匿名希望
BGMがまた最初から流れ始めた。
草薙も山寺も死体を初めて見た訳ではない。夏場に何日も放置された腐乱死体も、その死臭も嗅いだこともある。
しかし、眼前に広がる画像は、狂気を放ち精神を蝕んでくる。
「消して」
草薙がそう言う前に、石川は既にホーム画面に戻っていた。
「結構、精神にキマすね」
「そういう類の攻撃でしょ、これは」
「これ撮ったの、何処の誰です?」
「そう言うと思って、サイバー犯罪課に頭を下げてきた。今日中には分かるはずだ」
「……何処の誰が、一体こんな事を」
「さぁな。こんなサイト作れる時点で少なくとも、素人じゃねぇな」
「サイバー犯罪課の結果待ちか」
三人は肺に溜まった重苦しい息を吐いた。それを吐き切ると、山寺が素朴な疑問を口にする。
「にしてもなんで、弓立ちゃんはこんな人気に?」
かつて、弓立が同僚だった時に付けていた敬称をそのままに、彼は脳天に疑問符を浮かべた。
「……まさか、美人だから?」
自身の疑問にセルフで答えるが、隣の草薙に冷めた目線を向けられ肩をすくめる。
だが。
「いや、案外ハズレじゃねぇかもな」
石川が椅子の軸を回転させ、二人の方を向いた。
「やっぱり、担ぐ神輿は綺麗な方がいいだろう。古今東西、表舞台に出て来るのは面が綺麗な奴と相場が決まってる」
「………………」
草薙は否定せず、唸りながら腕を組んだ。
「つっても、それは人気になる一端でしかない」
これを見ろ。と、今度は掲示板とあるフキダシをクリックする。
既に何百ページ分もレスがあり、その大部分は弓立涼子を褒め称える文章だ。
「盲信的ね」
草薙の批評を聞き流し、石川は一番古いページをクリックした。
最近の書き込みは短い物が多かったが、古いカキコミは長文が主で内容もより過激になっている。
「うわぁ……」
誰が発したかその声は、きっと書き込んだ連中には想像できないだろう。
――だからこそ。
『死んで当然』
『社会のゴミを捨ててくれてありがとう』
『こんな奴等、今死のうが何年後に死のうが、大して変わらん。なら、早々に死んでくれた方が、金の無駄にならない』
こんな事が書けるのだろう。
書き込みの多くは死んだ老人達に対する罵声、暴言。
名前も知らぬ人間にどうしてこんな言葉を掛けられるのか。死んだ老人達は、ただ老いているというだけでここまで言われているのだ。
「なんで、こんな……」
山寺が何かを堪える様に、口元に手を当てながら呟く。
「一種の優生思想さ。かつてのナチスが、アーリア人第一主義とのたまったのと同じだよ」
「ここに書き込んでる奴は、弓立がヒトラーに見えているとでも?」
「少なくとも、鬱屈とした感情抱え込んだ連中の救世主となっているのは間違いない」
アドルフ・ヒトラー率いるナチ党がユダヤ人を迫害したのは、第一次世界大戦の賠償金支払いに喘いでいる中、金融業を牛耳っていたユダヤ人を良い目で見れなかったり。
疲弊していたドイツ国内を共通の敵を作ることで団結させ、アーリア人の価値を高める当て馬とする為だ。
それに対し、RYOKO.comの書き込みの総意としては。
私達若者がこの荒れ果てた政治経済に絶望し、酷い労働環境で働いているのに、その社会を形成したはずの老人達はその責任を取る訳でもなく、素敵な老後と称してヘラヘラと暮らし、あまつさえ自分らが昼夜問わず汗水垂らして必死に手に入れた給料の大部分から吸い取った税金で、自分達はままならない健康で文化的な最低限度の生活を享受している。
そんな事が許されていいのか。ただ年を取っただけの人間を敬えるか。
右を向けば、下らないクレームで若者を困らせる爺。
左を向けば、若者を見下し馬鹿にする婆。
上を向けば、自分の肩書に胡坐をかいて若者に不条理を押しつける時代遅れの企業幹部や、
下を向けば、生活保護やら年金やらで国に寄生するダニみたいな乞食。
私達は絶望していた。けれど、そんな世の中に一筋の光が差し込んだ。
弓立涼子。
圧倒的暴力を用いて、何十人もの老人を虐殺してくれた。
私達はその行動に敬意を表し、彼女を敬う事にした。
――という事になる。
「……分かる分からないはさておいて、根が深そうな問題ね」
十数個もの書き込みを読んでこのサイトの匿名希望達の意見を理解した草薙は、同情と侮蔑が入り混じった溜息を付いた。
「理解はしますけど、許せませんよ。こんなの」
鼻息荒く憤慨する山寺。
「………………」
無言で煙草を吸う石川。彼が深く煙を吐き出すと同時に、草薙が口を開く。
「とにかく、私達がやる事は決まった」
男二人の視線が彼女に向けられる。
「新宿・立川テロから半年経った。……そろそろ、二番煎じの大馬鹿が動き出すにはいい頃合いだと思わないか?」
野性味と凄味に、草薙の眼が燃える。
「この馬鹿サイトの運営者が分かり次第、裁判所にIP開示を申請。書き込んだ奴全員を調べ上げる。組織犯罪対策課にも、武器密売の動きがあるか聞くぞ」
「……人使いが荒いねぇ」
石川のボヤキを無視し、彼女も動き始めた
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