食後のホットワイン
トナカイのシチューはとても熱そうで、スプーンに取ってから息を吹きかける。
そうして冷ましてから口の中へと運んだ。
初めての料理のためじっくりと味わってから飲みこむ。
興味を抱いた肉の部分に関しては予想よりも臭みがなく食べやすい味だった。
これまでに食べた肉の中ではシカの味が最も近い気がした。
なかなかの美味しさで自然と手にしたスプーンを動かしたくなる。
「マルクくん、これはけっこういける」
こちらの気持ちを代弁するようにクリストフが声を上げた。
「バラムはそこまで寒くない分、こういう料理は少ないですから、新鮮なのもいいですね」
「こういうものが食べられるなら、長い距離を移動した甲斐がある」
満足げなクリストフを見て、美味しい食事はいいものだと思った。
一方、リリアは剣の道を極める者のように冷ましては口へ運びを繰り返している。
日頃の彼女の所作と同じく丁寧な食べ方なのだが、料理の減るペースが熱い料理とは思えないものだった。
「……リリア、口をやけどしないように」
クリストフが戸惑いがちに言ったが、その声は届いていないように見えた。
以前はもう少し奥ゆかしいところがあったように思えるのは、護衛として付き添ってくれたことや出会って間もないという理由があったからなのかもしれない。
そもそも、しっかり食べることは作り手に誠実な姿勢にも映るため、焼肉屋の店主である自分としては好ましいことのようにさえ感じる。
トナカイのシチューがどんなものであるのか把握できたところで、ラーニャが食べているサーモンスープのことが気になった。
彼女は彼女で食べ方に品があり、エルフとダークエルフで外見の違いはあれど、アデルの姿と重なるような感覚を覚えた。
「……そんな目で見てもやらんぞ」
「あっ、すみません。見たことのない料理だったので」
気づかないうちにじっと見てしまったようで、ラーニャにたしなめられた。
リリアと向き合い方は異なるものの、自分自身も食への探求が強いことを気づかされる。
「里の近くには川が流れていて、雪が降る前の季節になるとサーモンがよく獲れたものだ」
ラーニャがぽつりと、誰にともなく口にした。
郷愁を思い返すような雰囲気があり、どう声をかけるべきか分からなかった。
それから食堂の雰囲気を味わいながら、料理を食べ進めた。
最終的にリリアは二人前のシチューを平らげて、小皿料理も完食した。
美味しすぎて食べすぎたと恥ずかしそうにつぶやいた後、馬車に乗りっぱなしで運動不足だから歩いてくると言い残して席を離れた。
「あの姉ちゃんはいい食べっぷりだね」
俺たちが席について休憩していると店の男が皿を下げ始めた。
彼はテーブルと調理場を往復する中で店主のラウッカだと名乗った。
「ごちそうさまでした。だいぶ身体が温まりました」
「そりゃよかった。食後にホットワインはどうだい? 度数は低いから酔う心配はないけども」
ラウッカは三人の顔を順番に見ていった。
色んなお客が来るのが分かるように、とても接客慣れしている印象を受ける。
「へえ、温かいワインがあるとは。寒い地方ならではってやつかな」
「クリストフさんはどうします? せっかくなので俺はもらいます」
「ああ、僕もそうしよう。ラーニャさんはいかがかな?」
「では、私も飲むとしよう」
クリストフが話題を振り、彼女は小さく反応を見せた。
旅の途中でたしなむ程度にワインを飲むことがあったので、酒を飲まないわけではないようだった。
「ほい、それじゃあ三人前か。少し時間をもらうよ」
ラウッカの様子から客商売が充実していることが分かる。
俺自身も自分の店に立つ時は楽しめているので、きっと彼も似たような気持ちなのだろうと思った。
そのまま席で待機していると、トレーを手にしたラウッカが戻ってきた。
「お待ちどお。ホットワイン三つ」
オリーブ色のマグカップが並べられて、湯気の浮かぶ赤ワインが入っていた。
見た目はワインなのだが、それ以外の香ばしい匂いが漂ってくる。
「中身はワイン以外にも?」
「おっ、違いが分かる男だね。秘伝のレシピに沿って、スパイスやハーブ、果汁が混ぜてある」
こちらの質問にラウッカが誇らしげに答えた。
さぞかし美味いのだろうと口をつけると、それが裏づけされたものだと悟る。
「温まるだけじゃなく、風味が絶妙ですね」
「マルクくん、抜け駆けはよくないよ」
クリストフが愉快そうにマグカップを傾ける。
わずかに間をおいて、俺と同じような反応を示した。
「これは美味い。リリアは残念だな」
「戻ってきたら、彼女にも飲ませてあげましょう」
親切心から言ったつもりだったが、クリストフが戸惑いがちな反応を見せた。
「実は以前の遠征先で質の悪いエールを飲んでから、彼女はお酒を飲まなくなったんだ。元々、そんなに飲む方ではないというのもあるね」
「なるほど、そんなことがあったんですか」
「このホットワインなら飲めそうな気もするけれど、押しつけるようなこともしたくないのさ」
クリストフは端正な顔立ちにさわやかな笑みを浮かべつつ、マグカップを傾けた。
ランス王国でも数えるほどしかいないような美男子でありながら、他者への気遣いを見せられるのはできすぎだと思えてしまう。
そうした態度が自然に出せるところも優れたところなのだろう。
三人で食後のホットワインを楽しんでいると、しばらくしてリリアが戻ってきた。
そして、クリストフの予想通りに彼女はホットワインを飲まなかった。
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