

 じっとりと睨みつけるが、スコールはさっと目を逸らしてしまう。

 ジンジャーは自分の盾になる旅行鞄を携えて車両を移動する。

 ドアを開け、連結部へ。隣の車両の擦りガラスの奥に人影。拳銃を抜いて深呼吸。旅行鞄を胸に抱き、ドアの取っ手に銃を引っ掛けて横にスライド。つま先で開け放つ。

 即座に銃を構えると、ドアの向こう側に立つ者からも銃を向けられる。

 胸に輝く星のバッジを見て、引き金を止める。ジンジャーの身体に冷や汗が噴く。

「ウェルチ保安官」

「ジンジャー嬢!」

 隣の車両には連邦保安官のウェルチが乗り合わせており、彼の視線がジンジャーの背後に立つ胡乱な風体の男に注がれる。

「君も乗っていたのか。そっちの彼は?」

「痴漢です」

「ちがわい! 俺はスコールっていうケチな何でも屋でさぁ。気にしないでくれ、保安官」

 スコールは貫録のあるアウトローの雰囲気を着込んで応じた。

「保安官はどうしてこの列車に?」

「情報を掴んでね。この列車に『赤毛の魔女』が乗り込む予定だと」

 ジンジャーは反射的に視線を逸らした。逸らした先にあったスコールの顔がしめしめと言わんばかりににやけだす。

「さっすが天下の保安官殿。お耳がお早いことで。何を隠そうこの小娘――」

「わあー! わあ! わあ! わあぁぁーー!」

 列車の連結部という大変不安定な場所で喚き散らしながら、ジンジャーはスコールの口を遮ろうと手を振り回す。

「背中はまかせろとか言った舌の根も乾かないうちに背中から撃つ奴がいる?」

「悪いわるい。ジョーダンだよ」

 ジンジャーをなだめ、スコールはウェルチへ向かう。

「なあ保安官。そいつは誤報だよ」

「何を根拠に?」

「そいつはニセモノだ。賞金目当てに『赤毛狩り』をやった奴らがいるのさ」

「どういうことだね」

「家出娘や孤児、行くあての無い赤毛の娘に声を掛けては『赤毛の魔女』に仕立てて保安局に突き出そうって穴だらけの商売さ。最初は浮浪児に仕事を与えようって慈善事業じみた面もあったんだがな。今じゃ相手を選びやしない。身分も事情もお構いなしで人さらい同然だ」

「わたしが乗り込んだ駅でも赤毛の女の子がガンマンに連れられてるのを見たわ」

 本当か、と話に食いつくウェルチに、ジンジャーはあの『赤毛連盟』たちのことを話す。

「そいつらは氷山の一角。この列車には赤毛の女たちと、そいつらを連れ回す男どもが乗り込んでやがる」

「スコール。詳しく話を聞かせてくれ」

 ウェルチはそう言って車両の中にふたりを招き入れた。

 ようやく足を踏み入れた隣の車両で、ジンジャーは強烈な違和感に襲われた。

 車両には片側に廊下が通っており、その脇に個室が並んでいる。

「あれ? ここって一等客車じゃ?」

「ああ、そうとも。こっちが私の取った部屋だ」

 ウェルチに招かれた個室には向かい合わせに座席が並んでおり、奥に窓が見える。

 窓の向こうには青い空と緑色の草の海がどこまでも広がり、白い羊の群れが飛沫のように散っている。

「中部……いいえ、東大陸の草原じゃないかしら? 絵ハガキで見た覚えがあるわ」

「うむ。『赤毛狩り』に当たる前にこちらの問題もどうにかしなければな」

 ウェルチが重々しく頷く。

「列車の窓が別の空間に繋がってる――って思ってたけれど、どうにもそれだけじゃないみたいね」

「ふむ」

「わたしたちのいた客車は南部のジャングルに繋がってたわ。けれどあの客車は二等客車だった。この一等客車との間にはキッチンと食堂車の二両が挟まってるはずよ」

「連結部分もおかしくなっているというのか。これはもはや――」

「悪魔の仕業……存外、本物の『赤毛の魔女』がご同乗あそばれてるかもしれませんぜ」

 いっひっひ、と意地の悪い笑みを浮かべてスコールはジンジャーを見やる。ジンジャーは猿のように歯を剥いて黙って睨み返すだけだった。

「俺の優先順位は『赤毛狩り』だ。悪魔がどこにいるかは分からねえが、悪党が客車にいることは分かってる。悪いな保安官。先に言っとくが、俺は奴らを殺すぜ。せめて相手に抜かせてからにしとくがな」

「正当防衛にしては苦しいぞ。悪い判事に当たれば縛り首もある」

「あんたは見逃すさ。だろう、正義の保安官殿」

「せめて被害者を救え。大義名分も立とう」

「ああ。俺は女のためなら命を懸けられる男だぜ」

 男たちは黙って握手を結ぶ。ジンジャーは白けた目でそれを見ていた。

 スコールがどれほど油断ならない男か、ウェルチはまだ知らないのだ。

 ウェルチはスコールのことを義侠心のある賞金稼ぎとでも思っているのかもしれない。

 だが『赤毛狩り』はデーリィ興産の構成員だ。スコールは暴走した彼らを始末するために送り込まれたヒットマンだろう。これまでの話でジンジャーにはその構図が見えていた。

 ウェルチはアウトローのしっぽ切りの手伝いに利用されようとしている。ジンジャーにそれを止めてやる義理も理由も力も無い。何せ口を挟めばスコールから『赤毛の魔女』の正体を漏らされる可能性があるのだから。

 ジンジャーは知らぬ存ぜぬを決め込んだ。同時に『赤毛の魔女』の騒動に巻き込まれた赤毛の少女たちを憐れんだ。できれば彼女らには生きてこの列車を降りてほしいと望んだ。

 三人はこの後の行動を話し合った。話し合いはたいして長くはならなかった。車両の順序がどう入れ替わっている分からない現状、とにかく前へ前へ進んでいくしかない。

 彼らは示し合わせ、次の車両へと移った。

 ウェルチがドアを開ける。即座に「あっ」と声が漏れた。

 ジンジャーがウェルチの肩越しに次の車両を覗き込む。そこは水槽になっていた。

 車両の中を水が満たしている。水中にテーブルクロスが揺らめき、列車の揺れを受けて食器が漂う。食堂車だ。

 水はドアを境に留まり、連結部へ溢れ出てはこない。スコールが水の壁に指を突っ込み、しゃぶって味を確かめる。

「しょっぱくはねえな。ダム湖の底の資材搬入用の線路にでも繋がったか……」

「これ、中のお客さんは……?」

「溺れちまったか? いやドアが開くなら逃げたかもな。横開きじゃ水圧も関係ねえし」

「スコールが頭のよさそうなこと言ってる……。雨が降る、いやもう降られたっけ」

「うるせえよ」

「でもそうか。食堂車の後ろはキッチンで、前が一等客車。お客さんが逃げるならごちゃついたキッチンの方向じゃないわよね」

「俺は窓の外に泳いで逃げた慌て者がいたと思うね。それよか俺たちはどう進むんだ? 泳いでみるか?」

 ウェルチは冷静に上を指さした。

「屋根伝いに行こう」

 ウェルチとスコールの手を借りて食堂車の屋根に上る。いっぺんに景色が開けた。前後に列車の屋根がずらりと並ぶ。周囲の風景を見るに、やはり列車は元の線路を走っているらしい。強い向かい風の中を、ジンジャーは旅行鞄を重石代わりに抱きしめて、腰をかがめて這うように進んだ。

 隣の車両の連結部に降り立つ。後ろの扉を開けると案の定、水が満杯に詰まっていた。

 再び三人が顔を突き合わせたとき、スコールが提案した。

「なあ嬢ちゃん。あの物を透かして見る魔法は使えねえのか? 保安官のときみてえに扉を開けたら『赤毛狩り』と鉢合わせなんざご免だぜ」

「あれは……使えなくはないけど……」

 ちらとウェルチを見る。光の力を使って物体を透視する魔術は髪が赤くなってしまう。

「使えんだな。よーし保安官殿。ちょっと後ろ向いてようや。あれは目に悪いんだ。まともに見るとしばらく目がイカレちまう。見るもの全部がしま模様になってチラチラ瞬くんだ。俺はもう二度と味わいたくないね」

 スコールはウェルチの肩を掴んで回れ右をすると、わざとらしく自分の目を手で覆い隠した。ジンジャーは苦笑いして金髪を赤く輝かせた。

 ドアの向こうには中央に通路が伸び、それを挟んで進行方向を向いた座席が両脇に並ぶ。二等客車だ。座席には小柄な人間が大勢座っている。少女かもしれない。赤毛かどうかは分からない。立ち上がっている男たちが数人。すでに銃を握っている。座席の陰に隠れている人影までは把握できず、正確な人数までは分からない。

 髪の色を元に戻し、ふたりに声を掛ける。

「たぶん当たりの車両よ。小柄な人が大勢と、銃を持った男が何人か。座席が邪魔で正確な数は分からない。すでに銃を抜いてるってことは、窓の外がおかしな場所と繋がってるかもしれないわ」

「ジンジャー嬢。協力感謝する。スコール。合図で突入するぞ。いいか」

「待ちなよ、ウェルチの旦那。ここは挟み撃ちといこうや。俺がこっち。あんたが前だ」

「分かった。それで構わない」

 ウェルチがあまりにスコールに従順なように見えて、ジンジャーは不安に駆られる。

「保安官は本当にそれでいいの? 屋根の上を回り込めば足音でバレるわ。下から弾を撃ち込まれるかも。たぶんこっちの屋根は内側の天井と空間が繋がってるから、弾はふつうに貫通するはずよ」

 窓の外の空間と車内の天井に連続性がないことは豪雨の雨音で確認したことだ。ならば天井は通常空間の屋根と隣り合っている道理である。要は屋根の部分はふつうの列車と変わらないということだ。

「望むところだ。悪党には先に撃たせるのが私の矜持だからね」

 ニッと白い歯を見せて微笑み、ウェルチは屋根の上によじ登る。

 その影がひさしの向こうに消えたとき、スコールが口の端を耳まで届きそうなほど釣り上げて凶悪な笑みを浮かべた。

「お目こぼしありがとうよ、保安官殿」

 ウェルチが車両の向こう側に到達する前に、スコールはドアに手を掛ける。

 保安官が見ていなければ誰が先に銃を抜いたかを後から立証することは困難だ。ウェルチの回り込みを、スコールは正当防衛を成立させるための『目こぼし』と受け取った。

 スコールがドアを開け、ジンジャーの目にも車内の景色が飛び込む。透視で見た光景にくっきりと色がついたようだ。

 座席には少女たちが小さくなって座っている。駅で見た十余人だけではない。倍以上の人数が連れ込まれている。車窓には荒涼とした砂漠が広がり、熱風が車内に吹き込んでいた。ジンジャーにはそこがどこか分からない。車内の男たちが銃を抜く理由にも見当がつかなかった。

 スコールは車内に乗り込むと、武器も持たずに手近な男に大股で近づいていく。

「よお兄弟。ゴキゲンかい」

「スコールさん! 一緒の列車だったんですか」

「おう。ところでこいつはおまえさんの仕業か?」

 スコールは床に横たわる男の頭を踏んで転がす。物言わぬ首がねじれ、ジンジャーの目に血まみれの顔が見えた。銃創が額の真ん中を貫いていた。男の全身が濡れそぼっている。流血ではない。水だ。後ろの食堂車から逃げ込んだ乗客だろう。ひとりだけではない。見えるかぎり二、三人が倒れ伏している。

「突然飛び込んできやがって、俺に食ってかかるもんで、つい……。まずかったですか?」

 銃を持つ男はスコールの機嫌をうかがうように言葉を選んでいるように見えた。

 スコールは優しげに首を振る。

「いいや。いきなり訳のわからねえ状況にほっぽり出されたんだ。誰もかれも気が動転して不思議じゃあねえ。おまえも、こいつもな」

 ほっと胸をなでおろす男の前で、スコールは帽子を脱ぐ。

「ところで『赤毛狩り』は誰の指示だ? 手に余るほど女を抱えて、端から端まで養ってやれるほど、うちに甲斐性はねえはずだ」

「何言ってるんすか、スコールさん。ここでイモ引くなんてあんたらしくもない。こいつらが『赤毛の魔女』だろうがなかろうが、売り飛ばす先はいくらでもあるんですぜ」

 にやにやと不気味な笑みを浮かべる男の眼前で、スコールは凄惨な笑顔を作る。

「もういい。死ね」

 帽子に仕込んだ短いナイフを引き抜くと、その動きのまま男の喉笛を掻っ切る。

 噴水のように鮮血がほとばしり、男は悲鳴も上げられずに倒れた。

 スコールは血に濡れたナイフを車内に立つ別の男へ投げつけた。狙いあやまたず手の甲に突き立ち、男は拳銃を取り落とす。

 スコールは銃を抜き、駆け出す。山猫のように俊敏な動きで接近し、デーリィ興産の同僚たちに銃口を向けた。

 赤毛の少女を人質に取ろうとした者もいたが、スコールの目的は少女の救出ではない。男たちの抹殺だ。通用するはずもなかった。

 スコールの銃が吠えたと同時に前方のドアが開き、星のバッジ輝くウェルチが現れた。

「動くな! 連邦保安官だ! かどわかしの容疑で拘束する。武器を捨てろ。抵抗する者は射殺する!」

「保安官とグルだと! 俺たちを売りやがったな!」

 スコールの凶行と保安官の登場で、男たちは逃げ場を失い全員が殺気を振りまいて武器を握る。

 男たちの中でスコールの腕を知る者は、彼に背を向けウェルチのほうへと駆けていく。

「私の流儀だ。さあ撃ってこい!」

 ウェルチは銃に手をつけず、棒立ちのまま銃口の前に立ちはだかる。

「よせ! 戦え、保安官シェリフ!」

 スコールの叫びが彼に届く前に男たちの凶弾が放たれた。殺到する銃弾がウェルチの肉体にぶちあたり、そして弾け飛んだ。弾丸のほうが。

「え?」

 ジンジャーを含めて、その場にいた大勢が同じつぶやきを漏らしていた。

 ウェルチの身体に到達した弾丸はその瞬間スピードを失い、落下してコロコロと床に転がった。服に穴は開いたが彼の身体には傷ひとつついていない。まさしく鋼の肉体である。

「ど、どうなってんだ!」

 敵も味方も一緒になって、ウェルチ以外の全員が驚嘆する。信じられない現象を前に、自分の正気を確かめようと、男たちは再びウェルチを銃撃する。

「二度も三度も撃たせんよ。一張羅が台無しになる」

 ウェルチは悠々と銃を抜き、悪党たちに撃ち返す。

 こうなればもう前門の保安官、後門の始末屋といった構図が固まってしまう。

 『赤毛狩り』狩りが催されようとしたとき、悪党のひとりがジンジャーに目をつけた。

「おまえが呼んだのか! こいつらを!」

「――ッ!」

 食堂車から避難してきた乗客の死体の陰から男がひとり飛び出した。スコールはジンジャーを振り返り、左手で腰の後ろの銃を抜いて狙いをつける。だが一直線の通路では射線がジンジャーに重なる。残酷なアウトローが引き金を躊躇った。

『お嬢さま、後ろの車両へ飛び込んで! 早く!』

 旅行鞄を放り出し、ジンジャーは走って水槽と化した食堂車へ飛び込んだ。全身の衣服が水を吸い、身体が重くなる。同時に浮力を利用してジンジャーはくるりと振り向いた。

 分厚い水の向こうで、男が銃の引き金をひく。腰だめのファニングショット。よく訓練された連射だ。発射された弾丸たちはいっせいにジンジャーの潜った食堂車の入口へ飛び込む。だが水の抵抗を受け、それらは彼女の身体までは届かなかった。

 ジンジャーは重い腕を繰り出して、自分の銃を抜き、手首から先を水面から突き出す。

 撃発。目の前の男が血を噴いて倒れた。

 呼吸が苦しくなって、男が起き上がってくるかも確かめないうちに、彼女は連結部分まで泳いで引き返した。目がチカチカと痛む。


 ジンジャーは客車のドアを引き開けた。

 目の前には二等客車の車内が広がる。座席には赤毛の少女たちがおとなしく腰掛けて前を向いていた。

 暗い車内だったが、少女たちの赤い髪が幽かに光を帯びていて不便はなかった。

 ジンジャーは中央の通路を進む。少女たちはとても多い。二十人。三十人。いやもっと。

 こんなにもたくさんの赤毛の少女たちがいたのかと、ジンジャーはどこか気後れするような後ろめたさを感じた。

 車窓を見る。外は真っ暗だ。星明かりも月明かりもない。だからきっと夜ですらない。

 走る列車を追い越すように、客車の隣に何か大きいものが近づいてくる。

 赤い光が横から射し込んできて、ジンジャーはそれが赤い巨人だと気付いた。

 今、巨人が列車と肩を並べて歩いているのだ。大きく長い脚で。列車と同じ速さで。

 通路を進むジンジャーは、ひとりの少女に目を留める。

 赤い髪で印象は違って見えるが、見覚えがあった。

 巨大なゴーレムの残骸の中から掘り返した遺体の少女だ。

 それに気付いたとき、ジンジャーは理解した。

 ――この列車に乗った女の子たちは、もうみんな死んでいるのね。

 ふと座席に座るひとりが横を歩くジンジャーの手を掴んだ。

 ジンジャーの知らない少女だ。彼女は二言三言、何かを伝えると、ジンジャーの手を離した。その手には温かいぬくもりがあった。

 ジンジャーは通路を進み、今、少女たちの誰よりも一番前を歩いている。

 外を歩く巨人が列車を追い越した。ジンジャーもまた、列車のドアを開けた。

 外へ出る前に一度振り返り、少女たちに告げる。

 ――おやすみなさい。


「ガハァ! ごほっ、えほっえほっ……」

 二等客車の床の上に水を吐き出して、ジンジャーは目覚めた。

『しっかりしてください、お嬢さま。私の判断ミスです。思ったより水圧が大きかったようです。さすがにゼロ秒で地表に帰還する人間の減圧症は想定していませんでした』

「エール……」

 息も絶え絶えに床に這いつくばる。拳銃を握ったまま、もう片方の手で濡れた服の裾を握りしめて歯を食いしばった。

『ゆっくり息を整えてください。暴漢はウェルチとスコールのふたりで対処しました。落ち着いて、脳に酸素を行き渡らせて』

「エール……教えて、エール」

『喋らなくていいですから、お嬢さま、今は呼吸を整えて』

「わたしは、何人目……なの?」

 脳裡で相棒が絶句する声を、ジンジャーは聞いた気がした。

『ご自分で、お気づきになったのですか』

「間抜けなことに、やっと……ね」

 ジンジャーはようやく呼吸を落ち着けて、生まれたての仔馬のように覚束ない所作で立ち上がる。

「ジンジャー嬢! 無事か!」

 顔を覗き込んでくるウェルチを杖代わりに掴まえて、どうにかこうに再起した。

「そっちは? どうなったの?」

「悪党どもは成敗した。君の身体のほうが心配だ」

「ありがとう。わたしも自分が風邪をひかないか心配よ」

 軽口を叩いて赤毛の少女たちが震えて固まっている座席へよろよろと歩く。

「ごめんなさい。着替えたいの。少し場所を貸してもらえるかしら?」

 怯えた少女らをどかし、濡れ鼠のジンジャーは旅行鞄を開ける。油紙で包んだ着替えを取り出し、生乾きのタオルで顔を拭く。ブーツを脱ぎ、窓の外の砂漠に水を捨てた。服に手を掛け、肌に張り付く袖を引っ張って腕を抜きだす。

 スカートが水を吸って重い。この重さで溺れかけたが、これがなければ浮力で食堂車の天井まで浮き上がっていたかもしれない。ある意味では命綱だった。

 ジンジャーは肩越しに背後をじろりと睨む。

「覗きの現行犯よ。保安官、法律にのっとって目玉をえぐってちょうだい」

「チッ、バレちまったらしょうがねえ」

 スコールの気配を察知してウェルチを呼びつけた。

「ジンジャー嬢、残念ながらその夢のような法律はまだ施行されていないんだ」

「立案もされてたまるか! イデデデ……」

 耳を引っ張られてスコールはウェルチに連行されていった。

 ジンジャーから離れ、スコールはウェルチに耳打ちする。

「なあ保安官、あいつの裸、見たかよ?」

「本官は紳士である。まだ目玉はえぐられたくない」

「そうじゃねえ。あいつ、全身傷跡だらけだぜ。打ち身が多いが、銃創もあったな。ひとつふたつじゃ利かねえ。どんな暮らしをしてたらああなるんだ?」

「彼女は牧場の一人娘でひと月前までそこにいた。婦女子の一人旅とはいえ、そんなひどい目に遭って生きているはずがない」

「一ヶ月? 時期が合わねえ……。いや、すまん。俺の見間違いだな。うん。目玉をえぐられずに済むぜ」

 ジンジャーの旅路に思いを馳せ、スコールはその壮絶さを胸の内にしまった。

 着替えを済ませたジンジャーは、旅行鞄の古新聞の束の中から、『赤毛の魔女』の手配書を取り出した。

「これは賞金額が下がったんじゃない。わたしが旅立つ前に張り出された手配書だったのね。ずっとヒントはあったのに……」

 『赤毛の魔女』の人相書きはしょせん伝聞の似顔絵だ。目印は赤い髪と魔獣の被害だけ。ニセモノを都合するのは容易である。そして、それを利用するのも――。

 ジンジャーは連れ込まれた赤毛の少女たちを見渡した。その中から、たったひとり、自分と同じ年頃の少女に目を付けた。

 朴訥とした雰囲気の、どこの田舎にでもいそうな少女だった。座席に腰掛けて、物憂げに砂漠の景色を眺める彼女の元へ、ジンジャーは向かう。

 振り向いた彼女と目が合う。少女が何かを言うより先に、ジンジャーが口を開いた。

「あなた、『赤毛の魔女』に会うために、この男たちについてきたわね」

 『赤毛の魔女』の手配書を少女に差し向け、断言するように詰問する。

「『赤毛狩り』についていけば、本物の『赤毛の魔女』に会えるかもしれない。そう思ったんでしょう?」

 少女は口を引き結び、瞳に怒りを宿してジンジャーを睨み返す。

「魔女だなんて言わないで! あの子は魔女なんかじゃない!」

 ジンジャーの向ける手配書を払いのけ、彼女は大声で喚く。周囲の視線を集め、ウェルチやスコールの注意まで引いた。

「そう。魔女じゃない。そして赤毛でもない」

「なんで知って……あの子に会ったの?」

「彼女に頼まれたから言っているのよ。もうあの子を探すのはやめなさい。あなたにはちゃんと帰る家があるんでしょう」

「だめ。あの子をひとりにはしておけない。あの子は何も悪くない! 何も悪くなんてないのに、それなのに、どうしてあの子だけが無実の罪で追われられなくちゃいけないの!」

「諦めなさい。彼女はもうどこにもいないのよ。直接会ったことはないけれど、わたしには分かる。だって――」

 ジンジャーは一瞬、ウェルチを見た。視線が合って、すぐに少女のほうへ向き直る。

「わたしに順番が回ってきたから」

 そう言ったジンジャーの髪は赤く輝いていた。この車両に詰め込まれたどの赤毛の少女よりも鮮烈な赤だ。見間違えようもない。本物の『赤毛の魔女』の輝きだ。

 少女と、そしてウェルチの目が大きく見開かれた。スコールは目を覆って天井を見上げ、嘆息した。

「そんなはずがあるかッ!」

 ウェルチの悲痛な叫びが客車の中をつんざいた。

「私は君と出会う前から『赤毛の魔女』を追っているんだぞ! 年が明ける前からずっとだ。今のいままで掴みきれない尻尾の影ばかり追いかけている相手だ。逃げ水のような魔女なんだぞ。それが……いきなり……君が……。君のはずがないんだ。嘘だと、間違いだと言ってくれ。ジンジャー嬢。君は少しばかり勇敢な、ただの旅人だ。そうだろう?」

 無数の銃弾を浴びてもケロリとしていた保安官が、今は立っているのもつらそうなくらいに足元がふらついている。

 ジンジャーはまっすぐウェルチに向き合った。

「わたしが『赤毛の魔女』よ。保安官さん」

「待てよ。待て待て。ちょっと待とうや」

 スコールが手を振ってジンジャーとウェルチの間に割って入る。

「話が食い違ってんだよ。おまえさんは一ヶ月前までただの牧場の娘だった。それが今は『赤毛の魔女』だァ? おかしいじゃねえか。神出鬼没の魔女様は、去年から西大陸に出没してるんだぜ。活動時期が合わねえんだよ。俺はずっとおまえさんが『赤毛の魔女』だと思い込んでいた。さっき保安官の話を聞くまではな」

 気付いていたのか、と驚くウェルチをよそに、ジンジャーは告白する。

「わたしもさっきやっと理解したわ。『赤毛の魔女』は死ぬと、別の女の子がその役目を引き継ぐのよ」

「役目? 魔女は何のために魔獣を呼び寄せるというんだ?」

「逆よ、保安官。魔女が魔獣を呼ぶんじゃない。魔獣が魔女を追うの。殺害するために。『赤毛の魔女』はこの世界が生み出した『試練』なの。『赤毛の魔女』は期日までに目的地に辿り着き、そこに現れる魔獣と戦わなければならない。それを達成する前に死んでしまうと、別の女の子が『試練』を背負う……」

 ジンジャーはそばにいる赤毛の少女の肩を叩く。

「この子の友達は『赤毛の魔女』に選ばれて、死んだ。そんな子が今まで何人も、いいえ、何十人もいたのよ」

 スコールは顔を背け、不機嫌そうに舌打ちをする。

「そりゃあ捕まらねえわけだ。魔獣を暴れさせておいて、自分はおっ死んじまってんだからな。追いついたときにはもういない。逃げ水ってのは言い得て妙だぜ」

「そんな馬鹿な……」

 ウェルチは座席の背もたれを強く掴み、客車の床を踏みしめて、膝から崩れ落ちそうになる身体を支えた。

「私はこの目で見てきた。『赤毛の魔女』が呼び寄せた魔獣の被害の数々を。私の目の前で何の罪もない人々が傷ついて死んでいくのを。……信じられるものか。その犠牲者の中に『赤毛の魔女』自身がいたなどと……」

「わたしも見たわ。わたし以外の魔女の墓標を。命懸けで魔獣を封じ込めた女の子を」

 スコールが得心いったとばかりに手を叩いた。

「そうか! あのときのゴーレムか! なるほどな。次の代の『赤毛の魔女』が近くに現れたから息を吹き返したわけか。俺が言うのもなんだが、むごたらしい数珠つなぎだな」

「呑気なこと言ってるけど、今も襲われてる最中だって忘れてない?」

「俺はおまえさんに巻き込まれただけだぜ。『赤毛狩り』の件も含めてな」

 スコールは他人事として距離を取れる。ウェルチはそうもいかない。衝撃が大きすぎて、立っているのが精一杯という様子だった。

 ジンジャーはスコールを追い抜いて、ウェルチの肩を揺すった。

「保安官。ウェルチ連邦保安官!」

「な、何だね、ジンジャー嬢」

「他の車両にまだ『赤毛狩り』がいるかもしれない。さらわれた子を助けてあげて」

「それはもちろん。でも君はどうするんだ?」

「今までの旅と同じよ。襲ってくる魔獣や悪魔と戦うの。今はどんな攻撃を受けてるのかも分からないけれどね」

 車両の順序が入れ替わって、窓が別空間に繋がっているだけで、ジンジャー本人は溺れたこと以外には被害をこうむっていない。

 敵の攻撃に思考を切り替えたとき、ジンジャーの脳裡に先程のスコールの発言が閃いた。

「そうだ。『数珠つなぎ』なんだわ! だったら……」

 ジンジャーはあちこちに死体の転がる通路に座り込んで、財布からコインをぶちまけて並べ始めた。

「ここがこうなってると仮定して……こっちとこっちが繋がってるとすると……」

『ふむ。目的地だった機関車のほうを引きずり出せるかもしれませんね』

「そうよね。じゃあ戻らなきゃ」

 エールの補足を得て、ジンジャーは立ち上がる。

「保安官。わたしはあと五日で東海岸に辿り着くわ。そこで『最後の敵』と戦う。どんな相手か分からないけれど、必ず辿り着いてみせる。それが『赤毛の魔女』最後の日よ」

 ジンジャーはあえて自分の末路を告げなかった。自分の後ろに列をなすおびただしい少女たちのしかばねの重みが、ジンジャーの最も酷薄な真実に蓋をしていた。

「東海岸か。鉄道で辿り着くならばニューコークだな。私も必ず見届ける」

「避難してって言ったつもりなんだけれど……」

 ジンジャーは旅行鞄を持って湿った中折れ帽を被り直し、スコールの尻を叩いた。

「なんだよもう!」

「元いた車両に戻りたいの。手伝ってちょうだい」

「俺も保安官と『赤毛狩り』退治なんだがなァ……」

「屋根に上る踏み台になるくらいいいでしょう」

「それだけでいいのか? ひとりでいけるのかよ」

 ジンジャーは挑発的な笑みを浮かべ、勝利を宣言するように言った。

「魔女は、ひとりじゃないわ」


 最初に乗り込んだ二等客車に引き返したジンジャーはすでに赤い髪を輝かせていた。

 乗客たちはその異様な光におののく。『赤毛の魔女』の名は、旅人の間では有名だったのか、それとも西部に住んでいたジンジャーが知らないだけだったのか。知名度のほどを聞いておけばよかったと、ウェルチと別れてから思う。

 車窓は未だ南国の風景を切り取って、極彩色の鳥や花を横切らせていく。

 ジンジャーは迷いなく通路を進み、車両の最後部のドアを開けた。

 連結部。本来、この向こうには最後尾の車両である展望車があった。だが今はもうそこには繋がっていない。ジンジャーの予想が正しければ、展望車に繋がる客車は、無い。

「食堂車の屋根に上って気付いたの。客車が長すぎるって。機関車を含めて全部で十二両しかないのに、前を向いても後ろを向いても客車の屋根が延々と続いているんだもの」

『お嬢さまの予想どおりでしょう。おそらく客車の繋がりは円環構造になっているはずです。進めども進めども機関車へは辿り着かなかったでしょう。確かめようにも時間が掛かりますし、もしも致死性の有毒ガスが充満した車両にでも侵入すれば取り返しがつきません。引き返したのは正解でしょう』

「あ。そこまでは考えてなかったわ……。保安官たち大丈夫かしら……」

 敵を倒せば元に戻るだろうと、ジンジャーは気持ちを敵に向け直した。

『客車が円環構造を作ると、機関車の連結器が余ることになります。現実の車両を牽引している以上、機関車の連結器もどこかと繋がっていなければ道理が合わない』

「手すりの柵で囲って窓が無い最後尾の展望車が先頭の機関車と繋がってると、わたしは考えてる。そして空間がねじれてるだけで、現実の展望車は今もこの車両の連結器と繋がっている」

 鉄の連結器が足元でがっちりと手を組んでいる。牧場育ちのジンジャーがいくら力持ちでも、少女の腕力では簡単に動かせそうにない。なにより動かす気もない。

「やるわよ、エール」

『はい。お嬢さま』

 全身が赤い光に包まれる。二等客車に赤い巨人が、大男程度の大きさで現れた。

 車内が騒然となる。逃げ出す者もいれば、後ろから覗き込もうとする野次馬もいた。

「危ないから離れていなさい!」

 一応の警告を出し、ジンジャーは連結器を睨む。手に力を集中し、破壊光線――ジャッジメントレイを連結器に繰り出した。

 鉄が焼き切れ、連結器が車両と切り離される。

 ここを切断されると、現実空間でこの後ろに繋がっているはずの展望車は失速し、後方へ遠ざかっていく。

 そうなるとねじれた空間で繋がっている機関車のほうが、遅れる展望車に引かれるかたちで後退することになる。

 事実、ジンジャーの目の前で、連結部の空間がねじれていた境界面らしき部分から、新たに別の連結器が生えてきた。

 そう。生えてきたというほかにない。切り離された展望車が遠ざかる速度で、連結器に続いて機関車の車体が後部から順番に出現し始めている。そこに運転士や機関士の姿は無かった。

 機関車は列車を牽引しているのだから、走る客車と同じ速度で進みながら、後ろに遠ざかっていくという奇妙な現象が繰り広げられていた。

 ジンジャーは赤い巨人の手でそっと機関車の外壁に触れる。確かな手応え。空間が連続している。

 それを確かめて再びジャッジメントレイの構えに移る。

『お嬢さま、それで機関車を破壊すると、敵を倒した瞬間、車両が元どおりに戻り、列車を前から後ろまで光線で串刺しにすることになりますよ』

「あ、そうか。フェザーのナントカ消滅エネルギーとかいうので消し飛ばさないと」

『対消滅です。装甲に使っている、衝撃を消し去る力ですよ』

 自分の装甲を剥ぎ取って武器にするジンジャーの目の前に、機関車の全容が現れる。

 元々の流線形のデザインに、生物的な血管が張り巡らされ、ズキズキと脈打っている。生物独特の息吹を躍動させる鉄の生命体がそこにあった。

「これが機関車に見えていたなんてね。敵の攻撃の意図が分からなかったけれど、閉じ込めることに関しては暗闇よりも優れていたわ。影牢の悪魔とでも名付けましょうか。悪魔だか魔獣だかもよく分からないけれど」

『さあ、お嬢さま。貴女に勝利を』

「行きなさい、フェザー!」

 銀色の羽根が舞い、機関車の車体に突き刺さっていく。前から後ろまで、びっしりと銀の刃が突き立った。

 ジンジャーは指を鳴らす。その合図で対消滅エネルギーが解放され、機関車はこの世から消滅した。

『お嬢さま、敵の気配が消えました。我々の勝利です』

 エールの声を受け、ジンジャーは窓を見た。一瞬青空が見えたかと思うと、微かな浮遊感が訪れ、次の瞬間下から突き上げる強い衝撃が客車を襲った。

 乗客たちが悲鳴を上げる。予想外の出来事に、ジンジャーも混乱する。

「な、何? 何が起こったの?」

 元の姿に戻り、旅行鞄を抱えて列車のドアから外の地面へ跳び下りた。

 そこはもう線路の上ではなかった。どこかの小高い丘の上に、ジンジャーの乗っていた客車だけがぽつんと一両放り出されていた。

「え? え? ここはどこ? 次の駅はどっちよ?」

『お嬢さま。貴女はここがどこかご存知のはずです』

「え? 何を言っているの、エール?」

 ジンジャーは丘の上から景色を見晴らす。

 遠くに牧草地が広がり、茶色い点がいくつかかたまって点在している。牛の群れだ。

 その群れを馬に乗った男が鞭を振るって破裂音を鳴らし、意のままに動かしていく。

 手前には牛を世話するための厩舎と、馬を繋いでおく簡素な馬小屋。

 丘の裾野には慣れ親しんだ牧場の風景が広がっていた。

 まぎれもない。ここは、ジンジャーの実家だった。

 故郷の温かな風がジンジャーの冷たい頬を撫でて過ぎる。

『影牢の悪魔の狙いが分かりました。怖ろしい敵です。奴は自分の命と引き換えに、お嬢さまにふたつの感情を植え付けたのです。すなわち――』

 エールの声が、ジンジャーの胸の内を言い当てた。

『絶望と、安息』

 ジンジャーは旅行鞄を取り落とし、膝から崩れ落ちた。

 世界の敵たる『試練』であり、人類の敵である『赤毛の魔女』――稀代の悪党は、今ここで確かに粛清された。

 東海岸に『最後の敵』が現れるまで、あと五日。


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