係長の気持ち

 サイバー犯罪課の人間が公安四課のオフィスに来たのは、草薙の決意表明から数分後。

 山寺と石川のように草薙の言葉を耳にした三係の面々は、電話やらパソコンやらに飛びつき、各々のやるべき仕事に着手している。

 妙に殺気立った空気に気圧されつつ、彼は石川の名を呼んだ。


「ご注文のモノです」

「ありがとさん」


 お礼か、サイバー犯罪課の彼に食玩が詰まったレジ袋を渡す。


「いいんですか?」

「いいんだよ。コーヒーだけ欲しいのに、おまけなんてウザいだけだからな。捨てちまうより、こうして欲しい奴の手に渡った方がよっぽどいい」


 何度も礼を言ったサイバー犯罪課の彼は、スキップで帰っていった。

 その書類はすぐに草薙に渡される。

 サイトを作ったのは、小山内おさないけいという二十五歳の男。

 インターネット王手の孫請けの小さいプログラム会社で働く、俗に言うIT土方だった。

 サイバー犯罪課の頑張りか、既に自宅住所は割れていた。

 草薙は若手二人を呼びつけ、その住所への張り込みを命じる。

 それから山寺にはIP開示の手続きを任せる。

 威勢良く返事した三人を見送り、残された石川にも指示を出す。


「最近の中国人の動きを探れ」

「……あのサイト探れではないのか?」

「個人的な勘だけど、あのサイトより腹腹時計の方が危険度高い気がするの」

「勘。……か」

「悪い?」

「いや、下手な論理振りかざされるより、こっちのがいい。分かったよ」


 蓄えた顎ヒゲを掻き、彼は煙草片手に外へ出る。

 一連の流れを観察していた江戸川は、声に出さなかったが草薙の手腕に感心していた。


(……初日にして、係長が板についているな)


 と同時に本来ここで光るべき人材ではないと、強く思った。

 島流し部署に来る人間は大きく分けて二つに分けられる。

 一つは無能。

 前にいた場所で取り返しのつかないポカをやらかした人間だ。

 わざとか、事故かは関係ない。やることやったら、本人の意思に関わらず責任を取るのが社会の摂理。

 流され、擦り切れるまで罰を与えられ、消えていく。

 だがもう一つは違う。

 キレ過ぎた人間だ。

 どんな社会にも触れてはいけないタブーがあり、それに触れずに生きていくのが賢い生き方とされる。

 しかし、キレ過ぎた人間に暗黙の了解なんて代物が通じるはずも無く。

 遠慮なしにそれを踏みつけ、組織の論理によって断罪される。警察と言えど、人間が集まって形成されている以上は組織である。

 公安四課はそんな風に断罪された者達が、最終的に行き着く場所。

 草薙も山寺も石川も江戸川自身も、そんな経験を背負っている。

 けれど、皮肉な事に草薙は前の部署より圧倒的に輝いていた。


「――課長」

「……なんだ?」

「少し出てきます。遅くても、二時間ぐらいで帰ってくるので」

「そうか」

「部下が何か聞いてきたら、教えてあげてください。……こういう作業、久し振りだと思うので」

「分かった。……一応聞くが、何処に行くんだ?」

「――東京拘置所へ」


 そこに行く用事としては、ただ一つしかない。


「一応、その思想の原点に聞いておこうと思って」

「……斎藤老人の方は、未だに黙秘を続けているぞ」


 江戸川は話題を反らしてみるが、足の疼きは止められなかった。


「涼子に、会いに行きます」

「……そうか」


 何を言うでもなく、止めるでも咎めるでもなく、彼は草薙を見送り。

 そして、ハイライトに火を付けた。



 葛飾区小菅一丁目35番1号。東京拘置所。

 その場所にそびえ立つ舎房。

 地上十二階、地下二階、高さ五十メートルで、中央部の中央管理棟と南北に両V字形に伸びる北収容棟、南収容棟がつながる建物。

 草薙が捜査の一環として面会を申し入れていると。


「草薙さん?」


 弓立涼子の異母姉である、斎藤柳子が息子の守を連れて立っていた。

 草薙が振り向くと柳子は小さく会釈したが、守は母親の足の影に隠れてしまった。人見知りする質なのか。


「こんにちわ」


 しかし、挨拶するあたりそこまで酷くはなさそうだ。


「こんにちは」


 守に挨拶をし返すと、草薙は柳子に改めて挨拶をした。


「どうも」

「お久しぶりです。ここへは、何をしに?」


 素直に言うか嘘をつくかで迷ったが、草薙は素直に言うのを選んだ。


「……涼子さんに、用があって」

「涼子ちゃんに? 私もです、帰りですけど……。でも、涼子ちゃんの面会は一日一回って」


 死刑囚の面会は一日一回と決まっている。


「ああ……。捜査としての面会ですから、私用の面会にはカウントされないんです」


 これはかなりグレーなラインなのだが、弓立自身の余罪がまだある以上、拘置所側も融通を効かさなければならないのだ。

 

「なるほど。勉強になります」

「使いどころのない知識ですよ」


 苦笑しながら二人はその場を辞する。

 徐々に小さくなる斎藤母子の背中を見ながら、草薙は柳子を強い女性だと感じた。

 半年前のテロで父親、夫、異母妹がテロの首謀者・実行者として逮捕された。

 日々苛烈する害悪報道。止まらない誹謗中傷。正義感をはき違えた輩による嫌がらせ。

 常人なら発狂しそうな環境下でも、彼女は子育てをしながらシャンとしている。

 警官として数々の人間と会って肥えた草薙の目でも、彼女から非を見つけられない。

 自身の生活が荒れる事も無く、弱い子供に当たる事無く愛情を適度に注ぎ、こうして本来なら助ける義理も無い異母妹の元へ足を運んでいる。

 

(超人っていうのは、あの人みたいな人を指すのかも)


 荒波の中、自我を見失わず。精一杯生きる。

 この世界に生きる人間の内、何人が出来るのか。

 少なくとも自分には出来そうもない、と草薙は自嘲した。

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