係長の気持ち
サイバー犯罪課の人間が公安四課のオフィスに来たのは、草薙の決意表明から数分後。
山寺と石川のように草薙の言葉を耳にした三係の面々は、電話やらパソコンやらに飛びつき、各々のやるべき仕事に着手している。
妙に殺気立った空気に気圧されつつ、彼は石川の名を呼んだ。
「ご注文のモノです」
「ありがとさん」
お礼か、サイバー犯罪課の彼に食玩が詰まったレジ袋を渡す。
「いいんですか?」
「いいんだよ。コーヒーだけ欲しいのに、おまけなんてウザいだけだからな。捨てちまうより、こうして欲しい奴の手に渡った方がよっぽどいい」
何度も礼を言ったサイバー犯罪課の彼は、スキップで帰っていった。
その書類はすぐに草薙に渡される。
サイトを作ったのは、
インターネット王手の孫請けの小さいプログラム会社で働く、俗に言うIT土方だった。
サイバー犯罪課の頑張りか、既に自宅住所は割れていた。
草薙は若手二人を呼びつけ、その住所への張り込みを命じる。
それから山寺にはIP開示の手続きを任せる。
威勢良く返事した三人を見送り、残された石川にも指示を出す。
「最近の中国人の動きを探れ」
「……あのサイト探れではないのか?」
「個人的な勘だけど、あのサイトより腹腹時計の方が危険度高い気がするの」
「勘。……か」
「悪い?」
「いや、下手な論理振りかざされるより、こっちのがいい。分かったよ」
蓄えた顎ヒゲを掻き、彼は煙草片手に外へ出る。
一連の流れを観察していた江戸川は、声に出さなかったが草薙の手腕に感心していた。
(……初日にして、係長が板についているな)
と同時に本来ここで光るべき人材ではないと、強く思った。
島流し部署に来る人間は大きく分けて二つに分けられる。
一つは無能。
前にいた場所で取り返しのつかないポカをやらかした人間だ。
わざとか、事故かは関係ない。やることやったら、本人の意思に関わらず責任を取るのが社会の摂理。
流され、擦り切れるまで罰を与えられ、消えていく。
だがもう一つは違う。
キレ過ぎた人間だ。
どんな社会にも触れてはいけないタブーがあり、それに触れずに生きていくのが賢い生き方とされる。
しかし、キレ過ぎた人間に暗黙の了解なんて代物が通じるはずも無く。
遠慮なしにそれを踏みつけ、組織の論理によって断罪される。警察と言えど、人間が集まって形成されている以上は組織である。
公安四課はそんな風に断罪された者達が、最終的に行き着く場所。
草薙も山寺も石川も江戸川自身も、そんな経験を背負っている。
けれど、皮肉な事に草薙は前の部署より圧倒的に輝いていた。
「――課長」
「……なんだ?」
「少し出てきます。遅くても、二時間ぐらいで帰ってくるので」
「そうか」
「部下が何か聞いてきたら、教えてあげてください。……こういう作業、久し振りだと思うので」
「分かった。……一応聞くが、何処に行くんだ?」
「――東京拘置所へ」
そこに行く用事としては、ただ一つしかない。
「一応、その思想の原点に聞いておこうと思って」
「……斎藤老人の方は、未だに黙秘を続けているぞ」
江戸川は話題を反らしてみるが、足の疼きは止められなかった。
「涼子に、会いに行きます」
「……そうか」
何を言うでもなく、止めるでも咎めるでもなく、彼は草薙を見送り。
そして、ハイライトに火を付けた。
葛飾区小菅一丁目35番1号。東京拘置所。
その場所にそびえ立つ舎房。
地上十二階、地下二階、高さ五十メートルで、中央部の中央管理棟と南北に両V字形に伸びる北収容棟、南収容棟がつながる建物。
草薙が捜査の一環として面会を申し入れていると。
「草薙さん?」
弓立涼子の異母姉である、斎藤柳子が息子の守を連れて立っていた。
草薙が振り向くと柳子は小さく会釈したが、守は母親の足の影に隠れてしまった。人見知りする質なのか。
「こんにちわ」
しかし、挨拶するあたりそこまで酷くはなさそうだ。
「こんにちは」
守に挨拶をし返すと、草薙は柳子に改めて挨拶をした。
「どうも」
「お久しぶりです。ここへは、何をしに?」
素直に言うか嘘をつくかで迷ったが、草薙は素直に言うのを選んだ。
「……涼子さんに、用があって」
「涼子ちゃんに? 私もです、帰りですけど……。でも、涼子ちゃんの面会は一日一回って」
死刑囚の面会は一日一回と決まっている。
「ああ……。捜査としての面会ですから、私用の面会にはカウントされないんです」
これはかなりグレーなラインなのだが、弓立自身の余罪がまだある以上、拘置所側も融通を効かさなければならないのだ。
「なるほど。勉強になります」
「使いどころのない知識ですよ」
苦笑しながら二人はその場を辞する。
徐々に小さくなる斎藤母子の背中を見ながら、草薙は柳子を強い女性だと感じた。
半年前のテロで父親、夫、異母妹がテロの首謀者・実行者として逮捕された。
日々苛烈する害悪報道。止まらない誹謗中傷。正義感をはき違えた輩による嫌がらせ。
常人なら発狂しそうな環境下でも、彼女は子育てをしながらシャンとしている。
警官として数々の人間と会って肥えた草薙の目でも、彼女から非を見つけられない。
自身の生活が荒れる事も無く、弱い子供に当たる事無く愛情を適度に注ぎ、こうして本来なら助ける義理も無い異母妹の元へ足を運んでいる。
(超人っていうのは、あの人みたいな人を指すのかも)
荒波の中、自我を見失わず。精一杯生きる。
この世界に生きる人間の内、何人が出来るのか。
少なくとも自分には出来そうもない、と草薙は自嘲した。
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