ep.078 王の右腕

「《茨の王スピーナ・レクス》が帝国軍に捕まった」


 驚くべき発言で話は始まった。発言者はヨゼフ・マクシミリアン、《茨の王》の副官を務めているという男だ。突然ホテルのロビーで眠りこけていた姿からは信じられないほど、張り詰めた表情を彼はしていた。汚れた服はそのまま、灰髪は乱れたまま。整える暇すら惜しんだのだろう。


「俺は、エヴァンを助けるために、ここに来た。《死神グリムリーパー》がここにいると聞いたからだ」


 朝焼けのような色をした双眸が薄暗い地下室を一望する。反逆軍デアグレフ支部の代表であるイリーナは腕を組み直しながら口を開いた。


「そもそも、私たちが君の発言を信用するにたる証拠がないなぁ。君の名前は、バーレイグでの戦いの折に王さまを殴り飛ばしたことで有名だが……」


 イリーナの発言に無数の視線が刃のようにヨゼフに突き刺さる。ヨゼフはあせあせと頭をかいた。この分からず屋がっ!、などと叫びつつ、己の年齢の半分ほどのガキンチョ、……もとい王さまをぶん殴った三十二歳、男。あまりにも身に覚えのある罪によって、冷や汗が止まらない。とはいえ、拳を振り抜いたことに後悔は微塵もないのだが。


「ええっと、あれは、そのー」


「それは別にいい。我らが王が許されたことだし、今更蒸し返すことはないさ。それよりも気になるのは、君がなぜ、マクシミリアンを名乗ったか、だ。ヨゼフ・フェネアンで通すつもりだったなら、そのままでいいだろう? なぜ、最高議会に名を連ねる帝国貴族の名を名乗ったんだい?」


 火薬庫の中でマッチを擦るような言葉だった。ひとつでも間違えば、血が流れる可能性すらある。ヨゼフは途方もない重圧の中で息を吐いた。


「信頼に応えるためだ。エヴァンは俺を信じてくれた、だから俺も俺の全部を懸けてその信頼に応える」


 エヴァンは、ヨゼフが軍属でかつマクシミリアンの名を持つことを、明らかにしなくても良いと態度で示した。だが、本当の意味で反逆軍の王の右腕になるのなら、隠していては務まらない。己の名を背負って初めて、エヴァンたちと同じ場所から始められるとヨゼフは信じた。


「俺は帝国軍情報部所属、ヨゼフ・マクシミリアン中佐だ。エヴァンに救われて、今ここにいる。俺は地獄の底までエヴァンについて行くつもりだ。……お前らだって、そうなんだろ?」


 反逆軍は帝国への叛意を持つ者たちで構成された組織。帝国軍を去って反逆に身を投じた者も少なくない。戦闘経験ある人間は大体そうだ。


「俺はどんな手を使ってでもエヴァンを助けてみせる。まだ軍属のこの身分だって使う。だから、信じてくれないか?」


 懇願というよりも有無を言わせない響きすら伴った言葉の数々。帝国貴族の男の才覚と呼べるものかもしれない。


「ひとつ、お聞きしてもいいですか?」


 リュエルの澄んだ声は地下の籠った空気によく響いた。


「あなたはどこでこの場所に《死神グリムリーパー》がいることを聞いたんですか?」


「詳しくは言えない。が、エヴァンの命を受けて得た情報だ。……まあ、実際にいるかは別の話だ」


 その場にいる全員が絶妙に目を泳がせた。


「ん? どうかしたか?」


「──あんたの探してる死神さんは大怪我してベッドに縛り付けられてるっすよ、物理的に」


 くつくつと喉を鳴らしてルカが笑う。ヨゼフは目を丸くした。


「うっそぉ…………。いや、待て待て、お前の顔、見覚えがめちゃくちゃあるぞ?」


 もちろんチラつくのは、雪泥の中に倒れ込んでいたヨゼフとエヴァンの前に現れたあの──


「──ナイフの悪魔だ」


 しゃきん、と金属の擦れ合う音が冷ややかに奏でられた。ルカは死んだ魚の目を三日月形にして、ニィと口の端を持ち上げる。その両手にはナイフが二振り。容赦なく振り下ろされた一閃を、ヨゼフは後ろに下がることで紙一重で避けた。が、避け切れなかった前髪が一本、はらりと落ちる。


「うぉっ、死ぬ!」


「まだ喋れるから全然大丈夫っすね。あと、ボクの名前はルカ・エンデっす」


 ルカがもう一度ナイフを振るおうと腕を動かす。


「ルカ! 止めて! せっかく来てくれたのに切り刻んじゃだめでしょ!」


 リュエルの鋭い一声が飛ぶ。


「…………はーい」


 不服を隠さない返事をし、ルカはナイフを渋々と懐にしまった。


「すみません……。お怪我はないですか?」


「ああ、なんとか大丈夫だ。……もしかして、お前さんがリュエル・ミレットか?」


 殺戮人形を退けたルカが執着と共に告げた名前がリュエル・ミレット。たった今、ナイフを振り回していたルカを一言で止めたのがヨゼフの目の前にいる銀縁眼鏡の女なら、彼女こそがルカ・エンデの主。


「はい、そうです。あの時はお役に立てたようですね」


 藍玉アクアマリンの瞳が眼鏡の奥で微笑む。ヨゼフの心臓がどくりと跳ねた。朝の空のように澄んでいているというのに、底に何を秘めているか分からない目。共和国軍の軍人でありながら、災厄を躊躇わずに自国に招き入れるような真似をする女だ。何を考えているか、分かったものではない。


「ああ、おかげさんでな。リュエル──さんは共和国の軍人だろ? なんでこんなとこにいる? そもそもなんで《死神グリムリーパー》がここにいる?」


 矢継ぎ早に質問を投げかける。なお、リュエルの名を呼び捨てにしかけてから敬称を追加したのは、ナイフの悪魔さんがナイフをちらつかせたからである。ルカの様子に気づかないリュエルはよどみなく返答をしていく。


「私たちは共和国軍の参謀長官と敵対してしまい、今は追われる身です。その結果として、私たちの仲間である《死神グリムリーパー》が深手を負いました。なので、ここに置いてもらう代わりに力をお貸しする約定を結びました。納得していただけましたか?」


「……なるほどな」


 ひとまずは納得しておく他ないだろう、とヨゼフは喉元にある言葉を呑み込んだ。エヴァンの選んだデアグレフ支部の代表が無能であるはずもない。ゆえに、ある程度の信憑性はあると考えていいはずだ。


「さて、あとは君の話が真実かどうかという話だが……、王さまが帝国軍の手に落ちたという情報は、我々にとってはかなり大きな爆弾だ。慎重に判断すべき案件と言える。とはいえ、つい数日前まで王さまがダーデンベルにいたことは事実だし、ダーデンベルが襲撃に遭い、それ以来王さまとの連絡が途絶えているのもまた事実だ」


 イリーナは意地悪く笑う。


「──つまり、私たちに君の話を疑う理由はない。ダーデンベルからデアグレフまでは普通なら四日ほど掛かる距離だ。ダーデンベル襲撃から五日で、対抗策として《死神グリムリーパー》の所在を掴み、デアグレフへ辿り着く……並大抵の覚悟じゃあできない」


 寝る間も惜しんで駆け続け、切り札となりうるすべへと迷わずに手を伸ばした。身の安全も振り捨てて、ただ主のために駆けんとする姿勢、覚悟。《茨の王》の右腕にこそ相応しい。才覚だけでも信頼だけでも、孤高の王の隣に立つことなど許されない。そう、ヨゼフ・マクシミリアンはそのいずれもを兼ね備えた逸材だ。


「君は間違いなく王の右腕の器だ。意地の悪い言い方をして悪かった。何せ私の立場じゃ、ほいほい人を信じられないからねぇ。疑り深くなりもするんだ」


 リュエルたちと協力関係を結ぶときも、イリーナは慎重だった。おそらく、協力することにした今もなお疑うことを止めていないだろう。常に七割の信頼と三割の懐疑を抱くのだ、彼女は。けれど、それでいて人を不快にさせない快活さも持ち合わせている。エヴァン・リーゼンバーグがデアグレフ支部長に任じたのは、そういう女だった。


「で、早速王さまの行方を掴まないと、という話なんだが、ここはまず私たちが動こう。情報収集が何より大事だからねぇ」


「いや、俺も──!」


 ぼさぼさ頭で憔悴した顔をしているというのに、当人は食い下がろうとする。ヨゼフは居ても立っても居られない様子だが、このまま動いても倒れる方が先だろう。


「ヨゼフさん、ここはイリーナさんに任せましょう。エヴァンさんのことが心配なのは分かりますが、あなたが倒れてしまっては肝心なときに動けません。それに、《死神グリムリーパー》は負傷して動けない状況ですが、ルカや《死天使ヘルエンジェル》がいますから」


「……《死天使ヘルエンジェル》? え? 帝国の?」


 リュエルの言葉にヨゼフはきょとんとした。確かに、《死天使》は帝国の暗殺者として名が通っている。それが今は共和国の亡命兵と共にいて、共和国の暗殺者である《死神》と一緒にいて……。


「……なんでもない、そういうこともあるよな……? な? うん」


 ヨゼフは思考を放棄することにした。イリーナは複雑な事情に立ち入ることを厭うたのか、その話題には踏み込まなかった。しかし、聞かれてしまえば答える他ないか、と肩ひじを張っていたリュエルだったが、思わぬヨゼフの反応に助けられて息を吐く。事実をそのまま並べたところで信じてもらえなさそうだから。


 ぱちん、と乾いた音が響く。ヨゼフが自らの頬を叩いた音だ。朝焼け色の双眸が輝いた。


「よし、イリーナ。エヴァンのことは任せる。俺はいつでも出られるように準備をしておこう」


 焦りではエヴァンに手は届かない。





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