死刑囚 弓立涼子
面会室の構造は、警察署と大して変わらない。
向かい合ったパイプ椅子に、それを隔てるアクリル板。普段の犯罪者は一般社会とは隔絶されて接する事が許されないが、ここでは唯一許されている。
草薙が椅子に座ってから約三分経った頃、弓立涼子はやって来た。
彼女がその姿を生で見るのは数カ月ぶりだ。
弓立の直近の姿は法廷画でしか確認していないが、所詮は絵である。現実には勝てない。
久し振りの弓立は、筋肉が落ちたせいか一回りほど萎んで見えた。
髪を短くし、大きめのスウェットを着ているせいで、その印象が強調されている。
覇気が消え、少し頬もこけていたが、相も変わらず美人だった。
そのお陰か萎んでも、落ちぶれているように見えないのは同性として少々羨ましいと草薙は感じた
「何時ぶりかしら」
「……五か月と一週間くらいですかね」
草薙の問いかけに弓立は真っ直ぐと顔を見ながら答える。
「数えてたの?」
「一応。……そのくらいしか、やる事が無いというのもありますけど」
「そう……。そうだ、さっき、玄関の所でお姉さんと甥っ子に会ったわ」
「ついさっきまで、面会してたんですよ」
斎藤母子の話題になった途端、弓立の表情が明るくなった。
「……週に一回来てくれるんです。普段は姉さんだけなんですけど、今日は守君を連れて来てくれて」
「やっぱり、甥っ子は可愛い?」
草薙に兄弟はおらず、甥や姪なんて存在とは縁がない。
彼女は子供嫌いではないが、可愛いと思う感性が低くなっているのだ。
「可愛いですよ。アクリル越しだけど、手を振ってくれて。それに……何も知らない分、法律より平等ですから」
「……そう」
「だから私、内職を始めたんですよ。……ロクなモノを残さず、何もしないまま死ぬより、小金でもいいからあの子に遺したいと思ったから」
「………………」
「私のせいで、要らない苦労も背負わせてしまいましたから。罪滅ぼしにならなくとも、生活の足しにしてほしくて」
「……きっと、助けになると思う」
「だと、いいんですけどね。……こればかりは、私の自己満足でしかないので」
何と言うべきか。草薙が迷っていると。
「……たまに、思うんですよ。自分はこうしてていいのかって」
更に返事に困る話題を振られてしまった。
「殴られるでもなく、罵倒されるでもなく、衣食住が三つしっかり揃ってる。……こんな血塗れの殺人鬼に対して、こんな待遇はおかしいと思いません?」
「おかしかろうが何だろうが、それがこの日本という国が決めた法律によって定められた事なの」
「……そう、ですよね。でも、一回死ぬだけで罰を償えるなんて、甘い気がするんです。……自分で言うのも、なんですけどね」
「死刑は、この国の最高刑。それに、罰を償わせるという目的で国が受刑者をいたぶるのは、現代国家ではもうナンセンスなの」
打首獄門。入れ墨追放。市中引き回し。
ざっと三百年前まで日本で行われていた刑罰だが、今の日本でそれをやろうものなら、人権アレルギーの偽善者共が怒り出すだろう。
何とも言えない顔をしてから、今までの発言を誤魔化すかのように。
「……本題に入りましょ。草薙先輩もお喋りじゃなくて、捜査の名目で面会しに来たんでしょう?」
弓立は話を振ってきた。草薙は思わず苦笑してしまったが、すぐに冷静を取り戻し鞄から名刺を出す。
アクリル板に立て掛けるように置かれた三係係長の肩書が記された紙片を、弓立は食い入るように見る。
「公安四課、三係……新しい部署……?」
「今日、出来たばかりのね。捜査対象は『第四の思想』」
「……私みたいな事をやろうとしている連中を調べるんですか?」
持ち前の察しの良さで目的を悟ったらしい。
「そう。従来の過激思想、イデオロギーからも逸脱した新しい思想。それを捜査する部署よ」
「じゃあ、それで来たんですね」
一瞬だけ、弓立は寂しそうな顔をしたが、それをまた内面に押し込んだ。
「……何を、聞きたいんです?」
「いや、貴方の事じゃないの。話を聞きたいのは」
「え?」
まずは簡潔にRYOKO.comの事を説明し、狂信者が何人もいるという事実を告げる。
最初こそ呆然としていた弓立だったが、次第に冷笑を浮かべるようになった。
「……何にも、知らないクセに」
彼女はそう吐き捨て、今度は嘲りとも悲しみとも取れる顔をした。
同情心が湧き上がってくるのを感じた草薙だが、それを振り払い話を進める。
「そんなサイトを作る馬鹿がいるくらいなら、手紙を送りつける馬鹿もいると考えてね」
「……なるほど。鋭いですよ、草薙先輩」
拘置所へ来たばかりの頃。弓立の元には山のように手紙が届いた。
拘置所側の検閲で、危険物が入っていたりした物や、見せるに値しないと判断された物を弾いた上でも、大量の手紙だった。
マスコミ関係はフリーライターからドキュメンタリー番組幅広く。
心理学者を始めとした学者陣からも多く来た。
だが、手紙全部がそんな硬い物ばかりではない。
いたずらや嫌がらせ目的の手紙、行動に共鳴した者からの手紙も当然あった。
最初の一か月程はそれが続いたが、弓立が返事を書かない事が分かったのか、ただ単純に飽きが来たのか、すぐにいたずら目的の手紙は激減した。
弓立自身も自分を崇め褒め称える様な内容を嫌い、そういった類の手紙を読まなくなって半年。
ほぼ全てのいたずら等のふざけた手紙は来なくなったが、一人だけ今も週に一度のペースで手紙を出し続けている人間が居る。
その事を草薙に伝えると、彼女は届いた手紙をこちらへ渡すよう申し出た。
弓立は快く、手紙を差し出すことを了承する。
読む価値の無い手紙程、死刑囚に要らないものはないからだ。
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